溝口健二の「祇園囃子」をみる。

京都の街並みからなるオープニングを見ていると撮影は宮川一夫とある。そうなるともう最後までみるしかなくなる。

亡くなった母親のツテを頼りに芸妓を志す栄子、頼った姐さんは美代春で、昔のよしみで芸妓の厳しさを説きながらも受け入れいく…。ちょっとした下町ふうの路地が魅力的で素朴な少女から芸妓の世界を知っていく過程、そして、そこに渦巻くものが二人の女性の美しさが相まって綺麗ながらも派手さの中の惨めさが伝わってきた。夜の世界でもどこか心を持って生きて行こうとする裏で何処か貸し借りが生まれ、キレイなままではいられなくなる。

それでも預かった娘の気持ちを大事に思うが故の美代春の生き方はもうそれしかないのだけれどもなんだか寂しくもあり哀しくもある。

もう二人して泣いて、御座敷に向かう二人の女性が京都の町中に消えていくシーンでこの映画は終わる。

映画をみている途中で出世、能力、経営と軋轢と世の中の仕組みを渡っていく男達にもその衰降の儚さ、惨めさが何とも伝わってきてやり切れない気持ちになる…。それでも京都の町並みと文化は美しく、花壇の花、風流な町並み、俯く少女の向こうの花火…、団扇、風鈴とどれも美しく、女性の美しさと京都の美しさが何とも切なくなるそれゆえにさらに美が浮き立つようでした。

たまに人に薦める本

中島らも「アマニタ・パンセリナ」

周りは真面目な人が多く、また仕事人間が多いのであまり本の話をしない。今どき本を読んでいる男性はあまりいない…。本の話しをするのは女性が多い。ただ、読書と言ってもジャンルがあり過ぎてなかなか共通のものとなると難しくなる。会社の女性もライトノベルのようなものを読んでいてまったく共通点がない…。


それで話しをしていて「この人ちょっとタブーなこと好きそうだなぁ」と思ったら中島らもを薦めてしまう。

「今夜すべてのバーで」もいいのだが、これまた周りに酒好きで楽しんでいる人が居なくて、それと小説としてはちょっと長くなるので気軽にすすめられない。

それで「アマニタ・パンセリナ」

私が初めて読んだ時は衝撃でぶっとんだ…。まったく縁の無い世界なだけにめちゃくちゃ引き込まれた。そして、それに対する中島らもの視点も良い。これは私の隠れた宝物本のひとつとなった。

本は所謂、「薬」系の話です。

今日、ふっと思い出した。
「家族八景」
「七瀬ふたたび」
「エディプスの恋人」
筒井康隆の三部作…、その中で心を読める女の子が目の前に現れる男性の心を読んでいくと多くの男性は目の前の七瀬と話しながらも妄想で七瀬の服を脱がし始めるという描写があり、それが仲良くなり気になる男性もやはり七瀬を目の前にすると七瀬の服を妄想で脱がし始めてしまい、七瀬が男ってみなこんなもんなのか?って思うところがある…。
この箇所は当時の自分でも笑ってしまってそこまでひどくないよ!って思ったんだけど、今、大人になってあの作品を思い出すと筒井康隆の男心を少しデフォルメしていたのかな?とも思う。小説としては面白いけどそんなにひどくないよっと思ったことをフッと思い出した。
七瀬シリーズのファンが多い中、「何の感想だ?」となりました。あしからず…。
(七瀬シリーズは思入れが強過ぎてもうちゃんとしたもの書けない…病です。)