ヒトラーの申し子たち | S A L O N

先日、交差点で信号待ちをしていると、目の前の横断歩道を小学生の男の子が渡っていった。

その男の子は、 何の気なしに…“横断歩道は手を上げて“という交通安全標語をしっかり実践しているだけなのは勿論のことなのだが…右手を斜め45度前方にピンと突き出したその様は、お手本にしたくなるような“ナチス式敬礼”の如きであり…まるでドイツ少国民団(Deutsche Jungvolk:DJ)の少年かと見紛うばかりであった。

 

 

ナチスは、その国家(国民)社会主義の精神や世界観を植え付け、教え込み易い幼少期から党関連の国家組織である団体に参加させ、教育していくことで、各家庭、学校などより、より肉体的、精神・道徳的に盲信的な次世代育成を推し進めることが可能になるとして、10歳から18歳の少年・少女の加入を義務付けた。

 

今回は、そうした組織への入団を目前に控えた…“ヒトラーの申し子”ともいうべき男の子たちの二作品を紹介させていただく。

 

The Boy in the Striped Pyjamas(縞模様のパジャマの少年)』(2008年)

 

『縞模様のパジャマの少年』は、2006年に発表されベストセラーとなったジョン・ボインの同名小説を基に、マーク・ハーマン監督・脚本で製作されたナチス占領下のポーランドを舞台にした2008年の英米合作映画。

 

 

この映画は、『子供時代は分別という暗い世界を知る前に、音と匂いと自分の目で事物を確かめる時代である』というジョン・ベチェマンの引用句から始まる。

 

 

父親であるSS(親衛隊)将校ラルフの昇進・栄転を機に、親友たちとの思い出の詰まったベルリンから遠く離れたポーランドの片田舎(小説ではアウシュビッツ)に引っ越すこととなり、一人寂しく引き籠りがちになっていた探検好きのブルーノが、ある日、自室の高窓から見える、森の向こうにある“農場”をみつけたことから物語は展開してゆく。

 


そこには、いつも縞模様のパジャマを着た大人たち、そして子供たちの姿も見受けられ、ブルーノは、母エルサからきつく禁じられていた裏庭から森の先の“農場”への探検をついに決行する。
“農場”に辿り着くと、そこは有刺鉄線の張られた柵で囲まれた、パジャマを着た坊主頭の人しかいない…家畜のいない…“農場”とはちょっと違う場所。

 


その柵越しにうずくまる…シュムールという何とも初めて聞く名前の、自分と同じ年(8歳)の少年と出会い…ブルーノとシュムールは、次第に心惹かれ友達になっていく。
…と、まぁ、ストーリーに関してはこのあたりにして…

 


DVDのクレジットにも書かれている「衝撃のラストにあなたは何を感じるか」というように、そのラストに向け目の離せない展開となっていく。

 


衝撃のラストは、是非ご自身の目でご確認いただきたい…そんな、お薦めの一本です。

 

ブルーノを演じたエイサ・バターフィールド
撮影時は10歳~11歳だとは思うが、8歳の多感な少年役を見事に演じている。
何と言っても、その瞳の…目力に引き込まれてしまう。
この映画の二年後(2011年)に公開される『ヒューゴの不思議な発明(原題:Hugo)』でも主人公のヒューゴ・キャブレットを好演し、その子役ぶりを遺憾なく発揮している。

 

シュムールを演じたジャック・スキャンロン
スキャンロンは、当時のスタッフによれば、物静かで、どこか物悲しい雰囲気も醸し出す子役で…そしてスキャンロンもまたそのクリっとした目が特徴的で…ブルーノとは真逆の境遇のなかにいるユダヤ人の子供役を好演している。

 

主人公のブルーノの父であり、強制収容所の所長であるラルフSS中佐を好演したデヴィッド・シューリス

実は『ハリー・ポッター』シリーズは、これまで一作も観たことがなかったので存じ上げなかったが、重要な役どころとして出演をされている俳優のようである。

他にも、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』、『キングダム・オブ・ヘブン』などにも出演している。

 

ヴェラ・ファーミガが、夫に、社会に、時代に苦悩する母エルサ役を好演している。
2019年公開の米国版ゴジラ映画『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』では、エマ・ラッセル博士(日本語版吹き替え:木村佳乃)役を演じている。

 


ラルフの副官のクルト・コトラーSS中尉は、ルパード・フレンドが演じている。
軍服姿も様になり、まさに若き青年親衛隊将校といった観がある。
 

この映画では、主要登場人物の衣装(軍装)以外にも、エキストラとして端々に登場している人物たちの衣装もなかなかに良い雰囲気で、リエナクター諸氏にも興味深く観ることの出来る作品なのではないだろうか。

 

事実、軍装の考証にも拘ったようで、ポーランド人の専門家がそれに当たったとのことであるが…やはり、気になる点も若干あることにはある。

ただ今作は、登場人物自体が架空の設定であり、いつもの如く“重箱の隅”を突いてみても詮無いことなので、軍装関連に関しては、ココが違う・ソコが違うということではなく…あくまでも、参考程度にお読みいただければと思う。

 

大学で文学の教鞭を執っていたコトラーの父は、反体制の思想を持ち、既に国外(スイス)に逃れていたが、コトラーはそのことを申告出来ずにおり、反面教師的に現体制により忠実であろうとしてきたが、ラルフに上司への報告義務を怠った責を問われ前線に異動となる。

ブルーノは気付かなかったが…これが別れのシーンとなる。

この際の、革のロングコート姿もまた親衛隊将校然としていて何とも格好いい。

劇中、着用される衣装で…ラルフ役のシューリスは勿論、このコトラー役のフレンドの上衣のグリーンカラーの襟元…襟幅が細めで、特に襟先の形状がなかなかに良い仕立てになっている。

映画の衣装(軍装)で…特に詰襟で、なかなかしっくりとくる襟元のプロップを着用させている映画は、実はあまりない。
また、肩章もスリップオン式でごまかすのではなくではなく、埋め込み式にしている点も評価できる。

 

その肩章であるが…ラルフ、コトラーは強制収容所警備部隊であるSS髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände:SS-VT)所属であるため、肩章の兵科色(Waffenfarbe)を示す台布色は“ライトブラウン(Hellbraun)”ということになっている。

 

“ダッハウ(駐屯地)指揮官(SK-D:Standortkommantandur Dachau)”の肩章…その兵科色である“ライトブラウン”の色味は“赤茶色”に近い。

 

曖昧な表現だが、ドイツ軍の場合…特に将校クラスともなると、出身部隊であったり、嗜好性であったり、何らかの理由で必ずしも規格通りの装用・着用がされないことも多々あるため、このような表現にとどめるが…

両人の台布色を見る限りでは、ライトブラウンというにはかなり薄目(トーンとしては明る目)の…多々ドイツ軍の将兵だと一色単に…歩兵・擲弾兵科などの“白(Weiß)”にされがちなのではあるが…その“白”という訳でもなく“明るい灰色(Hellgrau)”…分かり易いイメージとして、アイボリーに近い感じになっており、これは武装SSの将官の兵科色に近い感じともいえる。

 

ホロコースト関連映画の代表的作品として知られるスティーヴン・スピルバーグ監督・製作の『シンドラーのリスト(英題:Schindler's List)』(1993年)で、オスカー・シンドラー役のリーアム・ニーソン以上に印象に残っているという方もおられるのでは…とも思える、強制収容所の所長アーモン・ゲート(SS少尉~大尉)を演じたレイフ・ファインズの衣装では…映画の本編が白黒映像なので、肩章の台布(兵科色)を何色で再現しているのかまでは解りかねるが、この画像におけるトーンの感じから…“白”ではなさそうなので…こちらは規定に倣って、考証通りに“ライトブラウン(Hellbraun)”の物にしているのかもしれない。


 

実際のアーモン・ゲートSS大尉(上左)は、1943年2月11日付で…SS少尉クラスとしては異例の、クラクフ(独:クラーカウ)地区のプワシュフ(Płaszów)強制労働収容所の所長に任官し、この写真は、そのSS少尉当時…おそらく所長任官前に撮られたものかと思われるが…襟章はまだ“SSルーン”である。

 

ゲートの後年の所長任官中の写真では、ファインズの衣装の如く、髑髏の襟章が装用されている。

この画像からは髑髏の向きまでは特定はできないが、ゲートはSS-TV出身ではないが、髑髏の向きは、収容所用としての規定である“右向”ではなく、“左向”を装用しているのようにも見える。

 

こちらは、マウトハウゼン強制収容所の所長であったフランツ・ツィライスSS中佐(当時)と司令部員たちの集合写真であるが、各人の右側襟章に関して見てみると…ツィライスも“水平左向”の髑髏章を装用しており、また他の者は、“垂直右向”、“水平左向”の髑髏章、“SSルーン”などが混在している。(※“SSルーン”の将校は医療班かもしれない)

 

ツィライスに関して更にいえば、1941年4月にハインリヒ・ヒムラ―がマウトハウゼンを訪問した際の写真(SS少佐当時)では、1937年7月から導入の、“Konzentrationslager(収容所)”の頭文字である“k”が入った“垂直右向”の髑髏章も装用している。

 

それ以前は“k”のみがデザインされた襟章を右襟に装用していた。

1933年以降、収容所の運営・監督・警備にあたっていたSS警備部隊(SS-Wachverbände)は、1936年3月29日付でSS髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände:SS-TV)として編成され、各強制収容所に振り分けられた。

戦争勃発とともに、意のままになる武装部隊を欲したヒムラーは、SS-TVの武装強化を図り、警務部隊としてではなく、戦闘部隊とすべく、1939年10月16日付でSS-TVを中核としてSS師団“トーテンコプフ(Totenkopf:髑髏)”を編成したため、その穴を埋めるため、別枠的範疇として収容所の監督・警備にあたる収容所部隊となるSS髑髏大隊(SS-Totenkopf-Sturmbann)を新たに編成させている。

襟章の髑髏のデザインとしては、おそらく、収容所部隊の“右向”と区別するため、武装SSの師団の髑髏章のデザインを“左向”のデザインに一本化する意図もあったのではないかと思われるが、武装SSにおいても、元々の“右向”は装用し続けられている。

 

当初、髑髏の襟章が“垂直型”だった理由としては、親衛隊の制服の上衣(黒服およびアースグレー)の“開襟服”着用時を想定していたためと思われる。

 

国防軍においては、コートの襟に襟章を装用するということは、おそらくなかったものと思われるが、親衛隊においては、一般SS・武装SSともに、このように襟章を装用することは珍しくなかった。

コートも勿論、襟元のフックを留めて“閉襟”での着用もあるが、“開襟”状態での着用も多かったため、デザイン的な“SSルーン”の襟章とは違い、図柄の“髑髏章”に関しては、このように垂直型の方が様になる。

 

SSにおける陸軍同様の“詰襟”タイプの制服導入後も、1940年5月以前は“詰襟”着用時においても、この“垂直型”の襟章を横向きにして装用された。

その後、正面からの視認性を考慮して“水平型”の襟章が導入されたが、既記の如く、着用規定は必ずしも厳密に守られることはなく、“垂直型”をそのまま着用し続ける者もいた。

 

ある意味、“髑髏”の襟章に関していえば、規定はあって無きが如くと言っても過言ではない。

因みに、上の写真は、“水平右向”の髑髏章を装用する武装SSのフリッツ・クリステンSS上等兵(当時)であるが、そのクリステンの部隊は、1941年9月24日、ロシアのノヴゴロド州Luzhnoの北に展開していたが、ソ連軍の攻撃により壊滅的な打撃を被る。
だが、クリステンはただ一人その場に留まり、その後の72時間で敵戦車16輛を無力化し、約100名にもおよぶ死傷者を敵に負わせるという驚くべき戦果をあげ、ソ連軍をLuzhnoから退けた。
この戦功により、その前年に志願兵として入隊したばかりの20歳の若者に、武装SS最年少となる、騎士鉄十字章が1941年10月20日付で授与された。

 

“髑髏”の襟章に関して更なる規定外にもご興味のある方は当方別ブログ『S A L O N / Hauptraum』の項も合わせてご覧いただければと…

 

そこで、劇中における…ファインズ…シューリス、フレンドの右襟の襟章に注目して各人の衣装をあらためて見てみると…三人とも“水平左向”の髑髏章を装用している。

上記の如く、ゲート、ツィライスの例もあるので、これはこれで間違えではないが、ゲートという実在の人物役のファインズは別にして、収容所勤務者ということをより明確にするため、せめてシューリス、フレンドの衣装では、スタンダードな装用例である“水平右向”の髑髏章としてみた方がよかったかもしれない。

 

 

もう一点、ラルフ、コトラーの左袖に装用されている“髑髏”の図柄のカフタイトル(Ärmelband、Ärmelstreifen)に関してもふれておく。

これまでも既記した如く、“制服の帝国”における制服・記章の着用・装用は必ずしも規定通りに為されてはいなかったが、こと記章類に関しては、ファッション性で身に着けているのではなく、原隊へのオマージュ、プライドから、廃止された後にも着け続けていたということもある。
SS-TV(SS髑髏部隊)として、大隊…その後、連隊規模の編成で各収容所の管理・警備にあたったなかで、第1SS髑髏連隊“Oberbayern(オーバーバイエルン)”は、大隊当初からダッハウ強制収容所が任地であった。
最初のカフタイトルは、1936年5月から採用された『Oberbyern』とゴシック体で刺繍されたものだったが、1938年9月に“髑髏”の図柄に変更され、SS師団“トーテンコプフ”として再編成された時点で廃止となった。
武装SSに移行してからの“トーテンコプフ”は、基本的には『Totenkopf』の文字のみのカフタイトルを装用したが、第1SS髑髏連隊“オーバーバイエルン”の出身者のなかには“髑髏”図柄のカフタイトルを着用し続ける者も多かった。

つまり言うなれば、その出身者限定であり、第3SS装甲師団“トーテンコプフ”に所属しているから…ましてや、親衛隊員だから誰彼構わず装用してよいというものではなく、考証的にはそう単純なものではないということを一応明記しておく。


因みに、ラルフが制服(開襟勤務服)姿で登場する昇進・栄転祝いのパーティーの場面では、右襟の襟章は“SSルーン”で、カフタイトルは“Der Führer”のものを着用している。

 

親衛隊(SS)=“髑髏”という一般的認識は…まぁ、帽章からして“髑髏”でもあり致し方の無いことではあるのだが…
また、アイキャッチ的にもインパクトがあり、今作での意図としては、おそらく、原隊から収容所部隊へ配属が変わったことを“見た目”的にもよりわかりやすくするために、カフタイトルも“Der Führer”から“髑髏”の図柄に…単純に変えたのではないかとも思われるのだが…そもそも史実に基づいた話ではないので、重箱の隅をつついても致し方なく…ただ、軍装オタク的な見方からすると少々気になるところなのである。

 

今回は、重箱の隅は突かないと言っておきながら、やはり突いてしまうようで恐縮なのだが…

前回の『ヒトラーのための蛮行会議』同様に、今作も肩章の揃え方には間違いが多々見受けられる。
シューリスは、先に掲載したラルフ役の紹介画像を含め、劇中では4パターンの上衣(3パターン目はコート)を衣装として着用しているが、その全てで片側の肩章の選択を間違えている。
まず紹介画像では、右肩用のものを左肩にもつけてしまっており…
他も、同側用のものを赤い矢印側にも同様につけてしまっているという痛恨のミスを繰り返している。

この手の間違えがプロップ作成の段階において頻発しているということは、そもそも佐官以上の肩章に“前後左右”の向きがあるということを知らないがために、左右ペアで保管するという考えがなく…おそらく、同じ向きの編み方の物同士ををわざわざ選別して保管しているため、着ける際に同側ばかりなってしまうという事態になっているとしか考えられない。

たまたま左右ペアで保管している場合も…この認識が薄いため、前後を間違えてしまっていても、当然、それにすら気付かない。

ここ最近、この手の間違えが妙に気になりはじめ、注視するようになったのということもあるのだが、これまでに紹介した映画を見返してみると、主役級のプロップでも、この手の着け間違えなどが多々見受けられ…

まぁ、言ってしまえば、映画の本筋である物語・ストーリーには影響のない…注視しなくてもよい部分でもあり…ましてや、気にするのも私のような軍装オタクだけな訳なので…このような取るに足らないような問題は、映画界では軽視されがちなのだということを再認識した次第である。

 

 

劇中の画像だけでなく、あらためて先に掲載のツィライスSS大佐(当時)の写真も注視していると…なんと、両肩とも前後を逆に装用してしまっているではないか!

他の彼の写真では正しく装着がされているようなので、おそらくはわざとということではなく、単に間違えてしまっただけかと思われる。

本人も、あまり気にしていなかったからこそ記念撮影にまで臨んでいるわけで…

そのあたりのことには無頓着だったのかもしれないが、実際でもこうした凡ミスはあったということを、これを機に注視して見てみたお陰で気がつくことが出来たのは、棚から牡丹餅的感覚である。
 

 

 

Jojo Rabbit(ジョジョ・ラビット)』(2019年)

 

クリスティーン・ローレンス著の『Caging Skies』を基に…その世界観は大分違いがあるようだが、タイカ・ワイティティが、監督・脚本を手掛け、製作された2019年の米国映画。

 

第92回アカデミー賞における6部門(作品、助演女優、脚色、編集、美術、衣装デザイン)にノミネートされ、アカデミー脚色賞(脚本におくられる賞)を受賞している。

 

この作品では、ワイティティ自身が、主人公ジョジョのイマジナリーフレンドであるアドルフ・ヒトラー役をも好演するなど、そのマルチプレーヤーぶりを遺憾なく発揮している。

この“ココロの友”的キャラクターは原作には登場しないとのことであるが…結果論ではあるが、このキャラクターを登場させるか否かでは、おそらく、この映画の面白味が大分違ってきたものと思うと、やはり、脚本を手掛けたワイティティの才能はさすがである。

 

 

父(ベン・デイヴィス)、母(カミーユ・グリフィン)、祖父(マイク・デイヴィス)ともに映画に携わる一家に生まれたローマン・グリフィン・デイヴィスが、映画初出演にして主役のジョジョ(ヨハネス・ベッツラー)を好演している。
 

題名の『Jojo Rabit』…“Jojo”というのは、ヨハネス(Johannes)の短縮形の一つで、つまり愛称である。

他にも、Johann、 Jan、Jonnyなども、この愛称で呼ばれるということであるが…“J”で始まる名前だけかと思いきや…

聖書に登場する使徒ヨハネなどの流れを汲む…“Johannes”などの“H”から始まるHans、Hannesなどにもつけられる愛称なのだそうだ。

もう一つのワードである“ラビット”は、勿論、「兎(ウサギ)」のことではあるが…英語圏では、「Rabbit」には“臆病者”や“怖がり”、“弱虫”といった意味合いを指すことがあるそうだ。
同じような意味合いで使われる…“チキン”。
ラビットは、そのチキンほど一般的ではなく、チキンの方がよりスラング的で、侮辱的なニュアンスが強いのだとか。
どちらも弱い動物という意味合い故のようである。
今作では、ジョジョがウサギを殺せなかったことで、周りから“臆病者”としてからかわれ…タイトルともなっている「ジョジョ・ラビット(臆病者のジョジョ)」と揶揄される。
ウサギは、一般的には「臆病で、ともすると鈍感で…犬や猫に比し、頭が悪い動物」と思われがちだが、実はとても賢い生き物」という深い意味合いも込められているのかもしれない。

 

この映画において、重要なモチーフの一つとして描かれているのが、各場面に印象的に描かれている…“靴”。

 

靴紐を結べるか否かということは様々な象徴的な意味合いもあるとのことだが、例えば、ジョジョが10歳にしてまだ母親に靴を結んでもらうシーンがあるが、この時点では、まだジョジョが“普通”の子供より幼く、自立心や責任感を持つには至らない…母離れが出来ていないことを表現している。

監督のタイカ・ワイティティは、靴について「人生を歩むためのもの」と語っているが、さり気なく…ただ“靴”をフォーカスすることで、ジョジョのココロの内や、成長における分岐点ともいえるシーンをより印象的に表現しているように思う。

 

「Wir haben das deutsche Volk betrogen (私たちはドイツ国民を裏切りました)」として、街頭に晒された公開処刑を初めて目にしたジョジョは、母親に「何をしたの?」と尋ね…母は「できることをしたのよ」と答えるこのシーンでも…その残酷なシーンをそのまま見せ続けるのではなく、“靴”にズームアップすることで、より印象的に訴えかけている。

因みに、男性の足元に「Befreit Deutschland...Bekämpft die Partei (ドイツを解放せよ...(ナチ)党と戦え)」のスローガンの貼り紙が此れ見よがし的に貼られているが(下の画像の足元にも)…当時、このような反抗的なスローガンを放置することはなかったはずなので、後世ならではの演出である。

 

狂気の時代のみならず、恐ろしいのは“暴力”以上に“無関心”であり…ジョジョと、“できることをした”母との最後のシーンとしても、この“靴”が効果的に使われている。

 

この映画は、単に悲劇的な時代の物語を悲惨に、哀しく描くのではなく、悲劇を喜劇に変えた喜劇王チャップリンがそうしたように…悲しみの肯定から笑いが始まり、その笑いが悲しみを変えるという趣旨のもとに制作されたコメディ(喜劇)タッチの映画となっており、『縞模様のパジャマの少年)』とは扱う題材は同様にして、描き方は表裏を成す。
また内容もさることながら、画面構成が効果的・印象的、かつ映像(彩色)もキレイで…こと戦争関連映画はドキュメンタリー・タッチであれと思っていた私にとっては“目から鱗”的に楽しめた、なかなかに良い作品であり、是非ご覧になっていただきたい映画でもある!

 

 

ジョジョの母親…ロージー・ベッツラーは、 スカーレット・ヨハンソンが演じている。

この映画では、徐々に成長していくジョジョが主人公であることは勿論だが、“ちびライオン”ジョジョに対するあたたかく、深い母の愛情と、厳しい状況下においても信念を持って強く生き、笑顔を絶やさずユーモアもあるジョジョの母親ロージーという女性を見事に演じたスカーレットが、この映画をより魅力的にしている。
その演技は高く評価され、第92回アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされている。
 

スカーレットは、ポーランドとベラルーシのユダヤ人の子孫である母親と、デンマーク人の父親との間に生まれているが、彼女が13歳の時に両親は離婚。
その後、母親のもとで、改革派と言われるユダヤ教の教えに従って育ち、ヘブライ語学校にも通っていた。
彼女自身も二番目の夫であったロマン・ドーリアックとの間に一女(ローズ)をもうけているが(2014年)、ドーリアックとも2019年に正式離婚し、今作の撮影中は母親同様…そして役のロージー同様にシングルマザーとなり、色々な意味で、ロージー役への思い入れが深かったのではないかと思う。
インタビューにも、「この役を演じるにあたり、自分の人生経験からインスピレーションを得た。私はシングルマザーで、私の娘はジョジョと同じような幼い年齢。私は自分の母親との関係を思い出した。私はユダヤ人の家庭に育ったこともあり、この物語に深く関わっている。」と語っていいる。
現在は、2020年10月に三番目の夫となるコリン・ジョストと再婚し、翌年、一男(コスモ)を授かったとのことである。
 


因みに、私事で恐縮だが…アメコミの『the SPIRIT』を原作にした同名映画『ザ・スピリット』(2008年)で、SSの黒服を模した衣装で登場するシルケン・フロス役の彼女のフィギュアを、香港の玩具メーカー「ホットトイズ」が製作(2009年8月発売)するにあたり、プロトタイプの衣装の原型制作を担当させていただいた経緯もあり、彼女には勝手にアフィニティを感じてしまっている。

 

 

ジョジョの棲む家の隠し部屋に匿まわれる、今作のヒロイン…ユダヤ人少女のエルサ・コールは…母親が女優のミランダ・ハーコート、母方の祖母もニュージーランドでは有名な女優のケイト・ハーコート、(因みに、その夫の祖父ピーター・ハーコートも俳優、放送作家、司会者として母国では有名なのだとか)、そして6歳下の妹ダビダ・マッケンジーもまた女優というサラブレット的ファミリーに育ったニュージーランド出身のトーマシン・マッケンジーが演じている。

 

亡くなった姉のインゲにどことなく似たエルサ。

 

そのエルサへの感情は、いつしか淡い恋心のような思い(お腹のなかを蝶が飛び回る感じ?)へと…ジョジョが少し成長したというひとつの証。

 

 

通称“キャプテンK ”こと、クレンツェンドルフ大尉は、名バイプレイヤーのサム・ロックウェルが演じている。

このクレンツェンドルフというキャラクターも原作には登場しないらしいが、この作品では物語が進むなかで重要な役割を果たしていく。
クセはあるものの、魅力的な人物として描かれている。

 

この他にも、アーチー・イェーツが演じる、ジョジョの親友ヨーキー、アルフィー・アレンが演じる、クレンツェンドルフの副官にして恋人?のフィンケル伍長、ステファン・マーチャントが演じる、ゲシュタポ(Geheime Staatspolizei:秘密国家警察局)要員のディエルツなど、まだまだクセのあるキャラクターが登場し、面白味を増している。

 

 

この映画のラストは、デヴィッド・ボウイが、まだドイツが東西に隔てられていた1977年に発表したドイツ語版の『Helden(Heroes)』にのせて…自由になった証…でもあるダンスを二人で踊るシーンとなる。

 


そして暗転し、エンディングロールに繋がる、その前に…こちらは、『すべてを経験せよ 美も恐怖も 生き続けよ 絶望が最後ではない』というライナー・マリア・リルケの引用句で締めくくられる。

 

 

こと、この映画に関しては、衣装(制服)がどうだのこうだのと御託を並べてみても詮無いのだが…

当時のドイツは、毎度のことで恐縮だが…“制服の帝国”とも言われるように、軍服以外にも、党関係者、様々な職業従事者、そして少年少女たちにおける“制服”などが山のようにあり、そのそれぞれに、服装自体は勿論…それに付随して、また山のような記章類が存在する。
軍服関連だけでも、それらを把握することはかなり難しいうえに、門外漢ともなると、全く解らないと言っても過言ではなく、少年少女たちの制服に関しても、これまで目にしてきたことはあっても、なかなか詳細までを調べるには至らなかった。

そこで、これを機に、劇中に登場する少年少女たちの制服に関して、とりあえず気になったところだけを調べてみたので、そのあたりを簡単に紹介させていただこうと思う。

 

先ずは、この映画のオープニングシーンで登場するジョジョの制服の左袖上腕部(上段)に装用されている三角袖章(Armdreiecken)といわれる記章。

これは、それぞれの団員が所属する分団の地域が表記されている。

ジョジョは、“ファルケンハイム市(Stadt Falkenheim)”という架空の都市に住んでいるという設定なので、「Ost Falkenheim」と表記されている。

 

三角袖章は、ヒトラーユーゲント(Hitlerjugend:HJ)およびドイツ少国民団(Deutsche Jungvolk:DJ)の男子版がゴールドイエローの糸で…そして、ドイツ女子同盟(Bund Deutscher Mädel:BDM)と、10​​歳から14歳の少女を対象とした少女同盟(Jungmädelbund:JM)の女子版がシルバーグレーの糸で機械織りされている。

 

この画像は、左上が「Ost Sudetenland(東部地域:ズデーテンラント)」、右上が「Süd Württemberg(南部地域:ヴュルテンベルク)」、左下が「Ost Sudetenland(東部地域:ズデーテンラント)」、右下が「Südost Wien(南東地域:ウィーン)」の男女版それぞれの三角袖章である。

二段からなる文字列の上段部分は、Ost(東部地域)の他、Nord(北部地域)、West(西部地域)、Süd(南部地域)、Südwest(南西地域)、Mitte(中央地域)、Südost(南東地域)、Nordost(北東地域)といった所属地域を示し、下段が都市名となり、独特のフラクトゥール (Fraktur)…いわゆるドイツ文字で表記される。

「Falkenheim(ファルケンハイム)」という架空の都市は、どうやら“Ost(東部地域)”のどこかにあるらしい。
映画を見る大抵の人が、おそらくは気付かないような、こうしたウィットに富んだプロップをわざわざ作成するという監督の拘りが感じられる。

 

三角袖章の下には、「勝利」を象徴する“ジークルーン(Sigrune)”の袖章が装用されている。

ヒトラーユーゲント(HJ)は、ドイツ国内および国外におけるライヒスドイチェ(ドイツ国人)、フォルクスドイチェ(民族ドイツ人)、ゲルマン人、その他の青年・女子・少年・少女たちに、ナチズムの思想、忠誠心や服従心、団結心などを植え付ける役割を担う組織・機関として、政治的な区分けとは別な“Oberbann(上級地区)”という区分けによって、より密接な教導・教育活動を行うべく…時期により変動もあるが…42から47に細分化されていた。

 

各地区には、その所属地域の歴史や伝統を象徴するシンボルカラーがあり、それに該当する配色パターンの袖章が各々の地区で着用されていたようである。

代表的な地区として、Oberbann 1のベルリン、Oberbann 2のハンブルク、Oberbann 3のミュンヘン、Oberbann 4のケルン、Oberbann 5のフランクフルト、Oberbann 6のドレスデンなどにより、上のような配色パターンの袖章は着用されていた。

因みに、国家政治教育学校(Nationalpolitische Erziehungsanstalt:NPEA/NaPola)の生徒も「白地に黒字のジークルーン」の袖章を着用していたとのことである。

 

ジークルーンの袖章は、これら以外の別パターン(紫、ピンクなど)も含め、10パターン程の物が確認されているが、HJの規模の拡大、地区の見直し、指導者層の強化と統制力を高めることを目的とした再編が1936年4月に為され、その際に、バラバラだったジークルーンの袖章も、上級少年分隊長(Oberjungenschaftsführer)以下の者は、皆一律…配色パターンでいえば、“Oberbann 1”配色の「赤地に白字のジークルーン」の袖章のみのを装用することとされた。

ジョジョも、これに倣って規定通りにコレが装用されている。

 

肩章には「443」という、おそらくはコレも架空の番号かもしれないが、所属分団の番号が刺繍されている。
因みに、この肩章に表記される数字は、同地域で編成されていた陸軍(歩兵)連隊の連隊番号と同数字にされることがよくあったということである。

ただ下に示すように、この番号的に近い第447分団が実際に存在していることや、ドイツ国防軍に第443歩兵連隊も実在することを考え合わせると…「443」は、あながち架空の番号とは言い切れない。

 

上段が、HJ第447分団(Bann 447)の随行隊長(Gefolgschaftsführer)の肩章で、中段が、同じく第447分団のヒトラー青年団員の肩章となる。
下段は、ジョジョも装用している少年団員(Jungen)の肩章で、これは第87少年分団のものとなる。

 

こちらも中々にクセがあり、印象深いキャラクターのラーム女史を演じたレベル・ウィルソンの衣装から、ドイツ女子同盟(Bund Deutscher Mädel:BDM)の制服に関しても少しだけ…

 

 

BDMの班長(左)と地区指導者(右)の胸章。
指導者クラスは、このような両翼を広げた鷲のデザインのエンブレムを左胸に装用した。

 


鷲の色を金地、銀地…更に縁取りの側線の本数によりそのランクを表していたようである。
また、台布の色は、各季節の服地の色に合わせ、夏服用の白と冬服用の黒が用意されていた。