前記事の夢のお話ですが、

 

ドリフトしながら

右カーブを曲がるのですが

 

滑ったまんま立て直せず

左側の建物に激突する!!

 

と身構えたのですが

 

「あ〜これ夢だからイイや...」

 

と力を抜いた

 

 

案の定、左ボディは

建物に激突したのですけど

 

バインっ♪バインっ♪バイぃ〜んっ♪

 

とコミカルに跳ね返された。

 

 

空気の入った

安全なビニール仕立ての建物

 

こどもの国にあるような

カラフルな建物

 

アメコミみたいな空間

 

いくらぶつかっても

空気のおかげで

安全に跳ね返される仕様

 

 

 

P「ほらね、夢だから...」

 

 

寝てみる夢の中で

 

「これは夢だ!」

 

と気づいているのに

 

 

助手席に座っている人のお話を

聞いている際には

 

「これは夢だ」

 

と気づいていないのです。

 

 

通常であれば、

 

 

「これは夢だ」

 

と気づいた瞬間

 

夢の中を自由に動けるようになるのだけれど

 

 

今回だけは

 

夢に気づいているのに

夢に気づいていない現象

 

という

 

摩訶不思議な

初めての体験をした次第。

 

 

だからなんだ?って話ですが

 

自分にとって

ちょっと貴重なデキゴトでした。

 

 

夢の中で夢に気づくことを

 

なんていうのでしたかね。

 

 

完全にド忘れしてしまいまして

過去記事も検索できない始末

 

 

 

寝起きに解読不能な

筆圧うっすい文字で書いた

 

助手席の人からの助言

 

 

『距離』を漢字で書くこともできず

 

「キョリ」と書いてあり

 

解読不能の文字多数であった。

 

▼▼▼

 

 

 

「友達がいない」でお馴染みの自分に

 

このような助言がくるとは

どういうことだろうか

 

 

 

「ヒトと付き合わなくてもイイのです」

 

「ヒトと会わなくてもイイのです」

 

「ヒトに近づかなくてもイイのです」

 

「ヒトと会わないことは

ヒトを避けていることではありません」

 

 

 

 

 

「誰かに会いたい」

「ひとりで寂しい」

 

という想いは1ミクロンもないし

 

1ヶ月以上

誰とも話さなくても平気

 

 

「子どもが巣立った後、

ひとりで寂しくないのか」

 

「孤独死は嫌でしょ?」

 

と言われたこともあったけれど、

 

自分の想いは変わらない。

 

 

 

強がり発言だと

受け取られがちだから

 

いままで

あまり大きな声で言えなかったけれど

 

いつシんでもイイし、

どんなに惨めであろうと

その辺で野垂れ死んでもイイ

 

 

 

 

「これ、夢だし....」

 

 

夢の中を

 

なるべくなら楽しく快適に暮らす

 

イヤなこと不快なことの方が

多くあるけれど

 

イチイチ感じておしまい

 

 

夢の中だからといって

 

適当にないがしろに生きるのではなく

 

選挙には行くし

真剣に親子をやっているし

 

怒り悲しみ憎しみといった

マイナス感情も存分に味わい

 

夕飯をなににするのか

本気で悩んでいたりする。

 

 

さて、どうすっかな

 

魚焼く....だな。

 

 

きょうは以上です

ありがとうございました。