『嫌いなヒト』の
闇出し方法について
質問いただいたので、
過去記事再投稿いたします。
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こちらでは
『息子の闇出し方法』動画を
載せております。
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2年前ほどの記事ですが、
そういえば、
見たくもない『顔』が
突然SNS上に上がってきても
なんとも思っていない....
まったく『気にならない』現状と
なっていました。
マジで心底!!
『気にならない』
当時、
あーだこーの云う太郎の顔が
ネットに上がってくるたんびに
強烈な不快感を感じていた記憶。
いまでは、
存在を認識しているのみで
なんの想念も上がってこない。
そのヒトにくっついている
印象、判断、感想...などなどが
ごっそり抜けおちているので
人間を見ているというか
記号を見ているような感じ。
自分は日本人で
『日本語』が読めるので
日本語を見たら
さまざまな印象、判断、感想が
湧いてくるが、
『アラビア文字』は全く読めないので
そこに判断も感想も上がってこない。
『嫌いなヒト』が『気にならない』
になるとは、
日本語で「バカ」と書かれた印象から
アラビア文字で
「バカ」と書かれたような感じに
変化してゆくって感じ。
おっと〜意味不明ですか。
日本語で悪口を言われたら
意味を理解しているので
不快を感じるが、
アラビア語で悪口を言われても
意味がわからないので
「なんか言ってるな〜」でおしまい。
『嫌いなヒト』が『気にならない」
になるのは
そんな感じです。
嫌い!!キラーーーイ!!
きもーーーい!!
スーパーーーきもーーい!!
どっか行けーーー
フザケンナーーーーー
バカやろーーーー
と叫びまくるもよい。
上記リブログ記事にもあるが
ジーーーーっと焚き火を見つめるもよい。
目の前の現象を
『肯定』できるようになると
その現象はお役目御免となって
次のフィールドに変わってゆく。
『肯定』というか
受け容れて....流す...
って感じ。
「そうか、それが起きたのか..以上」
と。
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悲しい事件や残酷な事件も
そんな感じに変化します。
ナニも感じない不感症になるのではなく、
そこに判断が生まれず
認識だけが残る。
「そうか、それが起きたのか」と。
ナニか湧き上がってきたのなら
そこで感じるか
視つめ続けるか
ジーーーーっとします。
自分が『気にならない』凪となれば
世界も凪となる。
自分の中が平和であれば
世界も平和となる。
自分が笑えば
世界が笑う
....とは、
誰の言葉であったか。
静かで穏やかな週末をお過ごしくださいませ。
今日は以上です。
ありがとうございました。