今回の経緯を纏めて置くと
3年前
右下腹部に
シコリのようなものを見つけ

はて
これは? と
近くのクリニックへ

腹壁瘢痕ヘルニア


すると
これはおそらく
その近くにある
盲腸の傷痕による
腹壁瘢痕ヘルニアではないかと
診断され

その場で
紹介状を頂き
また
予約まで取って下さり
大きな医療センターへ

案内された
そこの外来の外科には
それは綺麗な女医さんがいて
診察後
その場で検査室へと…

その翌週に
結果をと訪ねると
やはり
子供の頃の盲腸の傷痕の
内側が少し剥がれていると

診断では
やはり
腹壁瘢痕ヘルニアとなり

治療方法は
全身麻酔による手術しかないと

すれば
1週間ほどの入院となり
また
術後 1ヶ月は
安静にと…



それでは
急いだ方が良いですか? と
問えば

まだ小さいので
もちろん
今すぐでも良いし

また
もう少し進行して
邪魔に感じてからでも良いと

更には
さほど状態が変わらなければ
生涯このまま過ごせるかも とも

ならば
このまま
生涯過ごすことがと願って
この3年ほど
放置したわけで

すると
昨年の秋頃から
なんとなく
靴下を履くにも違和感が出て
押せば痛みもあり

そろそろかと
年末に 再受診

すると
若い男性の医師となり
カクカクシカジカと伝えると

では今
決断しましょう! となり

検査と
手術の日程まで
その場で決めて下さって

さあ
年を跨いでの
長いカウントダウンが始まり

ならば
それまでに
やらねはならないことをと
順を追っての急ぎ足

1月に
丸1日掛けて

纏めて多くの検査をし
その翌週に
その結果を聞き

2月に入り
カミさんと共に
その入院の注意事項を聞きに

そして
前日入院と
手術と って流れ…

いずれにせよ
これが進行すると
そこそこ危険だそうで

このまま
爆弾を抱えたまま
過ごすよりも

ここで決断出来たことが
何よりも良かったようで

また
なかなかの痛みはあれど
そこを補助して下さった多くの方々に
感謝しながら
これからの持ち時間
丁寧に生きねばと
思わされたわけです

ありがとうございました




入院中
お守りにと持参した
ぱふ のロケットと首輪とを
仏壇へと戻すと

早速
玉響は姿を見せて
微笑んでくれてるようでした



更には
ベッドへと入り
天井をと見れば
玉響たちは盛大に姿を見せて
これまた
祝ってくれてるかと思いながら

寝落ちしました





さて

今朝は

まだまだ痛みはあれど

大丈夫なようです


退院の準備を終え
カミさんと
お世話になった病室を
出ようとすると

お隣りの方から
お声が掛かり

退院
おめでとうございます と…

あらま!

僕より1日遅れで
ここへと入って来たその方は

僕より1日早い手術だったらしく
その晩は
違う部屋で過ごし
翌朝に
ここへと来たようで

そのあまりの痛さは
カーテンの向こう側から
聞こえて来た言葉加減で知っていた

それでも
ひと言くらい
ご挨拶でもと
お声を掛けておいた

さて
その日の午後が
いよいよ僕の手術

きっと
時間遅れから何からの
一部始終をも
聞こえていたはずで…

その後は
お互い カーテンに仕切られ
それ以上のことは
必要ないかと…

そんな方から
この退院での言葉があり
嬉しくなって
ありがとうございましたと
お返しした

すると
そのまた反対側の方からも
そんな言葉を頂き
微笑んだ

そう
その方は僕より1週間は早く
ここにいたようで
僕が入るとき
わずかにご挨拶だけ
させて頂いただけ

これって
もしかすると
例の厄介なオヤジからの
迷惑を受けた 同志かと

それがいなくなって
せいせいとした 同志かと

なんとなく
思って
苦笑いしながら

ありがとうございましたと
部屋を出た

昨日
そのオヤジの後
新たに入って来た方とは
残念ながら
何も… だったけれど



個室で
何も影響を受けず与えずな
ことよりも

カーテン1枚だけで仕切られた
一か八かの4人部屋でも
こうして
わずかでも繋がっていたことが
嬉しくもなる

今回のことは
振り返れば
すべてにツキがあり

何人もの外科の先生の中
若く優しい先生が
担当医となったこと

そして
とても明るい看護師さんが
手術前後
担当してくれたこと

それから
南向きの部屋の窓側のベッドに
なれたことで
孫たちとのコミュニケーションが
取れたこと

オペ看護師さんのあまりの優しさ
すべての看護師さんの笑顔
補助してくれた
その他 すべての方々

ありがとう

本当にありがとう


それを
打ち消すように
迷惑千万だったオヤジもまた
過ぎてみれば
記憶に残る存在となり

痛みはあれど
良い時間だったと
深く心に残るようだ…


こうして
無事に退院にもなると

その前にと
わずかでも
ここを覚えていたいと
朝からまた
ナースステーションを取り囲む通路を歩き回ってみれば

看護師さんたちは
微笑んでいたけれど

昨晩
いたはずの
重症患者用の部屋が
カラになっていて

またしてもかと
ひとり熱くなる

この部屋とは
反対側だから
その様子は
こうして歩き回らないと
何も分からない

ここに来て
わずか9日間

もう何度… だったのだろう

そんなことを思いながら
退院の準備をしていれば
今日もまた
2人ほどが
入院の手続きをしている

きっと
僕のいた場所へと
収まるのだろう



担当医は
良かったですね と
微笑んでくれたけれど

その裏側には
やるせない無機質な重みも
背負っているのだろう

僕ならば
きっと
耐えられない何かを…


ここに
こうしているのは
紛れもなく
自分で判断し
このタイミングでと
決めたことだけれど

この
放置した3年の間にも
そのチャンスは
なかったわけではなく

また
なぜ今
45年もが過ぎて
あの頃の盲腸の傷痕が
腹壁瘢痕ヘルニアになったのかと

様々なことを
考えてもみれば

還暦で
突如 現れた
先祖 善次郎に

突然 失った
最愛の相棒 ぱふ

そして
このリタイアの齢

大きなことが
凝縮された5年間で

善次郎の足跡を追えば
不思議かな道は開き
僕を待っていたかのように
ようこそと

多くの方々と出会う

ぱふを失った傷心旅にと
娘が取ってくれた旅は
なぜか
ふとカミさんが言葉にした
神舞い降りる高千穂で

そんな一見
関係のないことが
なとなく
繋がり始めて来たようで
多くを集め考えてみれば

これまた
突然 見え始めた
オーブに
プラーナに

もしや
次の世界が
近づいて来たのかと
思ってみるが
まだ分からない



退院しても
今月いっぱいは
ほぼ 安静にと言われ

これもまた
今 動き回ることを
制約されてるのかと思えば

一瞬
タイミングをズラされたと
感じる日常の中で

この 
とても大きなタイミングの
ズラし方は
何なのかと
勘繰ってみるが
いかがなものか…

一昨日
若い担当医が
ナースステーションで
横になっていた姿を
目にしてしまった

当直だったのか
かなり疲れて見えた

医師とは
身体も
心も
過酷な状況下で
患者たちを救っているのだろう

自分たちの身体は
大丈夫なのかと
言葉にしようとしたが
ナースステーションの奥の方

声は届くはずもなく
また
野暮だと思い
その場を外した

早朝から
入院患者を回り
その後
外来を見て
午後からオペに入る

そして
こうして週末にも
その姿はあり
当直までもな勤務体制

いったい
いつ休んでいるのかと
思ってみるが

あの頃の齢の僕も
確かに
24時間戦えますか! と
リゲインを流し込んでいたような


それは
50を越した頃から無くなって
いや
無くして

その日
頑張れても
翌日がダメになると
そんな体力の低下が
分かるようになったから…

調べれば
医師もまた
体調を崩す方が多いそうだ



以前
あまりの言葉の悪さに
ケンカした
自宅近くのクリニックの医師は

相変わらず
評判の良くない中
のうのうと経営しているのは

訊けば
空いてるから
その場だけ我慢すれば

どうせ
治してくれるのは
あいつではなく
薬だからと
割り切っている方々ばかり

それもどうかと思うけれども
それで我慢出来るのならば
それもまた良し…


僕は

我慢出来なかったけれど…



やけに
救急車のサイレンが聞こえるなと
思って外を見ていると

なんとこの部屋の真下が
その入口らしく

それでもここは4階
こんなに
常に入って来るのかと
心配などして

この遥か真下で
毎日 毎晩 
24時間
格闘しているのかと思うと
熱くもなる



ここに来て
知らなかった現実ばかりを
目の当たりにしている

無関心こそ敵であり
また
罪でもあると
改めて思い

正さねばならない多くを
教えて頂いたようだ

ありがとう


迷惑なオヤジが

この部屋から出て


昨晩は

久々に熟睡が出来たようで

いつもの時間に起きて

ほんやり静かにしている


寝起きに天氣が氣になって
カーテンを開ければ
やっぱり 雨

それでも
数日前の予報では
まさかの 雪マークまであったから
雨で良かったと思ってみれば

どうやら
退院時間あたりで
止むらしい


それは有り難いと
微笑んでみても

8泊9日とは
ちょとした旅行だったなあと
振り返るばかり

レントゲンで2度ほど
看護師さんに付き添われ
手術用のエレベーターで
裏手から1階へと降りた以外

この隔離された4階のフロアーから
出ることなく
収監されていた

そうそう
1度だけ
まだ動けない時
そのレントゲンが
このベッドまで
来たことがあった

えっ? って問うと
移動式のそれがあって

更に
ここで X線? って
驚いた

わずか一瞬だから
さほど影響はないのかと
思ってみたが
分からない

昨年末から
もう何度
レントゲンを撮ったのだろう?

被爆は? なんて
考えることなく

まあ
それだけ必要なのだから
仕方ない


そうそう
CTを撮る時
造影剤を入れねばと
レントゲン技術さんから
針を打たれ

なるほど
それは看護師さんだけではなく
皆 備えてるのかと
思ってみた

さて
これでまた
次の健康診断までは
レントゲンのお世話に
ならないのかと思ってみるが

いや
来週の外来で
入れたメッシュが動いてないかの
確認のレントゲンでも
ありそうかな



窓から観る

見慣れたこの

何でもない無機質な風景も

見納めかと思えば

寂しくもなる


それでも

南側の窓側のベッドで

有り難かったのは


この風景と

孫たちの姿


わずかながら

運があったようだ


ありがとう


入院前に
急いで提出して来た
例のマンションの贈与登記

昨日
それの本登記が完了したと
中之条の法務局からメールが届き

なるほど
今は
メールでなのかと
進んだ行政を振り返るばかり




社会へと出た頃
この法務局とやらは
なかなか敷居が高く

仕事柄
公図や謄本を取りに
毎日 出掛けた場所

かろうじて
コピー機はあったけれども
まだ
公図のコピーは許可されてなく

トレーシングペーパーを持参し
それを上から被せて
鉛筆で写した時代

測量図や
建物図面は
コピー出来たけれども

謄本はまだ
青焼だった記憶

そうそう
僕らが描く図面もまた
当然 手書きで

これまた
トレーシングペーパーへと
鉛筆で描き

それを
青焼という感熱紙に重ねて
1枚1枚 機械を通し
湿ったその紙を乾かした時代

そう
まだまだ
そんな大きな用紙の
コピー機はなく

すべてがアナログな
昭和の頃

それでも
それしかないから
それが通常だったけれども

その直後
コピー機が出回り
パソコンが普及して
世の中が
大きく変わることとなる

そこへと
なかなか乗り込めず
乗り遅れたこのポンコツ男は
今もって
パソコンが苦手ときたもんだ

子供たちは
育ちながらにデジタル社会
ゲームは元より
パソコンなんて
手元を見ずに
カチャカチャと叩く

僕は相変わらず
人差し指1本で
ひと文字づつ
確認しながら…

これもまた
わずか40年でのこと

電話は
無線での
1人1台となり
それはいつの間にか
スマホへと変わり
電話機能さえ薄れてしまった

レコードはCDとなり
その後
MDとやらも普及したが
なんと
今はそんな姿すら不要で
ダウロードで済ます若者たち

本もまた然り
これまた
姿なき時代へと変わり
更には
読んだ声で済ますなんて

僕の中では
本も
CDも
DVDも
その姿が必要で

それもまた
レンタルではなく
買って手元に置いてこそな
そんなこだわりも
そろそろ邪魔だと
言われそうだけど…

昨今
Blu-rayすら
無くなったそうで

なのにまた
レコードがもてはやされてもいる

生まれては消え
消えてはまたの
無いものねだりかと
思ってみるが

もう
青焼は戻らないだろう



さて
それよりも
早い内に
中之条の法務局へと
登記済の書類を
取りに行かねばならない

すれば
日帰りするか
草津まで足を伸ばし
泊まって来るか

いやまだ
シャワーの許可だけで
湯船に浸かる許可は降りてなく

ましてや
酸の強い温泉は
まだまだ難しそうだ

天気を確認すれば
草津は今日も
雪の中

もう少し
待ってみよう

さて
もうすぐ退院かと思うと
なぜか
患部に痛みが出る

そう
ここにいれば
何があっても
即座に対応してくれる
そんな安心感があったのに

それが
自宅へと戻れば
まるで保証が切れたかのように
自己責任な行動に変わる

今ちょうど
その狭間にいて
退院したいが
もう少しいさせて貰いたいような

そんな不安をも
抱えながら

お世話になった看護師さんたちに
お菓子でもと
カミさんに頼べば

どうやら今は
せっかくですが… と
受け取らないらしい

そしたら
目一杯の笑顔で
ありがとう! と言ってみよう

でも
仲良しになった
彼女たちはいるかな?

かなりハードな
出勤のサイクルで
夜勤明けだと
もういないかな

それよりも
あのオヤジが去って
昨晩はとても平和な部屋だったな

おかげで
熟睡出来たようだ



さて
退院しても
今月中は
まだまだ あれこれ
動いてはならないらしい

せっかく頑張ったのに
また
フリダシに戻るよと
主治医は微笑んで
釘を刺す

訊けば
患部をふさぐ
メッシュ状の人工布が
動いてしまうと
厄介らしい

またこの手術を受けるのだけは
勘弁して欲しいから
大人しくしていよう

それでも
そこそこ
やらねはならないことが
山積みで待っている

さあ 困った

いっそ
今月いっぱい 
ここに置いて貰おうか…

さて
いよいよ明日は退院となり
その旨の
ご挨拶をと思っても
その相手がいない

そう
結局
ひとりも知り合いが出来ず
終えた 入院生活

それは
閉ざされたそれぞれの
空間へと入ることを
カーテン1枚で仕切られた
結界があり

また
そこへと入ることを
遮られ
拒まれてもいるかのような
独特の空氣感が鎮座しており

それを
突破してまでも
伝えるだけの要件は
ひとつもなかったって こと

それでも
優しく接してくれた看護師さん
数名とは
仲良しにもなれたけれど

きっとそれも
ここでだけのことで
街ですれ違っても
分からないのだろう

なんせ皆
マスク姿だったから
本当の顔を知らない…


多分

痛みに耐えることが
最優先な
この外科という空間は

他人のことに
関心を持つほど
余裕がないのだろう

僕もまた
来週には
ここの外来へとは来るが

もうこの病棟に
戻ることはないようだ