過去記事でも何度か

 

パラレル移動した件を書いている

 

いまとなっては

普通に起きているので

 

ナニも驚くことでもなく

普通の日常なのだが

 

最近頻繁に

息子から指摘されることが増えた。

 

 

D「ぴ〜ちゃん、

それ夢でみたんじゃない?

 

という風に

 

自分に起きていることと

息子に起きていることに

 

ズレが生じていることがある。

 

 

例えば、

 

息子が中学入学したころ

 

鉛筆からシャーペン使用に変わり

 

息子から

「『ペン回し』教えて」と言われたので

 

やってみせた

 

息子は

 

D「同じ左利きだから

わかりやす〜〜い♪」

 

とかなんとか言って練習していた記憶

 

P「すぐできるようになるよ〜〜」

と声をかけた数日後かに

 

軽快にペン回しをしている息子がいて

 

若い子ってなんでも飲み込みが早いな〜

 

と思っていたのだ。

 

 

先日、

 

息子から

 

「ペン回し教えて」と言われる

 

 

え?

 

ペン回し...完璧にできますよね?

 

なんなら3回転とかやっていましたよ?

 

 

P「ペン回し、前に教えたよね?」

 

D「教わってないよ」

 

P「上手にできてたよ」

 

D「できないよ...ほら〜〜♪」

 

 

 

.......できていなかった

 

おかしい

 

スーパーおかしい

 

 

D「ぴ〜ちゃん、またパラレったね」

 

と言われてしまう始末

 

 

自分としては

2度目なのだが

息子にペン回しを教えて

 

「左利きだからわかりやすい」

って言われて

 

翌日に

完璧にペン回ししている息子がいた

 

 

ブログの中でもこの世界は、

 

過去→現在→未来

 

という流れではないことを書いているが

 

どうやら

 

「未来」と呼ばれている瞬間に

パラレっていた模様

 

いまこの瞬間に

すべて(過去も未来も)が在る証左

 

 

P「ペン回し、3回転やっていたから

すぐに3回転できるようになるよ」

 

D「うん...もう2回転できる♪」

 

 

▼▼▼

 

 

 

パラレル案件は

数知れず体験しているのだが

 

 

いま、思い出せるのは

その『ペン回し』と

 

知人の親御さんの訃報

 

 

 

確か過去記事に

したためた記憶があるけれど

 

お父様を亡くされて

数週間後に

お母様を亡くされた知人

 

 

はじめ、

 

お父様の訃報を受けたトキ

 

「おや?」と思った

 

自分としては

もう既にご訃報を受けていたからだ

 

 

あれれ?

 

また夢でみたことを

現実だと勘違いしてやがる

 

いままで以上に

夢と現実の境目が曖昧すぎる

 

と気にもとめずに暮らしていたら

 

数週間後に

お母様の訃報を受けた

 

御察しの通り、

自分としては2回目のご訃報

 

 

こんなことが続くと

自分の記憶って誠にいい加減で

時系列もバラバラなので

 

 

子どもにエラそーに

 

「この前言ったよね?

なんでやってないの?」

 

的な叱咤も

 

言うに憚られる事態となる。

 

 

D「そんなこと言われていないよ。

ぴ〜ちゃんまた夢みたの?

またパラレったの?」

 

と返されるに違いないから。

 

 

 

自分と同じような経験をされている方も

いらっしゃるだろう

 

 

はじめはドびっくりするけれど

すぐに慣れる

 

 

お釈迦さまも語っておられるように

 

この世界は夢だし

すべては幻だってこと

 

だから、

 

「そうか......」

「そうなのか...」

 

と受け容れて流しておしまい

 

 

 

さいごに

 

『般若心経』のロックバージョンをどうぞ

 

 

 

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。

もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ

安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。

苦を楽に変える事だって出来る。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある。

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。

それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。

辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、

苦しんで生きる必要なんてねえよ。

愉しんで生きる菩薩になれよ。

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな、

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、

ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、

細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

 

 

 

 

 

きょうは以上です

ありがとうございました。