ジョン・レノンが死んだ。そのことより衝撃的に胸の奥を衝かれたのがマイケル・ジャクソンの死だった。その違いはジョンレノンに比べマイケル・ジャクソンのほうが、ただ単により共有した時間が長かったからだと思う。まさに同世代そのものだったマイケル。この訃報は不意にやってきた。
その訃報は6月26日早朝(現地25日)、東京武蔵野のホテルのTVニュースで知った。まるでアメリカ大統領が何者かによって殺されたかのような騒ぎだ。1995年の地下鉄サリン事件や2001年の9.11同時多発テロ以来の予期せぬ出来事といってしまうと大袈裟か。そのニュースは誰かれに揺り起こされたくらいに一瞬にして目が覚めた。マイケルが?
マイケル・ジャクソンは好きかと訊かれれば、NOと答えるほど興味などまったくといってなかったのが事実。超とつくクインシー・ジョーンズとの3部作“オフ・ザ・ウォール”、“スリラー”、“バッド”は揺るぎのない名盤であって、それまでのマイケルとは異質でときめくほどの千変万化の内容だった。今回はあえてその3部作でなく、1991年発表の『デンジャラス』で供養したいと思う。なんと言ってもこの中に「ヒール・ザ・ワールド」なる名バラードがあり、これ以降のマイケルの新機軸となりうるナンバーだった。彼自身の作詞作曲であり、アルバム全体もバンドとしての存在感を顕にしたサウンドに変貌していた。ストーリー仕立ての3部作より、より人間味溢れる予感とほとばしる情熱の交差が、マイケル食傷気味の僕に〝キング・オブ・ポップス〟ここにありと教えてくれた。〝ウイ・アー・ザ・ワールド〟参加以来メッセージ色濃くなった「ゴーン・トゥー・スーン」はエイズ撲滅の歌であり、「キープ・ザ・フェイス」は彼の整形に揶揄されたとして問題となっているナンバーで、とにもかくにも問題ありきの作品が並ぶ。何とこのアルバム、発売当日にはロサンゼルス空港で3万枚が強奪されるという事件まで引き起こしたのだ。
マイケルが50歳を迎えたころ、「ヒール・ザ・ワールド」のようなじっくりと腰を据えた歌をこれから先も聴き続けたいと願う僕はいなく、彼が死んだいま、そうでない僕がいる。
-NO.539-
【北野異人街界隈】
デンマーク館手前にある大きな鉄扉がこれ。いかにも北欧らしい町並みと夜空をモチーフにしたデザインだ。館内に入らずとも雰囲気が漂っているのがいいね。



