『美醜』の判断基準を持つのは

10歳前後である

 

...とナニかで読んだ記憶がある。

 

 

 

子どもは誰しも母親が大好きで、

母のことが世界一

美しく可愛くみえているという。

 

 

10歳頃になると、

 

『美醜』の物差しを

所持することになるのでしょうか....

 

 

周りの人間と比較ができるようになり

 

「あれ?うちのかあ〜ちゃん....

大したことねぇっ」

 

ってなるらしい。

 

 

当時、息子はまだ

10歳になっていなかったので

 

コレから判断することになって

母の正体がバレるのか〜〜

 

と思っていました。

 

 

我が息子、

13歳、中学1年生です。

 

 

夕食中いきなり話しだす。

 

 

D「去年までさ〜、

ヒトをエネルギーで視ててさ〜〜

去年、急に!!本当に急に!!

目でヒトを観たんだよ〜〜〜」

 

 

P「目でヒトを観た?」

 

D「そう!!!目で観た!!」

 

 

どうやら、いままで

 

目で見える目鼻立ち的な『美醜』は

視えておらず

 

ヒトから出ている『エネルギー』しか

視えていなかったという。

 

 

小学校高学年時代、

 

クラスメイト女子から

 

「ウチ、全然可愛くないから...」

と告白されても

 

D「かわいいよ」

 

とド真剣の真顔で思っていたし、

 

クラスメイト男子たちの

「AはかわいいがBはダメ」みたいな会話の意味が

まったく解らず

 

「みんなかわいい〜じゃん」と

 

ド直球のストレート投げでそう思っていたという。

 

 

 

P「去年から、

「かわいい、可愛くない」

ってわかるようになったってこと?」

 

D「そう。そうなんだけど〜

ダイヤくんの好みがあるだけで

みんなカワイイよ♪

 

P「自分の『好みか好みではない』

ってだけで、

ヒトはみなカワイイ?」

 

D「そうそう」

 

 

漫画『Dr.ストーン』の

龍水みたいなことを言う。

 

 

タイプは様々あれど

女たちは皆

美女だぜ

 

違うか??

 

〜Dr.ストーン 10巻 85話~

 

 

 

 

つまり、

 

『美醜』の物差しを所持したというか、

 

「自分の好み」が明確になった

 

ということだと思う。

 

 

息子なりの『審美眼』が確立されたというか

 

息子の世界では

絶対的であったものが

相対的に変化したらしいということ。

 

 

そうか....

 

こうして『人間』になってゆくのだな

 

様々な「物差し」を所持するようになり、

 

善悪、正邪、上下、左右、前後、優劣

....などなど

 

判断するようになって

 

とうとう

『地球人間ゲーム』をスタートさせ

どっぷり没入し

 

楽しいこともあるだろうが

悶え苦しんで絶望しちゃったりするのか〜

 

とド派手に感慨深げな母。

 

 

 

_____

 

 

 

 

D「みんな一緒で

顔とか違うように観えるけど〜

本当はみんな一緒で〜

カタチ?っていうか.....

そう、カタチが違うだけ.....」

 

P「あ〜ね、役割が違うっていうかね

元のエネルギーはみんな一緒っていうかね」

 

 

D「うん、ワンちゃんも猫ちゃんも

み〜んな一緒♪」

 

 

みんなレインボー。

 

 

 

 

 

 

 

___________

 

 

 

『元に戻る』

 

 

流れは元に戻ろうとしている。

 

自然に戻ろうとしている。

 

『ひとつ』に還ろうとしている。

 

 

奪ったのなら返す。

 

元に戻す。

 

 

「自分だけ」でなく「自分たち」

 

ひとつに戻る。

 

分離からひとつへ。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。