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サボリ通信

大村幸太郎ブログ

先日のこと。地元の公民館にて古書店の店主さんによる講演会「古本屋一日入門」なるイベントへ行ってきました。
  膨大な書物の中から価値を見出す能力や選別術、乱丁発見術など本の構造からはじまり歴史、デザイン、装丁まで、本づくしの講演会でした。

 古本屋は一体どのように儲けているのか? べらぼうに高い本からゴミに近い本まで値段の決め方や価値は?
ウラ情報?と思えるくらいのお話もチラホラしてくださり実に楽しかったです。

 とは言え、ビジネスの話が主体で勉強もさせていただきました。僕が感じた−売れる−古本屋の理由は、知識と教養です。
  本の内容について話せることはもちろん大事なのですが、時代によって本の造形が今と違う技術で製作されていたり、年代によって完成度に違いもあります。
では何故、時代によって技術が高かったのか?またはお金もかけれたのか?
その背景も話してくださりウラが付きます、これがいわゆる保証書ですね。
 店主さんのアタマの中には長〜い日本史世界史の年表があって、その中に一つ一つの本が当てはまってあるのだと感じました。

 本とは時代を写した証拠、本にはリアリティとロマンがあります。


 少し変わったお話しでは、テレビや映画の背景に本棚が置かれているシーンがありますが、そのディスプレイを頼まれることもあるそうです。
 こんな配色で洋書を並べてください、などディレクターがイメージするディスプレイを聞いて本を揃えて提供するそうです。(その本は買い上げらしいです(゚д゚‼︎ 本屋さんはスタイリストでもあるのです。
ただ本屋さん側からみると見た目のイメージを良く作っても本の内容はバラバラなので、本棚としては有り得ない本棚に映るようです。 

テレビを見ていて本棚が映るシーンがあるとついどんな本が並べられているか見てしまうそうですが、殆どが素人が並べた適当な本棚が主なようです笑

ただ稀にちゃんとした本棚もあって、以前このブログでもご紹介させていただいた映画「いつか読書する日」の本棚については「並んでいる本は、そう大したものではないけれど、劇中の人物がいかにも読みそうな本をちゃんと選んで並べてある、あれは良く考えられている。」とおっしゃっていました。  これは面白い見解で、つまり本棚をみればその人の人物像が大体分かるといった感じです。


 店主さんは訪問買取りによく招かねられるのですが、パッと書棚をみてその人の人となりが分かるそうです。
 たまに意外な書物をその中に発見した時には関連を見つけて、本の新たな価値も見出すこともあるそうです。   一見、相見えない科目でも意外な結びつきがあって本屋としての世界が拡がるようです。  本屋さんに限らずどの分野もそうかもしれないですね。



そんな感じで古本屋さんの知らない世界を聞かせていただき、至福の時を過ごさせていただきました。 自分の仕事に誇りを持つプロ。着物を作る僕もこんな古本屋さんのように在りたいと思います。


text/2022/01/29(Sat) 染工房店主

 

久しぶりの更新となりました。。
皆さまいかがお過ごしだったでしょうか?


何というか、本日は12月の30日。
はやいもので2021年シメブログとなります。


今年も色々ありまして、、
世の中を振り返ってみると、、僕個人的には良いニュースより悲しいニュースが多かったように感じています。   

とりわけ弱い所へ負の連鎖が続くようなニュースが印象に残っていて、何ともやりきれない気持ちになりました。

月並みな願いですが、誰もが笑える社会でありたい− 来年こそは、本当にそう思います。


笑える社会のそのための定理−
それを担っていくのは勿論政治でもありますが、市井の僕らひとりひとりも社会を担っている一員です。

最近思うのは、気持ち良く暮らせる社会を作るのに実は複雑な社会学も大きな思想も、そんな要らないのでないか、なんて思います。


ただシンプルに隣の人の荷物をちょいと持ってあげたり、ドアを開けてあげたり、
声をかけたり、次の人のこと少し考えてみる。それだけのことが実はもの凄く大事なんだと思いました。
見えないところで親切をしてみる。

そうしたことが自然と出来るようになれば、ものの考え方も少し変わっていく気がします。
そして社会も変わっていくように思います。

でも、すぐ目に見えて結果がわかるものでもないのでなかなかイメージ出来ないものですが。


少し前に金工の人間国宝の先生にインタビューする機会があって、もの作りに対してこんなことを仰っていました。

「新しい価値や良い作品を作る最短の方法は、積み重ねです。今日明日で良い作品は出来るものではない、毎日の取り組みと継続があれば新しいものはおのずと生まれます。」


社会を良くしていく方法もそれではないかと思います。
後から来る人のために石を除けておく、ドアを開けてあげる、それだけで世の中の空気は変わっていくはず。

遠くにある社会を目指して、さらにそこに暮らす自分も想像しながらまずは今できることを継続したい。一年後にはそれが普通になっていて次の年も良くすることを考えていると思う。

 

 

 

そんな感じで 

 

  今年もお世話になりました。またお会いしましょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

先日、大阪で仕事を済ませ夕方日本橋堺筋線から阪急河原町まで準急に乗った時のこと。

向かい合って僕の前にはカップルが仲良く座っている。 買い物の帰りなのか、アミューズメントパークの帰りなのか手には大きなビニール袋を持って携帯をみて二人は楽しそうに話している。 
透明の袋からは大きなぬいぐるみや小さなぬいぐるみが透けて見えている、やはりアミューズメントパークの帰りのようだ。 が、しかし、おかしい。。キャラクターに統一性が無い、というか、てんでキャラがバラバラなのだ。

手に持つ簡易的なビニール袋といい、若干チャラく見えるカップルといい、これはあれだ、UFOキャッチャー/死語、クレーンゲームなんかで獲得したぬいぐるみたちなのだ。 
山盛りぎゅうぎゅうのぬいぐるみを彼女さんが抱えながら、彼氏も今日は仕事をしたって顔だ。両手にしっかり抱えてこぼれそうなぬいぐるみ達は袋の中からこちらを見ている。透明越しのぬいぐるみを見ながら僕は河原町までの準急に乗っていた

 準急は特急よりも遅い列車、いわゆる鈍行と同じ造りの列車で向かい合って座るタイプの車両だ。
普通車ながらある区間は特急の如く各駅を飛ばし、街が近づくといきなり各駅停車になる。これが準急の定義なのだけれど、あまり電車に乗らない僕には分かりにくい列車だ。ま準急とはそうなのだ。

日本橋から淡路を過ぎて南茨城まできたところでカップルは急に慌てて電車を降りていった。 丁度その時にぬいぐるみの一つが袋から落ちて降り口のドアの真ん前に転がった。
アッ!と思った時にはカップルは急いで乗り継ぎに走っていった。 ドアの前には取り残されたぬいぐるみが一つ転がったままだ
そこに一人の理系ぽいメガネをかけたサラリーマンが乗ってきて。あれ?と、ぬいぐるみに気づいてそれからずっと見ている。

、、いや、それはですね、先ほどバカップル、もとい仲の良いカップルがクレーンゲームで大量に取ったうちの一つで全然気にすることはない、、 と僕から呼びかけるわけもなく、、なんとなく、その足元のぬいぐるみをどうするだろう? と少し様子を見ていました。

落としていったぬいぐるみは手の平ほどでキャラクターの名称は分からないのだけれど、見た目にも可愛いピンク色の動物ぽいものだ。さらにはカバンなどに吊るせるようなヒモも付いていて、転がったぬいぐるみはあたかもバッグから落ちてしまった雰囲気をかもしだしている。 

サラリーマンのメガネ君はじっとそのぬいぐるみを見ている。 。


分かる、
分かるぞ。あなたの考えていることは、。
あなたは多分こう思っているだろう、。

これは、小さな女の子がカバンに付けていた大事なぬいぐるみなのでは、、ふとしたはずみにカバンから落ちてしまったのでは?、無くした女の子は今頃泣いているのでは? 大切なぬいぐるみなのでは、、?

そんな感じだ


違う、違うぞ
それはさっきカップルが有り余るぬいぐるみの一つを落としていったものだ。決してそんな想いの入ったものではない 

なんて、そんな心の声は届くわけもなくメガネ君はついに、ぬいぐるみを手にとった。
 それはカップルが落としてったもの、!、、と言っても、もうメガネ君はそれを信じないでいたと思う、彼の片手にしっかりぬいぐるみは吊るされていた


着ている黒のコートの袖先にピンクのぬいぐるみがチラチラが見えるものだから、それが目立って、、やがて何人か車内の人も気づいて、、、何?、あの人?、なんでぬいぐるみなんか持ってるの? みたいな感じなってしまった。、
いや、違う、違うんです。それは落ちていたもので、さっき拾ったモンで、決してメガネ君の私物じゃないんです。 それはカップルが落としていったもので、。、 メガネ君も勘違いしていて多分小さな子が落としたものと思っていて、、    と状況みていたこちらも何やら混沌としてきました。


多分メガネ君も分かっていたと思う、ぬいぐるみなんか持ってヘンだ俺と。 そう、そうするしかない、ポケットに入れるのもヘンだし。
しかし、本当、あなたがそこまで犠牲になる程のモンでもないんだそのぬいぐるみは


と、ここで準急の定義がメガネ君にのしかかる。 「次の停車駅は茨木市、、茨木市を出ますと高槻までは止まりません。」車内アナウンスが流れる。
そう、次で降りなければ列車はかなり遠方の高槻へ。 どうする?
ぬいぐるみ拾った南茨木へ一駅戻るには次で降りなければならない。 それともこのまま家まで持って帰るのか? 、というかメガネ君、あなたの家はどこだ?


どうする?

列車は茨木市へ近づいていく

どうする、メガネ君、、


手に持ったぬいぐるみを

どうするんだあなたは、、


メガネ君の左手には小さなピンクのぬいぐるみ
のそこだけがきれいな色を映している

何を言われても、もうメガネ君は気にしない。 直立にドアの前に立ち流れる夜の街を見るメガネ君のメガネはガラス越しにも強く輝いているように見えた、それは彼の意志のように思えた

窓の外の明かり一つ一つに家族があるように、その中にはぬいぐるみを大事にしていた子がいるかもしれない
 メガネ君も同じくらいの子どもがいるのかもしれない、
自分の子と照らし合わせながら、窓の向こうに映る小さな落とし主をメガネ君は探していたのだと思う

−カップルのだけれど




、、そして到着の車内アナウンスが流れる

茨城市−、茨木市−、



ゆっくりと列車は速度を落とし、


完全に停車をして


決断を下したように
ドアが

開いた



メガネ君は、


そこで
降りた



列車を降りた


左手にぬいぐるみを持ちながら、

列車を降りた




僕は車窓から彼を探した


人並みに飲まれうまく見えない


彼はどこだ?



どこだ?

メガネ君は、、






、、 いた!




人が重なり、そのなかを階段を降りるメガネ君、


まっすぐ前を向いていた、
前だけを見ていた




行き先は南茨城駅なのか


渡し先は、、


駅員さん?

車掌さん?


いや、彼は信じている。だれにどこに渡そうとそのぬいぐるみが必ず小さな落とし主の元へ帰るということを


それを信じて彼は列車を降りたのだ



人並みに飲まれる彼の手を私は見ることは出来なかった、

けれど
その手には必ずあのぬいぐるみが強く握られていただろう





彼は多分届けに行った。
拾って、ヘンな目で見られても、しっかり手にとって、 それを届けにいった。

カップルのだけれど−笑     


とんだ思い違いの落し物だったけれど、メガネ君は良かったんじゃないかな、僕もなんか良かった。   カップルのだけれど





まあメガネ君がその後どうしたかは、この話と別かもですが、、  それもまた野暮ですね   サンタクロースも信じていた方が楽しいのだから

ここまできたら本当に同じぬいぐるみを落とした子が居て、駅まで探しに来ているかも 
そんなふうにまで思えてきた




ここのところ急に寒くなって冷たい風に身体丸めていましたが、駅に着いて改札をでて、今宵の寒さはがいやに爽やかでした。
時計を見たら19:00、

久しぶりに、あのラーメン屋行こうかな?たしか19時半までは開けていたな、、一杯食って帰るか!






と気分よく、店に行ったら19:15ですでに閉まってた。
オイ、もうちょい信じて待っててくれよ。










あと10日ほどで11月です。 そしたら年内もあと少し、どうぞお身体ご自愛ください。
ブログあと一回書けたら と思っています。