歴史ミステリー小説「東毛奇談」第1章の解説
<span style=font-size:x-large>東毛奇談の解説</span>
fc2ブログ「物語を物語る」で「東毛奇談」の掲載が第1章まで終りました。
分かりにくい点が多々あると思いますので、少々解説を。
各章の冒頭に過去の話を少しずつ載せています。
第1章は徳川家康が征夷大将軍となった日の出来事と、天台宗の僧である天海が家康を訪ねてくるところから物語を始めました。つまり話は、徳川家康はなぜ新田源氏を名乗ったのか、天海が登場してなぜ新田の話をするのか、といった謎を最初に提示しておきました。
そして時代が飛んで、現代の平成14年(この年でなければならない理由がある)になって、主人公の一人である真船千太が登場します。彼は地元新聞社の文化部の記者で、そこに雨月常太郎という少し謎めいた老人が訪ねてきます。(かれらの名前がすべて伏線になっています)
雨月と真船の少々長い談義は、「新田義貞の稲村ケ崎による太刀投げ」から始まり、結局は新田氏とはなんだったのかを問いかけで終わっています。そして最後に「なぜ世良田東照宮は東を向いて建っているのか」という謎を残して雨月は去って行く。
このエピソードのままだと、龍や天狗や刀やらが登場して和風ファンタジーか、怪奇物かと思われるだろう。まあ、この路線もあったかな、とも思ったんですが、それにはかなり技量、筆力が不足しているので、あきらめました。
この会話のやり取りは、芥川龍之介のという短編を意識して書きました。(もちろん技巧は遙かに、はるかに、ハルカに及びませんが……)この「西郷隆盛」という小説は、日本最初の歴史ミステリーか、といわれるもので、短くて、あっというようなオチまでついていて、読みやすいです、興味のある方は読んでみてください。まあ、芥川龍之介は最高のエンターテーメント小説作家だということが分かりますよ。彼が現代に生まれていたとしたらきっと最高のミステリー小説を書いていたと思っています。
さて話を元に戻して、もう一人の主人公である龍舞琴音がここで登場します。彼女は、テレビ番組制作会社でクイズ番組のリサーチャーとして働いている。彼女がテレビ制作会社に勤めているという設定は後のストーリーに関わってきます。決して安易な発想ではないことをお断りしておきます。リサーチャーというのは、クイズ番組や教養番組などで、下調べをしたり、調査したりして、どちらかというと、かなり頭を使う仕事です。
この小説では、このあと彼女がいろいろ調べたり、資料を読みこなすといったことが出てくるので、違和感がないように設定するには、いい職種を見つけたと思っています。ただ彼女のテレビスタッフとしての仕事ぶりや独身女性の生活や、彼女がどのような生い立ちから現在の人格を形成していったかをもっと書き込まないとリアル感が出ないなあ、と今もって反省しております。
そして、番組制作の調査で会うという強引な設定を作って、無理やり二人を合わせることにしました、そうしないと物語は進みませんから……。とここまでが第1章です。
そして怒涛の第2章がスタートします。
と、今後の予告を含めて目次を
第1章 天狗のこと
第2章 新田伝承のこと
第3章 家康改姓のこと
第4章 本能寺の変こと
第5章 仮名手本忠臣蔵のこと
第6章 徳川埋蔵金のこと
終章 内侍と世良田氏のこと
ということになっております。
「~のこと」というのは太平記では各段に「~のこと」とついているのでそれにちなんで付けております。
遅ればせながら、自己紹介を。自作「歴史ミステリー小説は和製ダヴィンチ=コードか?
三十代後半の男性。幼稚園に通う一人娘がいる。日曜祭日に休みのないサービス業の会社に勤める、肩書きのないサラリーマン。年間に100本の映画・DVDを観て、100冊の小説・本を読む、まさにストーリー中毒者。
数年前に原稿用紙10枚の「怖い話」が文庫に収録され、物書きに目覚める。以来文芸・文学賞に応募するも、次々に落選する。(甘い世界じゃないと身をもって知る)
自身の渾身の大作である(原稿用紙1000枚)歴史ミステリーを書くも、発表する場もなく、パソコンデータとしてしまわれたまま、数年間寝かされたままである。続編の構想もあるが、今は、全く宙に浮いた状態となってしまっている……。
自分で言うのもおこがましいが、このまま捨てるには惜しい。確かに自分で読んでもじれったいほど、人物の造形は浅いし、描写もストーリー展開も明らかに素人だ。だがこの歴史の新説は捨て難い……。自分では「和製ダヴィンチ・コード」だと思っている(笑)。(ただし殺人事件は起こりません)
そして、この状況を打開すべく、出版社の持ち込みも考えた。大手出版社から、地元出版社まで、手紙を書き、企画書を送付したが、全くのナシの礫。(コネがないとダメだということを後から聞きました) これでは原稿を読んでもらう以前の問題だった。
では、せめて活字にしたいと、よくある自費出版社の企画出版でということも考え、原稿を送付。しかし返ってきた答えは共同出版というもので、出版に際しては数百万円はかかるとのこと。(これも、相当な有名人や売れ筋の企画でないと無料での出版とはいかない、特に歴史ミステリーというマイナーな分野ではダメだと後から知る)
まあ、子持ちの会社員に百数十万の出費はでか過ぎるでしょう。少ない小遣いから数万円を捻出するのは、今の私にはとても難しいことなのです。(家族にはただの道楽だと見られていて、金銭的協力はもらえない……)
そこで考えたのが、ネット公開!
とは言ってみたものの、ネット事情に詳しくない自分。これからどうやってワード文書をブログにのせるか、悩んでしまった。いい方法ってありますか?
と言いつつ、この歴史ミステリーの内容は、南北朝時代と徳川家康と本能寺の変と仮名手本忠臣蔵と幕末・明治維新と徳川埋蔵金。これらの謎をつなげていくと……。といった感じで、これだけでは何のことやら分らないと思いますが……。
とりあえず歴史ミステリー小説「東毛奇談」は、fc2ブログのhttp://pcscd431.blog103.fc2.com/ の方で順次公開しています。
社会保険庁どうかしてるぞ
年金記録不備問題で、社会保険庁の村瀬長官と幹部職員ら14名が6月8日の朝、JR東京丸の内北口で、「心からお詫び申し上げます」などと書かれたチラシを通行人らに配った。約40分で配った枚数1400枚だった。
こんなのパフォーマンスのなにものでもないし、こんな謝り方ってちょっとちがうんじゃないだろうか。
普段は偉そうにしている長官と幹部職員たちが、こんなことまでして謝っているんだから許せ、みたいのが見えて嫌な感じがする。
こんなことをする時間があるなら、彼らには司令官としての仕事をしてもらいたい。
いまこそリーダー格の人々がしっかり指示をして、部下を動かさなければ、いつになってもこの問題は解決しないのではないでしょうか。そうゆうユルイ役所体質の積み重ねが、約5000万件の未統合問題として今となって噴出しているのではないか。
社保庁に限らず、政府、役所が、サラリーマン化して、上に立つ人がリーダーシップを発揮せずに、パフォーマンスに走る傾向にあるのは、憂慮すべき問題である。
東国原知事のようなパフォーマンス一辺倒な政治活動が蔓延すれば、何かを履き違えていることにも気づかず、後になってとんでもない事態を招くことになるだろう。それを許しているマスコミ、国民も悪いということになるだろうが……。
「笑っていいとも」で見たすごいこと
松岡修造は急に立ち上がったり、ラケットを振り回したりとやりたい放題だった。
だが、その予測不可能な動きにも、画面から彼が外れることはなかった。
すごいというのは、このカメラのスイッチングのすごさだろう。
テレビ業界に詳しくないので、カメラマンがえらいのか、ディレクターがえらいのか分からないが、とにかく、めまぐるしく動く松岡修造をとらえる技術にはすごいものがあった。
私は社員食堂でこの光景(表現がへん)を見て、思わずうなっていた。
笑っていいともを見て感心している私を回りの人が見て、そっちの方が変に見えたかもしれない。
斎藤佑樹君と新田源氏と徳川家康
先日の早慶戦からの、報道合戦すごいものがありますね。今まで・これほど大学野球が注目されたことがあったのでしょうか。それに、ニュースによれば、前日からチケットを求める人々が神宮球場に集まったらしい。斎藤祐樹君の人気は今だに衰えをみせませんね。
このブログで書いた「斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わり?」は内輪でも大変な反響があった。すでに大中黒(新田氏の家紋)を持って球場に応援に行くといっていた友人もいたくらいだ。それにしても実に熱心なことだ。
それでは、本題です。新田源氏と徳川家康の関係です。これは自作歴史ミステリー小説「東毛奇談」の根幹を成す部分となります。
徳川家康は自ら源氏を名乗りましたが、実際には、徳川家、松平氏は源氏とは全く関係のない家系です。系図を改ざんして無理やりに源氏姓を得たという話は、歴史に興味のある方には、知っている人は多いでしょう。ではそのとき使ったのが、新田源氏であったということを知っているということになると、案外知っているという方は、少ないかもしれません。
実際に、家康が新田源氏の家系に結びつけるために使ったのは、世良田氏というものでした。実は世良田氏は徳川郷にも領地があったため、徳川氏(得河)とも呼ばれていたんです。
家康は将軍職を得るため、家格を上げるためにも、是が非でも源氏の姓が欲しかった。朝廷には、武家の棟梁である将軍職は「源氏」であるという暗黙のルールがあった。(鎌倉、足利幕府の先例があるため) それに、これには伏線がある。豊臣秀吉は、自身の政権を盤石にするにはどうするかを考えた。そして足利義昭の養子になって源氏の姓を手に入れ、幕府を開こうとした。しかしこれは失敗した。そこで朝廷内でいろいろ画策して新しい姓「豊臣」を起こし、関白という官職で政権を維持しようとしたのである。もし秀吉が源氏姓を得て、幕府を開いたりすれば、豊臣幕府が開かれ、豊臣氏の天下は続いたかもしれない。その先例を見ていた家康は、より強固に源氏姓の必要性を感じていたに違いない。
そして、宮中で天皇に近侍する女官によって書かれた「御湯殿上日記」には、征夷大将軍就任の返礼として上洛した家康は朝廷から「新田殿」と呼ばれ、上機嫌であったという記述がある。
ではここで素朴な疑問が、数ある源氏の中から、なぜ新田にこだわったのか。
家康はどこでこの新田源氏の系図を手に入れ、埋もれていた世良田氏という家名をどこで知ったのか。ではなぜ家康はなぜ世良田氏ではなく「徳川」を姓にしたのかという疑問も出ます。一般的解釈では、家康が源氏を名乗ったのは、将軍職を得るためといわれている。しかし実際に、家康が「徳川」の姓を名乗ること朝廷に申請したのは、将軍職を得る30年以上前のことなんです。このあたりは実に不思議なんですよ。詳しくは次回以降で……。
という強引さで斎藤佑樹君と家康を結びつけてしまいました。