​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所 -218ページ目

​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。




アッコちゃんの生ウタ生ピアノ久しぶり。
場所が遠いせいか
16時開演ていう初めてのパターン。



一曲聴いてふと
ピアノ弾き語りは初じゃなかったかと気づく
一度くらいはあったかな?
10年前のシンクロはバンドスタイルだったよね。



変わらないなぁこの笑顔・・・
大人で、悲しみや苦しみも知っている筈の大人で
こんな笑顔の人は見たことない

直前に決めたというセットリストの合間も
ポロンポロンとスタインウェイを鳴らしながら話しながら
おもむろに歌いだす。
「横顔」懐かしいな。



アンコールの最後
ステージ奥の黒幕がサーッと開いて、海が見えた。

「海が見えると、なんでみんな『わぁっ』ってなるんだろうね」

って話してた通りに
『わぁっ』っと歓声があがった

私は、「ひとつだけ」のイントロ聴くと
なんでみんな『わあっ』ってなるんだろうね?
と聞きたかったけど(笑)

「商品としては流通しているけど、音楽は今、社会に必要とされてないでしょ。
至上の芸術、美しいものに対する認識が、薄い」

・・・少し前に見かけたアッコちゃんの言葉。
歌が、オリジナルよかカバーがより重要視されるような世の中だったら、音楽は
 “流通する商品”じゃなく
 “社会に必要とされる”ものになるだろうか。
なんてこと思いながら、頭上の月と真っ赤な夕日を眺めて帰ってきた。


・・・サラっとキヨシロー歌うあたり
格好良すぎるー
こうして、アタシの知る歌も知らない歌も
アッコちゃんがいる限り歌われていくところが
心底素敵だな、って思うんだ。



グッドモーニング
へびの泣く夜
My Love
横顔
椅子
星のつぶやき(友部正人)
変わるし
嘆きの淵にある時も
恩赦(忌野清志郎)
きよしちゃん
右手
ひとつだけ

Green Tea Farm
いい日旅立ち

寂れたガス・ステーション

コーヒーマシーンの壊れたカフェ
バッハを弾き続ける息子
遊び回っているばかりの娘
働かないバーテン

やっと帰ってきた亭主は
コーヒーマシーンの代わりに小さなポットを拾ってきた

女は怒鳴り散らした末に
亭主を追い出す





途方に暮れる女の目に
大きなトランクを引きずり歩いてくる旅行者が写る

砂漠に不似合いなハイヒールとスーツ
大粒の汗を拭い
たどたどしい英語で
宿を借りたいと申し出る

ブレンダは
1日限りの客と思ったこの旅行者が
いつまでも留まるのにうんざりしながらも
次第に
彼女の存在に癒されていく




怒りのおさまらないブレンダは
客相手でも喧嘩腰だ
この人の怒りがおさまる日なんてないんじゃないかと思えるほど。

彼女の目には、相当得体の知れない人物に見えたろうね
ジャスミンは。
実際、追い出そうとしてたし(笑)




カフェの常連達
入れ墨師
画家
ヒッチハイカー
長距離トラックのドライバー達も皆
今ひとつ何を考えているかわからないジャスミンの言動に引っ張られて
少しずつ変わっていく。
そして
カフェは砂漠のオアシスのように賑わい出す




向かいあったまま
涙を拭うブレンダと
汗を拭うジャスミン
・・・この二人があんなに仲良くなるとはとても思えない出会い。

惹かれ合ったといえば簡単だが
二人は心許し笑顔を交わせるようになるために
お互いのこれまでを語り合ったわけでもない



その昔観た時は
魔法か何かのように受け止めてた気がするが(それを奇跡と呼ぶ人もいた)
正直どんな映画かすっかり忘れていて(笑)
まったく真新しい気持ちで観た

もっとも、冒頭からの“あの歌”で
するりと引き込まれてしまったけどね




今は
なんとなくわかる気がするんだ

人が
自分の居場所を見つける時の
心許なさが
安心感へ変わるまでの道のり
と言えばいいのかな




それと、あの歌は
この映画の中で聴きたい
聴いて欲しい
あちこちで流れてるのとはまるで違うから




Calling You…
人生はいつでも、絶妙のタイミングなのよね。








南米ボリビア
アンデス高地
ウユニ塩湖


真っ白な大地に鉈を降り下ろし
黙々と塩を切り取る親子

夕日が地平線にかかる頃
「また明日」と家路に着く

村では祖母がキヌアの種を撒く
母は夜なべをしポンチョを織る

友達と遊ぶ子ども
サンダルが切れると手近な物で結び直して駆け出す
好きな乗り物を口々に挙げる
線路に耳を当てて
この先に未来に、思いを馳せる

決して裕福とは言えないけれど
心豊かな日々を送るコンドリ





青い!
が最初の印象。
白い大地と相まって
見たことないほど青い空
「南極料理人」を思い出した



お父さんの、目出し帽にサングラスみたいな格好が怪しげに見えて
初めは何してるかわからず(笑)
雪じゃなく塩だ湖だとわかって納得。

しかし「今日は終わり」と言って帰る
その歩いてく先に
地平線しか見えないんですけど

・・・どこまで帰るの?!
時の流れが全く違うわ。





静かな日々にも
変化は訪れる

引っ越していく友達との別れ
祖母は亡くなり
父はコンドリを初めての塩キャラバンへ連れ出す
リャマの背に切り取った塩を積み運ぶ
3ヶ月の長い旅




旅は
鉱山へ出稼ぎに行ったまま便りがないという
父を探す友だちも同行する。

やっと探し当てた時には
悲しい知らせ

道を分かち
キャラバンは父と息子の二人で続く



リャマ可愛い。
目印つけて
さらに可愛い。



・・・出発前
父は
「キャラバンは時代遅れだ」
と観光ホテルの建設現場に誘われる

一方で
ウユニの塩を待っている人々がいる
旅は
塩と土地の作物の物々交換だ
金にはならない

父は再会した友人に
「いつまでできるか」とこぼす

コンドリは
初めての土地で祭りの賑やかさに触れ
初恋を知る




「なるようになるさ」は世界共通?
仕事を探してより開けた土地へ
というのも何処も一緒だね
自分自身がそうだし

物々交換生活できるわけもないから
資本主義も競争社会も一方的に非難したりしないけど・・・

誰にでも
目の前の事実があり
選択の自由がある

塩キャラバンがなくなり
お金で塩を買うのが当たり前になってしまっても
誰にも文句は言えないだろう



だけどね・・・
だけどね、って
言いたくなる。



パチャママとは、インカ帝国の末裔、アンデス先住民の言葉で
“母なる大地”

コンドリ初め
子ども達の笑顔は
何も知らない無邪気な子どものそれというより
すべてを知っているようで
私たちよりずっと大人に見えたから。

大人、というのは変かな
これから辛いことや悲しいことが訪れても

大切な人と共に
乗り越えていける強さのような

その土地と
しっかりつながっている安心感みたいな
そんな満たされた笑顔。




出来れば残っていてほしい。
あの白と
青と
リャマと
笑顔と。


そう思うのはただの傲慢なのかな。
犬か猫か
といったら断然猫派
のわりに手を出したのは、何故だろう。





結婚し
南フロリダへ越してきたカップル

「子供が出来たら人生終わりだ」

という友人にそそのかされるように
夫は
妻の誕生日に
ラプラドールをプレゼントする
その名も「セールわんこ」
・・・連れ帰る車の中でつけたラジオ
ボブ・マーリーの曲を聴いて
「マーリー」と名づけられた



雷に怯えて吠え
ガレージの壁を”食べる”マーリーは
「セールわんこ」の名の通り(?)
訓練学校からも追放されるほど
「矯正不能な子」




・・・そうだ
日本の犬映画は決まって泣かせる話だけど
予告編見てこれ違うな
と感じて気になったんだった




記者の夫は
意に反してコラムを担当することになり
気乗りしないままマーリーのことを書き始める

コラムは好評を得て
週2回から毎日に変わり
夫は忙しさに終われ
やがて妻は妊娠し
家族が増えていく

その間も
マーリーはいつも変わらず
床を食べ
ソファを食べ
雷に吠え
時に夫婦喧嘩のタネになった




昔、父が次から次へと動物を飼っていて
犬も何匹かいたけど、
「自分の子供とうまくやれないからペットに逃げてる」
と子供心に思っていた(笑)
実際、そうだったしけど
何匹か飼った犬も
もれなく吠えグセついてたよなぁ



そして内心毒づいてた私はというと
ペットを家族に持ったことはない。

犬と飼い主の関係には
密かに憧れるもするが
親がうまくやれないの見てたから
子どもの私もきっと無理
と思っていた

自分だったら
家を"食べる"時点でもう
「ない」ね

靴なんかかじられた日にゃ
キレますきっと(笑)



映画の中じゃ
あっという間に大きくなっちゃうけど
その間に訓練すればよかったじゃない
大きくなってから訓練学校行ったりしないで
・・・と突っ込みどころ満載だけど
ま、共働き夫婦は忙しくタイミング逃したってトコなのかな。
日本じゃ
コラムが評判呼ぶまえに
近隣トラブルだよね(笑)
そこはやっぱアメリカかな




いつも、どこまでもマイペースなマーリーだけど
初めての赤ちゃんに会えないと
わかって落ち込むママに寄り添うところは
しっかり、家族の一員だね。

マーリーと一緒に
カップルは夫婦になり
家族になっていく


笑わせて終わりかと思えば
そうでもなく
いつかくる時をちゃんと迎えて
映画は終わる
・・・見送った3人の子供たち
大きくなってどんな家族を持つのかな

そこに
ラプラドールはいるのかしら。






犬は高級車も豪邸もブランド服も求めない
枝が一本あればそれで十分だ

あなたが金持ちでも貧乏でも
利口でも鈍くても犬は気にしない
愛すれば必ず応えてくれる

人間はこれほどまであなたを
純粋で特別な気持ちにさせるだろうか?

あなたを誇らしい思いにさせてくれる大切な人は?

荒れた草地で
サッカーに興じる子どもたち

警官に先導された車が通ると
歓声を上げ 口々にマンデラの名を繰り返す

通りを隔てた向かい側は 整備されたグラウンド
ラグビーチームが練習している

コーチは忌々しそうに”歓声”を見つめ
呟く
「今日からが屈辱の始まりだ」



ー1990年2月11日
 ネルソン・マンデラ氏 釈放

そして彼は
全人種が参加した選挙で選ばれ
南アフリカ大統領に就任した





当時、マンデラ氏釈放と
初の黒人南アフリカ大統領就任のニュースを
TVで見たとぼんやり記憶している

アパルトヘイト(人種隔離政策)という言葉も。



国のトップは変わったが
状況は何も変わっていない

就任初日
荷物をまとめる前政権の職員たち
さらに警護班として公安がやってくる

彼を”マディバ”と慕う部下ですら
「あいつらに皆殺された」
と反発を隠せない

それでも大統領は
 「赦しが魂を自由にする」
と教え諭す
———警護班は新政権・多民族の象徴、笑顔でいろと。

そして
「銃に守られながら話したくない」
と彼らをドアの外に立たせ
全職員を集めて

「過去は過去。我々は未来をめざす。力を貸して欲しい」

と頭を下げる

 


ラグビーは
白人からもたらされたスポーツ

代表チーム スプリングボクスは
アパルトヘイトの象徴だ

白人は ボクスを応援し
黒人は 敵チームを応援する

当時大敗を喫し
「南アフリカの恥」と非難されていたチームの
エンブレムとカラーを変えようとする 国家スポーツ評議会

全会一致の採決にも
大統領はひとり反対する・・・



アフリカーナー(ヨーロッパ系白人)たちの宝物=ボクスを
取り上げたら
彼らの支持は得られない

謹み深さ
奥ゆかしさと
寛大な心を持て、と。





・・・まるで神様?
いや、彼もひとりの人間。
日課の早朝散歩、警護の者に家族は元気かと尋ね
「大統領のご家族は」と問われると
「家族?4300万人もいるよ」と散歩を取りやめ引き返してしまう。
・・・長いこと、誰も訪ねてこない家。


やっと会えた娘は
ボクスの主将と笑顔で並ぶ父の新聞記事を指し
「家から私たちを追い出した警官みたい」
と批判する

人種対立問題の根は深い
教会で配られる古着の中にあったボクスのジャージ
黒人の子は受け取らない
「本物よ」と首をかしげる白人
黒人は理由を知っている
「それを着ると殴られる」・・・




大統領は
 ”ひとつのチーム ひとつの祖国”
キャンペーンを展開
ボクスに ラグビーワールドカップPRの為
黒人地区の子どもたちへコーチを依頼する

スプリングボクスは
アパルトヘイトの象徴から
新しい南アフリカの象徴へと変わってゆく。


 「国民は誇れるものを求めている」




そして1995年
ラグビーワールドカップ開催

大方の予想を裏切り
勝ち進むボクス

だが優勝は?








好きなシーン

★ ラグビーは嫌いだ
 警護班のトップ、ジェイソンの口癖。


★ 国家スポーツ評議会へ乗り込む大統領。
 背後に立った部下に無線で伝える「スマイル(笑顔だ)」
 いやジェイソン、君が笑ってない。笑


★ 「彼のような人は初めてだ」
 お茶に招かれたスプリングボクス主将・ピナールの
 なんとも不思議そうな顔ったら!


★ 我々にも神の祝福が必要だ
 試合で南アフリカ共和国国歌を歌うよう伝える主将に、反発する選手たち。
 「強制はしない」と立ち去るピナールが冒頭を読んでみせる歌詞
 「神よ、アフリカに祝福を」


★ エリスパークスタジアムに近づくSAAジェット機!
 ・・・職権乱用な応援、大好きよ機長w


★ 「全国民4300万人の応援のおかげです」


★ どんな神であれ感謝する
 我が負けざる魂に