マンションのエントランスで

小学生の子どもたちが数名屯っていて

 

 

「じゃ〜お前は50m何秒なんだよー」

 

と話しているのが聞こえた。

 

 

『50m走、何秒?』

 

な、な、懐かしい。

 

 

子どものころ、よく聞かれた質問。

 

ちなみに自分は

7秒2

自分にとって

過去の栄光なのだろう。

なぜだか忘れていない。

 

 

 

 

息子にそのことを話すと、

 

 

D「ダイヤくん、6秒だよ」

 

と答えた。

 

 

P「6秒!!...6秒ナニ?」

 

D「6秒ナニってナニ?」

 

P「6秒なん秒?」

 

D「6秒は6秒だよ」

 

P「6秒コンマ何秒?」

 

D「コンマってナニ?」

 

P「6テン何秒?ってこと

コンマ何秒が重要なんだよ」

 

D「6秒しか覚えてない」

 

 

 

「6秒2」と「6秒8」

 

同じ6秒台でもド偉く違う

 

と説明したのだが

息子には意味不明だった模様。

 

 

_____

 

 

同じ学年に

都内で3位だか5位だかの

とんでもなく速い同級生がいるらしい。

 

当然、陸上部なのであるが

 

その子と運動会で対決できるはずだったが

息子は直前の大ケガで棄権。

 

 

D「ダイヤくんは、

速い子と一緒に走ると速くなるから

一緒に走りたかったーー。

来年の運動会は一緒に走りたい」

 

 

速い子と走りたがらないと思いきや

 

速い子と走ると

自分の実力を引き上げてもらえるから

 

是非、一緒に走りたいという。

 

 

小学校時代、記録では

息子が校内3位のタイムだったという。

 

あるトキの運動会短距離走、

 

自分より速い記録を持った

上位2名の生徒さんと一緒に走ったおかげで

 

短距離走の順位は2位だった。

 

1位の子とも僅差だったらしい。

(と本人は申している)

 

 

P「速い子に負けて悔しい、

っていう気持ちはあるの?」

 

D「ない」

 

P「悔しいって知ってる?

感じたことある?」

 

D「感じたことないと思う」

 

 

スポーツをやっていないと

なかなか感じられない感情なのだろうか。

 

 

ゲームで負けても

『悔しい』というより、

『もっともっと強くなろう』

という想いの方が強いという。

 

 

『悔しい』気持ち、未経験な息子。

 

息子の感情スタンプラリー

『悔しい』欄にハンコは

もう押されているのか、空欄なのか。

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

そもそも、

 

息子の中では競争相手を

『敵』としてくくっておらず

 

共に成長してゆく『仲間』

としているのかもしれない。

 

イマドキの子ぉ〜は、

みな、そうなのかもしれない。

 

 

昭和時代、

自分が子どもであった頃、

 

バスケット部の試合中、

対戦相手選手のプレイがカッコよすぎて

 

「すんげぇーー♪」と

歓声あげて拍手してしまったことがある。

 

先輩にこっぴどく叱られた思い出。

 

敵チームを応援するなんてナニゴトだ

 

と捉えられてしまった昭和時代。

 

 

「カッコいいもんはカッコイイ」

 

「わたしもアレ、やりたい!!」

 

「練習して絶対!!アレ、やる!!!!」

 

という思考でしかなかったのだが、

 

それをオモテに出したらイケなかった。

 

 

長い長いトキを経て、

 

漫画『ハイキュー』を読んだトキ

主人公が対戦相手のプレイに

 

「かっけぇーーー!!」

 

と思いっきり感動していて

それをオモテに出しているのをみて、

 

過去の自分がたいそう癒された感覚があった。

 

 

すっかり忘れていた記憶だが

『ハイキュー』に癒された過去。

 

我が息子にも癒された過去。

 

 

 

敵味方関係なく、

 

カッコイイもんはカッコイイ

素晴らしいもんは素晴らしい

 

と素直に認めてオモテに出せる時代。

 

 

 

孫子の兵法にもなかったか。

 

敵を敵とするのではなく

味方につけろ

....的なくだりがあったような。

 

 

これからの時代、

 

敵と味方の壁がなくなる。

 

 

小学生たちの

 

「50m何秒?」から

 

ここまで脱線したお話。

 

 

まぁ〜よい。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。