新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景 -19ページ目

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-デンマーク館
 ジョン・レノンが死んだ。そのことより衝撃的に胸の奥を衝かれたのがマイケル・ジャクソンの死だった。その違いはジョンレノンに比べマイケル・ジャクソンのほうが、ただ単により共有した時間が長かったからだと思う。まさに同世代そのものだったマイケル。この訃報は不意にやってきた。

 その訃報は6月26日早朝(現地25日)、東京武蔵野のホテルのTVニュースで知った。まるでアメリカ大統領が何者かによって殺されたかのような騒ぎだ。1995年の地下鉄サリン事件や2001年の9.11同時多発テロ以来の予期せぬ出来事といってしまうと大袈裟か。そのニュースは誰かれに揺り起こされたくらいに一瞬にして目が覚めた。マイケルが?

 マイケル・ジャクソンは好きかと訊かれれば、NOと答えるほど興味などまったくといってなかったのが事実。超とつくクインシー・ジョーンズとの3部作“オフ・ザ・ウォール”、“スリラー”、“バッド”は揺るぎのない名盤であって、それまでのマイケルとは異質でときめくほどの千変万化の内容だった。今回はあえてその3部作でなく、1991年発表の『デンジャラス』で供養したいと思う。なんと言ってもこの中に「ヒール・ザ・ワールド」なる名バラードがあり、これ以降のマイケルの新機軸となりうるナンバーだった。彼自身の作詞作曲であり、アルバム全体もバンドとしての存在感を顕にしたサウンドに変貌していた。ストーリー仕立ての3部作より、より人間味溢れる予感とほとばしる情熱の交差が、マイケル食傷気味の僕に〝キング・オブ・ポップス〟ここにありと教えてくれた。〝ウイ・アー・ザ・ワールド〟参加以来メッセージ色濃くなった「ゴーン・トゥー・スーン」はエイズ撲滅の歌であり、「キープ・ザ・フェイス」は彼の整形に揶揄されたとして問題となっているナンバーで、とにもかくにも問題ありきの作品が並ぶ。何とこのアルバム、発売当日にはロサンゼルス空港で3万枚が強奪されるという事件まで引き起こしたのだ。

 マイケルが50歳を迎えたころ、「ヒール・ザ・ワールド」のようなじっくりと腰を据えた歌をこれから先も聴き続けたいと願う僕はいなく、彼が死んだいま、そうでない僕がいる。

-NO.539-


【北野異人街界隈】

 デンマーク館手前にある大きな鉄扉がこれ。いかにも北欧らしい町並みと夜空をモチーフにしたデザインだ。館内に入らずとも雰囲気が漂っているのがいいね。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-Frank Sinatra
 フランク・シナトラで一枚と言われると迷わず指すのが『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』。これは数年前、ローリング・ストーン誌で《500 GREATEST ALBUMS OF ALL TIME》と銘打ったポピュラー・アルバム人気投票で見事に切りの良い100位を獲得した作品。ジャンルをジャズに限定してしまえばマイルスの《カインド・オブ・ブルー》に《ビッチェス・ブリュー》、それとコルトレーンの“至上の愛”に次ぐ4位で、ジャズ・ヴォーカルとなると堂々の1位だ。何がいいかって? まずはこのジャケットに尽きる。曲想との相性もピッタリ。シナトラにとって初めてのコンセプト・アルバムで、夜をイメージしたナンバーばかりを集めた作品。それも真夜中の微妙というべく午前3時に集中している。夜はまだ始まったばかりで、夜が明けるには随分と長くそんな時でもない。まだ夜が明けないで欲しいと願い、でもあれよあれよという間に暁を覚えるころとなる。

 冒頭の「In The Wee Small Hours Of The Morning」はその刻に一番近く、往く時を思い起こしても逆らうことはむずかしい。1955年の録音なのでシナトラも若いはずなのに、この落ち着き払った立ち振舞いはどうだろう。歌というより語らいに近い。哀しい歌「Glad To Be Unhappy」の曲中に三度 ♪unhappy と語る箇所があるが、一度目より二度目、そして最後の最後に放つ ♪Unhappy がもっともアンハッピーとくる。シナトラが醸す情感のうつろいがこのほかうまい。ネルソン・リドル指揮、可愛らしいイントロに寄り添うようにシナトラが主題を語り始めるアレック・ワイルダー作「I'll Be Around」の決定的名唱がこれ。カーリー・サイモンのアルバム“トーチ”に入っている同曲と甲乙つけがたく、ようやく先程決着がついた。決め手は女性の気持ちを綴った歌を男であるシナトラが<君のいってること よくわかったよ ありがとう>って気持ちを込めて歌った点だ。最後は真夜中に相応しく孤独感たっぷりしっとりと語る「This Love Of Mine」でしめくくる。

 春睡な朧夜も、夜半の夏も、星飛ぶ秋の夜も、オリオンやスバル、シリウスもが冴ゆる冬の夜だって午前3時には。

-NO.538-


【北野工房のまち】

 神戸で日本発祥となるとゴルフに映画、そしてマッチ製造もそう。この北野工房のまちの2Fには日本燐寸工業会公認のショップがあり、懐かしい和洋マッチから災害グッズまでところ狭しと並んでいる。気に入ったのはこの建物。旧北野小学校校舎を再利用。階段踊場にあるステンドグラスがお気に入り。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-ロマンス
 つい先日ビートルズのリマスター盤が発売されCDショップなどは活況を浴び、このところウッドストック・フェスティバルや中津川フォーク・ジャンボリーの音源なども復刻されたりと1970年前後が賑やかだ。その中津川フォーク・ジャンボリーと訊いてハイハイハイと手を打つ諸氏も多かろう。1971年、岐阜の山奥(中津川在住の皆さん失礼)での歴史的イベントにGARO(ガロ)が出演してたなんて知っておられようか。シングル・ジャケットをご覧あれ。フィンガー5のあきら君風のサングラスを掛けているのが堀内護で、大半の作曲を手掛け高音活かした女性っぽいヴォーカルがなおも女心を掴んで離さなかった。ならば低音部担当はというとポークパイ・ハットがトレード・マークの大野真澄。もう一人はハーモニーを絡めさすと天下一品、ギターの腕もバンド一は日高富明。三声のハーモニーともなると狂おしいほどだ。そんなGAROを呼び覚ましたのもほかでもなく、ぶらりと立ち寄った中古レコード屋で買ったGAROの『ロマンス』というシングル盤だった、150円也。

 当時はGAROの洗練された音楽が分かってたのかどうかは疑問だが、今ようやくその凄さを目の当たりにした。決して彼らは四畳半フォークでなく、1971年に萌芽したJ・ポップだったと確信したのだ。デビュー間もないころCMソングにも起用され、小学生の僕にとってお兄さんお姉さんのキャンディーとして憧れた明治製菓の《CHELSEA》 ♪ほ~ら チェルシーぃ もひとつチェルシー セリフ : あなたにも チェルシー あげたい (初代はあのシモンズが歌っていた)  ほら思い出したでしょ。パッケージからして大人向けのキャンディーだったなぁ。

 とくに「ロマンス」、あっそれって岩崎宏美も歌ってたでしょ!なんて言われそうだが、まったくもって違いますので。GAROの面々はビートルズに憧れ、ディランを崇拝し、日本のフォークなんぞ目もくれぬわと言わんばかりの自信が漲っていた。「一枚の楽譜」に至ってはタイトなホーンセクションを効果的に配し、後のアリスやアルフィー、オフコースが見せたロック調サウンドを早くも築きあげた。そうかと思わせたら死にも迫る暗さの曲も好んで演っていたが、あの四畳半フォークの世界になることはなかった。特筆すべきは3人とも偏ることなくリード・ヴォーカルをとってたことだ。「ロマンス」同様「学生街の喫茶店」でも野太いウッドベースがサウンドをクリエイトし、趣向を凝らしたクラヴィネットでGAROのもう一つの側面であるクラシカルさをも見せた。イントロはショパンか、「君の誕生日」も間奏部でストリングスによる〝学生街の喫茶店〟のフレーズを持ち込むなど洒落っ気もあった。そのシングルのB面には大好きな「散歩」が張り付いている。どういいのかって訊かれても理由はない、同時期に流行ったクールファイブの「そして、神戸」、フォークローバースの「冬物語」や小柳ルミ子の「春の訪れ」が妙に好きだというのとなんら変わりはない。何もすることがない日はただ家に垂れ込め、昔読んだ本を読み返すか、遠に聴かなくなったレコードでも懐かしんで針を落し、ひねもす茫然としているのが好きだ。

 GAROの解散が1976年3月、それまで活躍してたのは知らなかったが、2002年アンソロジーとしてベスト盤が発売され、中古市場で今だ高値を維持していることは嬉しくもある。なかなかみんな手放さないんだな、これが。

-NO.537-


【更里】

 浅草橋からすぐにあるお蕎麦屋さん、更里。下町風で気取ってなくていいや。ここでは珍しい“外二”がいただける。季節に応じた蕎麦前が人気で、訪れたら一通り頼んでみるのもよろしいかと。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-skeeter davis
 私は津軽にある金木という町に何度か訪れたことがあるが、平日ともなると駅前だろうが斜陽館あたりにしても静まり返っている。ただし街中に流れ響く“津軽じょんがら節”の音以外は。やはり津軽だなぁと思わせてくれるのも一瞬で、そのうち耳に脳に居座ってしまってさあたいへん。そんな私が心配に思ったのは地元住民の方だ。大丈夫なんだろうか、毎日毎日これなんだろ。ところ変わってハワイに行ってもそうだったっけ? 昔ならともかく今じゃ常盤ハワイアンセンターくらいなもんか。ならばケンタッキーの山間やナッシュビルの街ではカントリーが四六時中流れているんだろか、行ったことはないがそうであって欲しいと思いを馳せる。ただし四六時中聴いていても懲りない飽きないとなると彼女しかいないだろう。スキーター・デイビス。

 私は“この世の果てまで”という1963年にスキーター・デイビスが大ヒットさせた曲にメロメロで、それを歌ったスキーターの甘酸っぱさにもちろん首っ丈だ。60年代のサウンドもさることながら、少女と大人の狭間を行き来するスキーターの歌声に胸が締め付けられる。本名メアリー・フランシス・ベニック、それこそ米国ケンタッキーに生まれ当たり前のようにカントリー・ミュージックに親しんできた。カントリー・シンガーには大先輩であるパティ・ペイジなどがいるが、ポップスとカントリーを、はたまたR&R風味を生かした内容はスキーターのお得意とするところ。ちょうど彼女が売れっ子だったころの1964年発表の『レット・ミー・ゲット・クロース・トゥ・ユー』は、何もかもが詰まったココロ弾むアルバムである。いいのはスキーターだけではない。時折聴き取れるアトキンス奏法は、若かりし頃のジョージ・ハリスン張りのギターでサウンドにふくよかさを加えている。よくよくクレジットをみやると、プロデューサーにはそのアトキンス奏法の御本人チェット・アトキンスがクレジットされているではないか。ならばアルバム中のプレーもそうなのかと、老いた眼を酷使し、さらに小さな文字を舐めるように見るが分からず仕舞い。

 どうしてもの3曲、「ディドント・アイ」は典型的なカントリー・スロー・バラードで、ちょっと舌足らずの歌いまわしが少女っぽくていいわ。とするとこの録音時のスキーターは幾つなのかといえば32歳なのだ。60sガールズ・ポップ全盛時代きに32歳はちと・・・。しかしカントリー界ではお歳は関係ない、そこがよろしい。キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン作「レット・ミー・ゲット・クロース・トゥ・ユー」はスキーターによるキャロル節が聴かれる。ほんのちょっぴり声質も似ているようにも思うがどうでしょう。歌の内容は少女漫画のような大きな瞳を輝やかせながら、ネエネエ訊いてよ私の彼のことという風な純真な乙女ごころを綴った歌が目立つ。最後にボーナス・トラックとして3曲収録されており、なかでも「ハウ・マッチ・キャン・ア・ロンリー・ハート・スタンド」は埋もれていたのが悔しいくらいに、今ここにあることに、聴けることに嬉しさ倍増だ。そのお目こぼしは昭和歌謡にも通じるメロディで郷愁をさそう。

 ジャケットのスキーターを見れば分かるだろう。どう転んでもケンタッキーの青い瞳の善きお姉さんで、歌は夢見る少女そのもの。

 注)アトキンス奏法とはギターの6本の弦をベース音とメロディ音に二分し、ユニゾン効果であたかも2本のギターで弾いているかのように聴かせる演奏法。

-NO.536-


【ケンタッキー甲子園球場店】

 リニューアルした甲子園球場、まだまだ進化しつづけている。もちろん売店も綺麗にそして美味しくなって登場。さて道頓堀から引揚げられたカーネル叔父さんはでなくタイガースのユニフォームを着たカーネル叔父さんも大人気。いっそのことタイガースの次期監督にどうでっしゃろ。来春にはエコ球場として銀傘にソーラーシステムが配備されるよ。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-Duality
 今日はジャイアンツが3連覇(CS除く)を成し遂げた。近代野球で連覇は難しいとされてきたが、昨年今年と原ジャイアンツがブッ千切りの優勝だった。やはり人気最右翼のジャイアンツが強いと、野球界も盛り上がりを見せるね。という私は典型的アンチ・ジャイアンツのタイガース・ファンだ。生まれは京都の片田舎といえど関西なのでタイガース命かと思えば、周りのほとんどはジャイアンツ・ファン。昭和40年代まだ熱狂的タイガース・ファンは甲子園を中心とした半径50キロに生息しているものと思っていた。私の田舎で野球中継はというと、読売テレビ(関西の日テレ系列)でジャイアンツ戦がほとんど。しかも血を分け合った親父に二人の兄貴までもがジャイアンツ・ファン。となればひねくれ者の私は当然(実際には気がつけば)タイガース命となっていた。今でも強き者はあまり好きではない。高校野球なら初出場高の応援。ボクシングなら挑戦者。ただ例外としてサッカーだけは強いチームを応援したい。何故かというと、サッカーの試合だけは弱いチームを観ているとフラストレーションが溜まって身体に悪いからだ。実際、名古屋グランパスの酷い試合では、終始持参のipodを良薬代わりに耳にしていた。

 さて身体にとてもいい、良薬となる音楽がある。最近ではみんな意外と知っていると思われる「The Water Is Wide」というイギリスのトラッドで、アイルランド民謡かスコットランド民謡かは未だハッキリしていないという。少し前に三井のリハウスのCMでも使われたらしい。その歌詞の内容は哀しい恋の歌なのだが、冒頭の ♪海はあまりにも広くて超えられない・・・まあタイトル通りなのだが、いやはやこの曲は大西洋を渡り、ボブ・ディランを始めアメリカでフォーク・ソングとして広く歌われてきた。私が推す今年一番のお宝曲として聴いて欲しいのが、テリエ・ゲヴェルトというノルウェーの若きベーシストの『Duality』。その中に「The Water Is Wide」がある。

 テリエ・ゲヴェルトはマイ・フェイバリット・ジャズ・ベーシスト三人衆のひとりで、もう一人は以前にお教えしたアビシャイ・コーエン、残すお一方はいずれということでお許しを。さて全10曲すべてにいいわけだが、とりわけ「The Water・・・」が飛びぬけていい。ピアニストのクリスチャン・ヤコブとのデュオ作品で、前面に押し出ているのはやはりピアノだが抑制のとれたタッチがさらにこの曲に磨きをかける。そうこうしていると何時しか何食わぬ顔でベースが主導権を握っているではないか。やがて二人の演奏は溶け合って真空状態になり、大海原を力強く渡って行くそんな風景がそこに在る。

 音楽とて“毒にもならず 薬にもならない”ことも往々にあるが、こういった曲を知ってしまえば時として“毒となり 良薬となりけり”だから止められないのがジャズとタイガースなのです。

-NO.535-


【春風萬里荘】

 芸術の町笠間はとても落ち着き払っている。多くの芸術家たちが居座っているのもそうなのだからであろう。町から少しほど離れたところに“春風萬里荘”があり、陶芸にも長けた北大路魯山人が晩年に住んでいたのがここ(鎌倉より移築)。木レンガを敷いた洋間もこころくすぐられるに違いない。また門をくぐったすぐの脇にある茶室“夢想庵”は、魯山人自身が設計したものらしく、また京都の古寺を思わせる石庭(写真)も京都のお人らしいではないか。