溝口健二の「祇園囃子」をみる。
京都の街並みからなるオープニングを見ていると撮影は宮川一夫とある。そうなるともう最後までみるしかなくなる。
亡くなった母親のツテを頼りに芸妓を志す栄子、頼った姐さんは美代春で、昔のよしみで芸妓の厳しさを説きながらも受け入れいく…。ちょっとした下町ふうの路地が魅力的で素朴な少女から芸妓の世界を知っていく過程、そして、そこに渦巻くものが二人の女性の美しさが相まって綺麗ながらも派手さの中の惨めさが伝わってきた。夜の世界でもどこか心を持って生きて行こうとする裏で何処か貸し借りが生まれ、キレイなままではいられなくなる。
それでも預かった娘の気持ちを大事に思うが故の美代春の生き方はもうそれしかないのだけれどもなんだか寂しくもあり哀しくもある。
もう二人して泣いて、御座敷に向かう二人の女性が京都の町中に消えていくシーンでこの映画は終わる。
映画をみている途中で出世、能力、経営と軋轢と世の中の仕組みを渡っていく男達にもその衰降の儚さ、惨めさが何とも伝わってきてやり切れない気持ちになる…。それでも京都の町並みと文化は美しく、花壇の花、風流な町並み、俯く少女の向こうの花火…、団扇、風鈴とどれも美しく、女性の美しさと京都の美しさが何とも切なくなるそれゆえにさらに美が浮き立つようでした。