「AとBどちらでも構わない」
と書いたとて、
改憲に賛成とはならない。
「AとBどちらが勝ってもイイ」
と書いたとて、
闇政府が勝ってもイイ
と思っているのではない。
前回書いたのは、
八百長プロレスに気づく
ということ。
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それに乗っかって、
「A頑張れーー!!
B消えろーーーーー!!」
と会場で盛り上がるもイイが
AもBも胴元は同じなので
Aを応援しようが
Bを応援しようが
どちらも一緒だということ。
つまり、
プロレス会場に行かない。
プロレス会場で応援しない。
舞台に上がらない
ということ。
まさに3年前の「きょう」に
投稿した記事。
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ここで話している
「舞台」と
プロレス「会場」は
意味が異なる。
舞台の観客と会場の観客の違い..
「舞台」の中に
プロレス「会場」があるのだが、
伝わるだろうか。
プロレス会場での『観客』は、
舞台に上がったままの位置だよ
ということ。
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どちらでもイイ
どちらが勝ってもイイ
ということの
真の意味はどこまで伝わるのか。
世界大戦になってもイイ
ワク強制になってもイイ
....とは思っておらず
舞台上では、
ワク強制になっても従わない
戦争にも従わない。
不服従。
「カラダ」があり
自我のある世界(舞台上)では、
できる限り全力抵抗する所存。
がしかし、
意識の中では、
ただそれを視ている、
ということ。
(舞台から降りる)
舞台上であるこの世.....
舞台の上は2元性の世界
支配者層は必ず2つの軸を立て
八百長プロレスをやっていることに
気づくだけでもイイ。
どちらに転ぼうが
胴元(支配者層)には関係ない。
プロレスが盛り上がればそれでよし
としている。
我々は、
プロレスを盛り上げなければよい。
ヴィーガンvs肉食...で
プロレスが始まっても
どちらを応援するでもなく
ただただ....
「自分はどうしたいのか」
に集中し、
いま、食べたいものを
美味しくいただくがイイ。
いま、この瞬間、
自分と違う側を否定し攻撃する隙はない。
「否定し攻撃する思い」がやってきても
それを否定せずに
受け容れ認めてやる。(闇出し)
相手側を否定し攻撃したくなるのは、
己にやってきた『マイナス』を
否定しフタをして閉じ込めているからである。
だから、
闇タンクから出す出す出す。
我が国、日本だけではないが
世界全体が『緊張』で
カッチコチになっている。
だから、ひとりひとり
気づいた瞬間に
「ゆるもう」
猫になろう。
今日は以上です。
ありがとうございました。