無二星、逝く | S A L O N

以前にも記した…週刊少年マガジン(講談社)にて連載されていた松本零士氏の『男おいどん』(1971年~1973年)、週刊少年サンデー(小学館)に連載されていた村上もとか氏の『赤いペガサス』(1977年~1979年)…そして、石井いさみ氏の『750ライダー』(975年~1985年)、鴨川つばめ氏の『マカロニほうれん荘』(1977年~1979年)、山上たつひこ氏の『がきデカ』(1974年~1980年)といった週刊少年チャンピオン(秋田書店)に連載の漫画を…誌上ということであれば…愛読をしていたこともあり…
縁の薄かった週刊少年ジャンプ(集英社)にて、1984年51号(11月20日刊)から連載がスタートした鳥山 明氏の大々ヒット作である『ドラゴンボール』ではあるが…その頃既に大学生になっていたこともあり…1986年2月26日からフジテレビ系列で毎週水曜日(19:00~19:30)に放映がスタートしたテレビアニメ版の『ドラゴンボール』…その後の続編となるテレビ、映画、ゲームなども、ごく初期の一時期以降はほとんど見た記憶はない。
ただ、鳥山氏のもう一つの代表作である『Dr.スランプ』…1981年4月8日から1986年2月19日にかけてフジテレビ系列で水曜日(19:00~19:30)に放映されていたテレビアニメ版『Dr.スランプ アラレちゃん』(1980年~1984年)は、毎週欠かさずと言っていいくらい見ていて、その作風の虜となっていた。
これらを読み、見ていた中高生の時期…
陸上部に所属していた中学時から一変…
高校では美術部に所属していたこともあり…
あの時期は、余白があれば、“アラレちゃん”をはじめ、上記に登場するキャラクターたちを走り描きしていたものである。

 

因みに↑は、毎年、中高合同で行われる学内クロスカントリー大会の冊子の表紙を頼まれた際に、アラレちゃんをメインに鳥山氏風に描いた拙作であるが、高1当時の自分が、如何にアラレちゃんに入れ込んでいたかがうかがえる。

 


そうそう、同時期(1977年10月3日~1980年10月6日)に日本テレビ系列で月曜日(19:00~19:30)に放映されていたテレビアニメ版『ルパン三世(TV第2シリーズ)』は、モンキー・パンチ氏の漫画、そしてテレビアニメ化第1シリーズの劇画チックなタッチから、イラスト・チックな洗練されたタッチに変わり、これもよく描いていたが…
鳥山氏のタッチを初めて目にした時も、“漫画”というよりも“イラスト”のような、その洗練されたタッチに衝撃を受けたことを今でも覚えている。

 


スケールモデル(プラモデル)党を自負する鳥山氏。
そして“やっぱりミリタリー”とおっしゃるように、ミリタリー物への造詣も深く…氏の描く車輛等は、デフォルメはされているものの、細部に至るまでリアルに描き込まれている。

その鳥山氏が、この3月1日、急性硬膜下血腫のためお亡くなりになられてしまった。(享年68歳)



タッチは全く違うが…
5年前に、乳癌のためお亡くなりになられたさくら ももこ氏が生み出された“まるちゃん”こと“さくら ももこ”というキャラクターを、34年にわたり吹き替え続けたTARAKOさんも、この3月4日に急逝された。(享年63歳)

いい年になっても、たまに見るアニメといえば…『ちびまる子ちゃん』か『クレヨンしんちゃん』くらい…
『ちびまる子ちゃん』で、まる子の姉の(初代)さきこの声を吹き替えていた水谷優子さん(享年51歳)も、やはり7年前に乳癌のためお亡くなりになったが、私は、水谷さんの声のさきこというキャラクターが好きだった。

アニメは、そのキャラクターの作画のみならず、もしかするとそれ以上に、その“声”の方に思い入れが強くなると言っても過言ではないかもしれない。

相次ぐ訃報に接し、あらためて、唯一無二の存在である…鳥山 明氏、TARAKOさんの死が惜しまれてならない。
お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。