二・二六事件 【後編】 | S A L O N

安藤輝三大尉は、下士官・兵は私兵ではなく、紛れもなく陛下の軍隊であり、それを例え国のためであるにせよ勝手に使う責任は大きく、加えて時期尚早として蹶起には慎重な立場を頑として譲らなかった。

その安藤が、ようやく決断をしたのは決行日数日前の2月22日だった。

第一師團の“歩一”(歩兵第一聯隊)からの参加部隊は、第十一中隊と機関銃隊を中心とした456名だったが、“歩三”(歩兵第三聯隊)からはその倍以上の937名が参加をしており、また指揮する将校も、歩一が栗原安秀丹生誠忠といった中尉クラスであるのに対し、歩三は安藤、野中四郎といった大尉クラスの、しかも二人はれっきとした現役の中隊長である。

安藤は、硬骨漢であったが情誼に厚く、部下たちを思う気持ちは人一倍で、気持ちのみならず、実際に給与のなかからも結構な額を部下たちのために削いていたほどである。
当然、その人柄から部下たちが安藤に寄せる絶対的な尊敬と信頼は実に強いものがあり、その人望厚き“中隊長殿”の命令…いや達ての協力要請に抗する者はいなかったに違いない。

この安藤の決断…つまり、部隊の大半を占める歩三の参加無くして蹶起自体が成り立たなかったことは言うまでもない。

そして、待ちに待った安藤の決断を受け、その夜、栗原宅において村中孝次磯部浅一河野 壽大尉、中橋基明中尉らが会合を持ち、“2月26日午前5時”をもって決行とし、襲撃目標と襲撃班・兵力の配分、襲撃後の集合場所などが決められた。

 

因みに、憲兵隊は蹶起将校たちの動向に関しは予てより注視をしており…“歩一の山口(一太郎)と歩三の安藤が週番の時が危ない”と既に推測しており、実際に蹶起はこの二人の大尉が週番司令に就いていた時に決行された。

また海軍も、蹶起一週間前の2月19日には“陸軍皇道派将校等は重臣、顕官の暗殺を決行。之の機に乗じて国家改造を断行せんと計画”として、その主だった首謀者の氏名および襲撃目標の特定などかなりのところまで把握をしていた。

 

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“二・二六事件”関係地図

 

各担当部隊は午前5時を期し、“君側の奸”として誅殺の対象である岡田啓介(海軍大将)内閣總理大臣、鈴木貫太郎(元海軍大将)侍従長、斎藤 実(海軍大将)内大臣、高橋是清大蔵大臣、教育總監渡辺錠太郎陸軍大将、牧野伸顕前内大臣の公邸もしくは私邸、また警視庁、陸軍大臣官邸など第一次の襲撃目標となった8ヵ所を襲撃。

これにより斎藤内府、高橋蔵相、渡辺総監の3名は即死。

 

 

鈴木邸襲撃の指揮を執る安藤大尉と共に表門から突入した中隊長附き当番兵の前島 清伍長勤務上等兵によると、“自分たちが鈴木侍従長の寝室の奥の八畳間に駆け付けた時には既に15~6名の兵隊に囲まれた閣下は、銃創により上半身から多量の出血をした状態で倒れ、その周囲の畳は真紅に染まっていた”という。
安藤は鈴木をすぐ寝床に移動させ、脇で正座するたか夫人に蹶起の理由を手短に説明した。
そして「御賢明なる奥様故、何事もお判りのことと思いますが、閣下のお流しになった血が昭和維新の尊い原動力となり、明るい日本建設への犠牲になられたとお思い頂き、我等のこの挙をお許し下さるように」と言うと、たかは「では何か思想的に鈴木と相異でもあり、この手段になったのですか、鈴木が親しく陛下にお仕え奉っていたのをみてもその考えに間違いはなかったものと思いますか」と返したが、安藤はその言葉を静かに制し「それは総てが後になればお判りになります」とだけ語った。
安藤は「甚だ失礼ではありますが閣下の脈がまだあるようです…とどめを刺させて頂きます」と言い軍刀の先を鈴木の喉に当てたが、「もう、これ以上のことはしなくても宜しいでしょう」というたかの懇願に、「では、これ以上の事は致しません」として静かに軍刀を収め、一同は安藤の号令で侍従長に捧銃(ささげつつ)を行いその場を後にしたという。

安藤が何故とどめを刺さなかったのかについては様々に言われているが、これが安藤であったからということは言うまでもない。
安藤は、この襲撃の二年程前の昭和9年…“革新政策”に関する鈴木の存念を聞きに民間人三名とともに鈴木邸を訪れたことがあった。
安藤が帰りしなに語った言葉を借りれば、「どうも鈴木閣下は見ると聞くとは大違いだ、あの方はちょうど西郷隆盛そっくりだ」と激賞し、すっかり鈴木に心酔し、その後も尊敬の念は消えることはなかった。
そうしたこともあり、尊敬する鈴木は他の者ではなく自分がせねばならんとの苦渋の思いから“侍従長は自分がやる”と安藤は名乗りをあげたとされている。
殊、蹶起を起こした今となっては尊敬する鈴木であっても迷いは禁物であることは十分承知していたはずであるが、瀕死の老体を前に…既にとどめを刺すまでもなく…武士の情けとして安藤はとどめを刺さなかった。
私見であるが、安藤はまだ脈があってくれたことに安堵したのではないだろうか。
そして、とどめを刺させていただくと、とりあえずの体裁を取ったが、もうとどめを刺すつもりなどなかったのではないだろうか。
もしこの老体が生き延びた後には、日本にとって鈴木という人物が必要になる時がきっと来ると確信のようなものを感じていたからこそとどめを刺さなかった…あえてそう考えると納得がいく。
勿論、安藤は知る由もないが、結果としてこの安藤のとった行為が、この9年後に…終戦に向け奔走することになる鈴木の命を救ったとともに…日本を救う一助になったと言える。

 

岡田首相(後述)、牧野前内府(【前編】参照)の両名は辛くも難から逃れ無事だった。

 

 

中学校の歴史教科書(帝国書院(旧版)219頁)における“二・二六事件”に関する箇所は「1936年2月26日、陸軍部隊を率いた青年将校が大臣らを殺傷し、首相官邸や国会議事堂周辺などを占拠する事件が起こりました(二・二六事件)。反乱は鎮圧されましたが、軍部がさらに力を強め政府や国民は軍部に反対できなくなっていきました。」となっているようで…記憶は定かではないが、私が中学生だった遥か遠い昔の教科書でも、扱い方としては、これとさして変わらぬ記述だったものと思う。

担当する各教師の扱い方によっても、生徒側のその受け取り方は変わってくるものと思うが…

ほんの数行程度でサラッとしか扱われない“二・二六事件”…

事件自体も82時間(3日半)程で終焉をむかえるが、その蹶起に至る背景やそれに係わる人々、事後の裁判・判決に至る経緯、更にその後…そしてその影響などなど…調べれば調べる程、山のように出てくる。

今回、“二・二六事件”に関して記事を書くにあたっても…文字数の制限などもあり、前・中・後編に分けたものの…

それでもアレもコレもと思ってもなかなかそういう訳にもいかず…通り一遍な中途半端でお粗末な観は否めない。

当方のブログが、Ameba公式ジャンルの映画レビュージャンルに属することもあり、ここからは“二・二六事件”を題材にした新旧…“新”といっても結構前の作品になるが…計5作の映画も…いつもながら、簡単に紹介させていただこうと思うが、映画にも当然…“尺”というものがあり、そのことを考慮したうえで制作しなくてはならない。

そのため、映画も全てを網羅することは不可能である。

事の如何は別にしても、青年将校たちは“テロ”、“クーデター”を起こした逆賊であるにもかかわらず、判官贔屓的な日本社会における受け取り方としては…純粋であったが故に、正義感に溢れ、己の信ずる道しか見えず、結果的に軽挙妄動に突き進むことにしか考えが至らなかった決起部隊の青年将校たちに同情的であり、“二・二六事件”関連の映画における描き方も然り…大方は哀愁を誘う“義軍”的な描かれ方をしており、それらをフィーチャーするための代表的なトピックスを何とか盛り込んだらいっぱいいっぱいなのである。

そのため、教科書的な情報しかないままに“二・二六事件”関連の映画を最初に見た時には、陳腐であまりピンとくるものはなかったと記憶している。

そこで、“二・二六事件”関連の書籍等は勿論…

手前味噌で実に恐縮だが…前・中編なども併せてお読みいただいたうえで映画をご覧いただければ、より映画をお楽しみいただけるのではないかと思うのだが…

 

先ずは、終戦間もない昭和27年(1952年)に立野信之が発表した同名小説「叛乱」(翌年、第28回直木賞を受賞)を、新東宝が昭和29年(1954年)に映画化した映画『叛乱』。

 

叛乱』(1954年)

【キャスト】

安藤大尉:細川俊夫

香田大尉:丹波哲郎

栗原中尉:小笠原 弘

磯部浅一:山形 勲

村中孝次:安部 徹

西田 税:佐々木孝丸
北一輝:鶴丸睦彦

相沢中佐:辰巳柳太郎

伊集院少佐:藤田 進

中村上等兵:鶴田浩二…他

 

監督の佐分利 信は、撮影中の昭和28年(1953年)11月8日に膵臓壊疽により倒れ、一時はかなり重篤な状態であったため、そのまま監督を降板し、残りの場面は阿部 豊が代理監督として撮影を引き継いで完成させた。
当初、佐分利は西田(税)役として俳優も兼ねており、これも降板せざるを得ず、佐々木孝丸によって撮り直しがされた。

 

今作において主役たる安藤大尉を好演している細川敏夫は、大正5年(1916年)に政治家だった父(政夫)の四男一女の次男として、秩父宮邸からも程近い東京府東京市赤坂區表町に生まれており、暁星(旧制)中学校を経て慶應義塾大學文學部仏文科卒業後の昭和14年(1939年)4月に松竹に入り、同年に映画『あこがれ』という作品で俳優デビューをしている。
昭和15年(1940年)に徴兵…赤坂區に駐屯していた歩一(歩兵第一聯隊)に入営後、満州・孫呉県に派遣され、昭和18年(1943年)に除隊した後に再び松竹にて俳優業を再開したとのことである。
この『叛乱』は新東宝に移籍第1弾となる作品でもあった。

 

陸相官邸において、香田大尉役の丹波哲郎が“蹶起趣意書”を読み上げるシーン。
各々において何らかの転機となる時期でもあった今作の出演当時…
後に、言わずと知れた…型破りで豪快なスター俳優として国内のみならず活躍をした丹波(30歳当時)…
そして後年には、敵・悪役など憎まれ役的な役を演じることが多かった…山形 勲(37歳当時)、安部 徹(36歳当時)の両名だが、ともに戦時下を知る実力派の面々によって、当作は其処此処に今時の作品では醸し出すことが出来ないような“時代の空気感”が描き出されているように感じられる。

 

公開の前々年に軍神となった加藤建夫陸軍航空兵中佐が率いていた飛行第64戦隊…“加藤󠄁隼戰鬪隊󠄁”の活躍を描いた戦意高揚のための…戦時下真っ只中の昭和19年(1944年)に製作された映画『加藤隼戦闘隊』で、豪放磊落で、しかも部下思い、また洒落っ気もある…まさに軍人の鑑のような加藤隊長役を好演し、その後も確固たる軍人俳優としての人気を確立した藤田 進が、今作では安藤大尉の直属の上官であった歩三第二大隊長の伊集院兼信陸軍少佐(当時)役を演じている。
『ウルトラセブン』でのTDF(地球防衛軍)長官のヤマオカ役、『帰ってきたウルトラマン』での地球防衛庁長官の岸田役といった方がお馴染みかもしれない。

 

映画館の入場料が80円の時代に、当時すでに…何とたった一日の拘束でも出演料が300万円という日本映画史上最高額のギャラが支払われるような映画界のトップスターにまで昇りつめていた鶴田浩二(撮影当時28歳)は、今作では特別出演として、ほんのちょい役的ではあるが、中村上等兵という役どころで出演をしている。

 

 

銃殺』(1964年)

【キャスト】

安東大尉:鶴田浩二

栗林中尉:江原眞二郎

磯野浅ニ:佐藤 慶

相川中佐:丹波哲郎

大庭少佐:南原宏治

久米曹長:井川比佐志

安東文子:岸田今日子…他

 

『叛乱』から10年後となる昭和39年(1964年)に、今度は東映が立野の小説「叛乱」を映画化したのが『銃殺』である。
映画『叛乱』では、役名は実名を使っていたが、この『銃殺』では変名となっている。
 

そして、映画『叛乱』において中村上等兵役として出演した鶴田浩二が、満を持して主役となる“安東”大尉役を今作では好演している。

鶴田が演じた安東は、勿論…安藤大尉がモデルであり、“二・二六事件”においては、その安藤以外の将校たちも部下を動員しての蹶起ではあったが、彼ほどに部下の事を思う上官はいなかったと言われている。
それ故に安藤は人望が厚かったわけであり、主役に鶴田を擁した当作では…その鶴田のキャラ的イメージにも重ねて…原作、映画『叛乱』以上に人情味溢れる“安東”という人物像をフィーチャーしたストーリー展開となっている。

余談だが、安藤大尉のトレードマークともなっている“丸眼鏡”…
『叛乱』の細川はしっかりと再現しているが…やはり、鶴田の場合はNGだったのだろうか?
それにしても、以前の記事(『最後の特攻隊』)でも書いたが…鶴田は海軍の“第一種軍装”のみならず、陸軍の“昭五式軍衣”姿もまた様になる!

 

(左から)安東大尉(鶴田浩二)、栗林中尉(江原眞二郎)、野田大尉(大村文武)、安川少尉(北川恵一)?、磯野浅ニ(佐藤 慶)、村山孝一(南 廣)
因みに、南は『ウルトラセブン』において、キリヤマ隊長の旧友であり、宇宙ステーションV3のクラタ隊長役といった方がピンとくる方も多いかもしれない。

 

映画『叛乱』は、首魁たる安東をはじめとする叛乱将校たちの処刑から一年強を経て…言うなれば、“二・二六事件”の最終的な後始末とも言うべき西田(佐々木孝丸)、北(鶴丸睦彦)の刑場に向かうシーンまでを描いてエンディングとしているのに対し…当作は、やはりタイトルともしているように鶴田(安東)の“銃殺”シーンをラストのシーンとして ドラマチックに完結させるとともに、その夫の死の悲しみを静かに堪える様を演じる(妻)文子役の岸田今日子の表情で締めくくっている。

因みに、安藤大尉は昭和6年(1931年)に佐野益蔵の長女であった房子と結婚し、その後、輝雄、日出雄の二児を儲けている。

 

この当時の岸田(23歳)には、あくまでも私見ではあるが…どことなく戸田恵梨香にも似た…何か独特の美しさがあったようにも思う。

岸田といえば、私の幼少期における記憶のなかでは映画やドラマといったビジュアル的な物よりも、アニメ『ムーミン』における“声”…そして、それ以上に…レコード(LP盤)で本当によく聴いていた…「セロ弾きのゴーシュ」の朗読が今でも強く印象に残っている。

 

 

2月26日の午前5時10分頃に栗原安秀中尉率いる栗原隊(歩一)291名により襲撃を受けた麹町區永田町の總理大臣(首相)官邸では、今事件における襲撃先のなかで最も犠牲(殉職)者を出した。

当日、官邸内には40人近くの護衛警官が巡査詰所に泊まり込んではいたものの、その寝込みを襲われ大半は抵抗も出来ずに軟禁され、応戦したのは宿直だった村上嘉茂左衛門巡査部長、清水与四郎巡査、小館喜代松巡査、土井清松巡査など数人だけであった。
有事の際には、警視庁に待機する特別警備隊“新撰組”に通じる非常ベルがあり、その通報によって新撰組は官邸に駆け付けようとしたが、襲撃隊の警備線に遮られ、あえなく武装解除されてしまったが、そんなことなど知る由もない官邸の警官たちは僅かな手勢で必死に応戦した。
その間、岡田啓介首相の身辺では…義弟(妹婿)で個人秘書官を務めていた松尾伝蔵(予備役陸軍歩兵大佐)が、襲撃と同時に岡田を寝室から連れ出し、護衛の警官たちと協力して、先ず炊事場に避難させ、さらに大浴場に移動させるなど奔走はしていたものの、限りある邸内でのこと…発見されるのはもはや時間の問題とみた松尾は、自身を岡田と思わせる作戦に打って出る。

松尾は中庭に向けて走り出たところを撃たれ、顔と腹に計二発の銃弾を受けた。

そして、駆け付けた栗原中尉以下四、五人の兵たちにより、鮮血にまみれた状態で中庭の一隅の壁に寄り掛かるように正座しているところを発見された。

もはや虫の息となっていたものの、そのあまりにも物凄い形相に圧倒され止めを刺せずにいると、栗原中尉は倉友音吉上等兵に止めを命じ、倉友は二六式拳銃により、胸部に一発、そして眉間にもう一発を撃ち込んだ。
松尾は「天皇陛下萬歳!」を唱えて絶命したという。
栗原中尉は面通しのため、日本間に掲げてあった岡田の写真(夏用の背広姿)を金子良雄二等兵に持ってこさせ、両方を交互に見比べ間違いないとの判断を下した。
この首相官邸襲撃では、岡田と誤認して殺害された松尾の他に、村上巡査部長、清水巡査、小館巡査、土井巡査の4名の警官が殉職している。

当の岡田は女中部屋の押入に匿われ無事だった。

 


この岡田の生存情報は…実は、總理大臣秘書官の迫水久常福田 耕よりも、混乱に乗じて首相官邸に潜入していた麹町憲兵分隊所属の篠田惣寿憲兵上等兵よりもたらされていた。

 


報告を受けた分隊長の森 健太郎憲兵少佐は、特務班班長の小坂慶助憲兵曹長に指示し…小坂の指揮のもと青柳利之憲兵軍曹、小倉倉一憲兵伍長、そして迫水、福田の両秘書官とともに、秘密裏に共同救出作戦を行い、岡田を無事に官邸から脱出させている。

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この脱出劇の顛末に関しては、襲撃された首相官邸および公邸を主舞台に展開する首相救出までの秘密工作を描いた…手に汗握るサスペンス風映画として、戦後に出版された小坂自身の著書『特高 二・二六事件秘史』を基に、高倉 健、三國連太郎の豪華共演で映画化されており、それがこの1962年製作の映画『二・二六事件 脱出』である。

 

二・二六事件 脱出』(1962年)

【キャスト】
小宮曹長:高倉 健
速水友常:三國連太郎

福井 耕:中山昭二
篠原上等兵:千葉真一
栗林中尉:江原眞二郎

関軍曹:織本順吉

森下分隊長:河野秋武

井川とめ:中原ひとみ…他

 

今作で小宮曹長役として主演を務めた高倉 健ではあるが、この時期はまだ任侠映画のスターとして花開くほんの少し前…自身の可能性を模索して幅広い作風の映画に挑戦していた頃となる。

 

スタントマン無しにアクションがこなせる俳優として…望むらくは演技に磨きを増せばと期待をされていた新人時代の千葉真一が篠原上等兵役を演じている。
ただ、この後も演技力というよりは…自身のその確固たる存在感で際立つ俳優だったようにも思うのだが…(苦笑)

 

共演の三國連太郎、中山昭二もまた、時期的にはある意味…高倉同様に、いろいろと模索中の時期であったと言えるかもしれないが、三國はやはり、さすが三國という観がある。

因みに、中山はこの後…言わずと知れた『ウルトラセブン』においてキリヤマ隊長役として名を馳せることとなる。

 

『銃殺』でも青年将校の一人…栗原安秀中尉をモデルにした“栗林中尉”役として出演している江原眞二郎が、今作でも同名の“栗林中尉”役として出演しており、また今作では、妻である中原ひとみも女中の井川とめ役で出演し、夫婦共演をしている。

 

(左から)今井 俊二(青山軍曹)、高倉 健(小宮曹長)、中原ひとみ(井川とめ)、織本順吉(関軍曹)、江原眞二郎(栗林中尉)、三國連太郎(速水友常)

 

 

『脱出』から18年の時を経て…この時既に押しも押されぬ大スターとなり、出演オファーも殺到する状況にあった高倉 健が、やはり満を持して出演した“二・二六事件”作品が1980年製作の『動乱』である。
先に共演となる吉永小百合には出演了承を得ていたそうだが…“高倉さんが駄目と言ったら企画は流します”とまで言わしめる程、この映画は高倉ありきだったとのことである。
当然、日本映画としては当時の最高額といわれた2500万円というギャラが支払われたとのことである。


今作は、『叛乱』『銃殺』『脱出』とは少々異にして、“二・二六事件”やその時代背景はあくまでも題材に過ぎず、第1部「海峡を渡る愛」、第2部「雪降り止まず」という二部構成による“憐愛”ドラマとも言うべき作品となっている。
もともとはノンフィクション作家の澤地久枝著『妻たちの二・二六事件』(1972年刊)を原作としたかったようであるが、当時はまだ肖像権やプライバシー等の問題もあって断念せざるを得なかったとのことであり、結局は脚本家の山田信夫によるオリジナルストーリーとなった。
この映画の目玉といえば、兎にも角にも…高倉 健と吉永小百合という二大スターの…それも初共演ということに尽きるといっても過言ではなく…
当然の如く、脚本そのものがこの二人のイメージにまるまる沿ったカタチで書かれ、それが良い反面…少々、御定まりの人情・純愛ドラマ的に感じてしまう一因ともなっている。

 

昭和7年4月、仙台の歩兵第四連隊で初年兵の溝口二等兵(永島敏行)が営舎を脱走するという事件が起こる。
それは、姉の薫(吉永小百合)からの手紙で、その姉が近く身売りに出されることを知り矢も盾も堪らずの行動であった。
中隊長である宮城大尉(高倉 健)は、隊内の不始末は自分の責任であるとして原田軍曹(小林稔侍)以下12名の捜索隊を編成させ、自らその指揮を執った。
この時、溝口の実家を訪れた宮城は薫と出会うこととなる。
実家付近を山狩りしていた捜索隊は、ついに溝口の身柄を確保する。
だがその直後、原田との揉み合いのなかで、溝口は原田を殺害してしまう。
この不祥事の責任を取らされ、宮城は歩兵第七十五連隊が駐屯する朝鮮の会寧…その北限となる鐘城地区派遣隊に移動(左遷)となる。
ある日、桃源閣という慰安施設での連隊長主催の慰労会に列席した宮城は、そこで薫と再会する。
ここに至るまでの不幸な境遇を聞くも、宮城は薫を論難してしまう。
その晩、隊内における軍需物資の横流しの現場を押さえた宮城は、翌朝、主犯である朴 烈全(左とん平)、その黒幕の笹井田 巖(嵯峨善兵)を告訴すると連隊長の柴田大佐(近藤 宏)と小林少佐(岸田 森)に息巻くが、その者たちと癒着し利権を貪る両名はそれに難色を示す。
一方、薫は宮城が帰った後…自らを恥じ、手首を切って自殺を図ったのだった。
何とか一命はとりとめたものの、廓の者が借金返済の前に自殺を図ることは御法度であるとして極寒のなか晒し者にされているという。
小林少佐は、連隊長の御力を持ってすれば薫を助けてやることも出来るのだがと仄めかす。
宮城は告訴を取り下げ、これまでの所業に目をつぶる代わりに薫を助けてもらうという道を選択する。
昭和10年、宮城は歩兵第一連隊に移動となり、その第一中隊の中隊長として東京に赴任となる。
勿論、会寧からは薫も連れて帰ったものの、その関係は依然、“男女”の間柄ではなく、同居人のままだった。
その後、動乱のうねりの中に身を投じていくこととなる宮城と薫の行き着く先にある愛のかたちとは…と、まぁストーリーはこのあたりにして…

 

動乱』(1980年)

【キャスト】

宮城啓介大尉:高倉 健

溝口(宮城) 薫:吉永小百合

島 謙太郎憲兵曹長:米倉斉加年

野上光晴少尉:にしきのあきら

高見葉子:桜田淳子

神崎忠之中佐:田村高廣

広津美次中将:佐藤 慶(ナレーター兼任)

宮城広介:志村 喬

三田村利政大将:金田龍之介

三角連隊長:小池朝雄

監獄看守(伍長):川津祐介

小松少尉:田中邦衛

原田軍曹:小林稔侍

溝口英雄二等兵:永島敏行…他

 

因みに、ウルトラシリーズの第二・三弾の主人公…『キャプテンウルトラ』の中田博久が本間大尉役、『ウルトラマン』のハヤタ隊員役の黒部 進が“五・一五事件”の首相(犬養 毅)暗殺のシーンにおける海軍中尉役としても出演している。

 

上記の如く、高倉 健が演じた宮城大尉は、劇中では歩一の第一中隊長という設定になっており、“二・二六事件”関連映画なら歩三の安藤大尉を主人公的に描くといったセオリーからあえて外し、オリジナルの脚本ということで主役を安藤大尉も匂わせつつ、面倒見がよく、蹶起将校たちを纏める幹事役的な人物だった香田清貞大尉あたりをかなり念頭に置いているように思われる。
香田大尉は、大尉昇進後の昭和9年(1934年)には歩一で中隊長を任官しているが、その前後から政治的な活動への関心を深めていたこともあり憲兵の監視対象とされ、おそらくそのあたりの理由から支那駐屯歩兵第ニ聯隊の中隊長として天津に移動になったのかもしれない。
そして、二・二六事件の3ヵ月程前となる昭和10年(1935年)12月に歩兵第一旅團の副官として東京に戻ってきたという経緯からも、高倉に見合った宮城大尉という人物設定をするうえで大いに参考とした可能性は大である。

 

今尚、主役を張ることが出来る唯一無二の俳優(女優)である吉永小百合。

私は“サユリスト”ではないので、それほど多くの作品を見たわけではないが…特に“何と美しい!”と私のなかで印象に残る時期の作品と言えば、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年)での“貴子”役…

やはりNHK“ドラマ人間模様”の『夢千代日記』シリーズ(1981年 - 1984年)および映画化された同名作での“夢千代(永井左千子)”役…

映画でいえば、この『動乱』での“溝口 薫”役であり…

その翌年の1981年に東宝創立50周年記念作品として制作され、再び高倉 健と共演…また、この『動乱』の監督である森谷司郎がメガホンを取った『海峡』での“牧村多恵”役…

細雪』(1983年)での“蒔岡雪子”役…など、30台の彼女に何故か集中してしまう。

 

最後の別れのシーンは、さすが両名ともに名優と言わしめる圧巻の演技である。

 

憲兵として身辺調査のため宮城大尉の行動を監視するうちに、自らの貧しかった生い立ちも相俟って次第に宮城たち皇道派将校の考えにシンパシーを感じていく一方で職務に忠実であろうと葛藤する島憲兵曹長役を米倉斉加年が好演している。
この映画における主役の二人以外の目線としても重要な役どころとなる。

 

 

226』(1989年)

 

【キャスト】

野中四郎 歩兵大尉:萩原健一

安藤輝三 歩兵大尉:三浦友和
河野寿 航空兵大尉:本木雅弘
栗原安秀 歩兵中尉:佐野史郎
磯部浅一:竹中直人

村中孝次:隆 大介
香田清貞 歩兵大尉:勝野 洋
丹生誠忠歩兵中尉:宅麻 伸
高橋太郎 歩兵少尉:鶴見辰吾
坂井直 歩兵中尉:加藤昌也
中橋基明 歩兵中尉:うじきつよし
真崎甚三郎 陸軍大将:丹波哲郎

杉山元 陸軍大佐:仲代達矢

山下奉文 陸軍少将:高松英郎

伊集院兼信 陸軍少佐:松方弘樹
石原莞爾 陸軍大佐:渡瀬恒彦

香椎浩平 陸軍中将:加藤 武
荒木貞夫 陸軍大将:日下武史
永田 露 曹長:川谷拓三
堂込喜市 曹長:三上 寛
三浦作次 上等兵:三遊亭小遊三
大木精作 伍長:坂田 明
土門岩夫(陸相官邸憲兵曹長):ガッツ石松
美保子(野中四郎の妻):名取裕子
房子(安藤輝三の妻):南 果歩 
富美子(香田清貞の妻):賀来千香子
すみ子(丹生誠忠の妻):有森也実 
久子(田中 勝の妻):安田成美
孝子(坂井直の妻):藤谷美和子 
河野 司(河野 寿の兄):根津甚八
鈴木貫太郎(侍従長):芦田伸介
たか(鈴木貫太郎の妻):八千草 薫
春子(斎藤実の妻):高峰三枝子 
すず子(渡辺錠太郎の妻):久我美子

松尾伝蔵(総理大臣秘書官):田中 浩
山本公造(山王ホテル支配人):梅宮辰夫
ナレーター:井川比佐志…他

 

監督五社英雄、脚本笠原和夫で製作された『226』は、昭和63年(1988年)10月19日にクランクインしたが、年明け早々の1月7日午前6時33分に昭和天皇が十二指腸乳頭周囲腫瘍のため崩御(宝算87歳)されたため大喪の礼が終わるまで、一時一切の撮影等の活動を自粛し、昭和64年(1989年)6月17日に公開されている。

 

今作における安藤大尉は、それまでの作品以上に革新に激情を燃やす人物として描かれている観がある。
映画終盤において…勝敗の行方は既に決し、それでも安藤は“「ワレ狂カ愚カ知ラズ 一路奔騰スルノミ」…俺はこの言葉で燃えた…この言葉で起ったんだ!“狂でも“愚”でもいい、それが何故そんなに早く冷めてしまうんだ!俺は日本が変わるまで狂い続けるぞ!”と、一人“氣”を吐くシーンがあるが、三浦友和が渾身の演技でその安藤役を演じている。

 

 

安藤が家族に宛てた遺書のなかに「國体を護らんとして逆徒の名 万斛の恨 涙も涸れぬ あゝ天は 鬼神 輝三」という詩がある。
この、死の前日(昭和11年7月11日)の夜においても、“鬼神”となった安藤の、その“万斛の恨”は未だ払拭されることはなかった。

(※万斛(ばんこく):量り切れないほど多い分量という意)
同期生代表に宛てた手紙のなかでも、「さよなら 万斛の恨を御察し下され度し 断じて死する能はざる也 御多幸を祈る」とし、また嘗ての部下(“歩三”第六中隊員)たちに宛てた手紙のなかでも「我はたゞ万斛の恨と共に鬼となりて生く 旧中隊長」と認められている。
だが、刑の執行当日(12日)の朝…
「一切の悩は消えて 極楽の夢」と自らの一生を結び、泰然として刑場に臨み、散華していった。
だが、果たしてその胸中や如何に…それは安藤のみぞ知るところなのである。

 

蹶起終焉の日となる2月29日の午前2時40分、安藤隊が麻布區市兵衛町の“東久邇宮邸(現:アークフォレストテラスおよびザ・レジデンス六本木付近)ニ向フ”との情報があり、警備部隊に霊南坂方面の警戒命令が下された。(※軍事參議官東久邇宮稔彦王(皇族)陸軍中将)

結局、午前6時10分頃に山王ホテルから目と鼻の先にある参謀總長の閑院宮邸(現:衆議院議長公邸付近)西門に17名程が詰めかけたが、閑院宮載仁親王(元帥陸軍大将)は面会に応じなかった。

まぁ、おそらくは…このような渦中の真っ只中も真っ只中の危険な場所にあえて留まっている理由もないわけであり…本当に非難をして留守をしていたのではないだろうか。

だが安藤としては、本音を言えば…そこからさらに目と鼻の先にある秩父宮雍仁親王のおられる元赤坂町の御屋敷に馳せ参じ、一目だけでもお目にかかりたかったのではないだろうか。

因みに、霊南坂と言えば…三浦と山口百恵が、昭和55年(1980年)11月19日に挙式を執り行ったことで一躍有名になった霊南坂教会がある。

 

“二・二六事件”関連の作品では…何故か蹶起将校のなかでは最先任であり、筆頭人であった野中四郎大尉ではなく、安藤大尉をメインとして描かれる傾向にあるが、この作品では萩原健一が演じる静(穏)の野中を三浦友和演じる安藤の動(激)と対比させ…明確ではないものの…メインに据えて描いている。

因みに、今作においてキーワード的に用いられる「ワレ狂カ愚カ知ラズ 一路奔騰スルノミ」という文言は、野中が蹶起直前の2月19日に週番指令室で認めたとされる遺書の最後を締めくくっていた文言である。

 

河野 寿大尉役は本木雅弘が演じているが、その演技もさることながら、やはりその美男子ぶりも相俟って…航空兵科を示す“淡紺青色”の四五式襟章…通称“クワガタ”を装用した“昭五式の軍衣”姿がまた何とも凛々しく恰好いい!

 

今作では、河野 壽大尉の実兄である河野 司氏が監修として参加されているとあって、牧野伸顕の寄留先襲撃の際に、胸部を撃たれ、搬送先の東京第一衛戍病院熱海分院に入院していた弟のもとに見舞いに行くシーン…そして自決の際に用いられた果物ナイフはその兄が用意した物だったなどのエピソードなども盛り込まれている。
その河野 司役は根津甚八が演じている。

 

栗原安秀中尉役に佐野史郎、磯部浅一役に竹中直人とクセのある演技で定評のある二人も、その異彩な部分は封印はしてはいるものの、蹶起将校連のなかで中々に良い味付けの役どころとなっている。

今作では、豪華な脇役男優陣に加え、蹶起将校や被害者の妻女として出演している女優陣は…その大半が台詞のない回想シーンのみという贅沢なキャスティングとなっており、それもこの映画の見所と言えるのかもしれない。

 

今の時代ならば、背景や車輌などもCGによってリアルな画像として簡単に作成出来るのかもしれないが、琵琶湖畔(滋賀県草津市)の三千坪という広大な敷地に総工費3億円もかけ…四階建ての山王ホテル、陸相官邸、首相官邸、警視庁、赤坂見附の街並み等…大規模なオープンセットを建造し…また重機を改造して製作された戦車などを使用した大掛かりな撮影だったとのことである。