X(twitter)のある投稿に

 

「旦那と会話しても

いつも否定してくるので

もう一言も喋りたくない」

 

というようなつぶやきを読んだ。

 

 

 

 

「男ってなんでもかんでも

反論することが賢いと思っている」

 

「高学歴ほど多い」

 

「相手を認めると負けと思っている」

 

「うちの旦那のことかと思った」

 

というような、

 

共感の嵐であったリプ欄。

 

 

 

自分の知人にも

高学歴高収入でそこそこの地位の方が

いらっしゃるが、

 

他人との会話を聞いていると

会話の入りがすべて『否定』

 

必ずお決まりで

『否定』から入る。

 

エネルギーがチクチクしている。

 

 

「それは違う」

「は?ナニ考えてんの?」

「根拠は?」ナドナド

 

 

この世は夢で

たわいもない世界。

 

真剣に議論しようが

価値ある発言

価値のない発言、

というような境目はなく

 

すべては『たわごと』なのである。

 

 

お偉い方の教えだろうと

覚者の智慧だろうと

 

一定して『たわごと』なのだ

 

と言ったら怒られそうだが

そうなのだ。

 

すべてが『たわごと』であるなら

 

真剣に受け取って傷つかなくてもイイし

 

真剣に受け取りたかったら

ココロにとどめておけばイイ。

 

『たわごと』を

どう受け取って

どう意味づけするかは

己次第。

 

___

 

 

 

夫婦の日常会話で

いちいち否定されていたら

 

一言も喋りたくなるのもうなづける。

 

 

妻「今日、寒いね〜」

夫「は?2月なんだから寒くて当然だろ」

 

妻「これ、美味しい!!」

夫「そうか?〇〇で食べたやつの方が旨い」

 

妻「今日調子悪いから早めに寝るね」

夫「え?俺のメシは?」

 

 

 

『そうだね』と

共感したらシヌシヌ団の団員夫。

 

『そうだね』と同意すると

シヌシヌ病に冒されている夫。

 

 

 

 

▼▼▼

 

人生の師が教えてくれたように

日常の会話なんて、

 

たわいもなく、雲のように

ただ流れてゆくものなのだから、

 

 

深刻にならずに

「そうだよね」

反論せずに同意しているのが

幸せなのだなと改めて思ったのでした。

 

否定はいらない、と。

 

 

 

上記のリブログ記事にあるように

 

自分は異性に対して

 

『モテる、モテない』

という判断基準を

強く握りしめているフシがあるので

 

否定から入る知人を

当然のように

『モテない』判定しておる模様。

 

知人が自分と話すトキに

彼の『否定』が全く気にならないのは、

 

「このひとモテない」判定と、

同意すると

真剣にシんじゃうと思っている知人が

憐れに思えて仕方がないから。

 

「憐れ」と表現すると

なんだか自分ごときがエラソーーであるが

 

上から目線とは全く違う目線で

視えてしまって

ココロの底から

 

「シヌシヌ病、お大事に」

 

と思っている。

 

 

もうすぐ還暦らしく

一生ひとりで生きてゆく

と覚悟されているという。

 

 

「イイですね。

一生ひとりの人生も素敵ですね。

この先のことはわかりませんから

何よりも健康で

おカラダ大事にお過ごしください」

 

と返事した記憶。

 

 

「否定はいらない」

「全肯定実験だ」

 

と息巻いてブログに書いていたのは

いつの頃だったか。

 

 

ここに書いていることも

すべては「たわごと」「戯言」であるが

 

自分の世界から

「否定」はいらない

 

という気持ちは変わっておらず

 

自分の意見や気持ちと

異なったことを言われても

 

「そうか...」

「そうなのか」

「そう思ったのか」

 

と受け容れ認めて生きたい。

 

「そういう意見もあるのか〜」

 

オモシロがって逝きたい

 

 

深刻にならなくてイイ。

 

だって夢だし。

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。