知り合いの旦那さまが

 

「自分が辞めたら会社が潰れる」

 

と言い、

 

それを聞かされるたびに

「自己の過大評価甚だしい」

と思う妻。

 

 

毎日お疲れさま

 

と労ったが

 

旦那さまは本気で真剣にマジで

そう信じているのだろうか。

 

 

 

重要な立場である社員であっても

ひとり辞めたとて

 

会社は回るし

凹んだスペースは、

うまい具合に自然と埋まる(凸)

 

そもそも、

会社経営は社長の仕事で

社員の仕事でないし、

 

会社が潰れるのは社長の責任

と言ってもいいが

 

自然の流れなので

誰の責任でもないと言ってもいい。

 

 

 

記事を書きながら思い出したが

 

そういえば、

 

大昔の知人(男性)にも同じようなことを

宣っている方がいらっしゃった。

 

自分が辞めたら会社(部署)が困るので

定年後、

残された社員たちの狼狽っぷりを想像して

「ざまぁ〜みろ」とあざ笑っていた記憶。

 

 

上記の奥さま同様、

 

自分も

 

「勘違いが過ぎる」と思っていた。

 

 

 

 

とっても優秀で能力があることを

否定しないけれど、

 

自分は成功しているけれど

周りは使いものにならず低劣だと

 

解釈しているその思考...

 

そうとしか己の世界が観えない

特殊なメガネをかけているのは、

 

とてつもなく不幸かと思った。

 

 

 

ちょうど息子と

 

『しあわせなヒト』ってどんなヒト?

 

という話題で話していて、

 

 

お互い

 

『気づいているヒト』

 

....で一致した次第。

 

 

己のしあわせに気づいている

 

恵まれていることに気づいている

 

自分にとって大切なものに

気づいている

 

ナニが必要で必要でないか

気づいている

 

 

「おかず」をいっぱい集めても

しあわせになれないと気づいている

数字を追いかけてもしあわせになれない

※おかずとは、

学歴、職業、肩書き

財産、地位、名誉ナドナド

 

 

『いま』に

不幸も敵も恐れも恐怖も

存在していないと気づいているヒト

 

 

『いま』この瞬間に

誰でもしあわせになれると

気づいているヒト

 

 

 

『気づく』には、

 

ヒトそれぞれの【縁】であるけれど

 

ひとつの方法として、

 

抱えすぎている荷物を

ひとつひとつ手放してゆくと

 

大切なものが視えてくることはある。

 

大切なものを奥に仕舞い込んで

忘れてしまっているかもしれない。

 

 

幸せとは瞬間瞬間に感じるもの

 

 

▼▼▼

 

幸せとは瞬間瞬間であり、

 

『幸せ』という瞬間以外は

 

幸せにあらず

『不幸』である。

 

 

幸せではないことが『不幸』であり

 

みな「幸せになりたい!!」と生きているので

 

みな一定に『不幸』だな

 

....と思った次第。

 

 

 

 

 

6月に入りましたか....

 

そうでしたか

 

 

きょうは以上です

ありがとうございました。