今年のゴールデンウィークは

飛び石連休であった

 

 

連休後半中

学校から突然に

 

3学年の生徒集会が実施されるという

お知らせが急に当日くる。

 

保護者も可能な限り

生徒と一緒にお話を聞いていただきたい

とのこと

 

内容は

集会終了後にメールにて

保護者へ伝えるので

 

部活動や地元を離れている場合は

無理なさらぬように

とのことだった。

 

 

 

生徒たちの間では

クラスLINEや学年LINEなどで

 

「万博が中止になったんじゃね?」

「修学旅行先が変更になるんじゃね?」

 

というような

 呑気な憶測が飛び交っていたようだが

(修学旅行前のデキゴト)

 

自分は

ただならぬ最悪な事態が起きた

と感じた。

 

 

息子にも

集会の内容は

 

万博の件などではなく

大変なことが起こったに違いないので

気をしっかりもつよう伝え

 

地元を離れていた我々は

静かにメールを待つこととなった。

 

 

なぜだか自分は

メールが届く前から

 

なにが起きたのか察してしまっていて

 

息子に連休後半に入る直前、

 

ある生徒さんは学校に来ていたか

 

と尋ねていた。

 

自分の勘違いであって欲しい

という願い虚しく

 

届いたメール内容は

 

「これから辛い出来事を

お知らせしなければなりません」

 

とあり、

 

続けて

 

「3学年の生徒さんが

自らの選択により

お亡くなりになりました」

 

とのことだった。

 

 

個人名は書かれていなかった

 

 

書かれていないけど

「あの子だ」

 

と勝手に脳に浮かんできてしまう

 

 

時間差で

息子にもグループLINEで内容が

送られてきて

詳しい内容を知ることになった

 

 

 

D「やっぱりぴ〜ちゃんの

言う通りだった」

 

P「うん。ダイヤくん大丈夫?」

 

D「大丈夫」

 

P「いまは大丈夫かもしれないけど

こういうのは、後からくるから

無理しないよ。

湧き上がってくる感情を

無理に抑えつけないで

ぜんぶ出すんだよ」

 

D「わかった」

 

 

 

___

 

 

保育園から一緒だった子

 

親御さんとはお話しした記憶がなく

挨拶を交わす程度だった

 

 

小学校卒業式の日

 

赤ちゃんを抱っこしながら

参列されているお母さんが

 

自分の前の前の席にいらした。

 

__おや?再婚されたのかな

 

 

新しい旦那さまらしき方が

隣に着席されている

 

 

なんでそんなことを感じてしまうのか

自分で自分が嫌になったのだけれど

 

このトキから

非常に違和感を持ってしまっていたのだ。

 

 

保育園からずっと一緒だった子は

 

女の子である。

 

お母さんが新しいお父さんと再婚し

 

下に弟がふたりできたらしい。

 

そして、

 

中学入学を期に

彼女(Aちゃん)の名字はお父さん性に変わった。

 

 

小学校卒業式から自分は

 

「Aちゃんのことが気がかりだ」

 

と息子に告白していて

 

事あるごとに

「Aちゃんは元気か」

「なにか変わった様子はないか」

 

と尋ねていた次第。

 

 

 

カラダを脱いで

元の世界へ還った原因など

本人にしかわからないし

 

外野が勝手に後づけで

アレコレ言うのは愚の骨頂

 

 

ただ、

 

Aちゃんにはもう辛い想いは

なにひとつないし

完全にラクになって自由で

神と一体に溶けている

 

 

 

 

心配いらない

 

 

 

 

 

 

 

____

 

 

 

去年の年末あたりから

 

 

TL(タイムライン)になぜだか

 

『#自死遺族』『#死別』

 

のポストが頻繁に流れてきていた

 

 

自分の身近になにか起こるのか

 

それが我が子かもしれない

 

という覚悟を

ココロの片隅にそっと置いてみたり

していたのだった。

 

 

 

 

 

子を亡くすとは

筆舌に尽くしがたい苦悩であるだろう

 

寝ている時間以外地獄

 

 

一生癒えることは難しいかもしれないが

 

起きている時間の

ほんの一瞬のヒトトキだけでも

 

ラクになれる安寧の瞬間が

少しでも増えてゆくことを祈る

 

 

 

 

みなさま、決まって

 

あいたい

あいたい

あいたい

あいたい.....

 

守れなくて

ごめんねごめんねごめんね....

 

と悲痛な叫びをポストに綴られている

 

 

いま、

自分は子に会えている奇跡

 

子と一緒に居られる奇跡を

 

じっくり噛みしめよう

 

 

 

友達をなくした体験

 

 

親としての自信ゼロの自分

スーパー未熟な自分が

 

繊細な子のココロに寄り添えるのか

全く未知であるのだが

 

静かに見守っていこうと思う

 

 

この記事を書くのに

とても勇気がいったが

 

四十九日を過ぎ

いまなら書いてもよいと勝手に判断。

 

まとまりのない文章、

失礼いたしました

 

 

きょうは以上です

ありがとうございました。