斎藤佑樹君と新田源氏と徳川家康 | 「物語を物語る」案内サイト アメーバ版                          

斎藤佑樹君と新田源氏と徳川家康

先日の早慶戦からの、報道合戦すごいものがありますね。今まで・これほど大学野球が注目されたことがあったのでしょうか。それに、ニュースによれば、前日からチケットを求める人々が神宮球場に集まったらしい。斎藤祐樹君の人気は今だに衰えをみせませんね。

このブログで書いた「斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わり?」は内輪でも大変な反響があった。すでに大中黒(新田氏の家紋)を持って球場に応援に行くといっていた友人もいたくらいだ。それにしても実に熱心なことだ。


それでは、本題です。新田源氏と徳川家康の関係です。これは自作歴史ミステリー小説「東毛奇談」の根幹を成す部分となります。

 徳川家康は自ら源氏を名乗りましたが、実際には、徳川家、松平氏は源氏とは全く関係のない家系です。系図を改ざんして無理やりに源氏姓を得たという話は、歴史に興味のある方には、知っている人は多いでしょう。ではそのとき使ったのが、新田源氏であったということを知っているということになると、案外知っているという方は、少ないかもしれません。

実際に、家康が新田源氏の家系に結びつけるために使ったのは、世良田氏というものでした。実は世良田氏は徳川郷にも領地があったため、徳川氏(得河)とも呼ばれていたんです。

家康は将軍職を得るため、家格を上げるためにも、是が非でも源氏の姓が欲しかった。朝廷には、武家の棟梁である将軍職は「源氏」であるという暗黙のルールがあった。(鎌倉、足利幕府の先例があるため) それに、これには伏線がある。豊臣秀吉は、自身の政権を盤石にするにはどうするかを考えた。そして足利義昭の養子になって源氏の姓を手に入れ、幕府を開こうとした。しかしこれは失敗した。そこで朝廷内でいろいろ画策して新しい姓「豊臣」を起こし、関白という官職で政権を維持しようとしたのである。もし秀吉が源氏姓を得て、幕府を開いたりすれば、豊臣幕府が開かれ、豊臣氏の天下は続いたかもしれない。その先例を見ていた家康は、より強固に源氏姓の必要性を感じていたに違いない。

そして、宮中で天皇に近侍する女官によって書かれた「御湯殿上日記」には、征夷大将軍就任の返礼として上洛した家康は朝廷から「新田殿」と呼ばれ、上機嫌であったという記述がある。

ではここで素朴な疑問が、数ある源氏の中から、なぜ新田にこだわったのか。

家康はどこでこの新田源氏の系図を手に入れ、埋もれていた世良田氏という家名をどこで知ったのか。ではなぜ家康はなぜ世良田氏ではなく「徳川」を姓にしたのかという疑問も出ます。一般的解釈では、家康が源氏を名乗ったのは、将軍職を得るためといわれている。しかし実際に、家康が「徳川」の姓を名乗ること朝廷に申請したのは、将軍職を得る30年以上前のことなんです。このあたりは実に不思議なんですよ。詳しくは次回以降で……。

という強引さで斎藤佑樹君と家康を結びつけてしまいました。