開高さんの命日を迎え
もう36年かと
振り返る

58歳

太く短く
生きた



ガキだった僕らは
生き方を真似てはみても
届くはずもなく

難解な書物を読んでは
勝手に解釈などしてみた

記念館となった
茅ヶ崎の自宅には
年に数回

その季節ごとに訪れては
黄昏れながら
そこのスタッフの方々と
長話しをしてみる

すでに
6つも
齢を越してしまったこの身体

開高さんのように
浴びるほど
酒が呑めたならばと
好き勝手出来たならばと
どれだけ思ったことだろう?

家族を持ち
家庭を最優先などしたが為
大した冒険は出来ず

お陰で
無事に還暦を越せたようだ



記念館の帰りには
北鎌倉へと回り込んで
墓前で手を合わし

次の世では
是非 一緒に連れてって下さいな
などと呟いてみる

戻る返事はないけれど
良いよ! なんて
言われた氣にもなるから
不思議だ

ボジョレ


今年もまた
お誘い頂いた
今夜の
ボジョレーヌーヴォーの会

残念ながら
ヤブ用があり
欠席のハガキを出してしまった
けれども…


マイケルは
キミの身体を貸してくれないか? と言う

なぜ? と問うと
ちょいと
やり残したことがあってと
微笑んでいる

それならば
もっと若いどなたかの方がと
苦笑いすると

いえいえ
キミの身体でなくてはと
なんやら
訳がありそうだ

そう
日本人で
それも
特別ではない
普通の初老が… なんて

ちょいと
失礼なことを口にした

それでも
面白そうだし
マイケルならばと
OKすれば

その間
キミは僕にならねばならないと
これまた
不思議なことを言う

だって
失礼ながら
キミはもう
この世にはいない

すれば
僕にどうしろ と言うのか?
と問うと

大丈夫
その間
時空を好きな所へと移動して
華やかだった僕の時代の
あの身体で
好き勝手やっていてくれ!

ほ〜!
それは楽しそうだ

では是非
あの頃のキミの中でと
その
あの頃はと考えてみた



さすがに
スリラーの頃には
入りづらく

ではと思えば
セイセイセイの頃と
ブリトニーとの頃とが
楽しそうだと選んでみた


すると
一瞬でその場面へと移り
僕は
ポールとリンダと 歌っている

なるほど
ここが
1番良い時代だったのでは?
と振り返ると

ブリトニーが手招きで
誘って来る

あらま!
僕は鼻の下を伸ばしながら
ブリトニーと歌っている

ならば
ブリトニーを
なんとかしたいと
なんとかせねばと
エロオヤジになったところで



目が覚めてしまった

あ〜あ
今朝もまた 不完全燃焼…



ところで
僕になったマイケルは
何をしたかったのだろうか?

そっちを知りたくて
また目を閉じたけれど
もう
眠れなかった


一昨晩のNHKスペシャル

わずか100年で
倍にもなったそうな寿命


不老長寿


昔は
感染症ばかりで
老いる前に命を終えたと

そうだ
人間たちが
初めて経験する
老いなのだ

生物学的には
人間の寿命は38歳だそうだ

すべては
科学の力で
長生きとなったと 


昨今
更にその研究は成され
定期的に血液を入れ替えたり
老化の物質を取り除いたり

はたまた
魔法の薬や
魔術のような手術もと…




生活習慣や
DNAにより
1年に老いる年齢にも差が出て
そこをと
急ぐ方々

それでも
あなたは
100歳まで生きたいですか?
との問いに

多くは
NO と答えるのは

長生きには
その他のリスクが絡んでいるからと
先々の不安ばかりの世の中
なのだろう

健康


調べれば
地球が抱えられる人口は
80億人だそうだけれど
すでに
それを越えてしまい

地球の資源を食い潰して
進んで行く今

心地良く暮らすのならば
31億人が良いそうだけれど
はてさて
それは難しい

あなたは
いくつまで
生きたいですか…

髪は女の命と言われるけれど
男には
そんなに大事ではないようで

失礼ながら
すでに同期たちには
白髪はもちろん
薄毛も沢山いる

そしたら
髪はなんとなく細くもなり
わずかに白いものも混ざったけれど
さほど変わらずあることは
幸せなのかと思いながら…

ロン毛


今回ばかりは
ロン毛にしてやろうかと
我慢に我慢を重ねてみたけれど

それも
2ヶ月半で終了

いつもの床屋へ 
急ぎ足

そう
先日
久々に遊びに来た仲間が
1年を掛けて
長い髪となっていたので

なるほど
還暦を越したら
そろそろ自由に生きてみるのもと
ちょいと思ってみたけれど

髭は邪魔だし
髪も邪魔

それでも
この寒さゆえ
3週間に1度の散髪を
3回も我慢出来たわけで

半年
我慢出来たならば
慣れるし
それが通常にもなると
ロン毛の仲間は笑っていたけれど

一昨日の山登りで
頭にも汗をかき
もう限界! とばかり
バッサリ お願いした

これが僕の通常
それで良いのだ! なあ

さてでも
これからの冬場には
その3週間も
4週間に出来そうだ



それよりも
我が息子
同じ床屋なもんで

最近 来ました? と
マスターに問えば

まだまだ
息子さんは来ないでしょうね と
微笑んでいる

そうだった
息子は大学卒業まで
坊主か
ロン毛か だった  笑

幼稚園から
大学卒業まで
体育会系の部活を
365日
ほぼ休みなくやり切ったから


社会へと出て
まさかの土日が休みとなり

もう
絶対 週休2日を手放さないと
笑っている

カミさんの親父さんは

若い頃から髪が薄く


また

弟さんもそれなりに


ならば

息子にもそのDNAは半分あるからと…


だから

薄くなる前に
早く嫁をと
母親は呟いているけれど…  笑


ジョンを失って45年
元気ならば
85歳だそうで

すれば
40歳だったから
もう
齢の倍以上もの時間が過ぎたわけで



僕は相変わらず
最近の曲には興味もなく
あの頃って頃の
アカペラでも口づさめる曲ばかりを
聴いている

その中心にあるのが
やはり
ビートルズで
彼らを越える者は
今まだ現れないようだ

ジョン


そして
毎年
夏にもなれば
あの夏の
軽井沢へと出掛け

18の夏
そこにいた彼らの姿を
探し続けてもいる



若くして
去る方々がとても多いのは
向こう側でも必要だと
呼ばれたのかな? 
なんて思うことが増えた

僕のビートルズは
ポールではなく
ジョンだった…


いつか
ビートルズはもう聴かない なんて
曲があったけれど

あの頃
逆に
聴きまくったのは
あまりにも
悲しかったからで

わずか
13枚のアルバムで
世界を変えてしまったことを
確認するかのように
それらをすべて
繰り返し流してみたのは
19の冬だったけれど…



元気ならば
今日で14歳

あいつならば
余裕で20歳くらいまで
一緒にいられると思っていたのに

突然 襲われた
不治の病



あれから3年もが過ぎて
でも
不思議かな
見えなかったものが見え出して

あいつの祭壇には
いつもその姿がある



すれば
やっぱり あいつが
見れるようにしてくれたのかな?と
思ってみれば
更に恋しくもなる

もしもそれが
重なった違う次元にいるのならば
僕も
そこへと行きたくもなる

この世はもう
住みにくいからと…

先月
山登りしようと
久々に集まった仲間たちは

やっとこさ登れたもんで
とても
嬉しかったらしく

では
来月もね ってわけで

先月登った宝筐山の
隣りの山を選んでみた



そこは
先月の倍の高さで
なんと
日本百名山にも入る山

でもしかし
その百名山の中で1番低い山だから
きっと大丈夫だろうと

でも
ちょいと不安も残ると
苦笑いしながら…


筑波山


仕方なくも
あれから40年

すっかり姿は
オバさんに
オジさんになっていて

それでもこうして集まれば
20代の心へと戻る

入口の神社で
安全をお参りし
ゆっくりと登り出す






ここの登山道には
ちょっとした
バリエーションがあって
それを楽しめたならば
きっと疲れも忘れるはずと

何度もの休憩を取りながら
無事
全員が登頂出来て

山頂から眺める景色に
先月のお隣りの山が見えて

あっち
低いね!  だって
笑ってみるから
嬉しくもなる




すれば
次はどこの山? なんて問われ

そうだなあ
ならば
秩父の武甲山かな? なんて呟けば

では
いつにする? と戻って来る

すれば
武甲山に登ったならば
下山後
皆で
たい平姉ちゃんところへ
押し掛けてみようか…



長年 お世話になった
落語会が閉じて

そこの名物
オバさん席亭は
自宅で小さな落語会を開いており

仲良しの若手噺家さんから
久々に
そこへと出るよ って
連絡を頂き出掛けてみた

今までのそこは
席亭の実家で
昨年 その母が他界し
そのタイミングで閉じたようで

ではと
少々 時間を置き
落ち着いたので
世田谷の自宅での開催となった

もちろん
知ってはいたけれども
当初 あまり好きではない
若手たちを呼んでいたが為
ご無沙汰してしまった

初めて伺ったそこは
ちょいとばかし
広めの玄関先で
せいぜい10人ほどのキャパ

そこへ
いつもの常連たちが来て
わずか1m 目の前の噺家に
これでも出来るかと
圧迫を掛ける

それでも
キツイ修行を通って来た若手たちは
いつものように
それを淡々とこなす



終演後は
そのリビングでの打ち上げとなり
席亭の手料理が振る舞われ
持ち寄った酒と
手土産とで
笑いは絶えない

出会いは偶然ではなく
必然なのかもと
ここへと集まる方々を
幸に思ってみれば


仕方なくも
そろそろカウントダウン中

健康で
笑顔でと
願いながら…

器は
料理を引き立ててくれて
その器選びで
味も変わるようだ

スーパーで買って来た
パックのお惣菜やお刺身も
楽だからと
そのまま食卓に出すことなく

選んだ器に
そっと乗せて出すだけで
旦那さまは微笑んでくれると

だからと言って
いつもそれでは
かなわないけれど… 笑



いつもの
たい平美術館では
たい平さんデザインの
伊佐美焼きを扱っており

出掛ける度に
いくつか頂いて来る

それは
日常使い用で
なかなかちょうど良い器となり
日々
食卓へと並ぶ



今回も2枚
小皿を頂き
そのデザインに微笑みながらの
食事となって

そんな
ほんのわずかな幸を
日常に取り入れたならば
心も豊かになれるのだろう

ただし
いつかの個展販売会でのそれは
たい平さんが
自ら書き込んだ1点物だから
やはり使うことは出来ず
仕舞い込んであるけれども

それでも
器たちは
使ってこそ! と思うので

そろそろ
出してみようかなあ


うつわ


カミさんは
その焼物が好きで
年に1度
益子焼のそんなイベントへと
連れ出される

しかし
残念ながら
僕にはそれらの良さが
まだまだ分からず

これかな? と選べば
それは違うと言うから
焼物の価値は
分からないようだ


時間は待ってはくれず
身体も待ってはくれず


思ったならば

それ
今でしょ! って
身体が欲しているはずで

今ならば
きっと出来る体力があると…ね

山も
川も
海も
なんなら 空も…

外遊びは
季節により
様々あれど

考えてないで
まずは1度
飛び込んでみて

その身で経験してみて
その先へか
そこまでかを
選んだら良い

僕もまた
物好きだから
火にいる虫のように
氣になった遊びへと
その場で飛び込んで来た

中でも

風による外遊びには
風が読めず
敗退…



還暦を越して
いくつかのそれも
怪我する前にと辞めて

さてと
残ったのは
フライフィッシング
山登り
スキー
カヌー… となった

これからは
きっともう増えることはなく

山は 
低山ばかりとなり
スキーも 
コブのない緩やかなコースへ
カヌーもまた
川下りから湖へ移り
釣りも
山奥から里山へと降りるのだろう

安全を優先し
それでも
これらを手放すことなく
古希を迎えたい



そうそう
親父は
孫たちとスキーがしたいと
その古希から始めたわけだからね

次は
ひ孫たちとも滑りたいらしいが
93歳
転ばれると困るからね