震災から12年経ちました。今何を書こうかと迷っている。 出てこないのだ。 12年経って何が書けるのだろうか。 記憶だけが残って、震災は過去のものになろうとしている。喉元過
震災に限らず最近まで騒いだマスクもそろそろ外しはじめている。
コロナももうすぐ過去のものになるだろう。
震災にもコロナにも慣れてしまったのだ。 順応と言うには浅はかかもしれないけれど人間の慣れていく能力は
それは素晴らしくもあり、他方恐ろしいことにも思える。
なぜなら地震のダメージは今も人を苦しめているし原子炉問題も解
それでも時間の経過は人に順応を身につけさせる異常な状況下でも
でもそれは本当に慣れたということなのだろうか
東日本大震災の時、僕は色々な人に出会った。災害時でも普通に話
一日の作業が終わると皆さんはそれぞれ今住む場所へと帰っていく
しかし元に戻ったわけではないし、生活に慣れたわけでもない、前
"それでも、人生は続く"
色々な人に出会って僕が教えていただいた言葉だ。
誰かにとって何が幸せかはわからない。復興とは何をもってそうい
全ては元に戻らないし時間を戻すこともできない。 悲しみや苦しみを拭い去ることはできない。 それでも歩いているのだ。 フラフラでもゆっくりでも、先がわからなくとも歩いている。 足もとにだけ見える花や草を摘みみなさんは今を歩いていた。
それはとても力強いものだった。
12年経ち足元の景色が少しでも明るく広く照らされているように
二月となりました。
立春も過ぎ、暦の上では春。なんですがまだまだ寒い時期は続いて
寒くてつい縮こまってしまう僕はそのせいなのか肩凝りがひどいで
寒い季節はやっぱり暖かいお風呂でリラックスするのが一番ですね
特に広い湯船の銭湯は湯治の意味も含めよく利用しています。
銭湯の良さは僕が修行時代から勝手知ったるもの(風呂無し住み込
たしかその頃はひとっ風呂340円でした。(現在は490円)
10枚綴りのチケットを買えばおまけに1枚付いてくるので大体一
サウナもあるしジェットもあるし顔馴染みも出来るし、雰囲気や空
暖簾をくぐると必ずいるおじいちゃん、一日おきに入りに来る労働
翌日現れたら安心する銭湯ニズムが出来ていました。
あの空間の共有は不思議です。
僕は19:30〜20:00がマイ銭湯タイムで、最初に下の毛剃
ある日のこと、下の毛のオッサンやじいちゃんが上がったあといつ
まあ、たまには長湯したい日もあるだろうな、と一応僕も礼儀をわ
が10分経っても20分経っても息子さんは上がらず、
流石におかしいと思って僕も半分フラフラ状態なりながら様子伺っ
おいおい早く上がらんかい- もうこの時間は上がって帰ってる頃やろ、思いながらガラス隔てた
-これはどういうことなのか、
よくよく息子さんの様子を見ていたらチラチラ脱衣所の方を見てい
ここの銭湯は夕飯か所用の時は番台の親父さんの代わりにおかみさ
その子も中学生くらいで近所の多分同じ地区の学校だと思います。
そんな思春期の息子さんを見守る多分湯冷めしたお父さんも良い感
よし、これは私も最後まで見届けようと空間を共有する一人のキャ
やがて番台が親父さんに変わって女の子がいなくなるとサッと息子
僕は大分のぼせて脱衣所でグッタリしながらも一つのドラマを見さ
時々こうしたドラマがあるのが銭湯。 地元通のネイティブな銭湯はとくにいいです。ドラマは他にもいろいろありました。
実はこの話を書く前久しぶりに温まろうと北大路にある地元銭湯に
廃業ではないけれど舞台はまた一つ消えていくような感じがしてこの思い出話にふけったのでした。
時代の流れもあるのだろうけれどなんか、本当に面白い文化はこ
今のうちに見ておきたい、そんな遺産めぐりの僕の湯まわりもちょっと
text/2/8/Tue.



















