移動教室から帰ってくる息子をお迎えに
学校の正面玄関で待っていました。
しっとりしとしとした
湿り気強めの夕方…
数名の保護者さんたちも
間隔をあけて待っている中
地面タイルの溝に沿って
歩いているダンゴムシをずっと
観察していました。
※苦手な方はスマン!
はじめから
ダンゴムシ用に用意されていたかのような
ベストマッチのベストサイズの溝。
ダンゴくんはずーーっと!
1枚のタイルの外周沿いに
ずっと!ずっと!同じ場所を
四角く四角く歩いていました。
本人、もっと遠くへ進みたいのかどうかは
わかりませんし、
歩いているだけで至福なのかもしれませんが
2次元視野のダンゴくんよりも
高さがプラスされた3次元視野をもつ人間との
知覚の違い。
ここで急に
いつか観た夢の内容がザーーッと再生された。
いまのいままで忘れていたが
ダンゴくんのおかげで
いい意味でのフラッシュバックが起こった模様。
『高次元から
魂の学びを邪魔してはならず』
全体を見渡せる全体なる意識は、
不調和な現象をカンタンに
消し去ることもできるが
個人個人である(これも現象)
学びの邪魔をすることになる。
全知全能をもって
不調和な現象を消し去ったとしても
個々である魂が成長していなければ、
また同じように
不調和を撒き散らすことになり
なにも変わらない。
(本当は個々ではなくひとつ)
よって、介入してはならない。
介入すれば遠回りになるので
不介入。
そう、手を出してしまったら
本人にとって
結果!遠回りさせてしまうのだ。
わたしがダンゴくんのお尻を
チョンと押してしまったら
ダンゴくんの道を邪魔することになる。
ダンゴくんがこれからするであろう体験を潰してしまうことになる。
自然の流れに委ねよ
自然の摂理に任せよ
神の采配を信頼せよ
…ということ。
自ら溝から外れて歩きだすダンゴくん
前記事の知人の件も
本人が気づくまで手出しできない。
情報はそっと置いてみるが
受け取るかどうかは本人次第。
ケガしてからちょうど3週間目の日、
息子は松葉杖を外して登下校しました。
母の送り迎えなしに自力で歩いて
行って帰ってきました。
どうしても
介入したい欲求が止まらない母であるが
グッと堪えて黙っている。
本人が松葉杖を外すならそれもヨシ。
振り出しに戻ってしまっても
それが彼の学びとなるのだろう。
今月いっぱい送り迎えするつもりでいたので
急にやってきた解放感。
やっぱり嬉しい。
全体の流れ
全体のひとつなる意識が
それをやっている。
ひとつから分離したと錯覚している
自我自我しいこの『わたし』は
目の前の『いま』を
ただただ体験すればイイ。
自我自我しいわたしは、
ぜんぶ自分がやって
ぜんぶ自分のおかげで
ぜんぶ自分のせいで
…と自分自分自分と大いに祭り上げるが
やっているのは全体なので
自分のせいではないし自分のおかげもない。
だから、
全力でチカラ抜くだな。
おつかれさまでした。
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ぴーちゃん、そのびわの種の瓶詰めは 何に漬けてあるのですか?
焼酎とかかなぁ?
あっきちゃん♪
コメントありがとうございました‼︎
コチラの記事に
作り方載せてます(クックパッド)
ビワでなく
梅干しのタネの中の仁を
お酢で漬けています。
今日は以上です。
ありがとうございました。