「ぴ〜ちゃんて

話しが合う人、誰もいないでしょ?」

 

突然知人から言われ〜〜る。

 

 

知「コロナ禍で誰とも話し合わず

どうしてたの??孤独じゃないの?」

 

P「567に限らず、

生まれてから今までずっと孤独だし

孤独だけれど寂しくないから大丈夫」

 

 

と答えると、

 

ものすっごくヒカレましたけども。

 

 

 

 

▼▼▼

 

ひとりぼっちは、

この世にひとりも存在しないけれど

自分のことをひとりぼっちだと思い込んでいるヒトは

この世にたくさんいる。

 

 

今は、はっきりとわかります。

 

【ひとりぼっち】

だと感じてしまうときは、

ズレているときだ、ということを。

 

 

本来の自分(神、宇宙)からズレている。

 

 

あるがままの自分ではなく、

何かを演じているとき。

我慢しているとき。

 

 

繋がっていさえすれば、

 

物理的にひとりだとしても

「自分はひとりぼっちだ。」と

孤独を感じないと思います。

 

 

 

____

 

 

 

先日、

知人との会話で(上記の方とは別)

 

知人が

「この前テレビでみたんだけど....」

 

と話していて

 

当然、あなたもそのテレビみたよね?

ありきの会話だったので、

 

ちょいちょい

「それ観ていません」

「知りません」

とそっと呟きながら

相槌を打っていたのだけれど

 

こちら側が

そのテレビを観ているかどうかなんて

あまり関係ないと感じたので

 

途中からスルーして、

己に集中していた次第(呼吸)

 

 

大変失礼なことは承知なのだが

 

話の内容に全く興味が湧かないし

そそられもしない。

 

 

よって、

 

葉っぱが風に揺られているのを

ボー〜っと眺めるように

 

その場で呼吸を意識しながら

瞑想的に佇む。

 

それしか、

現場を乗り切る方法が自分にはない。

 

 

 

 

「孤独じゃないの?」

と聞いてきた知人は、

 

客商売をやられているのですが

 

春からお子様を保育園に預けるママさんや

新一年生になるお子様のママさんから

心配事の相談をよ〜く受けるのだそう。

 

 

知「ママ友とかの人付き合い、

ちゃんとできてるの?」

 

P「できていない」

 

知「でしょうね」

 

P「ママ友ひとりもいない」

 

知「wwwwww」

 

 

 

「ママ業界」を

早々に離脱してしまった自分なので

 

「ママさん」方との会話はなく

街で会ったら挨拶するくらい。

 

 

子が中学生になったので

「ママさん」としての心配ゴトは

 

お勉強のこと?性のこと?

思春期のイロイロや進路のことなど

さまざまあるのかもしれないが

 

自分としてはナニもない。

 

 

『心配ゴト』がないので

はじめから

会話が成り立たないのであった。

 

 

▼▼▼

 

 

 

_______

 

 

「話が合う人」ってどんな感じなのでしょうか。

 

 

話していて楽しい人、

 

ということなのかな。

 

 

 

自分も息子と同様、

 

喋るより

テレパシーで通じてくれればイイのに

 

とよく思う。

 

 

「言葉」みたいに

それぞれの観念を通さず

 

「エネルギー」とか「色」で

ダイレクトに伝わればイイのにな、

と思う。

 

 

伝わるヒトには届いていると思うが。

 

 

 

「話が合う人が誰もいない」

 

と思われている方々は

大勢いらっしゃることだろう。

 

 

それで孤独を感じるのならば、

 

ものすごいチャンスで

己の中に深く潜って欲しいと思う。

 

 

「孤独」などなかった

 

とわかるから。

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。