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サボリ通信

大村幸太郎ブログ

 
五年前のチラシ
 
前進座の2012年の南座の舞台のチラシ。
当時うちの女房と見に行った芝居だ。
 
本当は僕の父と母が楽しみにしていた芝居でもあった。  

 2011年の暮れに父が病を患いあっという間に床に伏せてしまって我が家は観劇どころではなくなっていた。 看病していた母がそれでもチケットが勿体ないからと僕ら夫婦に券を渡されたのだった。
思い出してもあの時の正月は気が気でなかった。 
 
 父の事や仕事のことも、あれこれ考えながら暗い面持ちで南座へ足を運んだことを覚えています。
 
 
この日の演目は二本立て。前進座オリジナルの脚本と、落語でお馴染みの「芝浜」でした。
芝浜は酒びたりの夫とその妻の物語。これが沁みた。
 
 
芝浜/
 酒におぼれ仕事に行かなくなった夫はある日妻から別れを告げられ、夫は金輪際酒をやめて真面目に働くことを誓う。その矢先、夫は大金の入った財布を拾いこれで一生遊んで暮らせると再び酒を飲み酔うけて眠ってしまう。
このままではまた駄目になってしまう。そう思った妻は目覚めた夫に嘘をつく、
 
”大金を拾った?何バカな事言ってんだい、夢だよ、夢。早く仕事に行きな!”
 
 夫はおかしいと思いながらも仕方なく働きにでかける。元来仕事ができる夫は酒を断ち商いは成功する。 そして迎えた3年目、妻は夫に3年前の嘘を告白するが…/
 
 

 古典落語の代表なのでご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、落ちがまたいいです。 


僕ら夫婦は劇場へは暗い面持ちで入ったものの、不思議なことに出る時には気持ちがすこし上向き、明るくなっていました。 
 それから半年経たずに父は旅立ちました。

その後も色々多々ありましたが、現在も何とか染の商いをやらせていただいています。
(芝浜の夫婦みたく大金は稼いでないけれども(笑

 チラシを見ながら当時の辛かったことを思い出していました。
しかしたしかにあの時の舞台は僕らを救ってくれた。 あの時の役者さん、前進座には大変感謝をしています。
良い芝居でした。

 そう、提供する側の人間はいつもそれを考えていたい。 

お客様のなかには様々な事情を抱えている方がいらっしゃる、それでも足を運んでくださる。 
お越しになった方が会場を出る時に、少しでも気持ち豊かになっていただけるように、
僕ら夫婦も今後仕事に尽力するのみです。  

 来年も良い作品を作っていきます。ご期待ください。
 
そして皆様どうぞ良いお年をお迎えください。
 
 
 
 
text/Dec/31/2023
 

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「人類は長い歴史で多くの命を戦争で失った。人が人を死なせてきた。」
先日広島で行われたG7サミットでゼレンスキー大統領が発した言葉だ。 
ゼレンスキー大統領は原爆資料館も訪れその際には次のように話しています。「小さい子供たちの写真を見ると涙が出る。ウクライナでも毎日このような写真を見る。どうして人間が、こんな恐ろしいことができるのか」
「この戦争が終わり、世界平和が続くために自分や子供のため、孫のために今平和を望む」
本当にそうなるために被爆国の日本も平和を考え、平和を維持する努力をしていきたい。

原爆の恐ろしさはその破壊力だけにとどまらずその後の世代も苦しめられる。代表的な文学に井伏鱒二の黒い雨がある。その黒い雨の朗読を晩年語り続けてきた俳優奈良岡朋子さんが今年の3月23日逝去されました。 

 奈良岡さんといえば劇団民藝。ご活躍は言うまでもなく演劇、映画、テレビなど多方面で役者として活躍されていました。 僕もファンで、と言っても見た映画は数本だけ。テレビドラマにいたっては一度見た程度です。 では何故ファンなのかと言うと僕は奈良岡さんの声が好きでよくラジオの朗読を聞いていました。  あの声の表現力は独特でとても惹きつけられるものがありました。 インタビューやラジオ出演でのお話しも素晴らしく、言葉の選び方や繋ぎ方も上手く、雑談の収録でもそれは一つの映画を見たような気になりました。

 先日も追悼でラジオ放送をやっていたのですが、同期の大滝秀治さんはじめ森雅之さん、滝沢修さん、宇野重吉さんなど多くの名優たちとの思い出話を楽しそうに語られていました。それを聞きながら僕はやはり声が好き。奈良岡さんの声のファンでした。

 これもいつかのラジオの話ですが、女子美時代に画家のお父さんと有楽町のパチンコ屋に足繁に通っていたことや(晩年ツアー中もよく打ちにいらしてたそう。) ご出身が青森県の弘前なので青森の話題にも長けていたこと(美空ひばりのリンゴ追分の津軽弁は奈良岡さんのイントネーションを参考にしたそう)そして生前の太宰治に会った(見た)お話など、いつ聞いても内容が豊富でその語り口とともにさらにファンになりました。


 奈良岡さんは僕の中ではパンクというか役者のなかでも無頼派に属している感じがして、カッコ良い俳優の一人でした。  できれば芝居、演劇を鑑賞したかったのですがその願いは叶えられず後悔が残ります。

 四年ほど前に滋賀県の琵琶湖ホールで黒い雨の朗読が開催されていたのでその時に一度だけ鑑賞をさせていただきました。
 椅子に座りながら話を語っていくのですが、声も佇まいも初めから終わりまで糸がピンと張り続けているような舞台でした。手に汗を握りながら鑑賞したことを覚えています。 その会はMCも余談も一切なし。 
奈良岡さんが登場し、腰掛けてすぐに本をめくり朗読がはじまります。約一時間の朗読後は一礼をしてスッと舞台袖へ。
それは声で舞台を見させていただいたようでした。 
 潔いと言うか、本だけに意識を持っていくような感じでただならぬ空気が劇場の中に漂いました。 無頼派という印象はこうした部分からも感じていたのかも知れません。

 この題材には集中力が必要で同時に戦争を語り継ぐことを目的としていたのだと思います。この朗読会は舞台と観客、そして戦争に真剣に向き合せました。ずっと胸に残っています。

 

 


最後に奈良岡さんは手紙をひとつ残されています。(省略)

 

 

 


 新たな旅が始まりました。未知の世界への旅⽴ちは何やら⼼が弾みます。
向こうへ着いたらすぐに宇野さんに演出を受けたいと思います
「デコ、お前ちっとましになったな」と⾔われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。

杉村先⽣ともどんな役でもいいからご⼀緒したい。ワクワクします

両親に挨拶するのは⼆、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。

 

これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。
それでは⼀⾜お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…

 

奈良岡 朋子

 


 


最後まで粋で朗読の時と同じように潔く、そして生涯舞台の人でした。

 


奈良岡 朋子さんのご冥福を心よりお祈りします。
 

 

 

 

 

text/5/25/2023

 

三月も半ばになると引っ越しのトラックが増えはじめ、街には若者の姿が多くなります。新生活スタートのシーズンです。

 今の季節、ふらっと100均なんかに立ち寄ると学生さんや新社会人らしき人たちで賑わっています。
 祝日の今日も店内には若者が多くいました。 一人で買いものしている人、友達と品定めしている人など、みなさん新生活に向けての準備で大忙しの様子。

 僕の隣では、多分この春から大学生になる息子さんとお母さんがカートをいっぱいにして買い物を楽しんでいました。

 −台所は狭いからこれぐらいのフックで−、調味料はこれに入れて-、ハンガーは多い方が良いわ-、とテキパキ品定めをするお母さんをよそに生返事で返す息子さん。いつの時代も母とはこんな感じです笑

「母さんもういいよ、後は自分で買うよ、」と息子さんが言っても次のコーナーへと連れられていく息子さん。

「自分のものぐらい自分で買いな、」と以前の僕ならそう思っていたのだろうけれど、
今はお母さんの気持ちちょっと分かります。

 息子さんが一人で買い物できる事ぐらい分かっているし、一つ二つ物が無くても事足りる、アレコレ言いながら息子さんへのお世話を楽しんでおられるのだと思います。
 お節介も邪魔なのも分かっているけれども下宿先へ戻ればあとはもう離れていくだけ。
かつて筆箱を買ってあげたような、そんな記憶の片隅を辿るのも今日までです。

今日ぐらいは子供のフリをしてあげて−
ふてくされて、でも付いて回る息子さんへそんな事を思いながら


さて、
僕も子供のオモチャの電池を買って帰らないと
 
 
 
 
 
text/3/21/Tue