奈良岡朋子さんを偲んで- | サボリ通信

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大村幸太郎ブログ

「人類は長い歴史で多くの命を戦争で失った。人が人を死なせてきた。」
先日広島で行われたG7サミットでゼレンスキー大統領が発した言葉だ。 
ゼレンスキー大統領は原爆資料館も訪れその際には次のように話しています。「小さい子供たちの写真を見ると涙が出る。ウクライナでも毎日このような写真を見る。どうして人間が、こんな恐ろしいことができるのか」
「この戦争が終わり、世界平和が続くために自分や子供のため、孫のために今平和を望む」
本当にそうなるために被爆国の日本も平和を考え、平和を維持する努力をしていきたい。

原爆の恐ろしさはその破壊力だけにとどまらずその後の世代も苦しめられる。代表的な文学に井伏鱒二の黒い雨がある。その黒い雨の朗読を晩年語り続けてきた俳優奈良岡朋子さんが今年の3月23日逝去されました。 

 奈良岡さんといえば劇団民藝。ご活躍は言うまでもなく演劇、映画、テレビなど多方面で役者として活躍されていました。 僕もファンで、と言っても見た映画は数本だけ。テレビドラマにいたっては一度見た程度です。 では何故ファンなのかと言うと僕は奈良岡さんの声が好きでよくラジオの朗読を聞いていました。  あの声の表現力は独特でとても惹きつけられるものがありました。 インタビューやラジオ出演でのお話しも素晴らしく、言葉の選び方や繋ぎ方も上手く、雑談の収録でもそれは一つの映画を見たような気になりました。

 先日も追悼でラジオ放送をやっていたのですが、同期の大滝秀治さんはじめ森雅之さん、滝沢修さん、宇野重吉さんなど多くの名優たちとの思い出話を楽しそうに語られていました。それを聞きながら僕はやはり声が好き。奈良岡さんの声のファンでした。

 これもいつかのラジオの話ですが、女子美時代に画家のお父さんと有楽町のパチンコ屋に足繁に通っていたことや(晩年ツアー中もよく打ちにいらしてたそう。) ご出身が青森県の弘前なので青森の話題にも長けていたこと(美空ひばりのリンゴ追分の津軽弁は奈良岡さんのイントネーションを参考にしたそう)そして生前の太宰治に会った(見た)お話など、いつ聞いても内容が豊富でその語り口とともにさらにファンになりました。


 奈良岡さんは僕の中ではパンクというか役者のなかでも無頼派に属している感じがして、カッコ良い俳優の一人でした。  できれば芝居、演劇を鑑賞したかったのですがその願いは叶えられず後悔が残ります。

 四年ほど前に滋賀県の琵琶湖ホールで黒い雨の朗読が開催されていたのでその時に一度だけ鑑賞をさせていただきました。
 椅子に座りながら話を語っていくのですが、声も佇まいも初めから終わりまで糸がピンと張り続けているような舞台でした。手に汗を握りながら鑑賞したことを覚えています。 その会はMCも余談も一切なし。 
奈良岡さんが登場し、腰掛けてすぐに本をめくり朗読がはじまります。約一時間の朗読後は一礼をしてスッと舞台袖へ。
それは声で舞台を見させていただいたようでした。 
 潔いと言うか、本だけに意識を持っていくような感じでただならぬ空気が劇場の中に漂いました。 無頼派という印象はこうした部分からも感じていたのかも知れません。

 この題材には集中力が必要で同時に戦争を語り継ぐことを目的としていたのだと思います。この朗読会は舞台と観客、そして戦争に真剣に向き合せました。ずっと胸に残っています。

 

 


最後に奈良岡さんは手紙をひとつ残されています。(省略)

 

 

 


 新たな旅が始まりました。未知の世界への旅⽴ちは何やら⼼が弾みます。
向こうへ着いたらすぐに宇野さんに演出を受けたいと思います
「デコ、お前ちっとましになったな」と⾔われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。

杉村先⽣ともどんな役でもいいからご⼀緒したい。ワクワクします

両親に挨拶するのは⼆、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。

 

これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。
それでは⼀⾜お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…

 

奈良岡 朋子

 


 


最後まで粋で朗読の時と同じように潔く、そして生涯舞台の人でした。

 


奈良岡 朋子さんのご冥福を心よりお祈りします。
 

 

 

 

 

text/5/25/2023