遠い遥か昔、

 

自分がド若い乙女ちゃん時代に

あるおじ様に

こんなことを教えてもらったことがある。

 

 

『テレビも本も何もかも!

フィクションのものは見なくなったね~~。

年取ると、

本当のことしか興味なくなるんだよ。

ノンフィクションがいいんだよ』

 

と。
 

 

強くココロに残っていたらしく

過去記事でもふれている。

 

▼▼▼

 

 

 

リブログ記事を書いた頃にはもう

 

実際に起こった

『ノンフィクション』

実話の方に興味があったのだが、

 

 

いまとなっては、

 

『ノンフィクション』と言われる

この実際にあると錯覚している

現世(うつしよ)でさえも

 

『ドラマ』の中だと気づいたら

 

なんというか、

一気に興味が薄れてしまった瞬間があった。

 

 

やばい...

 

自分はこの先どうやって

この世界を生きてゆけばよいのか

 

 

とちょっとだけゾワっとした記憶。

 

 

 

 

 

善と悪

優と劣

右左、正邪、上下....

 

自分と他人

 

というように、

 

『自分(私)』が顕れている世界は

2元世界であり

 

すべて【ドラマ】の中なので

 

思いっきり引いた目線になると

 

完全なる『フィクション』の世界

(架空である夢の世界)

 

 

 

年取ると、

本当のことしか興味なくなるんだよ。

ノンフィクションがいいんだよ』

 

 

ノンフィクション....

事実に基づいた物語

 

 

 

実際にあると思われた現実は

ノンフィクションどころか

架空も架空...

幻想の夢の中だった。

 

 

夢の中である現実世界の

 

『歴史』は当たり前のように嘘ばかりで

医療も食も経済も何もかも嘘だった。

 

フィクションの極み世界。

 

 

________

 

 

 

先日、

 

久しぶりにある小説本を手に取った。

 

.....おかしい

 

まったく頭に入ってこない

 

 

上記のおじ様のセリフが蘇る

 

 

「小説は一切読まなくなったね〜〜

作り話には興味がなくなったね〜〜」

 

 

読めることはできるのだが

物語の中に入り込めない。

 

没入することができない。

 

ただ、

この瞬間がそうだった可能性もあるのだが。

 

 

だから自分は

 

フィクション中のフィクション

フィクションに振り切った

 

マンガやアニメが好きなのだと思う。

 

 

実際にありえない架空ものだと

わかっているからこそ

 

没入できる

没頭できる。

 

 

その瞬間、

 

「我を忘れている」

 

つまり、

 

『我』が消えている

 

 

「自分(私)」が消えているので

 

2元世界から1元世界へ

 

 

 

 

その瞬間こそがホンモノであり

 

事実というそれ以上の実相

 

▼▼▼

 

『いま』

 

いまに在る。

 

いまに集中し、

いまに没頭し、

いまに夢中になっているとき

 

我々は、

実家(宇宙)に帰っている。

 

 

つまり、

 

宇宙と調和している瞬間である。

 

 

 

 

 

 

究極の集中状態..

極限の集中を

 

『ゾーンに入る』と言われているが

 

あれがまさに

 

「我」が消えていて

そのものと一体になっている(一元)

 

禅では『三昧』といわれている。

 

 

小学生時代に2回

中学高校と1回づつ

 

「ゾーンに入る」を経験し

いまだにリアル鮮明に覚えている。

 

 

ほんとうのところ我々は

 

赤ちゃん時代は毎瞬、

ゾーンの中だし

 

子どもの頃も

ゾーンから出ないし

 

いまでも気づいていないだけで

しょっちゅう

究極の集中状態はやってきている。

 

そのトキの「いま」が

ほんとうの世界

 

 

年取ると、

本当のことしか興味なくなるんだよ。

 

 

 

まさにそう!!!

 

ほんとうのことしか

興味がなくなる。

 

 

 

だから自分は

 

ほんとうの世界に入る(?)ために

(言い方が難しい)

 

 

究極のフィクションである

架空まみれのマンガやアニメに

没頭することにしよう。

 

現実逃避のために

千切りとかみじん切りに没頭し

米粉混ぜて焼き上がりに

ニマニマするとしよう。

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。