人の目(世間)が気になるのは
自我を持っている
すべての人間がそうであり
自我を持った瞬間、
『自と他』で分離するのだから
しょうがない。
それが自我の性質。
▼▼▼
自我を持たない赤ちゃんは
人の目、世間が気にならない。
というか、
赤ちゃんの世界には
『世間(人の目)』がない。
動物たちの世界にも
『世間』などない。
自我を持った人間だけの世界にある
『世間』
つまり...
『世間』というものに実体はなく
幽霊とか蜃気楼とか
ペーパーカンパニーだとか
傀儡政府とかニホンセイフ....
みたいなものである。
世間がある人の世界には
『世間』はあるし
ない人の世界にはない。
自我が作り出した世界。
脳内で。
イソップ物語の
『ロバ売りの親子』を
ご存知な方もいらっしゃるだろう。
ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売りに行くため、市場へ出かけた。
2人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が言う、
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。なるほどと思い、父親は息子をロバに乗せる。

しばらく行くと別の人がこれを見て、
「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」
と言うので、なるほどと、今度は父親がロバにまたがり、息子が引いて歩いた。
また別の者が見て、
「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。
いっしょにロバに乗ればいいだろう」
と言った。それはそうだと、2人でロバに乗って行く。

するとまた、
「2人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。

しかし、不自然な姿勢を嫌がったロバが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたロバは川に落ちて流されてしまい、
結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。
ヒトがなにをしようと
『世間』とは
否定、非難するものである。
その『世間』とは幻であり
実体がないのにも関わらず
多くの者たちが
『世間』の奴隷となっている。
オバケを気にすれば
みえる人にはみえるだろう
気にしていない者には
一切みえない
『世間』も同様。
人の目、世間の目を
100%気にせず生きるのは
困難かもしれないけれど
世間はオバケだったんだ
幻だったんだ
実体はなかったんだ
自分が気にしているから
『世間』があるのだ
と気づくことができるとイイ
>結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。
なにをしたって
文句を言われ非難されるのなら
自然の流れに任せ
思うがままに生きればイイ
「気にして」もイイのだけれど
あ...実体のないオバケだった
と気づくとイイ
寒くなりました
温かくしてゆっくりおやすみください
露天風呂でくつろいでるときのパンダさんが、思いのほか空いていたことに気を良くしてウキウキで妙な動きをしてる…🐼
— もふもふ動画 (@tyomateee2) February 26, 2022
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きょうは以上です
ありがとうございました。