前記事の続きみたいになりますが

 

お別れ報告をしてきた知人から

 

「ぴ〜ちゃんが独りでいるなんて

意味がわからない」

 

と言われる。

 

 

自分としては、

なるべくしてなったことで

 

自然の流れで

至極当然のことであるが

 

息子を生む前の過去を

ご存知な方からしたら

 

意味不明のチンプンカンプン案件らしい。

 

 

お酒をヤメたことと

いまだに

恋人というかパートナー不在

 

ということに

 

のけぞる勢いで驚かれ

興奮気味に理由を尋ねられる。

 

 

驚愕されることに

流石に慣れたので

 

答えは決まっていて

 

 

「一生分、十分に愉しんだので」

 

 

....と答えている。

 

 

恋愛もお酒も

お腹いっぱいに体験した

 

もう十分満足しているので

 

他の体験がしたいのだと思う。

 

 

ゲームに飽きてしまった

 

ということもあるのだが。

 

 

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『恋愛』って

 

バラバラになったパズルピースを

ひとつひとつ取り戻して

 

元のまんまるに戻るための

地球人間ゲームだった。

 

 

コレから.....

 

 

 

 

コレ。

 

 

 

 

 

自分は完璧ではない。

なにかが足りない。

 

と思い込んでいるから

 

その溝(孤独感、不足感ナド)を

恋人に埋めてもらおうと

していたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

パズルのピースは、

他者にはめてもらうことなどできない。

 

自分にしかハメることができない

 

ということに気づいてしまった

ということかな。

 

 

 

 

 

親子、恋人、夫婦などなど

 

人間関係とは、己の鏡なので

 

自分を丸ごと肯定するために

『気になるところ』を

ひとつひとつ映し出してくれる。

 

 

寝癖はないか、

肌は荒れていないか

目やには取れているか

 

などなど、

チェックするために

 

鏡という他者をみて

己の姿勢を正す。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

___

 

 

知人はまだまだ

地球人間ゲームを楽しみたいらしいので

 

存分に愉しんでもらいたい。

 

 

 

世界があって自分がいるのではない。

 

自分がいるから世界がある。

 

自分がいなければこの世界もない。

 

自分がいるから

世界のすべてが存在しているのだ。

 

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。