567騒動で

 

『気づいた』人は多い。

 

 

我々は、

 

ナニかが起きないと

『気づけ』ないのかもしれない。

 

 

病気やケガ

身近な人の死

有名人の死

地震、火災、台風などの災害

 

身を以て体験して

はじめて『気づく』

 

 

 

つまり、

 

『気づく』までは

 

「気づかせよう案件」が起きる。

 

 

 

 

『気づく』ことに

遅い早いは無く

 

「縁」があるかないかだと

過去記事に書いた。

 

 

「縁」は必ず巡ってくるので

周りが必死に一生懸命に

気づかせようとせずによい。

 

 

  ひとりひとりの「縁」に任せるがイイ。

 

 

▼▼▼

 

 

ロシアの件にしても

真逆の認識を持っている方とは

チャンネル(周波数)が異なるので

 

話が全く噛み合わず

何度か怒られたので

口を噤むに徹してきた。

(ブログでは言う)

 

 

▼▼▼

 

 

 

そもそも、

 

この世界が

 

「寝てみる夢」の世界と同じ

 

と伝えても

 

「はぁ〜〜??」

と返ってくるのは承知なので

 

 

もっと楽に....

真剣にならないで

もっと楽にもっと楽に深呼吸して

ゆっくりイキましょう......

仲良くしましょう

 

と念を込めている次第。

 

 

 

自分の身に起こるコト

 

すべて

 

「気づかせ案件」です。

 

 

「起きてきたデキゴト」を

 

掴んで...

 

これはナニを気づかせるためか?

 

と考える必要はなく、

 

 

全体の流れでそれがヨシとされて

「起きている」と気づくこと。

 

神がやっている

宇宙がやっている

 

....と気づけること。

 

 

これは善いコト

これは悪いコト

 

..... と判断する意味はなかった

 

気づくこと。

 

そもそも我々に

善い悪いを判定する能力などない、

 

気づく

 

 

▼▼▼

 

 

いま、気づかずにいても

 

ただ忘れているだけなので

 

ナニカのキッカケで必ず思い出す。

 

 

「気づかせ案件(キッカケ)」は

 

そこら中に転がっている。

 

 

健康問題、家族問題、

人間関係、恋愛、仕事...などなど

 

 

でも本当は、

 

そんなキッカケがなくても

 

空を見上げる

風を感じる

鳥や虫の声に耳をすます

空気のニオイを嗅ぐ

己の鼓動を感じる

 

自然と一体。

 

 

『気づく』

 

 

ネコになるのがイイ。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。