久しぶりにフェリーニの映画を観ました。


映画『カビリアの夜』の感想を書こうとして、どうしても手が止まってしまう。
何故かな?
それでも…。


嫌らしさも、愚かなほどの純粋さも、一時の昂揚も、すべて描かれていく。
喜び嘆き、そして時には泣き、軽蔑され、時折自分を鼓舞し強気にならないと折れてしまいそうな心。
そんな夜の女性たちの刹那。そんな刹那を求める男たちの感傷と孤独。


悲しみを悲しみとして受け入れる余裕すらなく漂う人生。
あるはずもない聖をどうしようもなく懇願してしまう心との葛藤、擦り減る心。
そのすべてがこの映画には流れる。


そこらへんのどこにでも転がっている思いたち。
自分でも笑ってしまうほどの「純粋」を持て余してしまう。
しかし、この底辺にあるものは一体なんだろうか?
この安堵は一体?
それを感じとったカビリア……。


そこに行った者でしか感じ取れないもの。
真実という現実を目の当たりにした時のカビリアの絶望。
その哀しさ、そのリアル。

そしてなによりも不可思議な心の安堵。


フェリーニは一体、何を見て何を感じて生きたのか?
絶望の先にある、あの暖かさは一体なんだというのだろうか?


書き忘れていました。
映画の中でカビリアの瞳が綺麗な輝きを見せる、その魂の輝きこそがこの作品の素晴らしさなのだと感じました。



美しいものは

去っていく時代が来るのだろうか?


わたしは何を惜しんでいるのだろう


花は咲き、そして、枯れていく

人は生まれそしてやがて死を迎える


わたしが哀しみと思うこと

創造されそして失われていくまさにその瞬間である


生まれそして失われていく


失うものを哀しみと呼ぶのならば、何故存在したのか


わたしは何を惜しんでいるのか

何を失ったというのか


ただ生まれそして心が世界を知っていく

その過程でしかない


与えられ、そして、それが当たり前のようにここにある

そして、失われるかも知れないという


これは一体なんだろうか


一体わたしは何を失うというのだろうか

初めから与えられたものに対して何を惜しむと言うのだろうか


わたしはわたしの心の動揺がわからない

何に動揺し、何を惜しんでいるのか


生も分からず、死も分からず、ただ目の前のものを恐れるしかないという心は一体なにを求めているのか


美の中に潜む高貴さを目の当たりにしながらもその美しさに心が反応し、ただただ陶酔してしまう


そこに潜む神秘、そこに潜む畏怖


それらのものを目の前にしながらも

その本質を掴めることが出来ず、疲弊していく


そんなものなくても生きていけると嘯きながらも限界のように心が叫び始める


一体何を求めているのか


たじろいながらもその厳存に心は引きつけられそして、安堵していく


あなたのものすべてがこんなにも輝きそして美しさを見せるのは一体何故なのでしょうか







昼間、あれだけ人がいたのに

何も残っていない


同じ道のはずなのに

少しも同じに見えない


夜の町は

死んだように静まりかえっている


物音がない


寒い


夜中の2時

誰もいない


ただ一人

忘れ物をしたように歩いている


さっきまでいたはずの自分が

どこかに置いていかれた気がする


ホテルの部屋で

天井を見ていると

息が上がってくる


閉じている


どこにも行けない


気づくと外に出ていた


月明かりも

街灯も

アスファルトも


昨日とは違う顔をしている


本当に朝は来るのだろうか


振り返る


遠くにホテルが見える