サボリ通信

サボリ通信

大村幸太郎ブログ

この仕事(着物製作)に携わっていると、常に意識するものは"美"である。

とりわけ日本の四季や原風景は私にとって欠かせないものだ。

自然から大いなる力をいただき、美しさに感動し、私は染色を通して美を表現する。

 

今日までそうして'工芸'を生業として仕事をして来たわけだが、先日ある小説を読んだことによって私の趣旨は少し懐疑的なものになった。

 

吉村昭氏の"破船"だ。

 

江戸時代初期の貧しい漁村を舞台にした物語である。

 

そこでは土地は痩せ田畑からは雑穀しか穫れず、漁業が村を支えるが季節により漁獲には相違があり、

村人は裕福とは遠い暮らしを立てている。 

 

身売りは常で、それは女・子供を想像させるがここでは一家の主もその対象となる。

 

銀と引き換えに主が奉公に出るのだ。

 

家族は主を売って得た銀で米を買い、数年間を細々と食い繋ぎ、主が帰ってくる日を待つ。

 

想像を絶する生活なのだ。

 

そんな極限の暮らしでも数年に一度村に神様が降りてくる。

 

人々はそれを"お船様"と奉り、

座礁した商船から荷を奪い、命乞いをする船人を殺し施しと受けるのだ。

それは幸せも、不幸も連れてくる神の船であった。

 

 

 

 有り余る肉とミルクで育った80年代に少年であった私には理解が出来ず、とても現状離れしたものに感じた。 

それほど非現実的な話なのだ。

 

私が取材に欠かせない日本の原風景の美しさとは、見方を違えばそれは貧しさの象徴でもある。

 

そこには機械化されたものは無く、全て自然の中から採取して生活用具に変えるのである。

 

藁の中で寝て、現在では文化的価値がある織着物も自然の中から採取してくる。

衣服を得るにはそれしか手段が無いのだ。

 

暖かい時期に植物の収穫をし繊維を取りおき、漁業に出れない冬に家族のための衣服を作るのである。

 

 私の知るある友○染作家は、"織りの着物などは野良着だ、" と揶揄していた事がある。

染色こそ優れた着物であると豪語し、

自身の理念を確かめるが如く宣言に近いものであった。

 

しかし、この小説を読んでからはその方の仰る意味も分かる。 

 

手仕事の価値とは一体何なのだろうか

 

手仕事、ありのままの自然、それに伴う技術。その価値とは本当は何なのだろうか?

 

私が携わる工芸とは一体何であるのか、

極限における時に自らが作り出したものに"美"とは存在するものなのだろうか

”美”として良いものなのだろうか

 

 

この小説は一つの村のコミュニティの話ではあるが、それだけに止まらない社会の縮図が表されているように感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出張のお供に読んでいたのだけれども、何か暗〜いもの抱えながら催事初日を迎えるのでした。

 

 

text/14/Oct/2026

 

 

 

 

いきなりですが、というか、いよいよ私も50歳と成りました。

ついにジョーストラマーとタメになってしまいました。

 

 


 20代の頃はクラッシュが大好きで、あの頃は30までには自分はくたばっているだろう、と思っていたけれども、

しかしどうにも生き存えていました。

 

 

 

 








今日の出勤途中にたまたまかかった曲、
森山良子の30年を2時間半で-








 

 

 

30代の頃初めてこの歌を聞いた時、50も良さそう、と憧れたものでした。


が、

50に成って思うことは、

これは若い時には感じない、何か色々なものが詰まっている曲だった。

50にならないと分からない歌 

 

いい歌だ














ポルコロッソが何歳なのか不明なのだけれど、多分私と同じくらいだろう。 これも中学の時に初めて出会った憧れの中年だ。 

しかし憧れとはこのように私を運ばない。



自分がどう生きて来たか、50歳とはそれを素っ裸で表しているようだ。


50代、自分でも口うるさくて老害滲みた感を感じてしまうのだから、周りからはもっとそう思われているのだろう。 

 

歳をとると、、とよく言われるパターンだ。

けれど、

不思議なもので半世紀生きると、当の本人はゼロに戻った気分になる。

これから好きな事はすきに言うだろうし、自分のなかで筋が通らない事は通らない、で通しそうだ。

若い時の方がまだ融通がきいていたと思う。

しかし、

50年生きて来て、の結果がこうだったのだから、致し方ないと思う。 

 



だから、やはりこれからはポルコロッソにならって、

ウィットに富んだ中年ぽいことをさらり言ってのける技が必要だと思う。

何が軸で自分を動かしているのかそれぐらいしか考えてない私の誕生日、  悪くない   

と思っています

 

 

text/9/Sep/2026

 

 

 

 

 

 

 

 

今年のお盆休みは天候が不安定だ。そのため予定していた事が流れてしまって、家族は暇を、私は中途半端に仕事をしたりしている。  例年にないスッキリとしない休みだ。

 しかしせっかく家族も揃っているのたから出掛けるきっかけ作りに、映画"ちいかわ"を見に行かないか?と家族に聞いてみたところ(映画は私が気になっていた)
長女はともかく、意外にも家族全員(長男、妻も)見たいとの事で家族揃って見にいくことに。

 

 

 

 

映画ちいかわ 人魚の島のひみつ  

 

2026年

監督 及川啓

原作 脚本 ナガノ

アニメーション制作 CygamesPictures  

 



 映画はとても良く出来ていて、私はアニメを見たというよりは一つの作品を見た気分だった。 
ネタバレになるかもしれないのでこれから見る予定の方は以下は避けていただきたい。

 映画はとても不明瞭だった、それは意図的にそう描いていると感じた。 おそらく映画を鑑賞した殆どの方はそんな感想を持つと思う。 この映画には答えはなく、解決もなく、解釈は鑑賞者に委ねられる。 
アートに近い感じだ。

面白かったのは見終わった後、自ずと家族が感じたことや思ったことを話し出した事だ。
 決してハッピーエンドではないこの映画は個々に感じた違和感やわだかまりがボソボソと帰り道の車の中で上がってくる。

 それは以前にみたドラえもんの映画の後では決して出なかった感想だ。
映画の違和感や不明瞭さに答えは無く、解決にもないのだけれども、それ故に思考をめぐらせて、自分の考えを持つようになった。 
 ディスカッションとまではいかないが、それに似たものが家族の中で帰りの車内な中で起こった。 この映画の狙いは多分これだと思う。 キャラクターがシンプルで話も分かりやすい単純な物語だ、
だから本質もつかみやすい。
何故?なんで?どうして?キャラクターたちも私たちも考えを持ちながら映画の中に引きづり込まれる。

 不明瞭、映画に限らず私たちの世の中・社会にも不明瞭な事は沢山ある。
生活の中での事や人、社会に何らかの違和感を覚えながらも私たちはその社会の中に暮らしている。
ちいかわ達と同じでその違和感や不明瞭に答えは無いし、解決もしない。 
でも、この気持ちって何だろう、この気持ちはどこに置いたらいい、
これでいいのだろうか?、心がさわつく、、
社会の中にいればそんな事を思ったり考えたりする日もある

 映画でそう感じることが出来るなら実社会でもそれについて考えたり、思うことはできそうだ。 ちいかわたちが作る世界も私たちが暮らす世界も同じものなのだ。

 映画を見終わった次の日、長女は会場でもらった特典シールを友達に渡しにいった(私のもらったシールね)
朝一番にすぐに渡したい、友達に会いたいって気持ちが迸っていた。彼女なりの答えなのだと思う。

 そう、この映画は大人より子供のほうが映画の実を感じることが出来ると思う。
対象年齢は0歳からなのも納得してしまう。

じつに3歳くらいの子の感想を聞いてみたいものだ


※少なくともここに書かれている知ったような口ばかりたたく大人の書いた文よりは素晴らしいものであることは間違いないのだから