崩れ落ちるあなたのまえに

こんなにも心砕けるのはなんなのだろうか?


生の意味を「生きる」意味を無作用に咄嗟に捜してしまう私の気持ちとは一体…


悲しいのに美しく、そして、無限に哀しく、哀しいが故の無限なる美しさ、高潔さ、完璧なまでの世界って、本当に…。


生の不可解さ、同じ人間なのに分かり合えない不安定さ


同じ顔のようでまったく違う。

心は更に可視化出来ない分、その違いすらわからない…。


ここにあるのに

無数にあるのに奇跡的で

天文学的な不可能に近い確率で存在する日常…。


そこにありあそこにある普段の日常がもう二度と戻らない最高潮の芸術で、輝き放つその光さえも失うと途端に心に刺さってくる…


昨日まで当たり前にあったじゃん!

なのに何故今はないの?!


当たり前じゃなかったの?


あなたの高潔さは至るところに転がっていてどれも眩いばかりの光を放って、それは心まで溶かしてしまう。


こんな美の世界を内に秘めたまま、生きるなんて残酷で軽々しくて、贅沢で、その価値に陶酔するしかないなんて…



もう生きていけない

苦しい






高三の次女が「パパが一番好きな本って何?」と聞いて来て読みたいようなことをいうからそれだったら何が良いのかと考えた。

私が好きなものはかなり私の極私的な想いがあっての「面白さ」だからそれを次女に渡すのはちょっと酷かなと思った。


それで本を読むのなら私の好みよりも次女が読みたいものや少しポピュラーなものが良いのではないかと思い勧めたのが連城三紀彦の「恋文」。

次女に勧めながらもまた私も読みたくなって次女が置き忘れた本を手にとって何度目かの再読…。


あらためて読んでみると場面切替の見事さとテンポそして表現の良さ、情緒ある描き方に感嘆する。

一行目から惹き込まれて何度も読んだ筈なのに、些細な物言いにも人の心を描かれていて見事としかいいようがなく、以前は泣く事もなかったのに読みながら涙を止める事が出来ず、嗚咽してしまう…。

生きていてこんな凄い小説を読めるなんて本当に良かったと心から思った。


読み終わったあと次女が置き忘れていた場所に本を戻した。







「賭はなされた」映画 1947年作品


サルトルの脚本ということで見ました。

どんな観点のどんな作品なのだろうか?何を描きたいのだろうか?などと思いながら鑑賞。


俳優さんも背景もどれもステキで魅入ってしまう。


どの願いももう叶ったようなものなのにその先にサルトルは何を想いながら結末を結んでいったのか?といろいろ考えさせられた。


「生」と「死」そして「性」…一件相反するものなのに同じようにひかり輝くのは何故なのだろうか?とみながら強く心に残った。