ーーKindle 予定ーー
素顔で踊らせて
〜45年前の雨と、相変わらずの俺〜
〜まえがき〜
記憶というものは、時にずる賢い。
普段は心の奥底、鍵のかかった引き出しのそのまた裏側にしまい込んでいるはずなのに、ふとした雨の匂いや、聞き覚えのあるメロディに触れた瞬間、何の断りもなく扉をこじ開けてくる。
60を過ぎて、ようやくその「記憶」という名の招かれざる客と、うまく付き合えるようになってきた気がする。かつては追い払おうと必死だった。しかし、歳を重ねるということは、思い出という重荷を、ただの景色として眺められるようになることなのかもしれない。
これは、45年前に置き忘れてきた傘の話だ。
歌舞伎町から渋谷へ。若さという名の無敵の鎧を着て、何も恐れず、しかし何も持たずに走っていたあの頃。そして、雨の中をただ立ち尽くしていた、あの夜のこと。
もし、あなたの人生にも「あの時」という雨の日の記憶があるのなら、少しだけページをめくって、当時の空気を一緒に吸い込んでみてほしい。
今夜は少し、昔話をしよう。
1章 笑顔が作れない日
笑顔がうまいこと作れなくなった日には、あえてそこを目指さずに過ごすことにしている。
別に落ち込んでいるわけじゃない。機嫌が悪いわけでもない。ただ、顔の筋肉が言うことを聞かない日というのが、60を過ぎたあたりから確かに増えた。若い頃はそんなこと気にもしなかった。愛想笑いでも、社交辞令の笑いでも、とりあえず笑っておけばよかった。でも今はそれが、どうにもうまくいかない。
だから、笑えない日は笑わない。そう決めている。
そうすると、周囲の反応がちょっとおかしくなる。「あれ、どうかしたんですか」とか「今日は元気なさそうですね」とか。そういう声を受けると、自分の中の天使がすっと現れて言う。ほら、ちゃんとしなきゃ。愛想よくしなきゃ。周りが心配してるじゃないか。
しかしてその裏側では、もう1人の声がする。
おいおい、そんな面倒なことせんでも。そのまんまやっちまえよ。
この悪魔の声だけは、60を過ぎても変わらない。むしろ歳を取るにつれて、声が太くなってきた気さえする。
今朝、夢を見た。
45年前の夢だった。
2章 ガキどもの夜
おバカなガキどもだった。
10代の終わりから20代の入り口にかけて、俺たちは歌舞伎町のディスコに入り浸っていた。安い酒を飲んで、知りもしない女に声をかけて、朝まで踊って、へとへとになって帰る。それを毎週のように繰り返していた。
歌舞伎町を卒業する頃になると、今度は六本木か渋谷かという話になってくる。少し年上の女を追いかけ始めて、自分たちがちょっと大人になったような気分でいた。まったくもって、おバカなガキどもだった。
そのど真ん中で、「行くぞ」と仲間に指示を出していたのが俺だった。今思えば、何が「行くぞ」だ。ただ女のいる場所に転がり込みたいだけのくせに、リーダーぶっていた。
あの頃の夜が、今は遥か遠い。
昨今では、そんな夜の都会に近づくことすらなくなった。渋谷に用事があっても、昼間に済ませてさっさと帰る。夜の渋谷の人混みの中に立っても、もう体が動かない。音も光も、なんだか遠いところの話になってしまった。
でも、夢の中では違う。
夢の中の俺は、バイトを早上がりして公園通りを走っていた。
3章 公園通りのLA・SCALA
45年前、渋谷の公園通りには「LA・SCALA」というイカしたディスコがあった。
今その場所に何が建っているのか、俺はもう確認する気にもなれない。時代はどんどん変わる。店は入れ替わる。でも俺の中では、あの通りにはまだあのビルが建っていて、地下に降りると熱気と煙草の煙と音楽が渾然一体となった空間が広がっているのだ。
あの夜も、バイトを早めに抜け出して仲間の待つラスカラへ急いでいた。バイト先の店長には「気分が悪い」とか何とか言って、まったく罪悪感もなく脱け出した。19歳のガキの良心なんて、その程度のものだ。
仲間たちはもうフロアの端の席で陣取っていた。
「遅いぞ」
「早く来い、いい女が来てる」
そういう他愛ない声に迎えられながら、俺は上着を脱いで席に着いた。その時、フロアのスピーカーから流れていた曲を今でも覚えている。
♪ Searching for my honey
唇を奪いとるよりは Oh
ひとことのため息が混じる
お喋りでいいわ ♪
甘いメロディだった。あの頃の渋谷の夜は、ああいう甘い音楽で満ちていた。
4章 土砂降り
でも、その夜の少し前のことを夢は映していた。
渋谷の駅に着いた瞬間のことだ。
外へ出た途端、土砂降りの雨が叩きつけてきた。7月の、ゲリラ豪雨というやつだ。当時そんな言葉はなかったが、あれはまさにそれだった。空が突然決壊したかのような雨だった。
傘は持っていなかった。
売店を探すと、「傘売り切れ」の紙が貼ってある。時間はない。仲間が待っている。ど~したものか、と軒下で立ち往生していたその時。
「あら?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、以前の彼女がそこにいた。
真理子といった。2つ年上の、美容の学校に通っていた人だ。半年ほど付き合って、別れた。別れた理由は俺がダメだったからに尽きる。約束を破る、連絡しない、大事な日に現れない。そういうことの積み重ねだった。別れを告げたのも彼女のほうで、俺には何も言い返すことができなかった。
その真理子が、雨の渋谷駅の軒下で俺を見ていた。
相変わらず困ってんだ? と彼女は言った。
それから、持っていた傘を差し出した。
「はい、これ」
「えっ」
「それ、返さなくていいから」
俺が何か言いかけると、彼女は続けた。
「あたし、来月結婚するの。もうすぐ彼が車で迎えに来るから」
そう言って微笑んで、人の波の中に消えていった。
5章 相変わらずか
唖然とした。
傘を手に持ったまま、しばらく軒下に立っていた。雨は相変わらず降り続けている。周りを走り抜けていく人たちが、ずぶ濡れになりながら駅の中へ駆け込んでいく。
相変わらずか。
頭の中でその言葉が鳴り響いた。彼女が言ったのは短い言葉だった。でも、その中にすべてが詰まっていた。相変わらず傘も持たない。相変わらず間の悪い男。相変わらず、どうしようもない。
でも、有り難いとすら思った。恨みも言わず、文句も言わず、ただ傘を差し出して微笑んで去っていく。俺みたいなダメ男に、それだけのことができる人だったのだ。
ダメな若さというのは、そういう親切さえも素直に受け取れないものだ。受け取りながらも、どこかで居心地が悪い。ありがとう、と言えばいいのに、「えっ」しか出てこない。
ラスカラに着くと、仲間たちが騒いでいた。フロアは熱気に満ちていた。あの甘いメロディが流れていた。俺も体を揺らして、踊った。
でも、頭の中では相変わらずか、という言葉がずっと鳴り響いていた。
フロアを出る時、傘を忘れた。
真理子にもらった、その傘を。
外はまだ雨が降っていた。仲間たちとバカを言い合いながら、綺麗な女たちの姿を目で追いかけながら、ずぶ濡れになりながら歩いた。
相変わらずか。
その言葉だけが、ずっとついてきた。
6章 ゲリラ豪雨の季節
目が覚めると、窓の外で雨が降っていた。
関東ではここ数日、例のゲリラ豪雨というやつが続いている。テレビをつければ、どこかでずぶ濡れになった人々の映像が流れる。傘を持っていなかった人、急いでいた人、空が一瞬で変わって逃げ場を失った人たち。
そういう姿を見るたびに、あの夜のことを思い出す。
45年前の7月。渋谷駅の軒下。真理子の微笑み。
夢でまで見るとは思っていなかった。あの頃のことは、もちろん今でも時々思い出す。でも夢に出てきたのは久しぶりだった。目覚めてからも、頭の中でその光景が続いていた。土砂降りの雨、傘を差し出す手、来月結婚するの、という言葉。
ちょいと、センチメンタルな気分だ。
60過ぎにもなって、45年前の彼女のことを夢に見てセンチメンタルになっている。我ながら、相変わらずか、と思う。
でも、まあ、それでいい。
7章 ダメな若さ、その後
真理子とは、それ以来1度も会っていない。
どこかで幸せにやっているだろう、と思う。あれだけの気持ちのある人だ。きっとちゃんとした家庭を作って、ちゃんとした人生を歩んでいるに違いない。
俺はと言えば、まあ、そこそこだ。
結婚もした。子供も生まれた。仕事もそれなりにやって、定年を迎えた。大きな失敗もしたし、情けない思いもたくさんした。あの頃のダメな自分から、劇的に変わったとは言えない。相変わらず約束を破ることもあったし、大事な時に頼りにならないこともあった。
でも、少しは反省できるようになった、と思いたい。
思いたい、というだけで、確信はない。そこが「相変わらずか」の証拠かもしれない。
昨今では、夜の都会に近づくこともなくなった。歌舞伎町も六本木も渋谷も、もう俺の場所じゃない。あの頃の仲間たちとも、年に1度会うかどうか。それぞれが歳を取って、それぞれの暮らしの中に入ってしまった。
でも、ゲリラ豪雨の季節になると思い出す。
ずぶ濡れの人たちを見ると思い出す。
相変わらず困ってんだ? という声と、あの微笑みを。
8章 素顔で踊る
笑顔が作れない日には、無理に作らない。
心のままに動いてみる。周囲が「あれ?」となる。
天使が現れて正そうとする。
悪魔が「そのまんまやっちまえよ」とささやく。
そのせめぎ合いが、60を過ぎても続いている。
思えば、あの夜のフロアでも同じだった。頭の中で相変わらずか、という言葉が鳴り響きながら、それでも体は音楽に合わせて揺れていた。笑顔を作ろうとは思わなかった。ただ、音の中に素顔のまま立って、揺れていた。
素顔で踊る、ということが、あの頃の俺にはできていたのかもしれない。
今の俺にも、まだできるだろうか。
窓の外でまた雨が強くなってきた。関東のゲリラ豪雨は、今日も容赦がない。どこかでずぶ濡れになっている人がいる。売店の傘が売り切れていて、途方に暮れている人がいる。
もし誰かが困っていたら、傘を差し出せる人間になれただろうか。
真理子がしてくれたように。
少しは、反省できる大人に、なれただろうか。
雨の音を聞きながら、俺はまだその問いの中にいる。
〜エピローグ〜
雨の公園通り
夕方、傘を持って外へ出た。
特に用事はなかった。ただ、雨の中を少し歩きたかった。
渋谷の公園通りを、久しぶりに歩いた。昼間の渋谷は、用があっても素通りしていた。でも今日は、なんとなく歩いてみたくなった。
通りの形は、45年前と変わっていない。坂の角度も、左右に広がる空も、あの頃と同じだ。
店は全部変わった。
人の流れも変わった。
俺も変わった。
でも、雨の匂いだけは変わらない。
真理子が傘を差し出した場所は、たぶんこの近くだ。駅のあの辺の軒下だったはずだ。今も同じように、困った誰かが雨宿りしているかもしれない。
俺は傘を差したまま、しばらくその場に立っていた。
雨粒が街灯に反射して、きらきらと光っていた。若い男女が走り去っていく。傘を2人で共有しながら笑っているカップルがいる。1人で颯爽と雨の中を歩いていく女がいる。
素顔で踊らせてくれ、と思う。
笑顔が作れない日には、作らなくていい。心のままに動いて、天使の声を聞いて、悪魔の声にも少し頷いて、それでも前に進んでいく。
相変わらずか。
その言葉は、45年間 俺についてきた。
これからも、ついてくるだろう。
でも、それでいい。
雨の公園通りを、俺はゆっくりと歩いた。
〜あとがき〜
45年という月日は長い。渋谷の街並みは変わり、人の流れも変わり、私たち自身の体も心もすっかり様変わりしてしまった。
けれど、雨が降った時に感じるあの独特の切なさや、誰かの優しさに触れた瞬間の居心地の悪さは、不思議と当時と変わらない気がする。
書き終えて思うのは、「素顔で踊る」ことの難しさと、その愛おしさについてだ。
私たちは皆、大人になる過程で、上手に笑うための仮面をいくつも手に入れる。愛想笑い、苦笑い、社交辞令の微笑み。それらが時に鎧となり、私たちを守ってくれるのも事実だ。
しかし、たまにはその仮面を外し、土砂降りの雨の中に身を投げ出してみてもいいのではないか。びしょ濡れになって、寒さに震えながら、それでも自分の足で歩き出す。そんな不格好な姿こそが、人生という名のダンスの正体なのかもしれない。
関東のゲリラ豪雨は、明日もまたどこかで降るだろう。
もしあなたが雨宿りをしている誰かを見かけたら、その時はぜひ、かつての私にできなかったことをしてあげてほしい。
あなたの日常が、たとえ雨の日であっても、心だけは軽やかでありますように。
45年目の雨に感謝を込めて。




















