子が小学高学年あたりになったころ
家で学校の先生の悪口...というか、
文句というか、
先生への不平不満を聞くのが
非常に苦痛だったことがある。
子どもの味方になりたい....
がしかし、
100%全力で味方になれない想いがよぎる。
このなんとも言えないチグハグ感
この想いは一体なんだろう....
理由はわかった
初老の自分は
『先生』というものが
聖職者であるわけではない、
ということを知ってしまったからである。
大人になってしまった自分は
『先生』もひとりの人間であるに過ぎない
と知ってしまったので
「そら〜先生の気持ちも
わからなくはない」
という想いがよぎるのである。
子どもは...特に
思春期というやつは
純粋がゆえに
曲がったことを極端に嫌うフシがある。
自分はまっすぐな瞳で
世界を見られなくなったので
「まぁ〜そういうこともあるよな」
と隣で鼻ホジホジしてしまうくらいに
オオゴトにできなくなってしまった。
それが『大人になる』コトであり
『気になるコト』がなくなって
楽に生きられるようになるコトなのだろう。
子が小学時代に一度、
D「ぴ〜ちゃんも先生の味方なんだね!!」
と拗ねられたことがある。
やっべぇ....
己の我を出し過ぎちまったぜ...
と反省した。
それからは、
うんうん、と話は聞くが
ナニも言わない。
「そうかそうか、大変だったな」
...にとどめる。
文句祭りがあまりにもひどいトキに
『好き』と『嫌い』....
実は同じエネルギーなのだ
と話したことがある。
嫌い嫌いむかつくむかつく!!
と相手に焦点を合わせているのは
すきすきだぁ〜いすき♫
とエネルギー的には変わらない
だから、
焦点を合わせるな
意識するな
「無関心」になれ
と言ったものの
思春期男子には
全力で拒絶されたのだけども。
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彼には彼の道があり
自分にはナニもできないので
いい距離感で放っておいている。
いまでは、
毎日毎日、
陸上アスリートの話題が止まらない。
母、全く興味なし。
けれども、
この空間の平和のために聞いている。
自分のために無事に聞いている。
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庭で『ガビチョウ』が遊んでいた。
きゃわいい....
平和だ。
きょうは以上です。
ありがとうございました。

