10年ぐらい前のこと
いまのように
添加物を気にしてお買い物をしていると
『神経質でめんどくさい人』
と捉えられがちな時代。
当時、
ミニマリストな知人に
こう質問された。
「なんで?そんなに面倒臭いことするの?」
...と。
P「余計なモンを
カラダに入れたくないだけです」
と答えたと記憶している。
こちらからも質問する。
P「ミニマリストは、
余計なものを持たない
....ということですよね?
なのに、カラダに余計なものを入れても
気にならないのですか?」
ミニマリスト知人
「気にならないよ」と即答。
このトキの衝撃ったらなかった。
ミニマリストの矛盾
当時はこの世のしくみを
深く追求していなかったので
ひとりで孤独にぐるぐる
プチ哲(プチ哲学)ってた記憶。
この二元世界では
矛盾だらけが当たり前なので
「そうなのか〜」
と流せばよいものを
余計なものを限りなく手放すのに
カラダには余計なモンを入れまくるのか!!!
外側(物資)はスッキリ暮らしだが
内側は
ごちゃごちゃのお祭りわっしょいではないか!!!
と
ミニマリストの矛盾に
無事に悶え苦しんだ次第。
そんなミニマー知人と
56チンの話題になったことを思い出した。
去年のことだったと思う。
知人は4回ほど入れていて
如何に液入れしてよかったか、
567に罹ったけれど液入れのおかげで
軽くすんだことなどを
饒舌に語っているのだけれど
重い副反応や友人たちの体調不良を
目の当たりにし
「もしかして?」
という想いも見え隠れしていた。
SNS上でも
56チン後遺症を断じて認めない
ポストを見かけるたびに
『正常性バイアス』という
バイアスがド派手にかかっていると
感じざるを得なかった。
ではなぜ?
正常性バイアスがかかってしまうのだろう
『投資』だ......
自分はそれに
どれだけ投資してきたか
時間もお金もカラダも
知識もエネルギーも
たくさん投資してきたので
それが無駄であったと認めることができない
意味がなかったと思いたくない。
自分の大切なカラダを投資したのだ
無駄なわけがない
毒なわけがあるはずもない
長年連れ添った夫婦の離婚が
とてつもないパワーが必要なのは
そこに莫大な投資をしてきたからだろう。
時間もお金も若さもなにもかも。
ミニマリストとは
不要なものは持たず
必要最低限のものでスッキリ暮らす人
....だそうだ。
スーパー憧れていたのだが
夢破れた次第。
いまは、
そこそこスッキリでイイ
それよりも
内側である内面的なスッキリを
意識したい
闇出し大事。
無事に大事。
今日は以上です。
ありがとうございました。





