昭和の人間は
イマドキの若者と違い
「自己肯定感が高くて羨ましい」
というようなポストを読んだ。
大して美人でもないのに
自分のビジュ(ビジュアル)を気にせず
自信満々なところが羨ましい
....みたいな感じ。
そんなトキに
知人の知人の娘さん(高校生)が
整形したいと親に告白してきたという
お話を聞いた。
精神まで病んでいる様子なので
親御さんも悩んでいるそう。
気持ちはとてもわかる
がしかし、
最近の「ルッキズム」に支配されまくっとる世界の
異常さよ....
自分のことを
「かわいい」と思っているから
現実に「かわいい」のか。
現実に「かわいい」から
自分のことを
「かわいい」と思えるのか。
自分のことが嫌いで
「否定」しまくっているから
他人から「否定」されるのか。
他人から「否定」されるから
自分のことが嫌いで
自分を「否定」してしまうのか。
思いが先か現実が先か
はじめに世界があって
あとから自分はその世界に生まれた
という勘違い。
その勘違いの世界であったなら
現実ありきの認識になってしまうだろう。
現実がこうだから
自分はこう思っているのだ、と。
自分が生まれから
世界が生まれた。
自分の中に世界がある。
よって、
自分のことを「かわいい」と決めると
世界も「かわいい」認定する。
自分の中に世界があるからだ。
※高校時代の同級生の実証例
▼▼▼
あまりにも自分のことが可哀想になって
今までの自分に対しての罵詈雑言を
ココロから詫び、
「わたしは生まれ変わる!!
わたしは美人だ!!」
と突然『決めた』のだそうだ。
その翌日に早速、
同級生(わたし)から
「生まれ変わった。可愛い」
と声をかけられたものだから、
Aさんは確信したという。
「自分のことは自分で決められる」
....と。
それからのAさんの変化は、
凄まじいものがあって、
見るたびにどんどん美しくなって
『Aさん=美人』
と誰もが認知していたように思う。
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この混沌とした
世知辛い世の中をみて
なにをどう「肯定」してゆけばよいのか
む、無理ではないか!!
問題は山積みで
不安な日々....
移民ではなく侵略なのに
これを肯定するのか!!
どこをどう「肯定」するんだよ!!
..となるのは当然。
外側を「肯定」するのは
スーパー!!困難な案件なので
矢印をぐるりと己に向け
ひたすら
自分を「肯定」していったらどうなるだろう。
イライラした自分を
それでよい、と肯定
殺意が湧いた自分を
それでよい、と肯定
優しくない自分、嫉妬する自分、
ココロの狭い自分、ズルい自分、
だらしない自分、ちゃんとしてない自分、
弱い自分、情けない自分.....
それでよい、それでイイではないか
大丈夫大丈夫大丈夫.....
これでよい
これでよし
これでイイ
外側を肯定するのは
果てしなく難しいが
自分をどこまでも肯定してゆく
すると、世界はどう変わるのか。
自分=世界
きょうは以上です
ありがとうございました。