20年もまえから気になって仕方ないピアニストが日本にも居た。大石学。深謀遠慮なるベースを弾く鈴木良雄らが組んだ“East Bounce”唯一の作品“Mistral”での【品】に満ちたピアニズムにカタルシスを感じないわけがなかった。後に“赤とんぼ”のリメイクや日本的詩情をくゆらす多くのナンバーは、腐敗しきった現世に妙なる調べをもたらしてくれた。まるで江戸時代へタイムスリップし、一日千秋的茶の間で聴き入ってしまっている自分の姿が浮かび上がってくるほど。そんな大石が新たに届けてくれたアルバムが『Steppin' Up』と相成る。
タイトル通り奇をてらったかのようにラップ・ナンバーで幕を開ける。20年来の盟友セシル・モンローが巧みに歌まで披露しており、異様な世界にギャップだけが山積みされていく。何故いまフェンダー・ローズにシンセを操らなきゃいけないのだと訝しげに思う。それが彼の“Steppin' Up”なのだろうか。生のピアノが聴きたいと乞うと、時折大石節が出てきてはホッと胸を撫で下ろしたりといそがしいのだ。
過日、吉祥寺の“サムタイム”でニュー・アルバム発売記念ライブがあるというので出掛けた。サムタイムは初めて扉を叩く私で、ちょっと早かったのか一番客だったらしく誰も居ない。予約を入れてあってかピアノの真ん前の席だった。ただそこには見知らぬオッサンがピアノやフェンダー・ローズのチューニングをしており、まさかまさかと思ったがその方が大石学だった。髪型も既成の写真とは想像とまったく違っていて驚いた。演奏が始まるやいなや、ピアノよりずっと手前のドラムスのセシル・モンローに目がいってしまう。ドラムも結構面白いというか見てて飽きない。セシル・モンローの四肢が休む間もなく働き続けている。あの手この手、細工は流々いろいろと愉しませてくれる。
アルバムに話を戻すが、最後に控えた3曲が僕を和ませてくれる。やっと出てきたぞ、いつもの大石節、こうでなくっちゃ。彼には悪いが誰が何と言おうが次の3曲に尽きる。長年温め続けてきた作品らしい「Manatee」は、ゴスペル調でいつもながらの盛りあがりを終盤に見せるお得意のパターン。物静かに繰り出すのは「Peace」。米木のベースがむせび泣き、刻々と正確無比なリズムをキープするモンロー。大石の指がとろけだすほどに甘美なメロディライン。三人三様の魂が決してブレることなく淀みなく進んでゆく。ラストの小品「Clematis」は何も言うまい。火照った心や身体を静め、微睡む僕が見える。
-NO.527-
追記 : 前述した「Peace」と「Clematis」は亡き友人(後輩)に捧げたい。20年前奇しくも大石学を知った頃、一人の人間と知り合った。ずっと便りがなく、便りのないのが元気でいる証。そんな矢先訃報が入った。先日の台風9号で被害にあった兵庫県佐用町で儚くも命を落としてしまったという。ラスト2曲の胸に染み入るメロディは、悲しみを念に置いて書いたのではないと分かってはいるが、どうにもこうにも今日の僕にはレクイエムにしか聴こえない。
【サムタイム sometime 】
吉祥寺はいい下町だこと。僕の好きな音楽もあちこちで溢れかえり、衣食住がものの見事コンパクトに納まっている。ぎゅっと凝縮された街だ。このライブハウスひしめく吉祥寺にあって居心地の良さでは一番なのではと思わせるのがサムタイム。さまざまな角度から演奏者を目の当たりにすることができるのもここの特徴だ。写真のサインは、大石学(左)、米木康志(右上)、セシル・モンロー(右下)の3人にライブの合間に書いていただきたものです。