前記事の「ネコさんの鋭い視点」から
 
改めて『死』について考える
 
 
 
初老の自分は
 
『死』に恐怖を感じなくなっている
 
 
 
『死』が怖いのは、
 
愛する者の『死』であり
自分の『死』ではない。
 
 
▼▼▼

 

死んだ本人は、

「死はない」とわかっているので

 

『死』が怖くない。

 

 

怖いのは、

愛するものの『死』。

遺されることの恐怖。

 

 

そして、

 

自分が『死ぬ』までの過程が怖い。

 

自分の『死』が怖いのではなく。

 

 

 

 

『死ぬ』のは怖いけど

『死』は怖くないんだよな〜

 

 

『死ぬ』までの過程は怖いけど

(プログラム発動するから)

 

『死』はないから怖くない。

 

 

『死』が怖いのは、

愛するものの『死』である。

 

遺されることの恐怖である。

 

 

 

 

 

人間は、なぜ?

「死」を恐れるのか、

このときわかったような気がいたします。

 

 

 

これは確実に!!

人間には、

「死」を恐れるプログラムが

搭載されている。

 

宇宙の神様が人間(神)をつくったときに

あらかじめ

「死=恐怖」プログラムを

組み込んでいるんです。

 

 

 

 

 

『死』の恐怖がなくなると

 

この世界を深刻に生きられなくなる

 

 

この世で起きている

さまざまな問題について

関心がないわけではなく

 

真剣に考えることはあるけれど

深刻になってココロを病むことはない。

 

 

 

 

 

地球最強の闇....

 

それは、『恐れ』

 

死の恐怖

 

 

死の恐怖は

自我の恐怖である

 

 

 

寝てみる夢の世界から目覚めて

 

布団から起き上がったこの世界

 

 

布団から起き上がった

この現実と呼ばれている世界から

 

目醒める

 

 

コレがいわゆる『死』と呼ばれるモノ

 

自我の死

 

 

寝てみる夢の世界から

目覚めるのが怖くないように

 

この世界から目醒めるのも

実は誠に怖くないのだが、

 

自我さんが必死に抵抗している。

 

 

抵抗しているから怖い

 

受け入れて認めてしまえば

恐怖は消える

 

 

未知の世界は誰でも怖い

 

それでも

 

カラダを脱ぐ瞬間は

誰にでもやってくる

 

 

我々ができることは、

 

たったひとつ

 

 

いま、生きる....以上

 

 

____

 

 

 

なぜ?怖いのか

 

人それぞれの理由があると思うが

 

己自身の『恐れの正体』を識るとイイ

 

 

正体を見抜けば恐怖も和らぐ

 

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馬さんの盛り上がり方好き

 

 

 

 

 

 

きょうは以上です

ありがとうございました。