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新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-RS Big Hits Vol.2
 健全なる少年少女のみなさん、不良への近道にローリング・ストーンズはいかがでしょう。我が国における1960年代のロック事情といえばあのビートルズでさえどこの親もいい顔はしなかった。ましてローリング・ストーンズに至っては劣悪極まりない代表として、それを聴く少年少女は白い目で見られ不良呼ばわりされる。たしかに音楽そのものは猥雑さをはらんでいたし、世界中を見回しても60年代終わりは闘争、紛争、戦争に多くの若者は煽られていた。タイミングを計ったか善きにつけ悪きにつけストーンズは若者たちに溶け込んでいった。ビートルズが芸術派集団とするならば、一方はさながらストーンズ派武装集団である。

 当時ストーンズのベスト盤といえばBig Hits Vol.1とVol.2であり、特に『THROUGH THE PAST, DARKLY (Big Hits Vol.2) 』は「JUMPIN' JACK FLASH」と「HONKY TONK WOMAN」のアルバム未収録のシングルが収められていることで大きな価値を生んだ。私自身、小学生の分際で「HONKY TONK WOMAN」に取り憑かれてしまったのだ。レコード店で手に取り、ああこれで不良になってゆくのだと重い足取りでレジに。レジ係のお兄さんが気になってしかたない。可愛い顔しやがってこのマセた餓鬼がストーンズかい。そんな風に見られているのかと思い慌てて店を出た想い出がある。自分で言うのもおこがましいが可愛かったのです(照れ笑)。

 さてこのベストは先ほどの2曲のためだけにある。でもあまりにも偉大すぎるストーンズに申し訳ないので他の全曲も紹介しちゃおう。ちょっぴりサイケな「PAINT IT, BLACK」に「MOTHER'S LITTLE HELPER」、優等生ぶってビートルズ張りにコーラスをするも余りにも不恰好な「RUBY TUESDAY」。明らかにサージェント・ペパーに感化された「SHE'S A RAINBOW」は微笑ましく、「LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」や「DANDELION」になるとどこが不良なんだと可笑しくてしょうがない。何せ「タンポポ」なんだし。「2000 LIGHT YEARS FROM HOME」はビーチ・ボーイズのマイク・ラヴが超越瞑想法に迷い込んだ世界みたいに歪み放っなしだ。他になかったのか、「HAVE YOU SEEN YOUR MOTHER BABY, STANDING IN THE SHADOW ?」をどうしてベスト盤に入れなきゃならないのか。この下らない曲が最後の曲を際立たせることになる。「STREET FIGHTING MAN」は実に格好いい。ふと頭を過ぎったのがエアロスミス。この曲どこを切ってもエアロスミスなんだよ。スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーがミックとキースを意識した最良のナンバーだ。

 最愛なる2曲。大抵ストーンズの曲の良し悪しはイントロで決まる。「JUMPIN' JACK FLASH」「HONKY TONK WOMAN」ともに出だしから推進力抜群である。

-NO.529-


【むさし坊】

 金沢市内で旨いおろし蕎麦を食わせてくれるのがむさし坊。席に着くとお茶とこの“福だるま”というお菓子が出される。雪だるまをイメージしているという。写真には2つだが、実際には3つ出てきます。お土産にも買うことができます。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-overseas
 よくあなたはネコ派? それともイヌ派などと訊いて血液型性格判断にほど近い探りを入れることがあるよね。ただ単純にネコ好きかイヌ好きかを訊いているのにもかかわらず、勝手に性格診断されているのだと思うからその質問をされると何か勘ぐってしまい、しまいには笑えてくる。さてかくいう私はどちらだというと多分ネコ派なんだろうと思う。実際に飼ってみたいと思うのはイヌに違いないのだが、自分自身がネコ系なんだろうか遠くで見ている分には完全にネコに愛想を振りまいているのだと思う。掴みどころのないあの性格といい、気を惹こうとしているネコと、気を惹こうとする私との間に絶対的関係が成立しているのだと考える。それに似た関係が私とトミー・フラナガンだ。

 フラナガンは私に対して言い寄ったりしてこないし、自身のマストアイテムはほぼ乏しいのが現状だ。私も彼のマスターピースとされる作品としては『オーバーシーズ』ただ一枚のみ。何枚か所有していたが、いつか中古市場へ送り出した経緯がある。彼のファンにいわせると、真のベスト・パフォーマンスはお気楽なゲスト物に多いというが・・・この『オーバーシーズ』差し置いてゆくわけにはいかないだろう。

 ここでのフラナガンのピアノを一言で表現するならば、大都会のビル間を気まぐれに歩いたり取るものもとりあえず急ぐネコ達の姿が浮かぶ。ただし「ダラーナ」だけは違う。小股の切れあがった女(ネコ)が下町を柳腰で誘っているようで、そこはかとなくイナセだ。この曲のお陰で中古屋さん行きは免れた。フラナガンが唯一気を惹こうとし、まんまとそれに乗ってしまった私。ぶる~んと唸るウィルバー・リトルの骨太なベースも生き残りに一役買って出てる。

-NO.528-


【八ッ山公園・北品川】

 八ッ山地区とはおよそ現在の品川駅から五反田駅の間を示し、八ツ山とつく公園は東八ツ山公園も存在するのでお間違えのないように。八ツ山公園は品川インターシティを西に抜けたところにあり、ネコとカラスが屯しているので変に賑やかい。どうでもいいが我が社の東京営業所に向かう途中にあり、そいつ等と会うのがささやかな楽しみでもある。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-やっとお出まし大石節
 20年もまえから気になって仕方ないピアニストが日本にも居た。大石学。深謀遠慮なるベースを弾く鈴木良雄らが組んだ“East Bounce”唯一の作品“Mistral”での【品】に満ちたピアニズムにカタルシスを感じないわけがなかった。後に“赤とんぼ”のリメイクや日本的詩情をくゆらす多くのナンバーは、腐敗しきった現世に妙なる調べをもたらしてくれた。まるで江戸時代へタイムスリップし、一日千秋的茶の間で聴き入ってしまっている自分の姿が浮かび上がってくるほど。そんな大石が新たに届けてくれたアルバムが『Steppin' Up』と相成る。

 タイトル通り奇をてらったかのようにラップ・ナンバーで幕を開ける。20年来の盟友セシル・モンローが巧みに歌まで披露しており、異様な世界にギャップだけが山積みされていく。何故いまフェンダー・ローズにシンセを操らなきゃいけないのだと訝しげに思う。それが彼の“Steppin' Up”なのだろうか。生のピアノが聴きたいと乞うと、時折大石節が出てきてはホッと胸を撫で下ろしたりといそがしいのだ。

 過日、吉祥寺の“サムタイム”でニュー・アルバム発売記念ライブがあるというので出掛けた。サムタイムは初めて扉を叩く私で、ちょっと早かったのか一番客だったらしく誰も居ない。予約を入れてあってかピアノの真ん前の席だった。ただそこには見知らぬオッサンがピアノやフェンダー・ローズのチューニングをしており、まさかまさかと思ったがその方が大石学だった。髪型も既成の写真とは想像とまったく違っていて驚いた。演奏が始まるやいなや、ピアノよりずっと手前のドラムスのセシル・モンローに目がいってしまう。ドラムも結構面白いというか見てて飽きない。セシル・モンローの四肢が休む間もなく働き続けている。あの手この手、細工は流々いろいろと愉しませてくれる。

 アルバムに話を戻すが、最後に控えた3曲が僕を和ませてくれる。やっと出てきたぞ、いつもの大石節、こうでなくっちゃ。彼には悪いが誰が何と言おうが次の3曲に尽きる。長年温め続けてきた作品らしい「Manatee」は、ゴスペル調でいつもながらの盛りあがりを終盤に見せるお得意のパターン。物静かに繰り出すのは「Peace」。米木のベースがむせび泣き、刻々と正確無比なリズムをキープするモンロー。大石の指がとろけだすほどに甘美なメロディライン。三人三様の魂が決してブレることなく淀みなく進んでゆく。ラストの小品「Clematis」は何も言うまい。火照った心や身体を静め、微睡む僕が見える。

-NO.527-

 追記 : 前述した「Peace」と「Clematis」は亡き友人(後輩)に捧げたい。20年前奇しくも大石学を知った頃、一人の人間と知り合った。ずっと便りがなく、便りのないのが元気でいる証。そんな矢先訃報が入った。先日の台風9号で被害にあった兵庫県佐用町で儚くも命を落としてしまったという。ラスト2曲の胸に染み入るメロディは、悲しみを念に置いて書いたのではないと分かってはいるが、どうにもこうにも今日の僕にはレクイエムにしか聴こえない。


【サムタイム sometime 】

 吉祥寺はいい下町だこと。僕の好きな音楽もあちこちで溢れかえり、衣食住がものの見事コンパクトに納まっている。ぎゅっと凝縮された街だ。このライブハウスひしめく吉祥寺にあって居心地の良さでは一番なのではと思わせるのがサムタイム。さまざまな角度から演奏者を目の当たりにすることができるのもここの特徴だ。写真のサインは、大石学(左)、米木康志(右上)、セシル・モンロー(右下)の3人にライブの合間に書いていただきたものです。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-DIW jw
 ジャック・ウィルソンという男を知っているだろうか。60年代に一世を風靡したというより、コアなジャズ・ファンを創りあげた張本人が彼だ。前衛志向のオーネットやコルトレーンの曲を好んで取り上げたり、僕の中でも微妙な立ち位置を余儀なくされていた。今でも彼のベスト・パフォーマンスは、ベーシストのアイク・アイザックスでの客演した“アット・パイド・パイパー”(P312参照)だ。歯止めの利かないそのノリはコルトレーンの“インプレッションズ”さえも恋に陥れる副作用を生む。

 今になって思い出したが、私のブログに度々出てくるディスクユニオンも“DIW”なるレコード・レーベルを築き上げていたのをご存知でしょうか。澤野商会が登場するずっとずっと前のこと。“DIW”だからこそ生まれた作品がたくさんあり、まさしくこのジャック・ウィルソンの『イン・ニューヨーク』もその一枚である。陽の目をみた60年代にせよ決して目立った存在のジャックではなかったが、ジャズそのものが多様化し始めた70年代をもがき苦しみ、ジャズの再起を誓って新伝承派が立ちあがった80年代の日々を静かにやり過ごした男を再びその気にさせたのだ。そこが偉い。野球界でいう野村再生工場ならぬジャズ界の再生工場として楽しみなレーベルだった。

 これがジャックなのかと耳を疑る「ジス・ハート・オブ・マイン」は、この男してこのハート・ウォームな響きはいかに。人が丸くなったというのか生まれ変わってやろうという素直な気持ちが、当時57歳のジャックの選曲に表れたり音に仕込まれている気がする。つづく「ザット・サンデイ・ザット・サマー」は軽快なジェイムス・チリロのスインギーなギター・ワークが冴え渡っている。この憂き世でこんな楽しみを知ってしまってはどういたしましょうってな悦びが途絶えることのない4人の真摯な演奏が聴ける。極めつけはマーサー・エリントン作のスローな「ムーン・ミスト」だ。この曲を聴くのに目を凝らし、耳を澄ませ、神経をとぎすませることなどない。心ほぐれしとき、彼の新たな情熱にほだされるしかないのだ。ここまでがアルバムの1曲目から3曲目、私的ゴールデン・コースとなる。最後は彼に敬意を表してオリジナルの「サンディー・マイ・ラヴ」で締めよう。オリジナルなんぞ無縁の男が、こうしてバラッドでも書いてみるかと思った勇気に拍手拍手。おや、締めたハズなのにつづくボッサ風「ハウ・スーン」でまたまた引き寄せられる。いつの間にか僕はスピーカーのほんの前までにじり寄っていた。

 ふと音がいいと思ったらエンジニアはあのジム・アンダーソン氏と記してあるではないか。まだ健在なんだろうか。最近は滅多と聞かなくなった名前だ。

-NO.526-


【山本有三記念館】

 三鷹、吉祥寺に荻窪、国立だってそうだ、気の許せない街がつづくのが中央本線。案外知られてないのか・・・柔らかな日差しに包まれた山本有三記念館。いたるところの設えには古き良き時代のエッセンスが散りばめられている。ジブリともう一つはここへ寄ってみよう。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-step by step
 1980年代初頭におけるジャズ・シーンに異変が興りつつあったと同時に、僕の中でジャズと向き合うスタンスもその潮流に逆らうことはなかった。70年代一世を風靡したフュージョン界も、その時いまだ隆盛を極めており、このステップスの面々もフュージョン界きっての腕利きミュージシャンばかりだった。

 リーダー格のヴァイブ奏者マイク・マイニエリ、名曲“ラブ・プレイ”の作者でもあり、ここでも自在なメロディ・メーカーぶりを発揮している。深町純とのセッションでド肝を抜かれたドラム・ソロは、今でも鮮烈に脳裏に焼きついて離れない。今をもっても彼を超えるドラマーを知らない、というか僕の中で最高のドラムマンでずっといて欲しいのだ。ベースにはビル・エヴァンスとの共演歴を持つエディ・ゴメス。強いていうなれば、ジャズ・フィールドでの実績の多さではバンドNO.1でしょう。さすがエヴァンス・トリオ出身とあってベースでメロディを紡ぎだす術は知っており、実に多感多彩なベース・ラインだこと。しかし、問題は残す二人である。

 テナーのマイケル・ブレッカーとピアニストのドン・グロルニックの故人のお二人だ。何と嘆こうがいらっしゃらないのであるがゆえ、どうにかして欲しいという哀願のみ存在する。マイケル・ブレッカーはさほど好き嫌いはないものの、僕のライブラリーには縁がない。しかし近年、あのマイケルに純粋にジャズ・スタンダードを奏でさせると空気は一変し、恍惚の音のみあたりを彷徨いはじめる。本当の姿を知ったそんな矢先の他界だった。そしてドン・グロルニック。ちょっぴり太めの体型からは想像しがたいくらい、ピュアで繊細なピアノを聴かせてくれた。このアルバム『ステップ・バイ・ステップ』で「アンクル・ボブ」と「シックス・パーシモンズ」の2曲(アルバム全5曲)を提供。特に「アンクル・ボブ」はモダン・ジャズとフュージョンの狭間を行き交うなか、4分ちょうどからドン・グロルニックにして1分半の独壇場と化す。つづくマイニエリやゴメスの珠玉のソロさえ霞んでしまうほどの名演奏だ。そして古の京都、暑い夏の夜、祇園祭りのお囃子が聴こえてくる裏路地。それを静寂の闇へ、華やいぐ動きさえもゆるりと、異国の5人によって袋小路へと追いやられるマイニエリ作「KYOTO」が白眉。意識が薄れてゆくようなエンディングに腰砕けになる。僕が京都出身だからといって贔屓目にするわけじゃないが、この曲自身生涯ベスト10に入れるに疑わない。4曲目「ブレット・トレイン」はまさしく弾丸列車の形相。ドンドン突き進んでゆく列車に飛び乗ろうとすると、スルッと上手くかわされたりとグロルニックのコンポーザーとしての力量と巧さが抜きん出ている作品。列車の長さとメガトン級の重量感をマイケルが最初の一吹きで示す。列車が疾走するさまはマイニエリの巧みなマレット捌きで。

 これらを来日時に録音させたというから日本のレコード会社さんも大したもんだよね。

-NO.525-


【地球屋】

 “地球屋”とは何とも奇妙な店名なんであろうか。三鷹駅よりバスに揺られること20分。野川緑地にひっそり佇む蕎麦屋こそが“地球屋”。小上がりに座り、妙に落ち着く感じがたまらなくいい。近くには調布飛行場、水車小屋にあの蕎麦で有名な深大寺がある。それにしてもこの“地球屋”の看板の素朴さが、この店の凡てを物語っている。