3学期がスタートし
始業式の日に校長先生が
残りの3ヶ月について
「3年生は受験、卒業の準備、
2年生は3年生になる準備、
1年生は先輩になる準備を
しっかりやるように」... 的なお話を
されたという。
3年生も2年生も1年生も一度きりの人生
残りの3ヶ月を悔いなく過ごせるよう〜
ナンチャラカンチャラ〜〜〜
と言われた息子は、
D「ぜんぶ『人生一度きり』だよね?
って思うけどね」
P「そうそう。中学時代も高校時代も
『人生一度きり』
きょうの日、いまこの瞬間も
『人生一度きり』だから
一生『人生一度きり』だよ」
D「『今しかできない責任を〜』とか
言ってた」
P「そういうのは
社交辞令的な挨拶だから
流して聞いておけばいいよ」
若い時代は2度とないのだから
精一杯努力して頑張れ的なことを
校長先生に限らず
大人たちは子どもに語ってしまいがちだけれど
中年時代も老年時代も同様に
2度とない。
いつも2度はない。
つまり、
いまのこの瞬間、
一瞬一瞬、毎日毎日のことが
貴重で2度とない宝物であることに
気づきたい。
人生に目的をもって
一生懸命努力して頑張って生きることは
とても素敵なことだけれど
人間いつどうなるかわからないし
5秒先の未来に
ナニが起きてくるかもわからない。
叶うかどうかすらわからぬ目標をもち
未来に向かって生きるより
いまこの瞬間、いま...味わう。
我々は長きにわたり
未来に向かって生きるよう
「いま」をないがしろにし
「いま」を踏み台にして生きるように
仕向けられてきた。
その生き方をして
誰かしあわせになっただろうか
誰もしあわせになどなれないと
気づきはじめた現代人。
1秒先の未来さえわからないのに
「未来」を己の真ん中に据えて生きるので
不安と恐怖から逃れることができない。
未来とは、
不安、恐怖である
未来=不安、恐怖
つまり、
未来にしあわせは存在しない。
しあわせとは、
安心している状態(リラックス)
お金とか恋人とか健康は
安心するための手段に過ぎない。
▼▼▼
「人間は誰でも
不安や恐怖を克服して
安心を得るために生きる」
名声を手に入れたり
人を支配したり
金もうけするのも安心するためだ
結婚したり 友人をつくったりするのも
安心するためだ
人のために役立つだとか
愛と平和のためにだとか
すべて自分を
安心させるためだ
安心を求めることこそ
人間の目的だ
『安心』は得るものでも求めるものでもない。
『安心』は外側に探せば探すほど
それは遠のいてゆきます。
『安心』を求めるから見失う。
いま、ここ
不安や恐怖を克服して
安心を得るのなら
その克服しなければならない
『不安と恐怖』も
外側にあるのではない。
外側のせいで
『不安と恐怖』がやってくるのではない。
外側になく
己の中にあるのだから
なんとでもなるってこと。
準備することは悪いことではない。
「あんなに厳しい練習に耐えてきたのだから
本番は絶対にうまくいく!!」
と当日の本番の日に
安心して自信を持ってベストを尽くせる
人間は、
『安心するために行動する』
と知っておくといいかもしれない。
安心するために行動するので
己の不安や恐怖がどこにあるのか
すぐに気づけるだろう。
内側の平和
内側の平穏
内側の調和
内側ののどかさ
外側が平和に調ったら
やっと安心するのではなく
内側が先
内が調えば
勝手に自動的に
外も調う
己が先に笑えば
勝手に自動的に
鏡に映るものも笑う
内を調える
内を無事に落ち着ける
いま、この瞬間...
深呼吸
呼吸に集中してみる
いまここに
不安も恐怖も恐れも
入り込む余地なし
____
それにしても
息子が校長先生のお話を
よく聞いていたことに驚く。
「先生の話を聞かない」
と面談では言われ続けてきたけれど
聞いていることもある。
それでイイ
きょうは以上です。
ありがとうございました。