青白い彼方に

見るものは

そのものの

本質から遠ざかり

表面のまぼろしへと移りゆく


漆黒の妖艶に抗って

息を荒らしながら

ようやく辿り着くも

いつもの見慣れた自分の心


昨日と同じ今日を

ごまかすように生きて

それに対する哀しみさえ

抑えられずにいる


あの頃も今も

この想いは

自分の中にあり

時折

寂しさを引き寄せてしまう


明日を願いながらも

明日を見出せず

昼間の明るさに没していく






雨が続きます…。
福岡の雨の日はどんより暗く、昼間とは思えないほど暗くなりしかも豪雨のことが多く、土地柄の気象の激しさを感じていた。
激しい雨は学校のコンクリートを激しく叩き、激しくその飛び散るさまを見ていた子供時代を思い出す。
すぐに靴の中に雨が入り、水浸しになった。
濡れた靴下のそのまま教室に入るのがとても嫌だったなぁ。

そんな感情だけが大人になった私の心に今でも燻っていて、雨の多い梅雨の時期になるとその感情だけがまざまざと思い出させる。

恵みの雨…なんてそんな自分に言ってみたりしている。

いつまでココに居るのか?
と問う自分がいまだにいて、その自分の問いに毎回戸惑う別の自分がいる…。

苦笑いしながら自分の心と向き合い、今日は生き抜こうよと言い聞かせる。

年齢を重ねても痛む心はそのままで、この心を自分の胸に自分の腕を入れて鷲掴みして放ってしまいたい衝動にかられてしまう…。

悲しむ心に向き合ってきたものの、向き合い方が足りないのかどこか途方にくれている自分が居る。
ずっとそのままにある「悲しみ」は心に澱となり、積もり溜まっていく。

そんな心が時折見かける道端の木々と雑草の茂みとその青々として深淵に一瞬でも心安らぐのは一体何なのだろうか?


もう帰ることのない海に

未練を捨てて

生きて来たつもりなのに

見えてくるものといえば

つかい古された痛みばかり

昔はよくこの痛みを抑えては必死に過ごしていた

そして

過ごしきれずに、波の音を聞いていた


この古くて今まで味わったことのない痛みはなんだろうか?

哀しみとはこんなふうに形をかえて人の心に鎮座してしまうものなのだろうか?


昔のように悲しむ顔をもっていない

昔のように蹲る場所もない


新たな道に差し掛かっているのかもしれない


それなのにこの痛みはなんだろうか?


寂しさと名前も付けられず、苦しさと名前も付けられず、生きる事の意味を問い始める




もう過去の海には帰らない