俳優って善人や正義感の強い役で観ると全てがかっこよく見え、悪役で観るとこんなに嫌な(怖い)人はいないとなります。まさに演技力の賜物と感じるところですが、視聴者にとって役による影響ってつくづく大きいなあと思うわけです。

今回取り上げるのは鹿賀丈史さん。鹿賀さんほど私の中での振れ幅が大きかった人はいないんじゃないかと思っています。それほど出会いが衝撃的でした。

 

私が、初めて鹿賀さんを観たのは角川映画の「野獣死すべし」(1980年)でした。

原作が大藪春彦、主演が松田優作さんで、当時は小林麻美さんの出演が話題になっていたのではないかと記憶しています。

映画を映画館で観るというスタイルは私が高校生の終わりぐらいからで、それまではほとんどテレビの放送で映画を観るという家族でした。昔は人気のあったもの、話題作、名画はテレビで放送されることが多かったのです。しかも名画以外は、映画公開からそんなに時を置かずして放送されていたような記憶があります。今でいうところの地上波です。この映画をなぜテレビで観たかというと、父親が大藪作品をよく読んでいたから、松田優作さんが出ているから、だったと思います。

今から考えると家族で観る映画ではなかったなと思うわけでして^^;

 

警察の刑事から拳銃を奪い、その拳銃で違法カジノの強盗殺人事件を起こした伊達邦彦は東大卒のエリートでありクラシック好き、元通信社の外信部記者として戦場を取材するカメラマンだった。数々の戦場での地獄絵図を見ていくうちに、社会性や倫理を捨て去り野獣と化していった。次に銀行を襲う計画を立てた伊達は、自分の相棒となる男を探していたところ、大学のゼミの同窓会の会場であるウエイターと出会う…。(Wikipediaより)

 

映画の手法とかあまりよく分かっていませんが、この映画はハードボイルドと言うよりはノワール系なんじゃないかと思います。松田さんが演じる伊達が病的な感じでサイコっぽくて不気味、内に暴力性を秘め実行する力もある、という人物の造形がされていたため、静かな悪意、静かな狂気を独特なリズムで描いていたように感じます。

少し逸れますが、松田優作さんと言えば、有名な作品の一つにドラマの「探偵物語」(日本テレビ系、1979~80年)がありますね。私は高校時代、夕方の再放送でよく観ていた好きな作品なのですが、その最終回で主人公は自分の大好きな友人たちを殺されたために復讐鬼と化してしまいます。その時の松田さんには、風貌こそ違いますがこの伊達の役の片鱗が見えているんですよね。今まであんなに気安い陽気な工藤ちゃん(と見えて実は硬派)がまさかのキャラ変。初めて最終回を観た時は楽しんでいたキャラクターに突き放された気がしてかなりショックでした。

自分の友達たちを殺した組織の犯人たちは何の感情も持っていないような異質な人間たち。顔が白塗りで表情がないという、まるで記号のようで、これからの時代(80年代)にはこういう表情が読み取れない人間たちが増えていくという風に描いたのではないか…。このように思ったのは、90年代、2000年代も超えた数年前にもう一度最終回を観た時です。

 

伊達という役の造形は原作とはいささか違うようですが(野獣死すべしのWikipedia)、この映画に「探偵物語」の工藤ちゃんの最終回の片鱗が見えているのなら、作り手たちによる新しい時代や人間への危機感が感じ取られるというか、希望ではなくいびつな何かを嗅ぎ取っていたのではないでしょうか。それがこの映画での伊達像だったのではないかと、とっても後付けの感想ながら思ったりするのです。

そして、そんなに来るべき80年代の世の中を不安視し、危惧していたのかと驚きます。とすると、あの時代の人たちは90年代、00年代、そしてもっと先の今の2020年代はどんな風に読み取るんだろうかと気になります。もっとシニカルで、もっと危うい世界と取るんでしょうか…。

 

話を戻します。その不気味な伊達に負けていなかったのが鹿賀さん演じる相棒の真田という役でした。

当時、鹿賀さんはアフロヘア(カーリーヘアに近い感じ)で、血気盛んな若者を演じていました。何が怖かったというと、もうその存在全てでした。ウエイターだった男が客である伊達の友達と諍いになり、殴るシーンが伊達との出会いでした。

眼光の鋭さ、精悍だけどまるで野獣で、直情的で善悪の分別もつかず、何を考えているか分からない怖さ、そして世の中の枠には決して収まりきらない異質な感じがとても不気味なキャラクターだったのです。この人物像も先ほど書いた時代の象徴だったのかもしれません。そして、アフロヘアの存在感が強烈でした。

この恐怖が当時中学生だった私に刷り込まれてしまったというわけです。

たまにCSなどで放送されているのを少しだけ観たりすると、今ならもちろん鹿賀さんの中の一つの演技だと分かります。でも初見では無理かなとw

ちなみに、野獣死すべしは仲代達矢さん、藤岡弘さんで映画化されているそうです。どんな映画なのかは気になります。

 

今回、この記事を書く前に鹿賀さんのテレビ歴を整理してみましたw

「野獣死すべし」のテレビ放送をいつ観たのか、によるのですが、銀河テレビ小説「青春戯画集」(NHK、1981年)を観た記憶があるけれど、怖いという記憶はないので多分映画よりも前に観たのでしょう。でも「Gメン75」(1981~82年出演)での刑事役を観て、あ、あの人だ!と怖かった記憶はあるので、おそらく「野獣死すべし」の後に観たのだと思います。ちなみにGメンではアフロヘアは健在でした^^;ラーメン屋に下宿する設定だったかな?ユニークなキャラクターだったような気もしますが、私と鹿賀さんの間の距離は1ミリも縮まりませんでしたw

あの映画での不気味さが薄まったのは朝ドラの「本日も晴天なり」(NHK、1981~82年)と角川映画「悪霊島」(1981年)でした。

「本日も…」はヒロインの相手役として出演していることは知っていたので、そのキャラクターを観ていくうちに少しは慣れたんだと思います。善人役ですしねw

「悪霊島」は当時観ていません(後にテレビ放送で視聴)。ただ、角川映画お馴染みのCM砲でテレビにバンバン流れていました。鹿賀さんのあのアフロヘアが金田一耕助の帽子からはみ出しており、ビジュアル的に私の中ではまだちょっと怖いという感じではありましたが、繰り返しのCM砲と天下の金田一耕助というキャラクターでかなり緩和されたような気がします。

「野獣死すべし」から始まったこれらの作品を観たのは1981年~1982年の間のことです。何とも密な期間だったと言うべきかもしれません。

 

しかし、それほど時を置かず私は鹿賀さんの出演作品を観ることになります。

 

銀河テレビ小説「夏に逝く女」(NHK、1982年)、「家族ゲーム」(テレビ朝日、1982、84年)、松本清張原作「波の塔」(NHK、1983年)、火曜サスペンス劇場「蜜の香りは苦く」(日テレ、1984年)、松本清張原作で土曜ワイド劇場「殺人行おくのほそ道」(テレビ朝日、1983年)、月曜ドラマランド「どっきり天馬先生」(フジテレビ、1983年)。

 

当時30代前半の鹿賀さんは、いろんな役を演じていました。

主人公に敵対する嫌味な教師(どっきり天馬先生)や、ある疑惑から妻を疑い脅迫する手紙を送り付ける夫(夏に逝く女)、自分の父親を殺すが妻に濡れ衣を着せる夫(蜜の香りは苦く)、被疑者の妻と知らず惹かれ合うようになった検事は窮地に陥り、樹海で無理心中する(波の塔)、殺人事件を追う主人公をサポートする青年(殺人行おくのほそ道)、といった、様々な役を演じていました。

気がつけばもうアフロヘアでなくなりw、犯人であってもなぜこの人物はそうしたのかという理解ができる役でした。

この1982年~83年にかけて観た鹿賀さん出演のドラマが私に影響を与えた意義はかなり大きかったです。いろんな役を演じる個性的な俳優として受け入れていったのではないかと思います。

ちなみに夏に逝く女(以前書いた銀河テレビ小説の項で少し触れています)、波の塔はもう一度観たい作品です。波の塔の鹿賀さんは繊細な演技で凄く好きな役です。

 

少しずつそんな風にいろんな鹿賀さんを自然に受け止めていくうちに、「私鉄沿線97分署」(テレビ朝日、1984~86年)の刑事役でファンになりました。奈良刑事という、大人の包容力があり、優しくて温かくて地域に根差す刑事役が魅力的でハマりました。

このドラマは日曜日8時からのゴールデン枠での放送で、拳銃を撃たず、時には罪を犯した側の気持ちに寄り添って事件を解決していくという、ファンタジー的な世界観の刑事ドラマでした。殺伐としていない雰囲気が好ましく、毎週楽しみに観ていました。この後、主演の刑事ドラマ「ジャングル」(日本テレビ、1987年)、西田敏行さんとダブル主演の「翔ぶが如く」(NHK、1990年)へと私は観ることになります。

 

ファンになると、昔の作品が観たくなるというものです。

再放送がとりわけ嬉しかったのは、朝ドラ「本日も晴天なり」と大河ドラマ「黄金の日日」(NHK、1978年)でした。「本日も」では良き夫、良きパートナーとして主人公を支える役で、出過ぎず引き過ぎずの存在感が絶妙でした。主人公に厳しいことも意見をする役だったということもありますが、家族劇という大勢の登場人物が一つの絵に収まる中、そこに座っているだけでもきちんと役として存在しているんですよね。その存在が見えるって口で言うのは簡単でしょうが、なかなか難しいと思うんです。上手いなあと思いました。当時の記事だったか、ヒロインを演じた原日出子さんは劇団四季の研究生出身で、鹿賀さんは劇団四季で主役をはっていた先輩。とても緊張されたそうです。

その劇団四季に在団中に出演したのが「黄金の日日」で、高山右近役でした。

これはずっと観たいと思っていたドラマでした。鹿賀さんは、敬虔なキリシタン大名で、清廉でまっすぐで一点の曇りもない、まぶしいような人物を演じていて、観ているこちら側もスッと背筋が伸びてしまう感じでした。爽やかというよりは一本芯が通っているという役がとても似合っていると思いました。この頃はまだ20代後半の若き鹿賀さん、観られて本当に嬉しかったです。

 

もし私が、この高山右近から朝ドラの夫、Gメン75への役のリレーを観ていたら、鹿賀さんをかっこいい俳優として認識していたでしょう。しかし、真逆の悪役から出発したからこそ、いろんな役を観るうちに役を通して俳優としての魅力に気づけたように思うのです。また、そのように気づかせてもらえた俳優の一人だと確信しています。鹿賀さんの役のチョイスも確かで良いですね。ドラマも映画も(麻雀放浪記キャバレーも好きです)舞台も、鹿賀さんの魅力と役の魅力の両方を楽しめるようになっているものばかりで、とても素敵ですね。
今後も、再放送を探して若き日の鹿賀さんの演技を楽しみつつ、新たな役に挑戦される演技を観ていきたいと思っています。

以前、「ザ・サスペンス」(TBS系 1982年〜84年 )の枠内で放送された「生きていた男」について書きましたが、その際、この2時間ドラマ枠内で記憶に残る他の作品のこともちょびっと挙げていました。

今回の「闇のよぶ声」(1983年)は、その思い出深いサスペンスドラマの一つです。

 

エリート官僚と裕福な家庭で育つ2人(石田純一中井貴惠)は婚約している。最近、女は男が砂丘の砂地獄に埋もれていき、それを助けようとする自分も同じように引きずり込まれていく夢を見た。何かを暗示しているように思い不安になる。

そんな時、男の兄弟(4人兄弟)の次兄が蒸発したという報せが男の元に届く。心配する2人。女の父親は婚約を破棄しよう、と娘に言う。熊本に住む長兄も実は蒸発していたことが調べて分かっていたからだ。女は父親に反発する。崖のそばで次兄が身に着けていた眼鏡が見つかる。3番目の兄(荻島真一)は不安がる弟に安心させようとする。

だが、その3番目の兄も蒸発してしまった。だが、兄はノートを残しており、Xという人物の存在をほのめかし、汽車、城跡、谷という自分が最近よく見る夢のキーワードを記していた。男は次は自分の番だとノイローゼになる。女は男のために大学の心理学の助教授(前田吟)の助けを得ようとした…。

 

当時は土曜ワイド劇場テレビ朝日)とザ・サスペンスがライバルとして同曜日の同じ時間帯に放送されており、まだわが家では録画機器を持っていない時でしたから、観るならどちらかを選ぶことになります。昔は究極の選択でした^^;

このドラマをオンエア時に観ました。

ということは、ザ・サスペンスを選んだことになるのですが、奇遇なことにこの日の土曜ワイド劇場の方も中井貴惠さんが出ていたので(ザ・サスペンス側の事情で重なった模様)、家族でどっちを観ようかという話になりました。わりと土ワイが好きな家族だったのに、何となくザ・サスペンスを選んだんですね。今となればホントにこっちをよく選んだ!と誉めてやりたいぐらいです^^

兄が立て続けにまるで神隠しのように蒸発するという、ミステリアスな設定にあっという間に引き込まれました。あと、繰り返し見せる冒頭の砂地獄の図が象徴的で、二人の未来の破綻を暗示するには十分でした。一体二人に何が起こるのだろう、と。

 

女は、3番目の兄が記した夢を見たキーワードを元に、兄の友人である探偵(藤堂新二)と一緒に一番最初に蒸発した熊本の兄の家を訪ねる。兄嫁(田島令子)と兄嫁の異母兄弟(加藤武)に城跡の話をしたところ、兄嫁の異母兄弟に案内してやると言われた。しかし、兄嫁から急用が出来たと言われてその案内は叶わなかった。東京では、助教授に自分の見た夢を書き留めるように言われた男だったが、無言電話がかかってきたり、手紙が配達されてきて錯乱状態になり、自殺をはかる。未遂に終わった男は3人の兄が第3金曜日に蒸発していると言い、その日を越えられたら大丈夫だと女に言った。

その日、女は男と会社の前で待ち合わせていたが、姿を現さなかった。まさか?!と慌てる女に、助教授は男は自発的に姿を消したと教えてやる。探偵に後を追わせていると言い、自分たちも熊本へ向かう…。

 

今回、改めて昔録った録画を見直したのですが、中盤辺りまで人間の心理や心理学的な話がストーリーに散りばめられていました。兄たちが忽然といなくなったのは自らの意思なのか?と置いていかれた家族も兄弟も不安になるのは当然で、この不可思議な現実をどのように受け止めればいいのか、どう考えればいいのかといった戸惑いが丁寧に描かれていました。また、予知夢というものについても語られていて、ドラマとしては、わりとストレートに心理について時間を割いて説明していたように思います。

おそらくこのドラマの原作が遠藤周作の小説だったからだと思います。私は、遠藤周作の小説をまだ読んでいないのですが(いつか読もうと思いつつ果たせず)、いろんな評論で垣間見る氏の作品の精神的な深さのようなものを、脚本家(佐藤繁子)はこのドラマに入れたのではないかと思うのです。今のドラマであればこれらは寄り道として省いてしまうような気がします。

 

しかし、ドラマは不可思議な心理的なものとして終わりませんでした。何事も原因あっての結果というか、シンプルな話でしたw

実は、男は自分に向けて行われた事件と気がついており、女に知られないように自分で解決しようと熊本へ向かったのでした。そして熊本に住む兄嫁には異母兄弟などいなく、兄嫁を寝取ったこの男こそが3人の兄を蒸発に見せて殺した犯人でした。

4人兄弟が7年前に久しぶりに集まり、島へ旅した時に兄弟の一人(末弟)が島の娘と関係を持ったものの捨てたため、娘は薬物中毒で死亡。その娘の父親が復讐のために兄弟を殺していったというのが真相でした(長兄には自死を強要)。兄弟に連帯責任を負わせたということですね。娘の父親は末弟である男への復讐として、長兄の時と同じように目の前で女を襲おうとしたら、探しに来た探偵に阻まれ逃げるのですが、探偵と一緒に後を追ってきた兄嫁に刺され、二人一緒に城跡の上から落ちていきました。無理心中でした。兄嫁は強引に関係を持たれたとはいえ、現実を諦め虚無的に生きることしかできなかった自分を許せなかったのではないか、と思います。田島令子さんの抑制的な演技が良かったです。

 

そして、です。男は助かった女に娘から誘ってきたんだ、と言い訳をしました。

でも、東京へ訪ねてきた娘を冷たく追い払っているシーンを見せているので、その場だけの都合の良い関係にしたかったという打算も見えてくるんですよね。

女はあれほど自分たちの前に塞がる暗い未来から守ろうとした男のことを信用できなくなり、兄嫁の無理心中を目の前で見て衝撃を受けているところへ、これまた目の前でその2人の落下を見てしまった男は原罪は自分にあるとばかり、叫びながら自分もまた城跡の上からダイビング…。

当時、何が一番びっくりしたかと言えば男のこのダイビングでしたw

元凶はこの男で、3人の兄たちもこの末弟のために連帯責任を負わされ殺されてしまったので、当初の幸せな2人に戻れるはずはなく、きっと悄然と自分の罪を背負って生きていくのだろうと思っていたのですが、その考えは甘かったようです。まさかダイビングするとは本当に思わなくて、えっ(*_*)て感じでした。呆気にとられましたね。

男を演じた石田純一さんは見事すぎる熱演でした。

今のドラマとつい比較して書いてしまいますが、昔のドラマってなかなかと壮絶なんですよね。

Gメン75TBS、1975年~82年)でも最後にためらいなく犯人を刑事たちが撃つシーンがあり、20年ぐらい前に再放送で観た時でさえ、犯人を諭して終わりにはしないことに衝撃を覚えたものです。

諭すことももちろん大事なのですが、今は刑事ドラマなどでも、ほとんど諭して終わりなんですよね。「優しい」ドラマを観るたびにモヤモヤとすることが多いです。かと言って、このダイビングを支持するわけではありませんがw

 

原作がこの結末通りか知りたいところです。

また、この原作で映画が作られています。「真夜中の招待状」(松竹、1981年)です。ドラマよりも早くに作られているのですね。これも観ていないので、いつか機会があればぜひドラマと比較してみたいですけど。

 

ダイビングで記憶に残ったドラマになりましたが、もう一つ記憶に残る要素がこのドラマにはありました。

3番目の兄が自分の夢のキーワードとして残した、汽車、谷、城跡の風景ですが、このロケとして使われたのが大分県竹田市にある岡城跡でした。

助教授と探偵が兄嫁を伴って電車に乗っている時、ここが兄の夢に出てきた場所では?と電車の中から見える景色に岡城跡の石垣群が画面に映るんです。山あいの谷を電車が走り、窓から見上げると石垣群が見える構図が素晴らしくて、夢という不可思議な説明のつかない内容とこの石垣が実にミステリアスなものとしてマッチする感じで、とてもゾクゾクしました。元々私は、城跡とか、山とか、今はもうないもの、または異形なものにちょっと畏怖心があったりするのです。圧倒的な存在感に迫力を感じるのでしょうか。怖いけれど見てみたい、そんな気分になります。

岡城跡へは、いつかぜひドラマのように電車の中から石垣群を仰いでから行ってみたいと思っています。ドラマでは断崖絶壁の眺望が素晴らしかったですが、ホームページで見ても凄いと感じます。

 

音楽は菅野光亮さん。映画「砂の器」(松竹、1974年)の音楽担当で有名な方です。昔このブログで「あったら絶対買うテーマ曲 その1」というタイトルで、ドラマ「白い秘密」(TBS、1976年)のオープニング音楽を紹介しました。菅野さんはその音楽を作曲した方なのですが、2時間ドラマなどの音楽も多く担当されたようで、昔のドラマを観ているとよく名前をお見掛けします。

この音楽は菅野さんかな?とエンディングに流れる名前で答え合わせを楽しむクイズを一人でやっていますw

ドラマを観ていると、クセがなくて、一見地味な穏やかな感じのするメロディに思えるのですが、でも割と菅野さんクイズを当てることも多いのです。多分菅野さんらしいところが音楽に表れているのでしょうね。モダンジャズなどいろんなジャンルの音楽をされていた方らしいです。

今回のドラマでは、予知夢や暗示、心理がテーマになっていたためか、音楽も暗くて不穏で、不安がずっと足元でくすぶって渦巻いている感じなのです。つい深淵を覗きこむ、それがタイトルの「闇のよぶ声」を表しているのなら凄いと思います。

ちなみに菅野さんは映画の「真夜中の招待状」も音楽担当とWikipediaに書いてありました。ますます観たくなるというものです^^CSかBSで放送してほしいです。

音楽といえば、私は70年代から歌謡曲を聞いて育ち、80年代からはニューミュージック(いつもこの言葉が今の若い人たちに分かるのだろうかと考える)を聞くようになり、段々といろんなジャンルの曲に親しむようになったのですが、80年代は同時に当時のアイドル歌手の歌を聞くことも好きでした。

レコードを買うところまではいかなかったですが、「ザ・ベストテン」(TBS系、1978年~89年)、「レッツゴーヤング」(NHK、1974年~86年)、「ザ・トップテン」(日本テレビ系、1981年~86年)、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系、1968年~90年)など音楽番組に出演するアイドル歌手をよく観ていました。だからベストテンが終わった頃ぐらいまでのアイドルの人たちのことは、わりと知っている方だと思います。

 

何が好きだったかと言うと、楽曲の良さ、アイドル歌手のひたむきな表現力でしょうかね。

私の世代は松田聖子さん、河合奈保子さん、中森明菜さん、小泉今日子さん、堀ちえみさん、石川秀美さん、菊池桃子さんなどなど多数。大勢いろんなアイドルの人たちが世の中に出てきた時代ですね。

私は特に彼女たちのデビュー曲が好きでした。デビュー曲というのは売り出すためのお披露目になる、とても重要な位置づけのものだと思いますが、意外にも曲としてはいきなり売れ線を狙うのではなく、聞いてもらいたい曲を作っていたのでは?と感じています。もちろん色々と仕掛けはあったでしょうが、デビュー曲には少し作っている側のゆとりが感じられたように思うのです。

例えば松田聖子さんの「裸足の季節」、河合奈保子さんの「大きな森の小さな家」、石川秀美さんの「妖精時代」、中森明菜さんの「スローモーション」、菊池桃子さんの「青春のいじわる」などなど……。

デビュー曲で人物の存在と魅力を伝えて、世の中の反応を見て、その次の曲から人物に最大限力を発揮させるために、計算をするというか、そのようなプロジェクトが動き出していたのではないかと私は思ったりするのです。

 

と、書くと今回の話は斉藤由貴さんのデビュー曲かと思われるかもしれませんが、違いますw 菊池桃子さんが出演した「卒業」というドラマについてです。

 

菊池桃子さんがデビューした時のイメージは、親しみやすく朗らかな女の子、に見えるけれどその下には繊細で少しだけ憂いが見える印象でした。

菊池さんの曲にウエットさを感じていたからかもしれません。詩の内容は明るくても、メロディには湿っぽさを感じるというか、アイドル時代の菊池さんの曲を全曲手掛けていた作曲家・林哲司さんの〝林節〟があったんでしょうが、元気さ、ポジティブさを前面に出していた他のアイドルの人たちとは少し違うなあと思いながら聞いていました。

 

特にデビュー曲の「青春のいじわる」は、秋元康さんの作詞では「僕、君」と男性目線で語られていたのがユニークで、ん?と立ち止まって聞いてしまうような曲の存在感がありました。中性的な歌詞とウエットな曲の取り合わせがなかなかと絶妙だなと今でも思います。

明るい曲もあるけれど、女性の健気で切ない詩を後押しするマイナー調の曲から受ける菊池さんの印象は、曲通りに「繊細で憂いがある」ものとして私の中で出来上がっていった気がします。

 

そんな中、菊池さんが4曲めで「卒業」という曲を発表しました。代表曲と言っても過言ではないぐらい売れた曲ですね。いろんな歌番組で歌う姿を見かけたものです。

この曲が発売されて1週間後、菊池さんが出演した単発ドラマの「卒業」(日テレ、1985年)が放送されました。

当時、観る前はタイトル通りの学園モノぐらいに思っていたかもしれません。卒業までの曲が気に入っていた菊池桃子さんだから、とチャンネルを合わせて観始めたら、これがミステリーモノで意外に面白かったのです。

 

舞台は東伊豆。酒屋を営む夫婦河原崎長一郎、左時枝の娘の桃子菊池桃子は女子高の2年生。幼なじみの男性にひそかに恋心を持っており、彼の大学受験のために裏山の神社へ合格祈願に行ったところ女性の悲鳴を聞く。その時自分のクラス担任岸田智史の姿を目にする。その後女性の死体が見つかり、警察は幼なじみを疑わしいと連行する。その幼なじみと付き合っていた桃子の学校の先輩に相談され、桃子は幼なじみを助ける証言をしてしまう。そして桃子が父の実子ではないことが分かり、桃子は苦悩する…。

 

ここで演じる菊池さんの役は女子高の友達グループと賑やかに談笑する普通の女子高生。怖い話が嫌いな、少しお調子者で好奇心旺盛で、身近に起きた殺人事件を調べたりもする。この辺りは陽のイメージで、アイドルとして活躍している菊池さんのイメージに合致するところでもあるのですが、父親の実子ではないと分かってしまい、また、殺人事件の犯人が自分の担任である疑惑が募ったことで現実の大人の世界に対する不信が高まり家出をする、という辺りは繊細で傷つきやすい、菊池さんの歌の世界の陰のイメージだと感じました。

人間は誰でも自分の中に「陰と陽」「光と影」を持っており、その真逆な2つがあるからこそ、陰影がくっきりと立ち上がって他人に強く印象(存在感)を与えるのだと私は思うんですよね。

誰もが一度は通過する多感な思春期に、この少々やっかいな相反する「陰と陽」「光と影」を持て余しながら、試行錯誤しながら、悩み傷つきながら、前へ一歩踏み出していくための気づきとしたのが主人公の菊池さんに与えられた役だったのだと思います。菊池さんに見え隠れする繊細さが上手く引き出され、好演でした。

 

犯人は、最初に桃子が目撃した通り担任教師でした。

既婚者だった担任教師は東京へ出張する際、たまたま電車の中で遭遇した元教え子と男女の関係になり、妊娠した元教え子と揉めて殺してしまった(転落死だったような記憶)。桃子の様子がおかしいので自分が犯人だと気づかれているのではないか、と思っている節が何度か出てきました。

桃子が学校の校舎の下で友達と事件の話をしている時に、ふと見上げると上の階(音楽室)の窓ガラスを閉める手が見える描写があり、このシーンにはドキッとしました。本格的な謎解きのミステリー作品ではないドラマでしたが、日テレは「火曜サスペンス劇場」を作っていた局でもあるからか、怖い描写が上手いなと記憶に残っています。

担任教師は熱血タイプの教師ではなくて、優しく淡々としたタイプの教師でした。どこにでもいる普通の教師が、つい陥ってしまった一時の教え子との不貞関係が身を滅ぼしてしまうのはリアルでした。優しい、は良くみえる半面、優柔不断にもなり得るわけで、その甘さが取り返しのつかない結果になるというオチは非情でもあり、戒めとして納得できる気もします。教え子が自分の幸せを壊す存在だと分かった途端、自分の身を第一に考えたわけですから、結局その人は元々優しい人ではなかったということになります。菊池さん同様、教師を演じた岸田さんも持っている優しく柔らかい雰囲気を上手く引き出されていたと思います。

担任教師は学校の卒業式に警察に連行されていき、また、桃子は自分の本当の父親の存在を知るものの会いには行かず、今の父親に対してわだかまりを持たないと決めて、また普段の日常に戻るという結末でした。桃子はいろんな意味での卒業を経験したということになるでしょうか。余韻が残る良いドラマでした。

 

このドラマの最後に、主題歌として菊池さんの「卒業」が流れました。曲が発売されて1週間で放送されたドラマと書いたように(Wikipediaより)、まだこの曲が世間的に知られていない頃だったはずなので、このドラマでほぼお初にお目にかかったと言っても良いのではないでしょうか。仮に、この「卒業」という曲を歌番組で聞いてから知ったとしても私は良い曲だと思ったことでしょう。でも、私はこのドラマの一部として聞いたから「卒業」という曲をとりわけ好きなのかもしれません。曲との良い出会いをしたと思っています。

 

ちなみに、このドラマ「卒業」は放送後の翌年に再放送され、その後の放送はなかったと思います。再放送の機会が少ないのは残念です。現在は、Amazon上で販売されている「菊池桃子プレミアム・コレクションLEGEND[DVD]」の中に、ライブ映像やCD収録と一緒にこのドラマも収録されているようです。