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サボリ通信

大村幸太郎ブログ

ご挨拶が遅れましたが本年もどうぞよろしくお願いいたします。
旧正月中ということで遅ればせながらご挨拶とさせていただきます

スタートは昨年のネタになりますが世界報道写真展から  日本の正月はとうに過ぎましたが中国では今がお正月。 日本での当たり前、私たちの当たり前は実はそうでもない。世界から見ると
いや、日本の中でも焦点を絞れば見えてくる別世界があるのかもしれない。  それは社会の問題、課題でもあり、私たちも無関係ではないのです。
 それを言葉ではなく音楽でもなく、写真で伝える。それが世界報道写真展です。

 

 

 

 

 

 

 

京都展は京都新聞社・地下印刷工場跡にて開催

 

 

 

 

 



以降は僕が気になった写真をピックアップしました。
 

                                       

 

 



石油さえあればその国は幸せ。というわけでもない 

 

写真に写る家族は諦めなのか、もしくはあえて楽しもうとしているのか 彼らの胸中は分からない、が、そんなどんよりした空気が迫る炎によって混沌さを漂わせている。 
 国の情勢を伝え、そこに生きる人々の心情までも一枚で表現していると思う。 一目見て凄いと思った。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

採取しつくした石油採掘跡で遊ぶ少年。 こんな未来少年コナンのような世界が現実にあるなんて   そして何故この写真に美しさを感じてしまうのだろう










 

 

 

 

 

 

 







 

 


余命宣告を受けたジウアーは死に向き合い家族に向き合い、そして自分に向き合う。 写真とは何だろうか?そんな事を考えさせられる作品。
 写真は記録であり、遺品であり、行為でもある。 一つの儀式ともとらえられるこれらの記録は写真というジャンルだけに留まっていない。  残った家族が見る先は彼女が死して与えた”未来”が写っているのかもしれない








哀しみという形があるならば

 





まるで絵画のようだ。しかしこれは写真。争いが作り出した現実のものだ。 写真や表現、芸術は社会と繋がっている、そうでなければならない。そして何てことかその社会との繋がりがこの美しさをも感じる写真を写してしまった。僕はこの写真は作品だと思った。
 しかしもしこの写真の人たちと同じ立場にいたとしたら僕は真っ向からこの写真を否定し拒否するだろう。








 

 

 

 

 

 

 

 


写真は感じるものでもある。社会やあなたが抱えていることに共鳴してくれる一つのツールでもあるのだ。 









 どんなものもアートや表現となりうる今の世の中に”これは作品だ”と呼べるものはいくつあるだろうか。 翻って僕が作るものに何が残るのだろうか

 



社会との繋がりこそがはじめて作品を生み出す。そのことを忘れずにこれからも僕は作品を作るだろう。 

2025 -年の初めに

 

 

text/30/jan/2025

 

 

 

  色々あったのか無かったのか、早かったのか遅かったのか、なんや答えもわからないまま2024も残すところあと一週間ちょいとなりました。

 なんや新聞を読んでいても悪いニュースが殆どでウンザリしてしまいますね。
僕のように相変わらず半分引きこもりのような職についていると世間様との乖離が過ぎるのでせめて新聞だけでも読んで社会と繋がっていなければ思って読んでいますが。
皮肉なことに2024も悪いニュースが多すぎて読めば読むほど落胆している自分がいます。

 そういえばもう亡くなりましたがうちの祖母も毎日隅から隅まで老眼鏡をかけて新聞を熟読していました。似てくるものなんでしょうかね
今日みたいな冷え込む日にもストーブでヤカンを沸かしながら湯気の向こうに新聞を読む祖母の姿を思い出します。

僕のおばあちゃんは優しかった、そしてすごい強い人でした。
 今年最後のブログはうちのおばあちゃんのエピソードを一つ語ってみましょう。

 僕の祖母はいわゆる昭和の、いや大正生まれだ。大正の女性です。
まあその頃の日本はとくに亭主関白、家父長、父兄主義なので僕の家もそうでした。父はそうではないけれど、じいちゃんはキレるとなんせ恐い。 怒る祖父を前に身を呈して祖母が僕をかばってくれた事を覚えています。 鬼の形相だからマジで恐かった

 んなこと含めその他色々なことから僕はじいちゃんが嫌いで、晩年も離れに住んで居たけれど出来るだけ近寄らず疎遠にしていたと思います。
 しかし祖父の没後僕がこの仕事について、覚え、こなし始めたころ祖父の描いた図案が見つかり(着物の図案家だった)その技術の高さに表現力、レベルの高さに圧倒されました。私は手のひら返したように一気に尊敬の人として崇め奉るのでした。
マックも何もない時代にグラフィックデザインのような図案を手描きでやっていて、圧倒的な実力の差にショックも受けました。 とても真似できるものじゃない、だから僕も先代を追っかけるのでなく自分なりの方法を見つけられたのですが。

いや、じいちゃんの話じゃない。
うちのおばあちゃんのエピソードでした。 

図案の腕は最高でも私生活では最悪だから祖母はまさに昭和の女、耐えに耐え抜いて暮らしてきたのだと思います。

 ※晩年耐えられずついにケンカをして家を飛び出した事があった。 叔母の家にいたらしいが、あれは実に愉快だった。

そんなおばあちゃん。 
確か僕が高校生のころ母屋から離れの家へ呼ばれたのでいってみるとトイレが詰まって溢れかえっていました。
ズッコンバッコンやっても変わりないので、原因はどうも裏の下水管が詰まっているようでした。案の定、裏の下水道の蓋を開けてみれば木の根がはびこり排水溝はふさがってそこにウン◯が溢れていました。

 蓋をあけて思わず僕は、"うわ汚い!どうしよう"とおののいてしまった、慌てている僕を余所におばあちゃんは急に横から入り込み、”堪忍ね、汚いね、堪忍な"、と言いながらなんと自ずから物怖じもせず素手で糞を掴み払いのけて木の根をみるみる剥ぎ取っていきました。 
いつも穏やかな祖母が人が変わったように一心に糞付きの根を削いでいく姿に僕は圧倒され、ただ立ちつくして見ているだけでした。自分自身が情け無いやら泣けるやら臭いやら道具使えばもっと楽にやら色々な感情があったのだけれども、僕は祖母のその姿に甚く感動していたのでした。

 糞まみれになって一心に根っこを剥ぎ取ったおかげで見事下水はスムーズに流れました。 安心したようなその糞まみれの祖母の姿はもの凄く愛情に溢れていて僕は"これが親の姿か、母親の姿か"と心に焼き付きました。

 この人は槍の雨が降ろうがもっと沢山の糞の雨が降ろうが血だらけになりながら僕を守るんだ、そういう確信ついた出来事でした。 

そのシーンは今でも強烈に覚えていて人生の中で格好良い光景の一つです

だから僕もそう育ちました。おばあちゃんから教えてもらった。身を呈して子を守らない親は親じゃない、

 昨今の新聞を見ていると児童虐待、親と子どもに関する良くないニュースが必ず目にはいります。
どんな理由であれ、子を守らない親は親ではない。自分の責任を子に押し付けることも親のすることではない。それは大人になっても同じ。子どもを苦しめる親は親では無い。 
 このブログを読んでくれているあなたがもしそんな親と子の関係に該当するなら聞いて欲しい

 あなたの親が心を入れ替えて変わらないのであれば、それはなんのためらいもなく親を棄てなさい、逃げなさい。その覚悟を持てばその先には必ず本当の家族が待っている、身を呈して守ってくれる人が必ずいます。

 そして子に押し付ける親のあなた、あなたは一人で生きろ。一生懸命生きて一人で全てをやってみろ。 その姿が糞まみれになっても美しく映ることがあればその時はじめてあなたは親になるのだ。



text/21/Dec/2024


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久しぶりの更新です、皆様お久しゅうございます。 
近ごろは書くという作業がなかなか重くなってしまって、そして話のネタもなかなか掴めなくなってご無沙汰をしていました。

ブログを書く時の"きっかけ"みたいな出来事が歳とともに薄くなってきたというか、感受性が鈍くなってきたのかもしれません。何せ私も48歳ですから

48ともなると日常の中でも目上の方や同世代の方より若い方と接することのほうが多くなりました。  で、近ごろ若い人たちが面白い。 フットワーク軽くガンガン進んでいく若者もいれば、悩み苦しみ進もうとする若者もいる。


若いは素晴らしい、私からすれば本当にそれだけで良いと思いますが、若い方には若い方の悩みがあるようです。私も相談をうける年齢となり色々と聞くことが多くなりました。

というわけで今日は悩める若者へ、というネタで久しぶりに一つやってみたいと思います。 ガンガン進む方は進むからOKオーライ大丈夫。


 さて、いつの時代もそうなのですが、若い方の話を聞いていると大抵次のような欲求が並びます。
 稼ぎたい・有名作家になりたい・賞を取りたい・仕事が欲しい・自分の作品を評価されたい など。 このどれかが出てきます。

確かに若いうちはこれらのものはなかなか手に入らない。私もそうでした。
たけど時間だけは沢山ありました。

稼いでいる有名な作家や売れっ子はとにかく忙しいです。

出張からイベント、パーティー、講演会、寄稿依頼、商談やら忙しくてハッキリ言っていつ作品作っているのか?思います。
 考えられるのは朝早く起きて制作しているか、深夜寝ずの制作をされていることでしょう。アイデアスケッチや原稿は殆ど移動中に済ましているでしょう 売れっ子とはそれほど時間がない

翻って自分には時間はある。 だったら描くしかないと思います。 若い人の悩みにはそんな感じで答えています。 

その中でも人と違うアイデアやスケッチ、発想を積極的に意識した方がいいと思っています。 もちろん技術や基本的な要素は学びつつですが、それ以上に人と違うアイデアを意識してスケッチを描きまくればいいと私は考えます。 

売れっ子たちがパーティーや講演会に出席してる間に新しいものを描きまくるのです。 面白いと思うものを彼らが追っつかないくらいに。   実はこれは私の経験談です。有名な方や売れっ子に対してそんな感じでやっていました。 根暗〜(苦笑


でもこの時間が大事で自分の根を出来るだけ伸ばす、持ち続けているアイデンティティをぶちまけておく時間です。後々それらは芽が出て養分になり木に成るでしょう。

葉を茂らせたり、花を咲かせる、それがあなただけの花です。そういうのは真似できるものでは無い、たとえピークがすぎても根っこの隅をつつけばアイデアは保たせることができるでしょう

そして同様に他分野との繋がりも大事です、自分が面白いと思った物事には即座に飛び込むべしや!それやで!

と、先日も若者に喋っていたらこんな風に熱くなりすぎて明らかに若者が"このオッサン、ウザー"な表情になったので止めました。
マア、そんな感じ。、、
と訳の分からん挨拶で締めて若者と別れてきましたが、その後参考になったのでしょうか?



ともかく私は50歳手前になりましたが経験上こんな事しか言えない。 これも古い考えなんでしょうね。
若者にアドバイザーたれる身ではないのは承知で、残った根っこからどれだけ物が作れるか分かりませんが、せめて若い人から影響受けて新鮮な作品をこの先もお届けできればと思っています。

なんせ近ごろの若者はめちゃくちゃ面白い、これはやっぱり歳喰ったからやろなあ

いい歳のとり方したいと思います。

 

 

 





最近気に入っている石若駿のアンサートゥリメンバー ジャズを面白いかたちにして活動している32歳ジャズドラマー
キャリアも技巧的にも優れたエリートが大衆的なのやりだすとヤバイ  

 

 


 

 

やっぱ技術もやっぱり身につけておくべしやね!若人マルチであれ!  

ウザイね、スマン。また次回