先日、
飲みの席に参加しました。
もちろん自分は
アルコール抜きなので
炭酸水での参戦です。
馴染みのお店なので
お料理も美味しいし
空間もハッピーであるはずだが
他の席から聞こえてくる会話や
自分たちの席での会話..
全部含めて
フっと湧いてきてしまった想いがある。
これ言ったら怒られるだろうな...
空気を乱すだろうな...
でも湧いてきちゃったな...
どうしよう...
困ったな....
姿勢を正して
気を取り直し
深呼吸していると
またまた別の席での会話が
耳に入ってくる。
もうダメだ....
と思ったら
口からもう出てしまっていた。
P「ここにいる人間すべて
みんな不幸ですね
....わたしも含みますが。」
知人たち
「え?」「は?」「何言ってんの?」
P「みんなそれなりに幸せで
幸せそうに見えますけど
『幸せ』は一瞬という瞬間だけで
みんな不幸です。」
知人
「どういう意味?」
P「幸せというのは、
瞬間瞬間感じるものに過ぎなくて
みな一定に不幸だなって
急に思ってしまいました。」
知人
「確かに!!深いなそれ。」
え?怒られなかった。
そんなことない!!
私は幸せよ!!
私は不幸なんかじゃありません!!
そう言われるものだと思っていた。
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別の席に
40代後半~50代半ばくらいの
女性2名が飲んでいました。
早い時間からひっかけていたようで
かなりイイ感じに出来上がっていらっしゃり
声のボリュームも上がっているので
わたしには会話が丸聞こえだったのでした。
これはドラマか?
ってくらいの不倫物語。
両2名さまとも
日陰の女だったのです。
おひとりの方は
2009年からのお付き合いで
15年弱も日陰っている模様。
もうおひとりの方も
長くお付き合いされているらしく
『最近、エロがない!!』
と愚痴っておられました。
あのことを『エロ』っていうのか〜
と自分の席の会話そっちのけで
意識はそちらにいっていた次第。
仕事もバリバリこなし
それなりの地位に
ついておられるであろうおふた方。
店員さんと陽気に会話をし
「おいしぃ〜♪幸せ〜〜♪」
とハイテンション空気を流すけれど
『G.Wやお正月休みがツライ』
とついつい本音もポロリでる。
はたまた別のお席では
あからさまに「パパ活」2席
女性を責めるような気持ちなど
全く湧いてこず、
女性が頑張って努力しても
いまのこの時代では
そうなってしまうよな
それしか生きる道はなかったのだな
..という気持ちしかない。
幸せとは瞬間瞬間であり、
『幸せ』という瞬間以外は
幸せにあらず
『不幸』である。
幸せではないことが『不幸』であり
みな「幸せになりたい!!」と生きているので
みな一定に『不幸』だな
....と思った次第。
「しあわせになりたい」
「死にたくない」
と誘導され打たされた56ちん。
頑張って働いて
給料の半分近くも国に持っていかれ
世界中の毒入り食料も
日本人に食べさせればいいと送られてくる。
ナニも知らない
この世界がおかしい狂っていると
気づかせないまま
「あなたはしあわせですよ」洗脳に
どっぷりハマっている。
あまりにも日本人がかわいそうだ
自分も当人なのに
日本人がかわいそうだーーー!!
って泣けてきた....酒飲んでいないのに。
お酒をやめ、飲みの席へも
頻繁に参加しなくなったせいか
そのような空間に神経がビンビンと
鋭利に尖って感じてしまうのかもしれない。
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「みな一定に不幸」
と言っても
怒られなかったことに
非常に驚きましたが
それは
みなそう気づいているからだと思いました。
しあわせな人間(自我)はいない。
しあわせそうな人間(自我)はいます。
幸せとは瞬間瞬間に感じるもの。
このカラダが自分だと信じている自我。
カラダがある限り、
自我を捨てることなどできないが
自我(エゴ)に気づくことができれば
自我全力のエゴエゴしい空気は薄まる。
自我自我しい瞬間は、
不安恐れまみれで
比較判断して否定批判するので
完全に不幸です。
まずは、気づくことから
.... です。
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最近、咳き込んでいるヒトを
よく見かける。
免疫が下がっているのを感じる。
息を吸い込むだけで
気道が敏感に反応しているのだろう。
体内の炎症。
ある人は咳き込みながら
「イマドキのウイルスではないので
心配しないでください。」
と言っていた。
ある人の背中をさすっていたら
「変なウイルスかもしれないから
離れて....ありがとう、大丈夫だから」
と涙目で言われた。
ウイルスなんてひとつも心配してない。
カラダの炎症が心配だ。
己のココロも落ち着かせよう。
熱くなってココロが炎上せぬように。
今日は以上です。
ありがとうございました。