小学生の頃、母の日にカーネーションを買った。
母から貰ったお金で。
母から貰ったお金で「母の日」のプレゼントを贈るという矛盾に随分苦しんだ憶えがある。
それには理由がある。
もともとお小遣い制ではなく、必要な時に欲しい物を言ってその金額分のお金を貰う。
うちの家そんなところだった。
だから、買う前は本当に必要なのかどうかをよく吟味していた。変な理由だとお金をくれないと思っていたから。
それでも遊びに行く時は50円や100円を貰って遊びに行っていた。
小学生の低学年の頃で駄菓子屋でその範囲内で何を買うかで随分悩んだものだ。
話しが段々ズレてきた。話しを戻すとそんな感じだったから「母の日」のカーネーションも遊びに行くという理由で遊びに行く用のお小遣い50円か100円だったと思う。
確か一輪しか買えなかった。そして、買ったものの今度は渡し方が分からない。急にめちゃくちゃ恥ずかしくなった。動揺してなんて言って渡したら良いかも分からなかった。
激しく悩んで家に帰った。母は縫い物をしていた。
母は縫い物に目を落としていた。恥ずかしさがマックスになり、面と向かって渡せなくなり、母の目線に少し乱暴にカーネーションを投げるように放った。
母は目の前に急に物が飛んできたのでビックリしていた。
そんな母を見て「母の日!カーネーション!」と怒ったように言って家を飛び出した。
その後の記憶がない。ただ母の日にカーネーションを贈るということが死ぬ程恥ずかしかった記憶だけが鮮明に残っている。
そして少しビックリしていた母の横顔だけ微かに思い出す。
母の日になるといつも思い出す。
随分と母を困らせる子供だったから、大人になり、それを思い出すと同時に母に対してとても申し訳ない気持ちになる。

そんな母も他界してもう4年になる。



大阪

ひょんなことからツテもあり「大阪万博」に行きました。

人の付き添いみたいなもので特に個人的には目的のない訪問でした。


フランスのパビリオンで写メを撮ったので記念に載せてみます。

 





万博といっても広いので周りきれないのですが、個人的には河瀬直美さんのパビリオンが良かったです。




妻と初めて会った時…


その前からいかに愛するか?というのを考えていて、自分の考えつく全てのことをやり尽くし、それでその誠意(それが独りよがりだったとしても)がもし伝わらなかったらそれはそれでいい。

また独りの人生を歩めば良いと思っていた。


空港の免税店でネックレスを買った時のことは今でも憶えている。

お店で見ても何が良いのか分からない…。

しかも男性が女性にプレゼントで渡すにはあまりにもお金が足りなくて、財布の中身と陳列に並ぶものを見てるとどれもその値段には目劣りしてしまう。

心でため息をついて、ある程度の値段で一番目劣りしないものを無難に選んだ。

自分のワクワクしない、これをあげたら喜ぶだろうなぁと想像が付かない贈り物はしたくない…。

と思っても現実はそうなのだからしょうがない。

そう思いながら買ったものを手に持ち会いに行った。


不安で堪らなかった。

何故こんなに辛いのか?といういつもパニック障害が出てこれまたいつものように「何がそんなに辛いんだ?苦しんだ?」と会うまでずっと自分の心と自問自答していた。


彼女は笑顔で駆け寄って来た。

お互いに挨拶した。

初めて会い、お互いのことは殆ど知らないから少しずつ自分の紹介みたいなものをした。


それから渡したいものがあると私から彼女に告げ、「気に入って貰えるかどうか分からないけど、良かったらどうぞ」などといいながら箱ごとネックレスを渡した。


私が催促すると彼女は包装の箱からネックレスを見て一瞬固まってしまう…。

その瞬間「ああ、やってしまった、ちょっとやり過ぎたかなぁ、重たかったかな…」という後悔の沼の底に落ちてしまう。

ずるずるとテンションが下がっていく私に彼女は思い切りの笑顔で「嬉しい、ありがとう、綺麗」と言った。

そう言われても私には社交辞令としか捉えられず、無理して笑顔でいる彼女を守らなければと強く思った。

もともと女性が苦手で殆ど話したことがない…。

話しをしたとしてもテンパって話しをしながらも自分が何を喋っているのかも分からない状態で、そんな自分を相手している女性を見るたびに申し訳ない気持ちになっていた。


時々あの一瞬固まった彼女の動揺を思い出して、やっぱりいつも精一杯の誠意を尽くすしかないのかなと自分の人生を振り返って思う。


今日はそんな事を思い出した。