前記事の『骨』のリブログ記事を

辿っていましたら、

 

すっかり忘れ去っていた

過去のバイク事故のことを思い出しました。

 

ちょろっと書いていましたけれど、

相当の大事故だったのに

自分は手のひらに擦り傷を負っただけだった。

 

___

 

 

スーパー!ド若いころ、

400ccバイクで夜、

せっま〜い農道的な道を

かっ飛ばしておりました。

 

 

 

 

目の前から幅ギリギリの

ダンプだかトラックだかが走ってきて

 

あわや正面衝突か!!

....な場面。

 

完全に終わった瞬間。

 

 

次に気づいたトキは、

自分は両サイドにある

田んぼにダイブしており、

 

バイクはダンプの腹の下で

ド派手に大破しておりました。

 

バイクのハンドルを

掴んで離さなかったら

 

自分も腹の下で

大破していた可能性ありで

 

 

現場の惨状から

バイクの運転手は即死だろうと

誰もが疑わなかったらしいのに

 

結果は

ちーちゃい擦り傷程度で済んだ次第。

 

 

咄嗟にバイクを捨て去り

田んぼにダイブした....

 

結果、無事に生還。

 

 

 

この流れ、

 

『自分がやっていない』

 

ということなのです。

 

自分で考え自分の意思で

やっていない。

 

 

完全に

 

『カラダが勝手に動いた』

 

...のです。

 

 

記憶にあるのは、

 

目の前からくる巨大な物体(ダンプ)

の脇をすり抜けることは

不可能と判断し、

 

「やべぇ....おわった...」

 

と思って(諦めて)から

記憶が飛んで

 

気がついたら

田んぼに転がっていた。

 

 

現場の惨状からは

100%有り得ない無傷具合に

 

「ご先祖さまが護ってくれたんだよ」

「神さまのご加護だよ」

 

としばらく言われ続けることになる。

 

 

 

大事故に限らず

そのような経験をされた方も多いと思う。

 

 

所謂「キセキ」と呼ばれるもので

 

神に護られた

ご先祖さまに護ってもらった

 

...ということは、

 

 

『自分がやっているのではない』

 

 

神やご先祖さまのご加護である

とするもイイが、

 

全体の流れでソレが起きた

 

ということ。

 

すべては自然現象であり

そういう流れでただソレが起きた。

 

 

 

混沌とした大混乱期であるこの世。

 

この混乱を

どうやって乗り越えればよいのか。

 

先が見えぬ不安不安不安。

 

 

人間だけが不安恐怖でいっぱいである。

 

 

どうして人間さまだけが

不安恐怖まみれかというと、

 

 

 

『自分が!!!自分が!!!』

 

....の【自分教】信者であるから。

 

 

自分が!!しっかりしなければ!!

自分が!!自分を護らなければ!!

自分が!!家族を護って

自分が!!正しい道に導かなくては!!

 

自分が自分が自分が自分が....

 

 

【自分教】は苦しい。

 

自分がこの先も

これからもずっと

間違いを犯さずに

正しく生きていかなければならない

 

自分のことは自分で

護らなければならない

 

という教え。

 

 

これは苦しい。

スーパー苦しい。

 

 

 

ぜんぶ

 

「自分でやっている」

という勘違いに気づくこと。

 

 

 

[ぜんぶ自分でやっているじゃないか!!]

 

と強く思ってもイイけれど、

 

 

この先の未来に

不安を覚えたなら

 

まずは、

 

「未来の自分」に任せることから

はじめてみてはどうだろう。

 

 

災害が起きたらどうしよう

2025年問題が不安だ..

 

と襲ってきたら、

 

「そのトキの自分が

なんとかするから

そのトキの自分に任せよう」

 

「そのトキのカラダが

勝手に動くから

カラダに任せよう」

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

『自分がしっかりしなければ!!』

 

と固く握り締めた手を

 

バイクのハンドルを離すように

 

ゆるく開いて

掴んでいるものから手を離す

 

 

あとは自然の流れに任せて

 

ふわっふわなお布団にダイブするように

 

悩みの案件から手を引く。

 

 

自分が手を下さなくとも

世界は勝手に動く。

 

 

 

 

 

 

 

穏やかな週末をお過ごしくださいませ。

 

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。