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新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-voices in the rain
 私の知り合いのいうことには、かの寺島氏(ジャズ評論家)はリー・モーガンの死際に憧れているそうな。ジャズマンに限らず多くのミュージシャンの死は謎めいたものからオーヴァードース(薬物過剰摂取)によるものがよく伝説的に取り上げられている。そりゃリー・モーガンみたいに演奏中に愛人から銃口を向けられ、違った意味でハートを射抜かれるなんてそうそうあるもんじゃない。とはいえ若くして死んでしまっては元も子もなく、第一好きな音楽だって聴けなくなるのだから。じゃあ長生きすればいいのかっていうのも断定できない。たとえば耳が遠くなって、まともに音楽も聴けなく、聴くのに大音量をぶちまけ周囲からド鳴られそれどころじゃなくなる。私は好きな音楽を聴きながら知らぬ間に逝くのがいいね(笑) 寺島氏なんかは“好きなオーディオいじりでケーブルによる感電死!”とくれば伝説的になるんだろうが。

 話は360度変わって!・・・? 360度って元に戻ってるやんか。そう死際に関連付けたわけではないが自分の葬儀にBGMとして流していただきたい作品がジョー・サンプルの『Voices In The Rain』だ。ジョー・サンプルとなるとこの本盤に“虹の楽園”と“カーメル”で片がつく。『Voices In The Rain』は明る過ぎず暗過ぎず絶好の一枚であると思ってのこと。

 アルバムはクラシカルなタッチのタイトル・ナンバー「Voices In The Rain」で幕を開ける。フュージョン七不思議の一つにジョー・サンプル・ナンバーのスタンダード化と申しますか、フュージョンにおける名曲カバーがあまりにも存在しないことだ。ジャズ・ナンバーのようにフュージョンはカバーされることがホント少ない。コマーシャル性が強いのか、たとえば“Rainbow Seeker”はジョー・サンプルのモノと決まっているのかなかなか手が出せていないのが現状か。葬儀開始の案内にはもってこいで、サビからストリングスが合いまみれて多くの参列者の心に響かせる。雨好きの私にはタイトルでさえ死んでなおも真摯に向き合わせてくれる。「Greener Grass」はある意味サンプルの代表曲といえよう。あちこちでBGMとして使われ、聴けばウンウンと頬を緩ませる方もいらっしゃるのでは。でもまさかのまさか!葬儀のBGMとして使われるとは夢にも思っていなかったのはジョー・サンプルであり、お陰で当の私はとてもいい夢が見れそうである。

 葬儀といえばお坊さんによるお経が必需だが、私の葬儀ではフローラ・プリムによる〝ヴォイス〟は、肉声に近い歌だ。これは前作の〝虹の楽園〟でも多用され、ここでもスピリチュアルなナンバーに仕立てた「Shadows」で聴ける。お待ちかねお焼香タイムには「Eye Of The Hurricane」が善かろう。亡き人柄を偲ばせるに充分なナンバーで、その輝きと翳りをものの見事に演出してくれよう。流麗なストリングスに身をゆだね、貴方の番が来るまでお茶とお喋りで華を咲かせていただけたのならこの場もこの時を和ませてくれたことでしょう。さあお別れのときが参りました。なんとこの曲「Sonata In Solitude」ではジャズ・ベース界の巨匠レイ・ブラウンがゲスト参加。2分30秒からサブラマニアンの親密でしっとりとしたヴァイオリン・ソロが涙を誘うかのようで切なくしめくくられる。こんな演出じゃロマンティックな愚か者などとは誰も呼んではくれまいか(笑)。

-NO.534-


【慈久庵】

 蕎麦の聖地ともいわれる茨城県は水府、その山間にひっそりと佇む“慈久庵”はどこか誇らしげだ。今日も遠くから運勢を占うかのようにここへやってくる。占う?・・・そう、わざわざ行ったところで店を開けているかどうかも分からないらしい。主人の小川氏がたった独りで蕎麦打ちから配膳、お勘定までこなしている。傍から見れば無愛想、でも物静かな職人とでもいいたい小川氏と一対一で対峙するのも悪くない。もっちりとした蕎麦は蕎麦掻きをも彷彿させる。この写真の薪も演出のひとつなんだろうか。湯釜を薪でなんて思ったが、ちゃんとプロパンは置いてあった(笑)。



新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-ディッピン
 昔は格好いいなぁ~なんて上下に身体を揺らしながら聴いていたが、今聴いてみて“こりゃ~ショックだ!”なんて思えるジャズがあったのだと“コーラ・ショック”を飲みながら久しぶりにじっくりと耳にあててみた。それは俗に言う“ジャズ・ロック”といわれる類の60年代半ばに流行りだしたお気軽音楽だった。駄洒落でも言いたくなるくらい面白可笑しい内容だ。

 この朱の色でジャケットの7、8割を占めているのはハンク・モブレーの人気盤『ディッピン』に他ならない。僕にとってモブレーで3枚挙げるとなると60年代幕開けの〝ソウル・ステーション〟に60年代後半の“リーチ・アウト”とこの60年代半ばの朱色とすんなり決まる。

 かつてリー・モーガンを筆頭にブルーノーター達がこぞってジャズ・ロックへの道を切り開き、ジャズとは無縁だった純潔無比の人々を引き寄せ、ジャズと真摯に向き合った人達を未知なる聖域へと誘い込んだ。その極めつけがリー・モーガンの“ザ・サイドワインダー”でありモブレーの「ザ・ディップ」だ。何やら奇妙奇抜なイントロからして時代臭さを露呈。恥ずかしさの微塵もなくリー・モーガン、ビリー・ヒギンズにラリー・リドレーと当の御本人がジャズ・ロックなんてこんなもんでいいんだろうってな軽いノリでやっているから可笑しくも可愛くもある。次に超有名曲の「リカード・ボサ・ノヴァ」が控えているにもかかわらずもうお腹いっぱいになってしまって困るのだ。うんざりはその「リカード~」における太鼓と申しましょうか、ヒギンズの乾いたドラムが微笑ましくて稚拙美さえ漂ってくる。ギラギラとした夏も終わりを告げ、密かに秋の気配が身の周りに潜み始めた9月初旬の日曜の昼下がり。のほほんとジャズでもと枕をともにしようとも、もはや救いようのない境地に追い込まれた気分。これはモブレー達だってそうなんだろうとニヤリさせられるのが「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」だ。ミュージカル“マイ・フェア・レディ”からのバラッド。こんな風に出されてしまうと、一気にキラキラとした秋の気配がはらわたの隅々まで染み渡ってしまうからジャズってやめられない。と同時に僕の口から、ふ~っと夏の残り香が空に舞った。

-NO.533-


【桂樹舎・和紙文庫】

 越中八尾の夏はおわら風の盆で終わる。その八尾といえば手漉き和紙。その和紙を使った工芸品に人気のペンたてがある。おわら風の盆に相応しい絵柄に惹かれ和紙文庫で購入したのがこれ。また和紙文庫では世界の紙に関した常設展示(有料)もやっているので是非お立ち寄りください。という私は見逃してしまって後悔しきり。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-ゴーギャン展
 僕にとって辛いことは好きでもない盤を取り上げて〝座右の銘盤〟などと褒め称えること。簡潔に言えば、今回ご紹介するピーター・バーンスタインの『ストレンジャー・イン・パラダイス』は、僕にとって座右の銘盤というには程遠い代物なのだ。じゃあ何故取り上げるのかというとゴーギャンだからなのだ。このジャケットこそゴーギャンが孤高の楽園画家と呼ばれるに相応しい画であり、この風味豊かな色彩だけは現在行われているゴーギャン展のどの作品にも負けないと思うからである。ではジャケットだけで座右の銘盤と成り得るのかと言えば、成って当たり前、性懲りもなくジャケ買いの精神を貫くこと大いに喜ばしいのだ。

 知らないお方のために書いておこう、リーダーはギタリストのピーター・バーンスタイン。驚くのはサイドメンの雄姿たち。今現在シンバルを叩かせば随一のビル・スチュワートに孤高のピアニストのブラッド・メルドーと彼のトリオ・リズム・キーパーのラリー・グレナディア(ベース)。注目すべきはビルのシンバル・ワークとメルドーの彼らしからぬプレイだ。

 3曲目A・C・ジョビン作「ルイーザ」。ラテン・ナンバーのくせに黒光りしている。誰のせいかといえばピアノのメルドーだ。こんなに黒いメルドーはかつて聴いたことがない。同系のエバンスが時折見せたものとは比べ物にならないほどメルドーの場合は黒くなることに徹している。そんならしからぬメルドーのブルージーに横溢するピアノは、まだ表面をそっと撫でただけにすぎなかった。6曲目「ジャスト・ア・ソート」で遂にビルが咆える。退屈極まりない8分半にもおよぶこの曲、残り1分半ばからビシバシとしゃしゃり出てくるでは。残すところあと30秒、シンバルのみに近い演奏をただ無心に打ち続けたのである。静かに熱いビルのシンバルに平伏す。最後にメルドー最良のソロはラスト「オータム・ノクターン」2分から起こるダウン・アースな響き。らしからぬメルドーもまた善かろう。

-NO.532-


【ゴーギャン展・東京国立近代美術館】

 本邦初公開“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか”は縦3.7M×横14Mにもなる。ゴーギャンは多くをこの画に描こうとしたのか、はたまた瞬時に捉えた画がこれほどまでの情報量を必要としたのかは定かでない。はっきりと言えることは、今までこの画が日本未公開であったこと自体が不思議でならない。東京国立近代美術館では9月23日までゴーギャン展を開催。

注)2009年9月23日にて終了


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-live in south africa
 さあジャンルは何でもよいではないか。根っからのニューヨーカーのアンディ・ナレルはスティール・ドラムの名手だ。アンディ・ナレルの諸作を買われようとするあなた、どのコーナーで扱われているか悩むところだね。一般的にはフュージョンの類として片付けられるためジャズ・コーナーが多い気がする。が、NYっ子としてカリビアン・リズムを異国の地で轟かすは真のワールド・ミュージックといえよう。この『ライブ・イン・サウス・アフリカ』は文字通り南アフリカはヨハネスブルグでの実況録音盤。この蒸し暑い夏にはもってこいのサウンドだ。ただ南アフリカでのライヴのせいか、イーストロンドン、そしてポートエリザベスからケープタウンへの海岸線を車で走らせ眩いばかりの水平線を見ているような錯覚にも陥る。もちろんのこと、豪華列車ブルートレインでまだ明けやらぬ草原や日の暮れかかった高原を駆け抜けながら聴いている心地にもさせてくれる。

 ところで皆さんはスティールをご存知であろうか。別名スティールパン(Steelpan)ともいい、ドラム缶から作られた音階のある打楽器で、独特の倍音の響きを持った音色が特徴。トリニダード・トバゴで生まれ20世紀最後にして最大のアコースティックな楽器と云われている。ひとつのパンに8個から10個くらいの大きな窪みがあり、それぞれ音色が異なる。見た目も銀色で音色同様にいかにも涼しげだ。ただしひとたびそれらの音が幾重にも響き渡ると、灼熱の太陽さえ敵わないほどの熱を帯びてくる。そしてスティールパンの窪みを駆け巡る玉虫色の光だ。打つと同時にそれら空気中のあらゆる光がパンの上を奔るのだ。音、色、光、その三つの要素が繰り成すクライマックスが次の2曲で露わになる。

 「アウト・オブ・ザ・ブルー」のイントロで聴ける無数の音、色、光はまさしく〝青天の霹靂〟とでも申しましょうか。打楽器のくせに音が線のように連なっている。アンディの手のしなりや一連の所作がなんともセクシーだ。そしてアンディの人気ナンバー「シュガー・ストリート」はいかにも“らしい”曲だ。らしいとはこのライヴにおける一番カリビアン的な要素が充満しており、一つの音階をとっても振幅の度合いがズバ抜けていい。渾然一体となった演奏は彩りも艶やかだ。HEADS UPからの諸作には必ず三要素が含まれているゆえ、ハズレがないので安心してお買い求めあれ。

 前述の三要素は満たさないものの個人的に参ったのが「カリンダ」。おやこの出だしは松尾明の演奏で知られるカルロ・ウボルディ作「アングリー・ドッグ」に似てるではないか。力強さの中に柔肌の如き哀愁メロがとめどなく溢れかえる。

-NO.531-


【安城七夕祭り】

 日本三大七夕祭りが行われるのは愛知県安城市。縦横無尽というべく屋台が張り巡らされた駅前付近。毎年旧暦の七夕になると町は大賑わいだ。短冊に願いを込めて・・・おやっ、ECOな七夕飾りだこと。これはペットボトルを潰したり切ったりしてのお飾りさん。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-carpenters 2nd
 随分前に某ブログサイトで“僕の英語の先生はカーペンターズ”と学生の頃の想い出を綴ったことがあった。僕の中にはカーペンターズにおける絶対的な曲があり、絶対的なアルバムとがある。曲とは“雨の日と月曜日は”で、アルバムは“緑の地平線”のことだ。さてカーペンターズにしてデビュー2作目は『クロース・トゥ・ユー』となるのだが、この作品こそが彼らがビッグ・アーチストに成り上がった切欠となった。デビュー盤“涙の乗車券”に比べ数段上をゆく内容に世界中が驚いた。サウンドの構成も兄リチャードの手腕によるところが大きく、ディオンヌ・ワーウィックとともにバカラック・メロディの伝道者ともなった。悲しいかな、いや悲しいことがあるまい。セカンド・アルバム曰く〝この後次々とモンスター・アルバムをリリースしてゆくんだから恐れ入ったよ〟と、まあこんなことを言うはずもなく、それだけ憂き目に会ったということだ。

 「愛のプレリュード」はこんな歌詞で始まる。<We've only just begun to live>すなわち“私たちはいま、生きることを始めたばかり”と、そう私たちとはカーペンターズのこと。実際の歌詞では結婚する初々しいカップルのことなんだが。イントロはクラシカルにピアノとフルートでカレンを誘う。イントロにつづくカレンの声は全キャリアの中でも僕にとって絶対的な声なのだ。いつもの健康的で明瞭な声でなく、朝もやに包まれ生まれたてのちょっぴりハスキーなシルキー・ヴォイスが聴ける。これでカーペンターズの将来が約束されたことになる。

 恐れを知らないとは兄のリチャードの方だ。よりによってビートルズの「ヘルプ」をカバーしている。オリジナルと大きく違うのはテンポ、とにかく遅い。カーペンターズ流のロック仕立てなんだろう、予想を覆す大健闘の出来。そして絶対的アンサンブルを見せるのは間奏部での重厚なコーラス、そこにかぶさってくるホーン・セクションと高らかに謳いあげるストイックなオルガンだ。仕舞いには何の曲だったかも忘れさせるくらい素晴らしい。

 バカラック・ナンバー「遥かなる影」は、一人の男性へのモウレツな絶対的ラブ・ソングだ。何も貴方を愛するのは世界中の女性だけじゃないよ、小鳥だって、お星様も、もちろん私だって負けはしないわ、と。そしてバカラックは「恋よさようなら」において底抜けの明るさで、もう恋なんてしないわと否定している、あっぱれ。恋愛に限らず何かにつけ精神的密度と深度をバート・バカラック=ハル・デビッドに測られているようだ。この作品、絶対的密度と深度に長けているのである。

-NO.530-


【蕎麦処 草庵】

 石川県は鶴来の町にこれまた旨い蕎麦屋がある。所在も店構えに店内もじつに趣きがある。もちろんのこと蕎麦も。私のおすすめは天麩羅せいろである。季節に応じた食材はこの店の敏感な部分であり、ことのほか主たる味に反映されていると思う。絶対的自信の表れだ。