城路転生記 〜加藤清正と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十七話



まえがき
三十六度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻(とき)」へと導かれることになった。
太田道灌との旅で、凪は「山吹路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「城路(じょうろ)」であった。
難攻不落の城を、幾つも築き上げた男。
慶長十六年(一六一一年)五月。齢五十。二条城での、家康と秀頼の会見という大役を、無事に果たした男――加藤清正。だが、その築城の名声の陰には、幼き日からの友であり、共に城を築き上げてきた、一人の忠臣がいた。




プロローグ 皐月の来訪
東京は、初夏に向かう、爽やかな夜だった。
榊原凪は、七十歳になっていた。太田道灌との旅から、半年余りが経っている。
上杉館で、道灌が山吹の少女への想いを、語り遺した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『名も知らぬ恩人』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い城郭図の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、石灰と、湿った土のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の恰幅のよい武将が座っていた。
長烏帽子形の兜。大柄な体軀。だが、その目には、武人らしい鋭さと共に、深い忠義の色が宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
武将は、朗らかに言った。
「あなたは……」
「加藤清正と申す。肥後熊本を、治めておる者じゃ」
凪は、息を呑んだ。
加藤清正。熊本城をはじめ、名古屋城、江戸城の築城にも携わった、稀代の築城名人。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも分からぬな」清正は、豪快に笑った。「気づけば、この妙な部屋におったわ。真田、坂本、手塚、道灌――そなたが会うてきた数多の魂の気配が、なんとのう伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を穏やかに見つめた。
「それがしは今、二条城での大役を、ようやく果たしたところじゃ。家康公と、秀頼様の会見をな」
「清正様……」
「されど」武将の目に、懐かしむような光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、ある」


一章 三十七度目のたゆたい
その夜、凪は城郭図の写しに埋もれながら、考え続けていた。
これまでの三十六人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが加藤清正の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、清正は慶長十六年六月、二条城での会見から肥後へ帰る船中で発病し、まもなくその生涯を閉じることになる。享年五十。死因は、脳卒中とも、腎の病とも言われ、家康による毒殺説も、後世、囁かれることになった。
清正の生涯には、あまり語られない存在があった。幼き日、剣の試合を通じて縁を結んだ、飯田覚兵衛(いいだ・かくべえ)である。覚兵衛は、後に「加藤家の三傑」の一人として、清正の忠臣となり、とりわけ、築城の技に長けていた。難攻不落と謳われた熊本城の、あの見事な石垣「武者返し」にも、覚兵衛の技術と工夫が、深く関わっていたと伝えられている。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られていない。
五十で世を去る清正の、その倍以上の歳月を生きてきた凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
清正が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が築いた、幾つもの名城の功績だけなのか。それとも――共に城を築き上げてきた、忠臣への想いも、あるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、城郭図の匂いが、石灰と土の匂いに変わった。
玉響(たまゆら)。
世界が、揺れた。


二章 肥後・熊本城
気づくと、凪は、肥後国熊本にある、熊本城の裏手に立っていた。
初夏の緑が、普請中の高い石垣を、静かに彩っている。切り出した石を運ぶ槌音が、城下まで響いていた。
凪の身なりは、城に仕える下人風の姿に変わっていた。
「もし」
城の前にいた家臣に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「清正様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「清正様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
家臣は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
この家臣こそ、清正の身の回りの世話をしていた、若き従者・小山田であった。


三章 清正の居室
居室からは、普請が進む石垣と、運ばれてゆく切石が一望できた。
清正は、窓辺から、朗らかな目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座れよ」清正は、豪快に言った。「それがしは、この熊本城を、我が生涯の集大成として、築き上げておる最中よ」
「あの石組みは、まことに、見事なものと、伺いました」
清正は、しばらく黙っていた。
「あれは、それがし一人の功績ではない」彼は言った。「覚兵衛の技なくば、あの武者返しは、生まれなんだ」
「飯田覚兵衛様のことでしょうか」
清正は、少し目を細めた。
「あの男のことを、近頃、よく思い出す」


四章 名の記されなかった忠臣
その夜、凪は熊本城の一室で、眠れぬまま過ごした。
清正の言葉が、頭から離れなかった。
――あの男のことを、近頃、よく思い出す。
翌日、凪は城内を歩くことを許された。西の石垣普請場で、人夫たちの間を、一人の男が泥にまみれて指示を飛ばしていた。図面を片手に、石の反りを指でなぞり、角の据え方を自ら見せる。汗と土に汚れたその背は、誰よりも石と語り合っているようだった。
「飯田様」と、人夫がその男を呼ぶのが聞こえた。
覚兵衛は、振り返りもせず、ただ頷いて、次の石へ向かった。その横顔に、不満の色は一片もない。あるのは、ただ職への矜持だけだった。
凪は、遠くからその姿を見つめ、静かに息を吐いた。
これまでの三十六人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが清正の場合、彼が向き合っていたのは、「己の築城の功績をどう語るか」だけでなく、「己を支えた忠臣を、どう遺すか」という問いであるように思えた。
史実において、飯田覚兵衛は、清正の幼き日からの盟友であり、築城の技に長けた、忠実な家臣であった。熊本城の見事な石垣にも、その技術が、深く関わっていたと伝えられている。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られてこなかった。
凪は、ふと思った。
清正が、これほどまでに己の築城の功績を語られる一方で、共に城を築き上げてきた覚兵衛への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
窓の外、熊本の夜風が、積み上げられた石垣の間を、静かに抜けていった。


五章 小山田との対話
翌日、凪は、居室の掃除をしていた若き従者、小山田と、言葉を交わす機会を得た。
「殿は、覚兵衛様のことを、よく話されますか」
「はい」小山田は、真剣な目で頷いた。「あの見事な石組みは、覚兵衛様が泥まみれになって工夫を重ねた技あってのものだと、いつも懐かしそうに語られます。城の者で、あれが覚兵衛様の功績だと知らぬ者はおりませぬ」
「では、そのお名前は、世間でも広く知られているのでしょうか」
小山田は、少し寂しそうに首を振った。
「いいえ。殿のお名前は天下に轟いておりますが、覚兵衛様のことまでは、城の外にはあまり知られていないように思います」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「殿ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
小山田は、しばらく考えていた。
「殿は、時折、とても優しげに、覚兵衛様のお名前を口にされます。ですが……それを、はっきりと書き記されたことは、まだ、ないように思います」


六章 同輩・森本義太夫との対話
その日の夕刻、清正の忠臣の一人であり、覚兵衛とも肩を並べる武将、森本義太夫(もりもと・ぎだゆう)が、居室を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。殿より、伺っております」
「義太夫殿。お訊ねしたいのですが、義太夫殿は、飯田覚兵衛様の功績をどう見ておられますか」
義太夫は、少し驚いた顔をした後、深く頷いた。
「あの御方なくば、熊本城のあの石垣は、決して生まれなかったでしょう。殿の大きな構想と、覚兵衛殿の緻密な技――その両方があって、初めて、この城は形を成すのです。なれど、天下が称えるのは『清正公の城』ばかり」
「それは、清正様ご自身も、気にしておられるのでしょうか」
「殿は……」義太夫は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも覚兵衛殿への信頼と感謝を抱いておられます。ただ、御自身が築城名人として世に知られる立場になられたことに、いささか、心苦しさも抱いておられるのでしょう。強すぎる光は、時に陰を深くしますからな」
凪は、頷いた。
「もし、殿が、はっきりと、覚兵衛様への感謝を、書き記されたら――何か、変わると思われますか」
義太夫は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……殿のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
その夜、凪は清正に呼ばれ、二人だけで居室に残った。
「小山田や、義太夫から、聞き申した」と清正は言った。「そなたが、覚兵衛のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」清正は、朗らかな目で凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度でござったわ」
「清正様は、ご自身の築城の功績について、あれほど多くを語られてこられました。ですが、覚兵衛様への感謝については、あまり、はっきりと言葉にされる場がなかったように見受けました」
清正は、しばらく、窓の外の暗い石垣を見つめていた。
「それがしは……」やがて彼は、静かに言った。「覚兵衛の技なくば、あの石垣は生まれなんだ。幼き日からの友であり、誰よりもそれがしを支えてくれた男じゃ。異国の地で、共に泥をすすり、飢えに耐えて城を守った仲でもある。あやつの忠義が、いつしか水や空気のように当たり前になっておった。城を築くたびにそれがしの名ばかりが大きく語られ、覚兵衛はそれを不満に思うこともなく、ただ黙々と技を尽くしてくれた。……それゆえ、それがしも、つい甘えてしもうたのやもしれぬな」
凪は、深く息を吸った。
「清正様。あなたが本当に遺したいものは、何なのでしょうか」
清正の目が、微かに揺れた。
「ご自身の築いた城だけでしょうか。それとも――」
清正は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、清正は、義太夫と小山田を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。襖の向こう、廊下の暗がりに、泥のついた足袋の男が一人、影のように立っているのを、凪だけが気づいていた。
「覚兵衛は……」清正は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「幼き日から、それがしを支え続けてくれた。この熊本城の石垣は、あの男の技があってこそ、成ったものじゃ」
義太夫と小山田は、深く頭を下げた。
「これより後、それがしのことを語り継ぐ者は、皆に、覚兵衛のことも伝えてほしい」清正は、静かに続けた。「この城は、それがし一人の功績ではなく、あの男と、共に築いたものなのだと。小山田、しかと、書き遺しておいてくれ」
小山田は、声を震わせながら、「はっ」と応えた。
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて清正は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が軽うなったわ」
廊下の影は、物音ひとつ立てずに、その場を去っていった。


九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、慶長十六年六月、加藤清正は、二条城での会見から肥後へ帰る船中で発病し、まもなく、その生涯を閉じることになる。享年五十。
史実において、飯田覚兵衛の築城の技は、熊本城をはじめとする、清正の手がけた城々に、確かに、その痕跡を残している。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られてこなかった。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
難攻不落の名城の陰にも、確かに、その技を支えた、忠実な家臣の存在が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの城路
四百年余りの後。
熊本城は、幾多の地震にも耐え、今なお、多くの人々に、その堅固な姿を、伝え続けていた。
「清正公(せいしょこ)さん」として、熊本の人々に慕われるその名の陰で、共に城を築き上げた、一人の忠臣の存在を、知る人は、多くはない。
だが、あの夜、清正が言葉を遺したからこそ、歴史のわずかな隙間に、覚兵衛の功績は確かに記録され、今も熱心な歴史家たちによって語り継がれている。
「難攻不落の城を築いた名人」としてだけではなく、「己を支えた家臣の技を、生涯、忘れなかった、一人の武将」として。


エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、初夏の風が、心地よく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の築城の功績だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『慶長十六年六月、肥後への海路に、静かな夕暮れが訪れようとしていた。難攻不落の城を幾つも築き上げた男は、その最期の日々に、己の功績を語りながらも、もう一つの光を、確かに、忠実な家臣へと、語り遺したのである。』
風が吹いた。原稿の紙が、どこか懐かしい手触りをしていた。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。


――了――


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あとがき
本作は加藤清正の最晩年を題材としたフィクションです。加藤清正、飯田覚兵衛、森本義太夫などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
実際に清正は慶長十六年(一六一一年)三月、二条城における徳川家康と豊臣秀頼の会見の実現に尽力し、万一に備え短刀を懐に忍ばせて随行したと伝えられています。会見から三ヶ月後、肥後へ帰る途上で発病し、まもなく五十歳で逝去しました。死因については脳卒中や腎の病とする説が現在では有力とされていますが、当時から家康による毒殺を疑う声もありました。
飯田覚兵衛(直景)は清正の幼少期からの盟友であり、森本義太夫と共に「加藤家の三傑」と称された忠臣です。築城に長けた覚兵衛の技術は、熊本城の石垣にも活かされたとされていますが、その具体的な貢献の詳細や、清正との最晩年のやり取りについては、本作における描写は、著者の創作です。
なお、清正は豊臣秀吉の命により文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に参陣しており、この歴史については、今日に至るまで、日本と韓国それぞれの立場から、様々な評価がなされています。本作は、その評価に立ち入ることを意図するものではなく、清正の築城家としての側面に焦点を当てています。
本作は、前三十六作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。


山吹路転生記 〜太田道灌と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十六話



まえがき
三十五度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
源義経との旅で、凪は「弓路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「山吹路」であった。
江戸の地に、城を築いた男でありながら、一輪の花に、生涯の学びを得た男。
文明十八年(一四八六年)六月。齢五十五。江戸城を築いた、稀代の軍略家でありながら、自らの主君の疑心により、命を狙われていた男――太田道灌。だが、その学識と教養の礎には、名も知らぬ、一人の少女との、忘れがたい出会いがあった。




プロローグ 水無月の来訪
東京は、梅雨の合間の、蒸し暑い夜だった。
榊原凪は、七十歳になっていた。源義経との旅から、半年余りが経っている。
衣川の館で、義経が佐藤兄弟への想いを、弁慶に託した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『身代わりの兄弟』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い和歌集の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、鎧の匂いと、雨に濡れた山吹の花の匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の武将が座っていた。
質素な直垂。だが、その目には、武人らしい鋭さと、どこか文人めいた静けさとが、共に宿っていた。
「夜分に、失礼つかまつる」
武将は、静かに言った。
「あなたは……」
「太田道灌と申す。扇谷上杉家に、仕えておる者じゃ」
凪は、息を呑んだ。
太田道灌。江戸城を築き、幾多の戦で、比類なき軍略を発揮した武将。後の世、その和歌の才でも、知られることになる人物。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも、分からぬ」道灌は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言、鑑真、利休、板垣、鎌足、義経――そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を静かに見つめた。
「それがしは今、主君・上杉定正様の館に、招かれておる。近頃、いささか、主君の心が、それがしから、離れつつあるように感じておる。……それがしがいた、あの水無月の刻で、待っておるぞ」
「道灌様……」
「その前に、どうしても伝えておきたいことが、あるのだ」


一章 三十六度目のたゆたい
道灌の姿がかき消えた後も、凪は和歌集の写本に埋もれながら、考え続けていた。
これまでの三十五人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが太田道灌の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、道灌は文明十八年七月、主君・上杉定正の館にて、暗殺されることになる。享年五十五。臨終の際、「当方滅亡」――己が死ねば、上杉家は滅びるであろう――と言い遺したと伝えられている。
だが、道灌の生涯には、あまり語られない、一つの出会いがあった。若き日、鷹狩りの折、にわか雨に遭った道灌は、みすぼらしい家に立ち寄り、蓑を借りようとした。応対に出た少女は、無言のまま、山吹の花を一枝、差し出した。道灌は、その意味が分からず、立ち去った。後に、これが「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌にかけた、少女の「蓑(実の)一つだにない」という、精一杯の返答であったと知り、己の無学を、深く恥じたという。この出来事を契機に、道灌は、和歌の道を、真剣に学ぶようになった。だが、この少女の名は、記録のどこにも、残されていない。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
道灌が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己の武功や、軍略だけなのか。それとも――名も知らぬ、一人の少女との出会いへの、感謝も、あるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、和歌集の匂いが、鎧と山吹の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。


二章 相模・上杉定正の館
気づくと、凪は、相模国にある、上杉定正の館の裏手に立っていた。
梅雨の湿った空気が、館の庭を、しっとりと濡らしている。
凪の身なりは、館に仕える下人風の姿に変わっていた。
「もし」
館の前にいた家臣に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「道灌様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「道灌様のお導きで参った者です。サカキバラが到着したと告げていただければ、通じるはずです」
家臣は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「お入りくだされ。道灌様がお待ちだ」
この家臣こそ、道灌の身の回りの世話をしていた、若き従者であった。


三章 道灌の部屋
部屋の中は、質素ながらも、文机の上に、和歌の書と、書きかけの一首が、静かに置かれていた。
「身のうさを――」
その先は、墨が乾いていた。
道灌は、文机越しに、静かな目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」道灌は、静かに言った。「それがしは、江戸に城を築き、幾多の戦を、生き延びてまいった」
「和歌にも、深く通じておられると、伺いました」
道灌は、しばらく黙っていた。
「若き日、それがしは、無学を、恥じたことがある」彼は言った。「あの経験がなければ、それがしは、ただの、武辺一辺倒の男で終わっておったであろう」
「山吹の花のことでしょうか」
道灌は、少し目を細めた。
「あの少女のことを、近頃、よく思い出すのだ」


四章 名の残らなかった少女
その夜、凪は上杉館の一室で、眠れぬまま過ごした。
道灌の言葉が、頭から離れなかった。
――あの少女のことを、近頃、よく思い出す。
これまでの三十五人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが道灌の場合、彼が向き合っていたのは、「己の武功をどう語るか」だけでなく、「己を変えた、名もなき者を、どう記憶するか」という問いであるように思えた。
伝説において、道灌に山吹の花を差し出した少女は、貧しい家の娘であったとされている。だが、その名は、どこにも、記録されていない。この少女との出会いがなければ、道灌は、和歌の道を、真剣に学ぶことは、なかったかもしれない。
凪は、ふと思った。
道灌が、これほどまでに己の武功や、学識を語られる一方で、その学びの原点にいた、名もなき少女への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
窓の外、梅雨の雨音が、遠く微かに聞こえていた。


五章 従者との対話
翌日、凪は部屋の外で控えていた従者と、言葉を交わす機会を得た。
「殿は、山吹の少女のことを、よく話されますか」
「はい」従者は、真剣な面持ちで頷いた。「若き日、無学を恥じ、和歌を学び始めた、すべてのきっかけになった方だと、伺っております」
「その少女のお名前は、伝わっておりますか」
従者は、寂しげに首を振った。
「いいえ。殿のお名前は、天下に知られておりますが、あの少女のことは、名すら、伝わっておりません」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「殿ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
従者は、しばらく考えていた。
「殿は、時折、懐かしそうに、あの日のことを、口にされる。ですが……それを、はっきりと、書き記されたことは、まだ、あまりないように思います。実は、そのことを、殿と共に和歌を学ばれた旧友の方も、深く案じておられるのです。ちょうど今、そのお方が館の離れに来ておられます。サカキバラ殿、よければ、お引き合わせいたしましょう」


六章 旧友との対話
従者の手引きにより、凪は館の離れで、道灌の旧友であり、共に和歌を学んだ人物と、密かに対面することができた。
「サカキバラ殿と申されるか。道灌殿より、妙な客人が来るとは伺っております」
「あなたは、山吹の少女のことを、どう見ておられますか」
下人の姿をした凪の、真っ直ぐな問いに、旧友は少し驚いた顔をしたが、やがて静かに語り出した。
「あの出会いなくば、道灌殿は、和歌の道を、志されなかったでしょう。名も知らぬ少女の、あの静かな返答が、道灌殿の、その後の学びの、すべての始まりでございました」
「それは、道灌様ご自身も、深く感謝しておられることですか」
「道灌殿は……」旧友は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、あの少女への感謝を、抱いておられるはずです。ただ、武将としての、日々のあまりに重き務めに、常に、心を占められておられたゆえ、それを、はっきりと書き記す間が、なかったのでしょう」
「もし、道灌様が、はっきりと、あの少女への感謝を、書き記されたら――何か、変わると思われますか」
旧友は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……道灌殿の言葉には、それだけの重みがございます。後世の者たちも、殿の武功だけでなく、その『心』を正しく受け継ぐことができるはずじゃ」


七章 夜半の対話
その夜、凪は道灌に呼ばれ、二人だけで部屋に残った。
「従者や、旧友から、聞き申した」と道灌は言った。「そなたが、あの少女のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」道灌は、静かに凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度でござった」
「道灌様は、ご自身の武功について、あれほど多くを、語られてこられました。ですが、あの少女への感謝については、あまり、はっきりと言葉にされる場が、なかったように見受けました」
道灌は、しばらく、黙っていた。
「それがしは……」やがて彼は、静かに言った。「あの日、蓑を借りようとした、それがしに、山吹の花を差し出した少女の、あの静かな振る舞いがなければ、それがしは、生涯、無学の武辺者で、終わっておったであろう。……だが、それがしは、あの少女の名を、ついに、知ることが、できなんだ」
「それを、どのように、感じておられますか」
「感謝と、申し訳なさと……その両方が、いつも、それがしの中にござる」道灌は、切なげに言った。「名も知らぬ者から受けた学びを、それがし一人の功績のように、語ってはならぬと、常々、思うておる」
凪は、深く息を吸った。そして、道灌のすぐ近くにある「未来」を想い、静かに、しかし強く言葉を紡いだ。
「道灌様。人の世は……時に、望まぬ形で、あまりに呆気なく幕を引くことがございます。この先のことは、誰にもわかりませぬ。ですが――もし、あの少女への感謝を、はっきりと言葉にしないまま終われば、その少女への恩は、江戸城の石垣の陰に、埋もれたままになってしまうやもしれませぬ」
道灌の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当にこの世に遺したいものは、ご自身の武功だけでしょうか。それとも――名も知らぬ少女という、あなたを変えた恩人の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
道灌は、長い間、目を閉じていた。窓を叩く雨音が、二人の間の沈黙を優しく包み込んでいた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、道灌は、従者と旧友を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「あの少女は……」道灌は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「それがしに、名も告げず、ただ、山吹の花を、差し出しただけであった。だが、あの一枝が、それがしの、生涯の学びを、開いてくれたのだ」
従者と旧友は、深く頭を下げた。
「これより後、それがしのことを語り継ぐ者は、皆に、あの少女のことも、伝えてほしい」道灌は、二人の目を真っ直ぐに見据えて続けた。「それがしの学びは、それがし一人のものではなく、名も知らぬ、あの少女から、授かったものなのだと」
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて道灌は、ふっと肩の力を抜いた。鎧を脱いだときのような、久方の安堵がその顔にあった。
「これで……少しは、心が、軽うなった」


九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、文明十八年七月、太田道灌は、主君・上杉定正の館にて、暗殺されることになる。享年五十五。臨終の際、「当方滅亡」と言い遺したと伝えられている。
史実(と伝説)において、山吹の少女との出会いは、後世、道灌の人柄を伝える、有名な逸話として語り継がれることになる。だが、その少女自身の名は、今日に至るまで、記録に残されていない。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
偉大な武将の学びの陰にも、確かに、名も知らぬ者の、静かな知恵が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの山吹路
五百年余りの後。
東京・江戸城跡(皇居)の近くには、道灌ゆかりの地として、山吹の花にちなんだ史跡が、今も、静かに伝えられていた。
「江戸城を築いた武将」としてだけではなく、「名も知らぬ少女の知恵を、生涯、忘れなかった、一人の学び人」として。


エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、梅雨の雨が、静かに降っていた。庭の隅、誰が植えたとも知れぬ山吹が、今年も静かに実をならせずにいる。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の武功だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『文明十八年七月、相模の空は、静かに暮れようとしていた。江戸の地に城を築いた男は、その最期の日々に、己の武功を語りながらも、もう一つの光を、確かに、名も知らぬ恩人へと、語り遺したのである。』
風が吹いた。鎧と、山吹の花の匂いが、微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

——了——


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あとがき
本作は太田道灌の最晩年を題材としたフィクションです。『常山紀談』等に遺る「山吹の少女」の伝説をベースに、その出会いが道灌の最期に与えたかもしれない影響を膨らませた、前三十五作と同様の「もし介入できたなら」という思考実験(創作)となります。道灌の暗殺や「当方滅亡」の逸話についての詳細な経緯の描写は意図せず、簡潔な記載にとどめています。そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

弓路転生記 〜源義経と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十五話



まえがき
三十四度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
藤原鎌足との旅で、凪は「鎌路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「弓路」であった。
平家を滅ぼした、稀代の戦上手でありながら、兄に追われる身となった男。
文治五年(一一八九年)閏四月。齢三十一。奥州・平泉にて、追い詰められていた男――源義経。だが、その華々しい戦功の陰には、彼の身代わりとなり、命を落とした、二人の兄弟がいた。
なお、平安末期から鎌倉初期という時代のことゆえ、義経の生涯については、『吾妻鏡』などの史実と、後世、能や軍記物語によって大きく彩られた伝説とが、分かちがたく織り交ざっている。本作もまた、その重なりの上に、一つの物語を紡ぐものである。




プロローグ 卯月の来訪
東京は、晩春の、穏やかな夜だった。
榊原凪は、六十九歳になっていた。藤原鎌足との旅から、半年余りが経っている。
飛鳥の病床で、鎌足が石川麻呂への想いを、子の不比等に託した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『新しき国の礎』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い軍記物語の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、鎧の革と、雪解けの匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の若い武将が座っていた。
質素な直垂。だが、その目には、驚くほど鋭く、それでいて、どこか寂しげな光が宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
武将は、静かに言った。
「あなたは……」
「源義経と申す」
凪は、息を呑んだ。
源義経。一の谷、屋島、壇ノ浦の戦いで、平家を滅ぼした、稀代の戦上手。だが、兄・頼朝との対立の末、追われる身となった武将。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも、分からぬ」義経は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言、鑑真、利休、板垣、鎌足――そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を静かに見つめた。
「それがしは今、奥州・平泉の、衣川の館に、身を寄せておる。兄上の追討の手が、間もなく、ここまで及ぶであろう」
「義経様……」
「されど」若き武将の目に、複雑な光が宿った。「その前に、はっきりさせておきたいことが、ある」
一章 三十五度目のたゆたい
その夜、凪は軍記物語の写本に埋もれながら、考え続けていた。
これまでの三十四人には皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが源義経の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実と伝説が織り交ざる世界のなかで、義経は間もなく奥州・平泉の衣川館にて、藤原泰衡の軍勢に攻められ、三十一歳の生涯を閉じる。
しかし、彼の華々しい戦功の陰には、あまり広くは語られない二人の兄弟の犠牲があった。佐藤継信は、屋島の戦いにて義経を狙った矢の前に自ら進み出て命を落とした。その弟・佐藤忠信もまた、都を追われる義経を逃がすため、自ら囮となって奮戦し、激しい最期を遂げている。
後世、義経という名が悲劇の英雄としてあまりに大きく語り継がれる一方で、この二人の名がその影に隠れがちであるのは否めない。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
義経が最期にはっきりさせておきたいものがあるとすれば――それは、己の戦功、あるいは兄との確執だけなのだろうか。それとも、己の身代わりとなった、二人の兄弟への想いも、そこにあるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、軍記物語の匂いが、鎧の革と雪解けの匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。


二章 奥州・衣川の館
気づくと、凪は、奥州・平泉にある、衣川館の裏手に立っていた。
晩春の冷たい風が、北国の館を、吹き抜けていく。
凪の身なりは、館に仕える下人風の姿に変わっていた。
「もし」
館の前にいた若い郎党に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「義経様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「義経様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
郎党は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラ殿、こちらへ」
この郎党こそ、義経の身の回りの世話を親身にこなす、若き家人であった。


三章 義経の館
館の中は、質素ながらも、緊張した空気に満ちていた。
義経は、板敷きの上から、鋭い目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」義経は、静かに言った。「それがしは今、兄上に追われる身じゃ」
「一の谷、屋島、壇ノ浦での戦のことを、伺ってもよろしいでしょうか」
義経は、しばらく黙っていた。
「あの戦の日々のことは、忘れようにも、忘れられぬ」彼は言った。「多くの者が、それがしと共に、命を懸けて戦うてくれた」
「佐藤継信殿、忠信殿のことでしょうか」
義経は、少し目を伏せた。
「あの兄弟のことを、近頃、よく思い出す」彼は、静かに言った。「二人とも、それがしの身代わりとなって、逝ってしもうた」


四章 名の記されなかった兄弟
その夜、凪は衣川館の一室で、眠れぬまま過ごした。
義経の言葉が、頭から離れなかった。
――二人とも、それがしの身代わりとなって、逝ってしもうた。
これまでの三十四人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが義経の場合、彼が向き合っていたのは、「己の戦功をどう遺すか」だけでなく、「己の身代わりとなった者たちを、どう記憶するか」という問いであるように思えた。
窓の外から聞こえる衣川の微かな川音に、凪は、かつて屋島の浜で鳴り響いたであろう鬨の声や、都を落ち延びる際の馬蹄の音を重ね合わせていた。義経がこれほどまでに、己の戦功と兄との確執の文脈でばかり語られる一方で、身代わりとなった兄弟への生身の想いは、これまでどれほど、はっきりと形にされてきたのだろうか。
英雄の孤独な横顔が、凪の脳裏に焼き付いて離れなかった。


五章 郎党との対話
翌日、凪は、館の庭先で武具を整えていた、昨日のあの若い郎党と言葉を交わす機会を得た。
「殿は、佐藤兄弟のことを、よく話されますか」
「はい」郎党は、真剣な眼差しで頷いた。「屋島にて、殿の身代わりとなられた継信様、都で殿を逃がすため戦われた忠信様のことを、時折、お話しになります」
「お二人のお名前は、世に、広く知られておりますか」
郎党は、寂しげに首を振った。
「いいえ。殿のお名前は、天下に知られておりますが、佐藤兄弟のことまでは、あまり、知られていないように思います」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「殿ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
郎党は、しばらく考えていた。
「殿は時折、遠い目をされて、お二人のお名前を、口にされます。ですが……それを、はっきりと、後の世に向けて、語られたことは、まだ、ないように思います」


六章 弁慶との対話
その日の夕刻、義経の忠実な家来である、武蔵坊弁慶が、館の廊下を歩いてきた。凪の姿を認めると、大きな体をかがめるようにして声をかけてきた。
「サカキバラ殿と申されるか。殿より、伺っております」
「弁慶殿は、佐藤兄弟のことを、どう見ておられますか」
弁慶は、少し目を伏せた。
「あの兄弟なくば、殿は、幾度も、命を落としておられたでしょう。継信殿は、矢を受けてなお、殿の身を案じておられました」
「それは、義経様ご自身も、深く感謝しておられることですか」
「殿はな」弁慶は、言葉を選びながら言った。「誰よりも、あの兄弟への想いを抱いておられるはずだ。ただ兄上とのことが、常に心を占めておられたゆえ、それをはっきりと語る間がなかったのであろう」
凪は、頷いた。
「もし、殿が、はっきりと、佐藤兄弟への想いを、言葉に遺されたら――何か、変わると思われますか」
弁慶は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……殿のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
その夜、凪は義経に呼ばれ、二人だけで館に残った。
「家人や、弁慶から、聞き申した」と義経は言った。「そなたが、佐藤兄弟のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」義経は、静かに凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度でござった」
「義経様は、ご自身の戦功や、兄上との確執について、多くを語られてこられました。ですが、佐藤兄弟への想いについては、あまり、はっきりと言葉にされる場が、なかったように見受けました」
義経は、しばらく、黙っていた。
「それがしは……」やがて彼は、絞り出すように言った。「継信、忠信、二人の勇気なくば、それがしは、とうに、討たれておったであろう。あの兄弟は、それがしのために、命を投げ出してくれた。……だが、それがしは、兄上との確執にばかり、心を奪われ、それを、はっきりと語ってこなんだ」
「なぜですか」
「己の境遇の悲しさに、心を奪われておったのじゃろう」
凪は、深く息を吸った。
「義経様。あなたは今、追われる身にあられます。この先、何が起こるかは、誰にも分かりません。ですが――もし、佐藤兄弟への想いを、はっきりと言葉にしないまま終われば、その勇気は、あなたの悲劇の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
義経の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の戦功や、悲運だけでしょうか。それとも――佐藤兄弟という、あなたの身代わりとなった者たちの存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
義経は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、義経は、弁慶とあの若い郎党を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「継信と、忠信は……」義経は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「それがしのために、命を投げ出してくれた。この先、それがしが、どうなろうとも、あの兄弟のことだけは、忘れてはならぬ」
弁慶と郎党は、深く頭を下げた。
「もし、それがしの身に、何かあらば」義経は、静かに続けた。「皆に、伝えてほしい。それがしの戦功は、それがし一人のものではなく、あの兄弟と、共に成し遂げたものなのだと」
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて義経は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が、定まった」


九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、文治五年閏四月。衣川の館は激しい鬨の声と炎に包まれ、源義経は三十一年の生涯を閉じた。
だが、その最期の瞬間、彼の胸にあったのは兄への呪詛だけだったろうか。
後世、彼の悲劇は大いなる伝説として語り継がれ、佐藤兄弟の忠義もまた『義経記』などの物語に描かれることになる。しかし、あまりに巨大な「判官贔屓」の影で、彼らの名がどこか遠くへ置かれがちであったことも確かだ。
それでも凪は、あの夜に義経が確かに口にした「兄弟への光」を信じている。
悲劇の英雄の陰にも、確かに、その身代わりとなった者たちの勇気を自らの血肉として記憶し、次の時代へと託そうとした、一人の人間の温き意思が息づいていたのだ、と。
終章 弓路
八百年余りの後。
東北のある地に、佐藤継信、忠信、兄弟の墓と伝えられる場所が、今も、静かに守られていた。
悲劇の英雄・義経の物語が、日本中で語り継がれる陰で、その身代わりとなった、二人の兄弟の存在を、知る人は、多くはない。
「稀代の戦上手」としてだけではなく、
「己を守った者たちの勇気を、生涯、忘れなかった、一人の武将」として。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、晩春の風が、心地よく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の悲運だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『文治五年閏四月、奥州の空は、静かに暮れようとしていた。平家を滅ぼした稀代の戦上手は、その最期の日々に、己の悲運を見つめながらも、もう一つの光を、確かに、身代わりとなった者たちへと、語り遺した。』
風が吹いた。鎧の革と、雪解けの匂いが、微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

——了——


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本作は源義経の最晩年を題材としたフィクションです。平安末期から鎌倉初期という時代のことゆえ、義経の生涯については、『吾妻鏡』などの史実と、後世、能や軍記物語『義経記』によって大きく彩られた伝説とが、分かちがたく織り交ざっており、本作もその重なりの上に書かれています。源義経、佐藤継信、佐藤忠信、武蔵坊弁慶などは実在の人物、あるいは伝承上の人物とされていますが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
実際に義経は文治五年(一一八九年)閏四月、奥州・平泉の衣川館にて、藤原泰衡の軍勢に攻められ、三十一歳でその生涯を閉じたと伝えられています。
佐藤継信は屋島の戦いで義経の身代わりとなって討死し、弟の忠信も、義経の都落ちの際、囮となって奮戦し、後にその生涯を閉じたとされています。義経が最晩年、この兄弟への想いをどのように語っていたかについて、具体的な記録は確認されておらず、本作における描写は、著者の創作です。
本作は、前三十四作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

鎌路転生記 〜藤原鎌足と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十四話



まえがき
三十三度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
板垣退助との旅で、凪が得た言葉は「民路」であった。今回、彼が得た言葉は「鎌路」である。
蘇我氏の専横を断ち、新しき国の形を切り開こうとした男。
天智八年十月。齢五十六。中大兄皇子と共に乙巳の変を成し遂げ、大化の改新へと導いた男――中臣鎌足。だが、その改革の陰で、共に蘇我入鹿を討ちながら、非業の死を遂げた一人の同志がいた。
なお、飛鳥時代という遠い時代のことゆえ、鎌足の生涯については、『日本書紀』に基づく史実と後世の潤色とが分かちがたく織り交ざっている。本作もまた、その重なりの上に、一つの物語を紡ぐものである。




プロローグ 神無月の来訪
東京は、秋の深まる夜だった。
榊原凪は、六十九歳になっていた。板垣退助との旅から、半年余りが経っている。
東京の書斎で、板垣が内藤魯一への感謝を筆に込めた、あの夜のことを凪は今も思い出す。書き上げた小説『言葉より前にあった勇気』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で古い史書の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、墨と乾いた木簡のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に一人の男が座っていた。
質素な衣冠。だが、その目には深い思索と、老いによる疲れとが共に宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
「あなたは……」
「中臣鎌足と申す。主上――天智天皇陛下と共に、この国の形を求めて歩んできた者じゃ」
凪は息を呑んだ。
中臣鎌足。中大兄皇子と共に蘇我入鹿を討ち、大化の改新を導いた重臣。後に藤原の姓を賜り、藤原氏の祖となる人物。あるいは、このひと月後にはその生涯を閉じることになる男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも分からぬ」鎌足は力なく微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智から板垣まで……そなたが会うてきた三十三人の気配が、なんとのう伝わってくる。不思議な御仁じゃな」
彼は凪をじっと見つめた。
「それがしは今、病の床に伏しておる。もう、長くはないやもしれぬ」
「鎌足様……」
「されど」老臣の目に複雑な光が宿った。「まだ、はっきりさせておきたいことがある」


一章 三十四度目のたゆたい
その夜、凪は史書の写本に埋もれながら考え続けていた。
これまでの三十三人には、皆「死をどう引き受けるか」というそれぞれの重さがあった。
だが藤原鎌足の場合、その重さは違う質のものだった。
鎌足は天智八年十月、病により生涯を閉じる。死の直前、即位して天智天皇となっていた中大兄皇子より「藤原」の姓と最高位の冠位を賜ったと伝えられる。
そして鎌足の生涯には、あまり語られない出来事があった。
皇極天皇四年、乙巳の変。鎌足は蘇我氏一族の中から、蘇我倉山田石川麻呂という男を同志として引き入れていた。石川麻呂は変の当日、皇極天皇の御前で朝鮮からの使者の上表文を読み上げる役を担い、その朗読の間に中大兄皇子が蘇我入鹿に斬りかかるという決死の計画に加わっていた。震えながらも役目を果たした石川麻呂の功により、入鹿は討たれ、改新への道が開かれた。だが大化五年、石川麻呂は異母弟の讒言により謀反の疑いをかけられ、氏寺である山田寺にて一族諸共に命を絶つ。
凪の胸に一つの問いが浮かんだ。
鎌足が最期にはっきりさせておきたいものがあるとすれば――それは己が導いた改革の功だけなのか。それとも、共に入鹿を討ちながら非業の死を遂げた石川麻呂への想いもあるのではないか。
凪は暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、史書の匂いが墨と木簡の匂いに変わった。
玉響。
世界が揺れた。


二章 飛鳥・鎌足の邸
気づくと、凪は飛鳥にある鎌足の邸の裏手に立っていた。
晩秋の冷たい風が、質素な邸を吹き抜けていく。
身なりは邸に仕える下人風に変わっていた。
「もし」
邸の前にいた従者に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「鎌足様にお目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「鎌足様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
従者は訝しみながらも奥へと入っていった。
しばらくして戻ってきた。
「サカキバラと申したな。お入りくだされ」
この従者こそ、鎌足の身の回りの世話をする若き舎人であった。


三章 鎌足の病床
病床の間は、調度も少なく、ひっそりとしていた。
鎌足は床の中から凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」鎌足は言った。「それがしは主上と共に、この国の形を新しゅうしてまいった」
「乙巳の変のことを伺ってもよろしいでしょうか」
鎌足はしばらく黙していた。
「あの日のことは、忘れようにも忘れられぬ。入鹿殿を討つ、あの一瞬のために何人もの者が命を懸けた」
「石川麻呂様のことでしょうか」
鎌足はわずかに目を伏せた。
「あの者のことを、近頃よく思い出す。あの者がおらねば、乙巳の変は成らなんだであろう」


四章 名の記されなかった同志
その夜、凪は邸の一室で眠れずにいた。
――あの者がおらねば、成らなんだであろう。
これまでの三十三人は皆、有限の生の中で何を選ぶかという問いを抱えていた。だが鎌足が向き合っているのは、「己が導いた改革をどう遺すか」だけでなく、「共に戦い、死なせてしまった者を、どう記憶するか」という問いであるように思えた。
欠くべからざるはずの男の名は、四年後の山田寺で、自ら絶たれた。
鎌足自身がどこまで関われたかは定かではない。だが少なくとも、止めることはできなかった。
鎌足の名が藤原氏の祖として大きく語られる陰で、石川麻呂への想いはどれほどはっきりと語られてきたのか。
窓の外、飛鳥の夜風が木々を揺らしていた。


五章 舎人との対話
翌日、凪は庭先を掃除していた舎人に声をかけた。
「鎌足様は、石川麻呂様のことをよく話されますか」
「ええ、時折。乙巳の変の折、上表文を読まれた御方だと。震える声だったそうですが、最後まで読まれたと」
「そのお名前は、世に広く知られておりますか」
舎人は首を振った。
「いや。鎌足様のお名前は皆知っておりますが、石川麻呂様のことまでは……」
凪はその言葉の重さを受け止め、庭を掃く手を止めた。一呼吸置いて、少し踏み込むように重ねた。
「鎌足様ご自身は、それをどう思っておられるのですか」
「たまに、遠い目をされます。名を口にして、それきり。後の世に向けて何か語られたことは……まだ、ないかと」


六章 子・不比等との対話
その日の夕刻、鎌足の子である史(のちの藤原不比等)が病床を訪れた。十一の若さであったが、その眼光には既に並外れた才が宿っていた。
「サカキバラ殿と申されるか。父上より伺っております」
「不比等殿――いえ、史殿は、石川麻呂様のことをどう見ておられますか」
若き不比等は少し驚いた顔をした。
「あの方なくば、乙巳の変は成らなかった。震えながらも、大役を最後まで果たされた方だと」
「それは父上も認めておられることですか」
「父上は……」不比等は言葉を選んだ。「内心では誰よりも石川麻呂様を思っておられるはずです。ただ、あの方の最期について語ることは、父上にとっても、自らを責めることに繋がるのでしょう」
凪は頷いた。
「もし父上が、はっきりと言葉に遺されたら、何か変わると思われますか」
不比等はしばし考え、十一歳とは思えぬきっぱりとした口調で言った。
「変わります。父上がそう遺せば、藤原は、石川麻呂様の名と共に立つ家になります。わたくしが、この家を継いだ暁には、必ずそういたします」


七章 夜半の対話
その夜、凪は鎌足に呼ばれ、二人だけで残った。
「舎人や不比等から聞き申した。そなたが石川麻呂のことを問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことをいたしました」
「いや。向き合わねばならぬ角度であった」
凪は一歩踏み込んだ。
「鎌足様は、大化の改新というご自身の功について多くを語ってこられました。ですが、石川麻呂様への想いを、はっきりと言葉にされる場はなかったように見受けます」
長い沈黙があった。灯火がパチリと爆ぜる。
「それがしは……」やがて鎌足は絞り出すように言った。「石川麻呂の勇気なくば、事は成らなんだ。あの者は震えながらも役目を果たしてくれた。……だが、あの者が非業の死を遂げるのを、止めることができなんだ」
「どのように受け止めておられますか」
「悔いと、申し訳なさと……その両方が、常に胸の内にござる。あの者の犠牲の上に、この国の新しい形があることを、忘れてはならぬと常々思うておる」
凪は深く息を吸った。
「鎌足様。あなたは今、病の床にあられます。もし想いを言葉にしないまま終われば、その勇気はあなたの功績の陰に埋もれたままになってしまうやもしれません」
鎌足の目が微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の功だけでしょうか。それとも――共に戦い、非業の死を遂げた同志の存在を、次の時代へはっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
鎌足は長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、鎌足は不比等を呼び寄せた。凪は傍らに控えていた。
「石川麻呂は……」鎌足はゆっくりと言葉を選んだ。「震えながらも、あの大役を最後まで果たしてくれた。この国の新しい形は、あの者の勇気の上に築かれておる」
不比等は深く頭を下げた。
「これより後、我が藤原の家を継ぐ者は、皆に石川麻呂のことを伝えよ」鎌足の声は弱々しいが、確かだった。「この国の礎は、それがし一人のものではない。あの者と共に築いたものなのだと」
凪はその言葉を聞き届けた。
やがて鎌足は深く息をついた。
「これで……少しは心が安まった」


九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、天智八年十月、藤原鎌足はその生涯を閉じた。享年五十六。死の直前、天智天皇より「藤原」の姓と最高位の冠位・大織冠を賜ったと伝えられる。
史実において、石川麻呂が乙巳の変に果たした役割は『日本書紀』にも記されている。だが後世、鎌足の名が藤原氏の祖として大きく語り継がれる一方で、石川麻呂の死は広く語られることが少なかった。
新しい時代の礎の陰にも、確かにその礎を築くために犠牲となった同志の存在が息づいていたのかもしれない、と凪は思った。


終章 もう一つの鎌路
千三百年余りの後。
奈良にある山田寺跡には、蘇我倉山田石川麻呂を偲ぶ静かな史跡が今も残されている。
藤原氏の祖として日本史に大きく名を刻む鎌足の陰で、共に乙巳の変を成し遂げながら非業の死を遂げた一人の同志の存在を知る人は多くはない。
「大化の改新を導いた重臣」としてだけではなく、「共に戦った同志の犠牲を生涯忘れなかった一人の政治家」として、その名はもう一つの鎌路を示しているのかもしれない。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は書き上げたばかりの原稿を読み返していた。
窓の外では晩秋の風が吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の功だけではなかったはずです」
凪は呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の最後の一文が残されていた。
『天智八年十月、飛鳥の空は暮れようとしていた。蘇我氏の専横を断ち、新しき国の形を切り開いた男は、その最期の日々に己の功を語りながらも、もう一つの光を、非業の死を遂げた同志へと向け、確かに語り遺したのである。』
風が吹いた。墨と木簡の匂いが微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた続いている。

――了――

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あとがき
本作を書き終えて、まず思い浮かんだのは、山田寺跡の風景だった。
私はこの物語を書くにあたり、奈良、桜井の近くまで足を運んだ。蘇我倉山田石川麻呂が一族と共に最期を遂げたという山田寺。そこには今、礎石だけが残されている。金堂の跡を示す大きな石。何もない、と言えば何もない場所だ。だが、その何もなさの中に、千三百年という時間が、妙に生々しく残っている。
藤原鎌足という人物は、日本史の中であまりに完成された肖像で語られてきた。聡明、果断、温厚。中大兄皇子という鋭利な刃を、最後まで支えた鞘のような男。正式に即位した天智天皇を大織冠として支え、藤原という日本史最長の権門の始祖となった男。
だが、その完成された肖像の裏側には、必ず「語られなかった名」があるはずだ、と思った。
今回題材にした石川麻呂は、その象徴である。蘇我氏の一族でありながら、蘇我入鹿を討つ計画に加担した。皇極天皇の御前、入鹿がすぐ側にいる。そこで上表文を読み上げる。噛めば計画は終わり、噛まなければ自身の一族を裏切ることになる。その震えを想像すると、この乙巳の変というクーデターが、後世の「大化の改新」という立派な額縁の中だけでは収まらない、血の通った怖ろしい時間であったことがよく分かる。
勝者の記録である『日本書紀』の行間をどう読み解くか。彼は改革からわずか四年で、讒言によって失脚する。これを止められなかった鎌足の心中を、史書は語らない。
三十三人の旅を経て、榊原凪は六十九歳になった。私自身も、このシリーズを書き始めた頃より、確実に老いに近づいている。だからだろうか、最近の凪は「偉大な死に様」よりも、「生き残ってしまった者の後悔」に惹かれるようになってきた。板垣退助の「民路」もそうだった。新しい世を作る者は、必ず誰かを置き去りにしてしまう。その置き去りにした者の名を、最期に呼び戻すことができるかどうか。
それが「鎌路」という言葉に込めたかった意味である。
鎌は、道を切り開く道具であると同時に、刈り取る道具でもある。何を切り開き、何を刈り取ってしまったのか。鎌足が最期の一ヶ月で向き合ったのは、まさにその問いだったのではないか、と私は想像した。
本作における対話の全ては創作である。だが、山田寺の礎石の冷たさだけは、創作ではない。もし奈良を訪れる機会があれば、法隆寺や飛鳥寺の華やかさだけでなく、あの静かな礎石の前にも、少しだけ立ってみていただきたい。そこに、もう一つの大化の改新の始まりがあるように、私には思えたのである。
次回、三十五度目のたゆたいは、再び少しだけ時代を下る予定である。
玉響は、まだ揺れている。

令和八年 文月

民路転生記 〜板垣退助と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十三話



まえがき
 三十二度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
 千利休との旅で、凪は「茶路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「民路」であった。
 「板垣死すとも、自由は死せず」の一言で、日本中にその名を刻んだ男。
 大正八年(一九一九年)六月。齢八十二。自由民権運動を率い、日本初の政党を作り上げた男――板垣退助。だが、その有名な一言が生まれた瞬間、彼の命を救ったのは、あまり知られていない、一人の同志であった。




プロローグ 水無月の来訪
 東京は、梅雨の合間の、蒸し暑い夜だった。
 榊原凪は、六十八歳になっていた。千利休との旅から、半年余りが経っている。
 堺の茶室で、利休が山上宗二への想いを、静かに語ったあの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『わびの陰にある想い』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い政治史の資料を眺めながら、うたた寝をしていた。
 ふと、墨と、古い和紙のような匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の恰幅のよい老人が座っていた。
 立派な口髭。だが、その着物は、思いのほか、質素なものであった。
 「夜分に、失礼する」老人は、朗らかに言った。
 「あなたは……」
 「板垣退助と申す。自由民権運動に、生涯を捧げてきた者じゃ」
 凪は、息を呑んだ。
 板垣退助。自由民権運動を率い、日本初の政党・自由党を結成した政治家。「板垣死すとも、自由は死せず」の言葉で知られる人物。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
 「なぜ、ここにおるのか」
 「さて、儂にも、分からぬよ」板垣は、豪快に笑った。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智、石田…利休まで、そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
 彼は、凪を穏やかに見つめた。
 「儂は今、随分と齢を取った。政界からも、とうに退いておる」
 「板垣様……」
 「だがな」老政治家の目に、澄んだ光が宿った。「まだ、はっきりさせておきたいことが、ある」


一章 三十三度目のたゆたい
 その夜、凪は政治史の資料に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの三十二人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが板垣退助の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 史実において、板垣は大正八年七月十六日、自然死により、その生涯を閉じることになる。享年八十二。自由民権運動に私財を投じ続けたためか、晩年は、元総理大臣とは思えぬほど、質素な暮らしであったと伝えられている。
 板垣の生涯には、あまりに有名な一言があった。明治十五年(一八八二年)、岐阜での遊説中、暴漢・相原尚褧に襲われた際、「板垣死すとも、自由は死せず」と発したとされる、あの言葉である。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 板垣が最期にはっきりさせておきたいものがあるとすれば――それは、己の有名な言葉だけなのか。それとも――その言葉が生まれる瞬間、己の命を救ってくれた、一人の同志への何かなのではないか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
 「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、資料の匂いが、墨と和紙の匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。


二章 東京・板垣の自宅
 気づくと、凪は、東京にある、板垣の自宅の庭先に立っていた。
 梅雨の湿った空気が、質素な庭を、しっとりと濡らしている。
 凪の身なりは、書生風の着流し姿に変わっていた。
 「ごめんください」庭先にいた書生に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
 「先生に、お目にかかりたい」
 「あんた、何者だい」
 「先生のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 書生は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
 「サカキバラさんとやら。お上がりください」
 この書生こそ、板垣の身の回りの世話をしていた、若い門下生であった。


三章 板垣の書斎
 書斎には、自由民権運動の資料と、自ら著した『我國憲政の由來』の草稿が、静かに積まれていた。
 板垣は、机の前から、朗らかな目で凪を見た。
 「よう来たな」
 「参りました」
 「座れよ」板垣は、豪快に言った。「儂は、自由と民権のために、生涯を捧げてきた」
 「岐阜での事件のことを、伺ってもよろしいでしょうか」
 板垣は、しばらく黙っていた。
 「あの時のことは、儂も、はっきりとは覚えておらぬのだ」彼は言った。「短刀で刺され、あっと思うばかりで、声も出なんだ、というのが、正直なところじゃ」
 「では、あの有名な言葉は」
 板垣は、少し苦笑した。
 「儂が言うたかどうかも、実のところ、定かではない」彼は、静かに言った。「だが、内藤のことだけは、はっきりと覚えておる」
 「内藤……?」
 「内藤魯一。あの日、儂の命を救うてくれた男じゃ」


四章 名の記されなかった同志
 その夜、凪は板垣の自宅の一室で、眠れぬまま過ごした。
 板垣の言葉が、頭から離れなかった。
 ――内藤のことだけは、はっきりと覚えておる。
 凪は、書生に頼んで調べてもらった。
 史実において、内藤魯一は、岐阜での事件の際、刺客に襲われた板垣に、体を張って組みつき、押さえ込んだ人物であった。もし、内藤の咄嗟の行動がなければ、板垣は、その場で命を落としていたかもしれない。
 だが、後世、「板垣死すとも、自由は死せず」という言葉ばかりが、あまりに有名になり、その言葉が生まれる、まさにその瞬間を作った、内藤の存在は、広くは語られてこなかった。
 凪は、ふと思った。
 板垣が、これほどまでに有名な言葉と共に語られる一方で、その言葉が生まれた瞬間、彼の命を救った同志への感謝は、これまで、どれほどはっきりと語られてきたのだろうか。
 窓の外、梅雨の雨音が、遠く微かに聞こえていた。


五章 門下生との対話
 翌日、凪は、書斎で資料を整理していた門下生と、言葉を交わす機会を得た。
 「先生は、内藤魯一様のことを、よく話されますか」
 「はい」門下生は、頷いた。「岐阜での事件の際、先生を、体を張って救われた御方だと、伺っております」
 「内藤様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
 門下生は、首を振った。
 「いいえ。先生の、あの有名な言葉のことは、皆、知っておりますが……内藤様のことまでは、あまり知られていないように思います」
 凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
 「先生ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
 門下生は、しばらく考えていた。
 「先生は、時折、懐かしそうに、内藤様のお名前を、口にされます。ですが……それを、はっきりと、書物に書き記されたことは、まだ、あまりないように思います」


六章 旧友との対話
 その日の夕刻、板垣の旧友であり、自由民権運動を共に戦った人物が、家を訪ねてきた。
 「サカキバラ殿と申されるか。板垣君より、伺っております」
 「あなたは、内藤魯一様のことを、どう見ておられますか」
 旧友は、少し驚いた顔をした。
 「あの方なくば、板垣君は、あの場で、命を落としていたでしょう。とっさに、刺客に組みついた、まことに、勇敢な方でした」
 「それは、板垣様ご自身も、深く感謝しておられることですか」
 「板垣君は……」旧友は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、内藤殿への感謝を、抱いているはずです。ただ、あの有名な言葉が、あまりに大きく独り歩きしてしまい、内藤殿の功績を語る機会が、なかったのかもしれません」
 凪は、頷いた。
 「もし、板垣様が、はっきりと、内藤様への感謝を、書き記されたら――何か、変わると思われますか」
 旧友は、しばらく考えた。
 「変わりましょう。……板垣君の言葉には、それだけの重みがあります」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は板垣に呼ばれ、二人だけで書斎に残った。
 「門下生や、旧友から、聞いた」と板垣は言った。「あんたが、内藤のことを、あれこれ聞いておるそうだな」
 「差し出がましいことを、申し上げました」
 「いや」板垣は、朗らかな目で凪を見た。「儂自身、向き合わねばならんことを、突かれたわい」
 「板垣様は、あの有名な言葉と共に、日本中に、語り継がれてこられました。ですが、内藤様への感謝については、書き記される場が、なかったように見受けました」
 板垣は、しばらく、黙っていた。
 「儂は……」やがて彼は、静かに言った。「あの日、内藤が駆けつけてくれねば、儂は、あの場で、死んでおった。あの有名な言葉も、生まれることは、なかったろう。……だが、儂は、その言葉ばかりが、独り歩きするのを、ただ、眺めてきただけであった」
 「なぜですか」
 「あの言葉が、あまりにも、大きな象徴になってしまったからじゃろう。誰も、その陰にいた、内藤の功績を、問おうとはせなんだ。儂自身も、それを、正すことをしてこなんだ」
 凪は、深く息を吸った。
 「板垣様。あなたが本当に遺したいものは、あの有名な言葉だけでしょうか」
 板垣の目が、微かに揺れた。
 凪は続けた。抑えた声で。
 「もし、その感謝を書き遺されぬまま終われば……内藤様の勇気は、言葉の陰のまま、消えてしまうのでは、ないでしょうか」
 板垣は、長い間、目を閉じていた。
 やがて、老政治家は小さく、だが力強く呟いた。
 「……そうか。儂が歩んできたのは、一人の英雄の道ではない。多くの民、内藤のような同志たちと共に切り拓いてきた『民路』であったな」


八章 筆を執る夜
 その夜遅く、板垣は、机に向かい、筆を執った。
 凪は、その傍らに、静かに控えていた。
 「内藤は……」板垣は、筆を運びながら、静かに言った。「あの日、儂を救うてくれた。あの言葉が、儂のものかどうかも、はっきりとは分からぬ。だが、内藤の勇気だけは、儂が、この目で、はっきりと見た、確かなことじゃ」
 筆先から生まれる文字が、『我國憲政の由來』の草稿に、静かに書き足されていった。
 「これまでは事の次第を記したに過ぎぬ。だが、それでは足らん。あいつの勇気なくば、儂の命も、日本の自由の灯も、そこで絶えておったのだという『感謝』を、ここに遺さねばならん」
 それは、歴史書という客観の記録の中に、板垣が人生の最期に遺した、あまりにも熱い「主観」であった。
 凪は、静かに、その筆の動きを見つめていた。
 やがて板垣は、筆を置き、深く息をついた。
 「これで……少しは、心が、軽うなった」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、大正八年七月十六日、板垣退助は、自然死により、その生涯を閉じることになる。享年八十二。
 史実において、板垣自身が著した『我國憲政の由來』には、岐阜での事件の様子と共に、内藤魯一が刺客を取り押さえた経緯が、記されている。だが、後世、「板垣死すとも、自由は死せず」という言葉ばかりが、あまりに大きく独り歩きし、内藤の功績が広く知られることは、少なかった。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 有名な言葉の陰にも、確かに、その瞬間を作った、名もなき勇気ある同志の存在が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの民路
 百年余りの後。
 岐阜公園の一角に、板垣退助が襲われ、あの言葉を残したとされる場所に、彼の銅像が、今も、静かに立っていた。
 その傍らで、とっさに刺客に組みついた、一人の同志の名を、知る人は、多くはない。
 「板垣死すとも、自由は死せず」の言葉と共に語られる英雄としてだけではなく、「命を救ってくれた同志の存在を、忘れなかった、一人の政治家」として。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『大正八年七月、東京の空は、静かに暮れようとしていた。「板垣死すとも、自由は死せず」の一言で、日本中にその名を刻んだ男は、その最期の日々に、己の言葉を見つめ直しながらも、もう一つの光を、確かに、命の恩人へと、書き遺したのである。』
 風が吹いた。
 窓の外では、梅雨の雨が、まだ静かに降っていた。
 微かに、墨と和紙の匂いがした。
 玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

――了――


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あとがき 
民路という言葉について
 この物語を書き終えて、しばらく机の前に座ったままだった。
 板垣退助という人物について、私が知っていたのは、教科書に載っている「板垣死すとも、自由は死せず」という一言と、髭の立派な肖像写真くらいだったのかもしれない。
 岐阜事件の資料を読み進める中で、最初に胸に引っかかったのは、言葉の主が誰かという論争ではなかった。板垣の前に立ちはだかった刺客に、無手で組みついた一人の男がいた、という一行だった。
 内藤魯一。
 自由党の壮士。板垣の命を救ったという事実以外、残された記録は驚くほど少ない。彼がいなければ、あの言葉は生まれなかった。あの言葉がなければ、自由民権運動がその後辿った道も、少し違っていたかもしれない。歴史の分岐点に確かに立っていた人物なのに、その名は、銅像の脇の小さな説明板にも、ほとんど現れない。
 私たちは、どうしても「一人の英雄の、一つの言葉」に歴史を回収してしまう。それは分かりやすく、覚えやすく、そして語りやすいからだ。だが、本当の歴史は、いつだって無数の「民」の足跡の上にしかない。
 板垣自身が、晩年に『我國憲政の由來』の中で、岐阜のことを事細かに書き遺していたことを知った時、少し救われたような気がした。彼は、少なくとも忘れてはいなかったのだ。
 今回、凪が出会ったのは、八十二歳の、政界を退いた後の板垣だった。若き日のような激しさはない。代わりに、自分の名声が大きくなればなるほど、その陰に沈んでいった同志への想いを、どう言葉にするかという、老政治家の静かな逡巡があった。
 利休が宗二への想いを「茶路」と呼んだように、板垣にとっての自由は、民衆の中に路を拓く「民路」だったのだろう。自分一人が先頭を行くのではなく、誰かが倒れれば誰かが支え、誰かが叫べば誰かが駆けつける。そういう路であればこそ、刺客の刃からも、弾圧からも、途切れずに続いてこられた。
 「自由は死せず」とは、もしかすると板垣一人の不死を言った言葉ではない。内藤のような、名もなき勇気が、次の誰かに受け継がれていく限り、自由という路自体は死なない、という確信だったのではないか。
 三十三話目にして、ようやく凪も、そして私も、そのことに気づけたような気がする。
 自由という言葉が、再び軽く、そして重く響く時代に。
 岐阜公園の銅像の傍らに立つ機会があれば、どうか板垣だけでなく、その足元を支えた一つの足跡にも、目を向けてみてほしい。
 令和八年 水無月

茶路転生記 〜千利休と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十二話



まえがき
 三十一度の邂逅を経て、榊原凪が次に得た言葉は「茶路」だった。
 天正十九年一月。数えで齢七十。堺で蟄居を命じられた千利休が、静かに凪を待っていた。




プロローグ 睦月の来訪
 東京は、正月気分も落ち着いた、冷え込む夜だった。
 榊原凪は、六十八歳になっていた。鑑真との旅から、半年余りが経っている。
 唐招提寺の房で、鑑真が栄叡への感謝を静かに語った、あの夜のことを、凪は今も鮮明に思い出す。
 書き上げた小説『渡り人の恩』は、読者の間で静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い茶書の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
 ふと、炭と、茶の香のような匂いが鼻腔をくすぐった。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の恰幅のよい老人が静かに座っていた。
 質素な着物。だが、その佇まい、その所作には、隅々まで張り詰めたような静かな気品が宿っていた。
「夜分に、恐れ入ります」
 老人は、静かに言った。
「あなたは……」
「千利休と申します。茶の湯を、生業としております」
 凪は、息を呑んだ。
 千利休。織田信長、豊臣秀吉に仕え、わび茶を大成させた、茶の湯の大宗匠。そして、このおよそひと月後、切腹によりその生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおられるのでしょう」
「さて、私にも分かりませぬ」利休は、微かに目元を和ませた。「気づけば、この妙な部屋におりました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言、鑑真、あなたが会ってこられた方々の気配が、なんとなく、伝わってまいります。不思議な御方ですね、あなたは」
 利休は、凪を静かに見つめた。
「私は今、堺にて、蟄居を命じられております。太閤殿下の、お怒りを買ってしまいました」
「利休様……」
「ですが」茶人の目に、澄んだ光が宿った。「その前に、どうしても伝えておきたいことが、あるように思えてならんのです」


一章 三十二度目のたゆたい
 その夜、凪は茶書の写本に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの三十一人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが千利休の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 史実において、利休は天正十九年二月、豊臣秀吉の命により、京の自邸にて自刃することになる。その理由については、大徳寺山門に置かれた自身の木像を巡る不敬とも、茶道具の値付けを巡る対立とも、様々な説があり、今なお定かではない。
 だが、利休の生涯には、その直前に起きた、あまり語られない出来事があった。
 その一年前、天正十八年、利休の高弟であった山上宗二が、同じく秀吉の勘気を被り、耳と鼻を削がれた上、処刑されるという無惨な最期を遂げていた。
 宗二は、生前、利休の教えを克明に書き留めた『山上宗二記』を著しており、後世、利休のわび茶の思想を伝える、これ以上ない貴重な記録となる。だが、宗二自身の名は、利休というあまりに巨大な太陽の陰に、隠れがちであった。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 利休が最期に伝えておきたいものがあるとすれば、それは、己の茶の湯の理だけなのか。
 それとも、一年前に非業の死を遂げた、弟子への想いも、あるのではないか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、茶書の匂いが、濃密な炭と茶の香に変わった。
 玉響。
 世界が、静かに歪んだ。


二章 堺・利休の屋敷
 気づくと、凪は、和泉国堺にある、利休の屋敷の裏手に立っていた。
 真冬の冷たい海風が、質素に整えられた庭を、吹き抜けていく。
 凪の身なりは、茶道具を運ぶ下人風の姿に変わっていた。
「もし」
 庭先にいた弟子に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「利休様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ。今は不審な者の出入りは禁じられておる」
「利休様のお導きで参った者です。『サカキバラが到着した』とお告げいただければ、通じるはずです」
 弟子は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
 しばらくして、やや緊張した面持ちで戻ってきた。
「……お師匠様がお呼びだ。お入りくだされ」
 この弟子こそ、蟄居の身となった利休の身の回りの世話を、甲斐甲斐しくこなしていた、若き茶人であった。


三章 利休の茶室
 通された茶室は、極限まで無駄を削ぎ落とした、狭く質素な造りであった。だが、その静けさの中に、肌がヒリつくような深い緊張と、覚悟が漂っていた。
 利休は、炉の前から、静かな、しかしすべてを見透かすような目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「お座りなされ」利休は、静かに言った。「ご覧の通り、私は今、蟄居の身にございます」
「なぜ、そこまで、太閤殿下のお怒りを買われたのでしょうか」
 利休は、しばらく黙って、炉の炭を見つめていた。
「様々に、噂されておりますが」彼は静かに首を振った。「本当のところは、私にも、はっきりとは分かりませぬ。ただ、私の茶が、いささか、殿下の望まれる天下の形と、ズレてしもうたのでしょうな」
「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
 利休は、少し目を伏せた。
「宗二のことを、近頃、よく思い出します」


四章 名の記されなかった弟子
 その夜、凪は利休の屋敷の一室で、眠れぬまま過ごした。
 利休の言葉が、頭から離れなかった。
――宗二のことを、近頃、よく思い出します。
 これまでの三十一人は、皆、有限の生の中で「何を選ぶか」という問いを抱えていた。だが利休の場合、彼が向き合っていたのは、「己の茶の湯の理をどう遺すか」だけでなく、「非業の死を遂げた弟子を、どう記憶するか」という、引き裂かれるような問いであるように思えた。
 直情径行な性格ゆえに秀吉の不興を買い、天正十八年、無惨な最期を遂げた山上宗二。利休は、この出来事に、深い衝撃と、己が救えなかったという自責の念を、ずっと胸の奥底に秘めていたのではないか。
 利休が、これほどまでに、静謐な茶の湯の理を追求する一方で、その陰で散った弟子への想いは、これまで、どれほど語られてきたのだろう。
 窓の外、堺の冬の海鳴りが、地響きのように遠く微かに聞こえていた。


五章 弟子との対話
 翌日、凪は、茶室の掃除をしていた若い弟子と、言葉を交わす機会を得た。
「お師匠様は、宗二様のことを、よく話されますか」
「はい」弟子は、周囲を気にするように声を潜めた。「あの方が書き残された『山上宗二記』には、お師匠様の教えが、最も正しく記されていると、伺っております。お師匠様も、あれは真の茶名利の書だと」
「宗二様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
 弟子は、寂しそうに首を振った。
「いいえ。お師匠様のお名前は天下に轟いておりますが、宗二様のことまでは、世間は重きを置きませぬ。まして、太閤殿下に咎められた御方。口にするのも憚られるのが現状です」
「お師匠様ご自身は、それをどう思っておられるのでしょうか」
 弟子は、しばらく考えていたが、ぽつりと言った。
「お師匠様は、あの事件の後、随分とお顔の色を変えられました。ですが、それを、はっきりと言葉にされたことは、まだございません。あまりに、傷が深すぎるように見えるのです」


六章 高弟・古田織部との対話
 その日の夕刻、利休の高弟であり、一世を風靡する武将茶人でもある古田織部が、密かに屋敷を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。お師匠様より、お話は伺っておる」
 織部は、師の身を案じるように、太い眉を寄せた。
「織部殿。不躾ながら、山上宗二様のことを、どう見ておられますか」
 織部は、少し目を伏せ、苦渋の表情を浮かべた。
「あの方の書き残された記録なくば、お師匠様の教えの多くは、後の世に正しく伝わらなかったでしょう。あれほど克明に、茶の湯の心得を書き留めた方は他におりませぬ。なれど、あまりに真っ直ぐすぎた」
「それは、利休様ご自身も、認めておられることですか」
「お師匠様は」織部は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも宗二殿への想いを深く抱いておられるはず。ただ、あの出来事について、はっきりと語ることは、お師匠様ご自身にとっても、身を切られるほど辛いことなのでしょう。それに、今は秀吉公の目が厳しい」
「もし、お師匠様が、はっきりと宗二様への想いを言葉に遺されたら、何か、変わると思われますか」
 織部は、しばらく凪を見据え、やがて畳に拳を当てて頷いた。
「変わる。承知仕った。拙者、命に代えても、お師匠様のお言葉を後の世へ語り継ぎ申す。宗二殿の魂も、それでようやく救われるやもしれぬ」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は利休に呼ばれ、二人だけで茶室に残った。灯された蝋燭の火が、小さく揺れている。
「弟子や、織部から聞き申した」と利休は、静かに茶碗を拭きながら言った。「あなたが、宗二のことを、あれこれと問うておるそうですね」
「差し出がましいことを申し上げました」
「いいえ」利休は、静かに凪を見た。その眼光は鋭く、深い。「私自身、向き合わねばならぬ角度でした。あなたに問われ、胸のつかえが、少しずつ形を成していくのが分かります」
「利休様。あなたはご自身の茶の湯の理について、あれほど多くを語ってこられました。ですが、宗二様への想いについては、あまりにはっきりと言葉にされる場がなかったように見受けられます」
 利休は、しばらく黙っていた。
「……私は」やがて彼は、静かに、絞り出すように言った。「あの者の筆がなければ、わび茶は形を失ったでしょう。宗二は、私の教えを、誰よりも丁寧に、命を懸けて書き留めてくれました。ですが、私は、あの者を守ってやることができませんでした。私の傲慢が、あの者を殺したも同然なのです」
「それを、どのように感じておられますか」
「悔いと、感謝と、その両方が、いつも、私の中でせめぎ合っております」利休は、静かに言った。「あの者の記録が、私一人の功績のように語られてはならぬと、常々思うております。なれど、口にすれば、太閤殿下への当てつけと取られかねん」
 凪は、深く息を吸い、一歩踏み込んだ。
「利休様。あなたは今、蟄居の身にあられます。この先、何が起こるかは、あなたが一番よくご存知のはずです。ですが、もし宗二様への想いを、はっきりと言葉にしないまま終われば、あの方の献身は、あなたの名声の陰に、ただの不忠者として埋もれたままになってしまうかもしれません」
 利休の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の茶の湯の理だけでしょうか。それとも、宗二様という、あなたの教えを命懸けで書き遺した弟子の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも含まれているのではないでしょうか」
 利休は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
 その夜遅く、利休は、若い弟子と古田織部を呼び、静かに語り始めた。
 凪は、その傍らに、気配を消して静かに控えていた。
「宗二は」利休は、茶杓をそっと置いた。「私の茶を、誰よりも丁寧に書き留めてくれた者でした」
 一拍。炉の炭が、小さく爆ぜる。
「あの記録がなければ」利休は目を伏せた。「私の教えは、この先、正しくは伝わらなかったでしょう」
 弟子と織部は、深く頭を下げた。
 利休は柄杓を手に取り、釜の湯を静かに掬った。湯の落ちる音だけが、茶室に響く。
「これより後、私の茶の湯を語り継ぐ者は、皆に、宗二のことを伝えてほしい」
 利休は、柄杓を置き、二人を見据えた。その声には、天下の宗匠としての、揺るぎない威厳が戻っていた。
「この茶路は、私一人のものではない。あの者と、共に紡いだものなのだと。それを、私の最期の願いとして、織部、お前に託す」
 織部は、畳に額を付けて応えた。
「御意。拙者、首を懸けてでも、必ずや後の世へと語り継ぎ申す」
 凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
 やがて利休は、深く、穏やかな息をついた。
「これで、少しは、心が安まりました。サカキバラ殿、感謝いたします」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、天正十九年二月、千利休は、京の自邸にて、その生涯を閉じることになる。享年七十、数えで。
 史実において、山上宗二が著した『山上宗二記』は、後世、利休のわび茶の思想を伝える、最も重要な第一級の記録として、高く評価されることになる。だが、その著者である宗二自身の名は、利休というあまりに大きな存在の陰で、広くは知られてこなかった。
 しかし、利休の茶の湯は、その死後、古田織部、そして利休の子孫たちへと、確かに受け継がれていく。その根底には、利休が最晩年に遺した、弟子への熱い想いが、伏流水のように流れていた。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 偉大な茶人の理の陰にも、確かに、その教えを命懸けで書き遺した、弟子の存在が息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの茶路
 四百年余りの後。
 日本各地の茶室で、千利休のわび茶の心得が、今も、静かに受け継がれていた。
 その教えの多くが、一冊の記録『山上宗二記』によって、後世に伝えられたことを知る人は、多くはない。
「わび茶を大成した宗匠」としてだけではなく、「非業の死を遂げた弟子の想いを、生涯、背負い続けた、一人の茶人」として。
 そして、その光は四百年の時を越え、東京の書斎にまで届いていた。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 窓の外では、真冬の風が、まだ冷たく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の茶の湯の理だけではなかったはずです」
 凪は、静かに呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『天正十九年二月、京の空は、静かに暮れようとしていた。わび、さびという静かなる美を茶の湯に極めた男は、その最期の日々に、己の理を語りながらも、もう一つの光を、確かに、非業の死を遂げた弟子へと、語り遺したのである。』
 風が吹いた。書斎に、炭と、茶の香が、微かにした。
 玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

――了――


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あとがき
 本作は千利休の最晩年を題材としたフィクションです。千利休、山上宗二、古田織部などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
 実際に利休は天正十九年二月、豊臣秀吉の命により、京の自邸にて自刃したと伝えられています。その理由については諸説あり、今日でも定かではありません。本作ではその経緯について深く立ち入ることは意図しておらず、簡潔な事実の記載にとどめています。
 山上宗二は利休の高弟であり、その教えを詳細に記録した『山上宗二記』の著者として知られていますが、天正十八年、秀吉の勘気を被り、悲惨な最期を遂げました。利休が、この出来事にどのような想いを抱いていたかについては史料からは詳しく分かっておらず、本作における晩年の対話や心情描写は、著者の創作です。
 本作は、前三十一作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

渡路転生記 〜鑑真と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十一話



まえがき
三十人の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
 清少納言との旅で、凪は「枕路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「渡路(わたじ)」であった。
 六度の航海に挑み、両目の光を失いながらも、海を渡ることを、諦めなかった男。
 天平宝字七年(七六三年)五月。齢七十六。唐から日本へ、正しい戒律を伝えるため、十二年にわたり、幾多の困難を乗り越えてきた男――鑑真。奈良に唐招提寺を開きながら、その最晩年、己をこの地に導いた、一人の日本の僧への想いを、静かに抱き続けていた高僧の物語である。




プロローグ 皐月の来訪
 東京は、初夏に向かう、穏やかな夜だった。
 榊原凪は、六十七歳になっていた。清少納言との旅から、半年余りが経っている。
 都のはずれの庵で、清少納言が定子への想いを、筆に込めた、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『明るさを選んだ女』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い渡海記の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
 ふと、香と、潮の匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の老僧が座っていた。
 質素な法衣。両の目は、固く閉ざされている。だが、その顔には、驚くほど穏やかな、深い慈悲の色が宿っていた。
「夜分に、失礼いたします」
 老僧は、どこか異国の響きを残す、静かな日本語で言った。
「あなたは……」
「鑑真と申します。唐より、この国へ、参った者です」
 凪は、息を呑んだ。
 鑑真。六度の渡航の末、両目の光を失いながらも、日本に正しい戒律を伝えた、唐の高僧。奈良に唐招提寺を開くことになる人物。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおられるのでしょう」
「さて、私にも、分かりません」鑑真は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におりました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言――あなたが会ってこられた方々の気配が、なんとなく、伝わってまいります。不思議な方ですね、あなたは」
 彼は、凪の方へ穏やかに顔を向けた。
「私は今、唐招提寺にて、静かに、日々を過ごしております」
「鑑真様……」
「ですが」老僧の声に、澄んだ光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、あります」


一章 三十一度目のたゆたい
 その夜、凪は渡海記の写本に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの三十人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが鑑真の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 史実において、鑑真は天平宝字七年五月、奈良の唐招提寺にて、その生涯を閉じることになる。享年七十六。彼は、日本への渡航を、六度試み、五度の失敗――難破、逮捕、暴風雨――を経て、ようやく六度目に、日本の地を踏むことができた。五度、海に拒まれた。それは五度、死に見放されたのと同じことだった。その苦難の中で、両目の光を、完全に失っていた。
 鑑真の生涯には、あまり語られない出発点があった。彼を、遠い唐の地から、日本へと招くために、命懸けで海を渡った、二人の日本の留学僧――栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)である。
 とりわけ栄叡は、鑑真を説得し、幾度もの失敗の航海に、共に立ち会いながら、天平勝宝元年(七四九年)、その道半ばで、病により、この世を去っていた。栄叡は、ついに、鑑真が日本の地を踏む姿を、見ることが叶わなかった。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 鑑真が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が伝えた、戒律の教えだけなのか。それとも――その旅を可能にした、一人の日本の僧への感謝も、あるのではないか。
 凪は、暗い天井を仰いだ。
「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、渡海記の匂いが、香と潮の匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。


二章 奈良・唐招提寺
 気づくと、凪は、奈良にある、唐招提寺の裏手に立っていた。
 初夏の若葉が、境内を、静かに彩っている。
 凪の身なりは、修行僧風の姿に変わっていた。
「もし」
 境内にいた弟子に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「鑑真様に、お目通り願いたい」
「あなたは、どなたですか」
「鑑真様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 弟子は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラさんとやら。お入りください」
 この弟子こそ、鑑真の身の回りの世話をしていた、日本人の僧であった。


三章 鑑真の房
 房の中は、質素ながらも、静謐な空気に満ちていた。傍らには、弟子が読み上げる経典の声が、静かに響いている。
 鑑真は、その声の方へと顔を向け、穏やかに凪の方を向いた。
「よく来られました」
「参りました」
「お座りください」鑑真は、静かに言った。「私は、この地に、正しい戒律を、伝えることができました」
「六度の渡航の末、両目の光を失われたと、伺いました。悔いは、ございませんか」
 鑑真は、しばらく黙っていた。
「悔いはございません」彼は言った。「ただ、この目で、日本の景色を、見ることが叶わなかったことだけは、少し、残念に思います」
「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
 鑑真は、少し目を細めた。
「栄叡殿のことを、近頃、よく思い出します」


四章 名の記されなかった人
 その夜、凪は唐招提寺の一室で、眠れぬまま過ごした。
 鑑真の言葉が、頭から離れなかった。
――栄叡殿のことを、近頃、よく思い出します。
 これまでの三十人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが鑑真の場合、彼が向き合っていたのは、「己が伝えた教えをどう遺すか」だけでなく、「己をこの地に導いた者を、どう伝えるか」という問いであるように思えた。
 史実において、栄叡は、鑑真を日本へ招くため、幾度もの失敗の航海に、共に立ち会い続けた人物であった。だが天平勝宝元年、その道半ばで、病により、世を去ってしまう。鑑真が、ついに日本の地を踏んだのは、それから四年後のことであった。栄叡は、自らが命を懸けて開いた道の、その先を、見ることが叶わなかった。
 凪は、ふと思った。
 鑑真が、これほどまでに己の伝えた戒律の教えを語られる一方で、その旅を可能にした、栄叡への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
 記録には残っている。だが、記録と、人の口から語り継がれることとは、別の重さを持つはずだった。
 窓の外、唐招提寺の木々のざわめきが、遠く微かに聞こえていた。


五章 弟子との対話
 翌日、凪は、経典を整理していた弟子と、言葉を交わす機会を得た。
「鑑真様は、栄叡様のことを、よく話されますか」
「はい」弟子は、頷いた。「唐にて、鑑真様を説得し、この国へお招きしようとされた御方だと、伺っております」
「栄叡様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
 弟子は、首を振った。
「いいえ。鑑真様のお名前は、多くの人に知られておりますが、栄叡様のことまでは、あまり、知られていないように思います」
 凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「鑑真様ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
 弟子は、しばらく考えていた。
「鑑真様は、時折、懐かしそうに、栄叡様のお名前を、口にされます。ですが……それを、はっきりと、後の世に向けて、語られたことは、まだ、あまりないように思います」


六章 同行者・普照との対話
 その日の夕刻、栄叡と共に唐へ渡った、僧・普照が、唐招提寺を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。鑑真様より、伺っております」
「普照殿は、栄叡殿のことを、どう見ておられますか」
 普照は、少し目を伏せた。
「あの方なくば、鑑真様を日本へお招きすることは、叶わなかったでしょう。幾度もの失敗にも、決して諦めず、鑑真様を説得し続けた、まことに、粘り強い方でした」
「それは、鑑真様ご自身も、深く認めておられることですか」
「鑑真様は……」普照は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、栄叡殿への感謝を、抱いておられるはずです。ただ、この地で、戒律を伝えることに、常に、全身全霊を注いでこられたゆえ、それを、まとまった形で語る間が、なかったのでしょう」
 凪は、頷いた。
「もし、鑑真様が、はっきりと、栄叡殿への感謝を、伝え遺されたら――何か、変わると思われますか」
 普照は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……鑑真様のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は鑑真に呼ばれ、二人だけで房に残った。
「弟子や、普照殿から、聞きました」と鑑真は言った。「あなたが、栄叡殿のことを、あれこれ聞いておられるそうですね」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いいえ」鑑真は、静かに凪の方を向いた。「私自身、向き合わねばならない角度でした」
「鑑真様は、ご自身が伝えられた戒律の教えについて、この地で、多くを語ってこられました。ですが、栄叡殿への感謝については、まとまった形で、語られる場が、なかったように見受けました」
 鑑真は、しばらく、黙っていた。
「私は……」やがて彼は、静かに言った。「栄叡殿の粘り強さなくば、私は、この地に、渡ることは、なかったでしょう。幾度もの失敗にも、あの方は、決して、諦めませんでした。……ですが、あの方は、ついに、この地を、その目で見ることが、叶いませんでした」
「それを、どのように、受け止めておられますか」
「申し訳なさと、感謝と……その両方が、いつも、私の中にあります」鑑真は、静かに言った。「あの方の想いを、私一人が、独り占めしてはならないと、常々、思うております」
 凪は、深く息を吸った。
「鑑真様。あなたは今、この地で、多くの弟子を育てておられます。ですが――もし、栄叡殿への感謝を、はっきりと言葉にしないまま終われば、その献身は、あなたの功績の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
 鑑真の眉が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身が伝えた戒律の教えだけでしょうか。それとも――栄叡殿という、あなたをこの地に導いた恩人の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
 鑑真は、長い間、黙っていた。


八章 語られた言葉
 その夜遅く、鑑真は、弟子と普照を呼び、静かに語り始めた。
 凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「栄叡殿は……」鑑真は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「この地を、その目で見ることなく、逝かれました。ですが、私が、この地で伝える戒律の一つ一つは、すべて、あの方の粘り強さの上に、成り立っております」
 弟子と普照は、深く、深く頭を下げた。
「これより後、私の教えを語り継ぐ者は、皆に、栄叡殿のことを、伝えてほしい」
 鑑真は、そこで一度言葉を切った。房に、静かな沈黙が満ちる。
「この道は、私一人の功績ではなく、あの方と、共に切り開いたものなのだと」
 凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
 やがて鑑真は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が、安まりました」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、天平宝字七年五月、鑑真は、唐招提寺にて、その生涯を閉じることになる。享年七十六。
 弟子たちは、彼の姿を後世に伝えるため、生前の面影を写した、乾漆の坐像を作り上げた。この像は、今日、日本最古の肖像彫刻の一つとして、国宝に指定されている。
 固く閉じられたその両眼は、失われた光を惜しむのではなく、己をここまで導いてくれた栄叡の面影と、見ることの叶わなかった日本の風景を、じっと見つめているようでもあった。
 史実において、栄叡が、鑑真を日本へ招くために、命を懸けて尽力したことは、鑑真の渡日を伝える記録――『唐大和上東征伝』などに、詳しく記されている。だが、後世、鑑真という名があまりに大きく語られる一方で、その旅を可能にした、栄叡の献身は、広く知られることが、少なかった。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 海を渡った偉大な高僧の陰にも、確かに、その道を切り開いた、名もなき者の献身が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの渡路
 千二百年余りの後。
 奈良・唐招提寺の御影堂には、鑑真の坐像が、今も、静かに安置されていた。
 その穏やかな面影を仰ぐ人々の中で、彼をこの地に導いた、一人の日本の僧の存在を、知る者は、多くはない。
 「正しい戒律を伝えた高僧」としてだけではなく、「一人の同志の想いを、生涯、背負い続けた、一人の渡り人」として。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 窓の外では、初夏の風が、心地よく渡っていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の教えだけではなかったはずです」
 凪は、静かに呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『天平宝字七年五月、奈良の空は、静かに暮れようとしていた。六度の航海に挑み、両目の光を失いながらも海を渡った男は、その最期の日々に、己の教えを語りながらも、もう一つの光を、確かに、名もなき恩人へと、語り遺したのである。』
 風が吹いた。香と、潮の匂いが、微かにした。

――了――


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あとがき
 本作は鑑真の最晩年を題材としたフィクションです。鑑真、栄叡、普照などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
 実際に鑑真は、天平宝字七年(七六三年)五月、奈良の唐招提寺にて、七十六歳でその生涯を閉じたと伝えられています。日本への渡航を六度試み、五度の失敗を経て、天平勝宝五年(七五三年)、六度目でようやく渡日を果たしましたが、その苦難の中で両目の光を失っていました。弟子たちが生前に作らせたとされる乾漆坐像は、今日、国宝として唐招提寺に伝えられています。
 栄叡は、留学僧・普照と共に唐へ渡り、鑑真を日本へ招くために尽力した人物ですが、天平勝宝元年(七四九年)、道半ばで病により亡くなり、鑑真の渡日を、その目で見ることは叶いませんでした。この経緯は、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』などに記されています。鑑真が最晩年、栄叡への想いを具体的にどのように語っていたかについては、本作における描写は、著者の創作です。
 本作は、前三十作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

枕路転生記 〜清少納言と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十話



まえがき
二十九度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
空海との旅で、凪は「空路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「枕路(まくらじ)」であった。
宮中の、明るく、をかしきものたちを、言葉に写し取ろうとした女。
時は、平安の宮中。中宮定子に仕え、『枕草子』を書き遺すことになる女房――清少納言。だが、その明るい筆致の陰には、彼女が敢えて書き記さなかった、もう一つの真実があった。
なお、清少納言の没年や、その最期の様子については、確かな記録が残っておらず、後世、様々な伝説が語られてきた。本作は、そうした伝説の一つを借りて、一つの物語を紡ぐものである。




プロローグ 晩年の来訪
東京は、静かな、ある晩秋の夜だった。
榊原凪は、六十七歳になっていた。空海との旅から、半年余りが経っている。
高野山の草庵で、空海が伯父・阿刀大足への感謝を、筆に込めた、あの夜のことを、凪は今も鮮明に思い出す。書き上げた小説『学びの原点』は、読者の間で静かな反響を呼んでいた。
その夜、凪は書斎で、古い随筆文学の写本――『枕草子』の一節を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、白粉(おしろい)と、古い几帳(きちょう)のような匂いが鼻腔をくすぐった。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の女性が座っていた。
質素な衣を纏っている。だが、その目には、年を重ねてなお、鋭く、そして、どこか茶目っ気のある知的な光が宿っていた。
「あら、これは、失礼いたします」
女性は、鈴を転がすように朗らかに言った。
「あなたは……」
「清少納言と申します。かつては、中宮定子様に、お仕えしておりました」
凪は、息を呑んだ。
清少納言。中宮定子に仕えた女房であり、随筆『枕草子』の作者。「春はあけぼの」の書き出しで知られる、平安文学を代表する才女が、いま目の前にいる。
「なぜ、ここにいるのでしょう」
「さ、妾にも、分かりませぬ」
清少納言は、楽しげに微笑みながら、凪の机の上に積まれた原稿の束に目をやった。
「気づけば、この妙な部屋におりました。……ですが、この紙に宿る言葉から、なんとなく伝わってまいります。空海、坂本龍馬、手塚治虫――あなたがこれまで言葉を交わしてこられた、二十九人もの生きた気配が。不思議な御方ですのね、あなたは」
彼女は、凪を穏やか、かつ見透かすような目で見つめた。
「妾は今、いたく老いにけり。若き頃のような、華やかな暮らしとは、程遠い山里におります」
「清少納言様……」
「ですが」老いた女房の目に、澄んだ光が宿った。「まだ、書き遺しておきたき事の候」


一章 三十度目のたゆたい
その夜、姿を消した彼女の余韻のなか、凪は『枕草子』の写本に埋もれながら、考え続けていた。
これまでの二十九人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの命の重さがあった。
だが清少納言の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、清少納言の没年は、はっきりとは分かっていない。晩年、彼女がどのように暮らし、どのように世を去ったかについても、確かな記録はない。
しかし、凪が最も惹かれたのは、彼女の生涯の「書かれざる側面」だった。
『枕草子』には、定子の晩年の影は、ほとんど描かれていない。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
清少納言が最期に書き遺そうとしたのは、本当にその「明るい思い出」だけだったのか。それとも――その明るさの陰に、あえて隠した、定子への、もう一つの深い想いがあるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、机の上の紙の匂いが、濃密な白粉と几帳の匂いへと変わった。
玉響(たまゆら)。
玉響――凪が刻を越える時に必ず鳴る、硝子が触れ合うような微かな音。
世界が、大きく揺れた。


二章 都のはずれの庵
気づくと、凪は、都のはずれにある、質素な庵の裏手に立っていた。
晩秋の冷たい風が、庵の古びた板壁を、静かに揺らしている。
凪の身なりは、下働きの女房風の姿に変わっていた。
「もし」
庵の前にいた若い侍女に声をかけると、彼女は驚いた顔で凪を見た。
「清少納言様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「清少納言様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
侍女は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
この若い侍女こそ、晩年の清少納言の身の回りの世話をしながら、彼女の孤高な生活を支え続けている身内であった。


三章 清少納言の庵
庵の中は、質素ながらも埃一つなく、文机の上には、書きかけの草稿が、几帳面に整えられて置かれている。
清少納言は、文机の前から、あの東京の書斎で見せた、鋭くも穏やかな目で凪を迎えた。
「よう参られました」
「参りました」
「お座りなさい」清少納言は、朗らかに言った。「妾は今、若き日の思い出を、もう一度、書き足そうとしております」
「『枕草子』には、明るい思い出ばかりが、美しく綴られているように拝見しました」
凪の言葉に、清少納言は、しばらく沈黙した。
「ええ、その通りです」彼女は静かに、しかし毅然と言った。「あれは、妾が、意図して、そう書いたのです」
「なぜ、そのように、お書きになったのですか」
清少納言は、少し目を伏せた。
「定子様の宮は、晩年、随分と、お辛い日々を、お過ごしになりました。……ですが、妾は、それを、どうしても書きたくはなかった」


四章 書かれなかった悲しみ
その夜、凪は庵の片隅で、眠れぬまま過ごした。
清少納言の言葉が、頭から離れなかった。
――ですが、妾は、それを、書きたくはなかった。
これまでの二十九人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが清少納言の場合、彼女が向き合っていたのは、「何を書くか」だけでなく、「何を、あえて書かずに、遺すか」という、表現者としての究極の問いであるように思えた。
凪は、夜の静寂の中で思った。
清少納言が、これほどまでに明るい思い出を書き綴る一方で、その陰に隠された、定子の真の苦しみと、それに寄り添った彼女自身の血を吐くような想いは、これまで、どれほど正しく汲み取られてきたのだろうか。
窓の外、晩秋の虫の声が、哀しげに遠く微かに聞こえていた。


五章 女房たちの証言
翌日、凪は、庵の掃除をしていた若い侍女、そして夕刻に庵を訪れた、かつて共に定子に仕えた同僚の老女房と言葉を交わす機会を得た。
「清少納言様は、いつも、明るく、楽しかった思い出ばかりをお話しになります」
若い侍女は、愛おしそうに、しかし少し寂しげに語った。
「定子様の、辛かった時期のことは、決して口にされません。ですが……時折、お一人で文机に向かわれているとき、本当に遠い、悲しげな目をされることがございますの」
その後、訪ねてきた同僚の老女房は、さらに深い胸の内を凪に明かした。
「定子様の晩年は、随分と、お辛い日々でございました。清少納言様は、定子様の宮の、あの輝かしい思い出だけを、濁りのないまま後の世に遺したいと、お考えだったのだと思います。ただ、その想いの裏には、語られなかった悲しみと、張り裂けんばかりの御心が、確かにあったはずです」
凪は、二人の言葉の重さを静かに受け止め、尋ねた。
「もし、清少納言様が、その悲しみも含めて、はっきりと書き記されたら――何か、変わると思われますか」
老女房は、しばらく考えた後、静かに首を振った。
「変わるかもしれません。……ですが、それは、清少納言様ご自身が、命をかけてお決めになることでございましょう」


六章 夜半の対話
その夜、凪は清少納言に呼ばれ、灯火を挟んで二人だけで向かい合った。
「女房たちから、聞きました」と清少納言は言った。「あなたが、定子様の晩年のことを、あれこれ聞いておられるそうですね」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いいえ」清少納言は、静かに凪を見つめた。「妾自身、向き合わねばならぬ角度でした」
凪は、意を決して言葉を紡いだ。
「あなたは、『枕草子』に、眩いほどの明るい思い出ばかりを書き記されました。なぜ、それほどまでに、陰の部分を恐れられたのですか」
清少納言は、長い間、黙っていた。
「妾は……」やがて彼女は、震える声で、しかしはっきりと語り始めた。「定子様が、どれほど、苦しい思いを、なさっていたか、誰よりも、この目で見て、知っておりました。ですが、それを書けば、定子様の宮の、あの輝かしい思い出まで、悲しみに塗り替えられてしまう気がしたのです」
「清少納言様」
「定子様の悲しみを、書かなかったのは、忘れたかったからではありません。……忘れさせたく、なかったからです。あの気高く、をかしき明るさこそが、定子様の、本当のお姿だったと、信じたかったのです」
凪は、深く息を吸い、彼女の目を見据えた。
「清少納言様。定子様が、あの苦しみの中でも気高くあろうとされた。その『強さ』こそ、あなたが本当に遺したかった真実では?」
「もし、その陰にあった想いを、どこにも書き記されないままでいれば、後世の人々は、ただ『華やかな宮中を好んだ才女』としてしか、定子様を、そしてあなたを見ないかもしれません。苦しみの中でも、失われなかった輝き。その両方の真実を、はっきりと伝えることも、表現者としてのあなたの『枕路』なのではありませんか」
清少納言は、長い間、目を閉じ、己の心の深淵と対話していた。


七章 筆を執る夜
その夜遅く、清少納言は、再び文机に向かい、筆を執った。
凪は、その傍らに、静かに息を潜めて控えていた。
「定子様は……」清少納言は、筆を運びながら、静かに、しかし確かな足取りで言った。「本当は、随分と、お辛い日々を、お過ごしになりました。それでも、私たち女房の前では、いつも、気高く、明るくあろうとなさっていました」
墨を含んだ筆先が、料紙を滑る。さり、さり、と蚕が桑を食むような微かな音だけが、夜気を震わせた。
彼女が実際にどのような言葉を綴ったのか、凪はあえて覗き込まなかった。それは、千年の時を超えてなお、読む者の想像の余白に委ねられるべき、最も神聖な言葉に思えたからだ。
「これを、書き添えておきたかったのです。あの明るさは、苦しみを知らなかったからではなく、苦しみの中でも、決して失われなかった、定子様の、本当のお強さだったのだと。言葉の裏に、その祈りを込めて……」
やがて清少納言は、筆を置き、深く、満ち足りた息をついた。
「これで……少しは、心が、軽くなりました」
その顔には、かつて宮中で見せたであろう、最も美しく、凛とした微笑みが浮かんでいた。


八章 遺されたもの
史実において、『枕草子』は、その明るく、知的な筆致によって、後世、長く長く読み継がれることになる。清少納言のその後の生涯、あるいは、その最期については、確かな記録が残っていない。
後世、様々な伝説が語り継がれることになるが、そのいずれが真実であるかは、今日に至るまで、定かではない。
だが、その事実を知る凪は、静かに思う。
あえて暗い現実を書かず、明るい記憶だけを選んで遺すという行為もまた、一つの、命をかけた深い愛情の形だったのだ、と。


終章 もう一つの枕路
千年余りの後。
『枕草子』は、今も、多くの人々に読み継がれていた。
「春はあけぼの」の一節を、学び舎で暗誦する子供たちは、その明るい言葉の奥に、一人の女房が、大切な人のために、そっと選び取った、あまりにも深く、強い愛情があったことを、多くは知らない。
「をかしの文学を極めた才女」としてだけではなく、「悲しみをも包み込む、明るさを選んだ、一人の女性」として、彼女の言葉は今も生きている。


エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、晩秋の風が、静かに木の葉を揺らしている。
「あなたが遺したかったのは、ただの明るい思い出だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『平安の都に、静かな夜が、暮れようとしていた。宮中の、をかしきものたちを、言葉に写し取り続けた女は、その筆の中で、明るさを選びながらも、もう一つの光――苦難に負けぬ気高き強さを、確かに、大切な人へと、書き遺したのである。』
風過ぎぬ。白粉と、几帳の香の、ほのかにしたる。
玉響の揺らぎは、今日もまた、凪の心の中で、静かに続いている。

――了――

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あとがき
本作は清少納言を題材としたフィクションです。清少納言、中宮定子などは実在の人物ですが、物語における晩年の対話の内容は、著者の創作です。
清少納言の没年や、最期の様子については、確かな記録が残っておらず、後世、様々な伝説(晩年、困窮した生活を送ったとする、後代の作り話めいた逸話も含む)が語られてきました。本作は、そうした伝説の一つを借りて、架空の物語を紡いだものであり、史実として確定した最期を描いたものではありません。
中宮定子が、父・藤原道隆の死後、一族の政治的没落と共に、晩年、様々な困難に直面したことは、『栄花物語』などの同時代の記録から窺えます。一方、『枕草子』が、そうした暗い現実をほとんど描かず、定子の宮の明るい日々を選んで描いていることは、多くの研究者によって指摘されています。清少納言が、どのような想いで、この選択をしたかについては、本作における描写は、著者の創作です。
本作は、前二十九作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

空路転生記 〜空海と刻をこえた男〜
玉響転生記・第二十九話



まえがき
二十八度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
 鼠小僧次郎吉との旅で、凪は「闇路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「空路」であった。
 唐の都で密教の奥義を極め、日本に、新しき仏の道を開いた男。
 承和二年(八三五年)二月。齢六十一。高野山にて、深い禅定に入ろうとしていた男――空海。後に弘法大師と呼ばれ、今なお、高野山の奥之院で、瞑想を続けていると信じられている僧の物語である。
 なお、本作は、真言宗における入定信仰を、フィクションとして描くものであり、特定の宗教的立場を主張、あるいは否定する意図はない。




プロローグ 如月の来訪
 東京は、まだ寒さの残る、静かな夜だった。
 榊原凪は、六十六歳になっていた。鼠小僧次郎吉との旅から、半年余りが経っている。
 北町奉行所の牢で、次郎吉が女房たちへの気遣いを、口にせず目で示した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『義賊ではなかった男』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い密教経典の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
 ふと、香と、深い山の空気のような匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の僧が座っていた。
 質素な法衣。だが、その目には、澱まぬ光が宿っていた。
 「夜分に、失礼いたします」
 僧は、低く言った。
 「あなたは……」
 「空海と申します。真言の教えを、伝えている者です」
 凪は、息を呑んだ。
 空海。唐にて密教の奥義を学び、真言宗を開いた僧。後に、弘法大師として、日本中で敬われることになる人物。そして――このおよそひと月後、深い禅定に入ることになっている男。
 「なぜ、ここにおられるのですか」
 「さて、私にも分からぬのです」空海は、目を細めた。「気づけば、この妙な部屋におりました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉――あなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁ですね、あなたは」
 彼は、凪を昏くない目で見た。
 「私は今、高野山にて、深い禅定に入ろうとしております」
 「空海様……」
 「されど」僧の声に、僅かな熱が混じった。「その前に、伝えておきたいことが、あるのです」


一章 二十九度目のたゆたい
 その夜、凪は密教経典の写本に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの二十八人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが空海の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 真言宗の伝承において、空海は承和二年三月二十一日、高野山にて、入定したと伝えられている。それは、通常の「死」とは異なり、弥勒菩薩がこの世に現れる、遠い未来まで、禅定を続けているとされる、信仰上の出来事である。
 空海の生涯には、あまり語られない側面があった。彼が、若き日、漢籍を学んだ、伯父の阿刀大足(あとの・おおたり)の存在である。大足は、朝廷の官吏を目指す、若き空海に、儒学と、文章の技を、丁寧に教え込んだ。だが空海は、やがて、大学での出世の道を離れ、仏道へと進むことを選ぶ。この選択は、当時、一族にとって、大きな驚き、あるいは落胆をもたらしたと伝えられている。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 空海が、あとひと月後に禅定へ入る前に、伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が開いた、真言の教えだけなのか。それとも、その膨大な教えを紡ぐ言葉の土台を築いてくれた、伯父への想いも、あるのではないか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
 「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、経典の匂いが、香と山の空気の匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。


二章 高野山・金剛峯寺
 気づくと、凪は、高野山にある、金剛峯寺の裏手に立っていた。
 早春の冷たい山気が、深い杉木立を、静かに包んでいる。境内の端には、まだ雪が残っていた。
 凪の身なりは、修行僧風の姿に変わっていた。
 「もし」
 境内にいた若い僧に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
 「空海様に、お目通り願いたい」
 「そなた、何者じゃ」
 「空海様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 若い僧は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
 「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
 この若い僧こそ、空海の身の回りの世話をしていた、弟子の一人であった。


三章 空海の草庵
 草庵の中は、質素ながらも、静謐な空気に満ちていた。文机の脇、炭火が時折はぜた。山の春は、まだ遠い。
 文机の上には、書きかけの経典の注釈書が、几帳面に置かれている。
 空海は、文机の前から、澱まぬ目で凪を見た。
 「よう参られました」
 「参りました」
 「座られよ」空海は、言った。「私は、この地で、真言の教えを、後の世に伝えようとしています。私の肉体は間もなくここに留まることになりますが、教えは、言葉を通じて永遠に生き続けるのです」
 「言葉、ですか」
 「そうです。仏の教え、密教の深い理を説くにも、それを正しく伝える言葉がなくては、人々に届きはしない。私はそのために、これまで多くの書を著してきました」
 空海は、慈愛に満ちた目を少し細め、自身の書きかけの原稿へと視線を落とした。その横顔には、世を去る者の寂寥ではなく、大いなる役割を全うせんとする覚悟が満ちていた。


四章 名の記されなかった師
 その夜、凪は草庵の片隅で、眠れぬまま過ごした。
 これまでの二十八人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが空海の場合、彼が向き合っていたのは、「己が開いた教えをどう伝えるか」という大いなる問いの陰にある、一人の人間としての心の残り火であるように思えた。
 史実において、阿刀大足は、若き空海に、儒学と文章の技を、丁寧に教え込んだ人物であった。だが空海は、やがて、大学での出世の道を離れ、仏道へと進むことを選ぶ。この選択に対する大足の想いは、詳しくは伝わっていないが、当時の常識からすれば、大きな衝撃であったろう。後世、空海は、弘法大師としてあまりに大きな存在となり、その圧倒的な学問の土台を築いた伯父の存在は、光の中に隠れてしまっていた。
 凪は、ふと思った。
 空海が、これほどまでに己の開いた教えを精緻な言葉で語る一方で、その「言葉」そのものを授けてくれた伯父への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
 草庵の外、高野山の夜風が、杉の梢を、静かに揺らしていた。


五章 弟子との対話
 翌日、凪は、草庵の前で薪を割っていた弟子と、言葉を交わす機会を得た。
 「お師匠様は、阿刀大足様のことを、よく話されますか」
 「はい」弟子は、頷いた。「若き日に、儒学と文章の技を、丁寧に教えてくださった御方だと、伺っております。お師匠様が唐に渡られた際、翻訳なしでたちまち密教を理解できたのも、すべては大足様のおかげなのだ、と」
 「大足様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
 弟子は、寂しげに首を振った。
 「いいえ。お師匠様のお名前は、日本中に知られておりますが、大足様のことまでは、あまり、知られていないように思います」
 凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
 「お師匠様ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
 弟子は、しばらく考えていた。
 「お師匠様は、時折、懐かしそうに、大足様のお名前を口にされます。ですが……それを、ご自身の最後の教えとして、はっきりと書き記されたことは、まだ、ないように思います」


六章 高弟・実恵との対話
 その日の夕刻、空海の高弟の一人、実恵(じちえ)が、草庵を訪れた。
 「サカキバラ殿と申されるか。お師匠様より、伺っております」
 「実恵殿は、阿刀大足様のことを、どう見ておられますか」
 実恵は、少し驚いた顔をした。
 「あの御方なくば、お師匠様の、あの見事な文章と、緻密な論理は、育たなかったでしょう。密教の深い教えも、それを的確に説く言葉があってこそ、初めて、人々に届くのですから」
 実恵は、庭の雪解け水に目を落とした。
 「大足様への情は、密教の曼荼羅のようなものかと。中心に像を置かずとも、全体を支えている」
 「それは、空海様ご自身も、認めておられることですか」
 「お師匠様は……」実恵は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、大足様への感謝を、抱いておられるはずです。ただ、真言の教えを伝えることに、常に、全身全霊を注いでこられたゆえ、私的な情を言葉にする間が、なかったのでしょう」
 凪は、頷いた。
 「もし、お師匠様が、はっきりと、大足様への感謝を、書き記されたら――何か、変わると思われますか」
 実恵は、しばらく考えた。
 「変わりましょう。お師匠様のお言葉には、それだけの重みがございます。そして何より……お師匠様ご自身の心が、救われるかと存じます」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は空海に呼ばれ、二人だけで草庵に残った。
 「弟子や、実恵から、聞き申した」と空海は言った。「あなたが、大足のことを、あれこれ問うているそうですね」
 「差し出がましいことを、申し上げました」
 「いや」空海は、墨を継ぎながら凪を見た。「私自身、向き合わねばならぬ角度でした。近頃、大足のことを思う。理由はわからぬ。だが思うのだ」
 「空海様。あなたはご自身の開かれた真言の教えについて、あまりに多くの書を、著してこられました。ですが、大足様への感謝については、あまり、はっきりと言葉にされる場が、なかったように見受けました」
 空海は、しばらく、黙っていた。
 「問うが、サカキバラ。教えを遺す者にとって、個の恩を語ることに、どれほどの益がある?仏の法は、私情を超えたところにある」
 凪は、深く息を吸った。
 「益、ではありません。空海様。あなたは今、深い禅定に入ろうとしておられます。ですが――もし、大足様への感謝を、はっきりと言葉にしないまま入定されれば、その恩は、あなたの偉大な教えの陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
 凪は、文机の上の筆を見た。
 「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の開かれた教えだけでしょうか。それとも――大足様という、あなたを育てた恩人の姿を、あなたの紡ぐ見事な『言葉』によって、次の時代へと、はっきり書き伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
 空海は、長い間、目を閉じていた。


八章 筆を執る夜
 その夜遅く、空海は、文机に向かい、筆を執った。
 凪は、その傍らに、静かに控えていた。
 空海が広げたのは、弟子たちよ密厳国土を荘厳せよ、と書き連ねた、真言宗の行く末を託す重要な書――のちに『御遺告(ごゆいごう)』と呼ばれることになる、その草稿であった。
 文の末に、空海はふと筆を止めた。
 「大足は……」空海は、筆を運びながら、低く言った。「私に、学問の厳しさと、言葉を尽くすことの大切さを、教えてくれた人であった。あの教えなくば、私は、密教の深い理を、人々に説く言葉を、持ち得なかったでしょう」
 墨の香が満ちる中、筆先から生まれる文字が、重々しい教えの余白を、静かに埋めていった。
 「これを、はっきりと、書き記しておかねばならぬ。私の学びの原点には、大足がいたのだと。真言の空へと至る道――『空路』は、彼が授けてくれた言葉から始まっていたのだと」
 凪は、静かに、その筆の動きを見つめていた。
 やがて空海は、筆を置き、深く息をついた。
 「これで……ようやく、心残りが、一つ、減りました」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、承和二年三月二十一日、空海は、高野山にて、深い禅定に入ったと伝えられている。真言宗の教えでは、彼は、今なお、弥勒菩薩がこの世に現れる遠い未来まで、高野山奥之院にて、瞑想を続けているとされる。今日に至るまで、一日に二度、食事が捧げられ続けているのは、その信仰の証である。
 史実において、阿刀大足が、若き空海の学問を支えたことは、空海自身の初期の著作にも、その痕跡を見ることができる。だが、後世、弘法大師としての空海の存在があまりに大きくなり、その学問の原点にいた伯父の名が、広く人々に語られることは、少なかった。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 偉大な教えの土台にも、確かに、名もなき師の、地道な教えが、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの空路
 千二百年余りの後。
 高野山奥之院には、今も、多くの参拝者が、静かに訪れていた。
 弘法大師の教えを求めて訪れる人々の中で、その学問の原点を築いた、一人の伯父の存在を、知る者は、多くはない。
 しかし、空海が遺した言葉の端々には、今も確かに、その教えの温もりが宿っている。
 「真言の教えを開いた大師」としてだけではなく、「地道な学びの上に、深い教えを築いた、一人の求道者」として、空海は今も、あの奥之院の闇の中で、微笑んでいるのかもしれない。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 窓の外では、早春の風が、まだ冷たく吹いていた。
 「あなたが遺したかったのは、ご自身の教えだけではなかったはずです」
 凪は、呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『承和二年三月、高野山の空は、静かに暮れようとしていた。唐の都で密教の奥義を極めた男は、深い禅定に入る前に、己の教えを語りながらも、もう一つの光を、確かに、名もなき恩師へと、書き遺したのである。』
 風が吹いた。書斎の換気扇が回る、微かな機械音に混じって、香と、山の空気の匂いがした。
 玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

――了――

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あとがき
 本作は空海の最晩年を題材としたフィクションです。空海、阿刀大足、実恵などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
 真言宗の伝承では、空海は承和二年(八三五年)三月二十一日、高野山にて入定したとされ、今日に至るまで、弥勒菩薩がこの世に現れるまで禅定を続けていると信じられており、高野山奥之院では、一日に二度の食事が、今も捧げられ続けています。本作におけるこの信仰の描写は、フィクションとしての創作であり、特定の宗教的立場を主張、あるいは否定する意図はありません。
 阿刀大足は、空海の母方の伯父であり、若き日の空海に儒学と文章を教えたとされる人物です。空海が大学での出世の道を離れ仏道へ進んだ選択について、大足がどのように感じていたかは、詳しくは伝わっておらず、本作における晩年の対話や心情描写は、著者の創作です。
 本作は、前二十八作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

闇路転生記 〜鼠小僧次郎吉と刻をこえた男〜
玉響転生記・第二十八話


まえがき
二十七度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
宮本武蔵との旅で、凪は「剣路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「闇路」であった。
大名屋敷ばかりを狙い、闇に紛れて生きた男。
天保三年一八三二年七月。齢三十六。百を超える武家屋敷に忍び込み、江戸中を騒がせた盗賊――鼠小僧次郎吉。世に「義賊」として語られることになりながら、その実像は、伝説とは、いささか異なっていた男の物語である。




プロローグ 文月の来訪
東京は、蝉の声がかまびすしい、蒸し暑い夜だった。
榊原凪は、六十六歳になっていた。宮本武蔵との旅から、半年余りが経っている。
霊巌洞で、武蔵が弟子寺尾孫之允への想いを筆に込めた、あの夜のことを、凪は今も鮮明に思い出す。書き上げた小説『道を継ぐ者』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い瓦版の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、墨と、夜露のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の小柄な男が座っていた。
やつれた着物姿。だが、その目には、どこか人懐こい、ちゃっかりとした光が宿っていた。
「よう、邪魔するぜ」
男は、軽い調子で言った。
「あなたは……」
「次郎吉ってもんだ。世間じゃ、鼠小僧なんて、呼ばれてるらしいがな」
凪は、息を呑んだ。
鼠小僧次郎吉。江戸中の大名屋敷、武家屋敷、百を超える場所に忍び込み、後に「義賊」として、歌舞伎や講談の題材となる盗賊。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにいるんだ」
「さあな、俺にも分からねえよ」次郎吉は、へらへらと笑った。「気づいたら、この妙な部屋にいた。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵――あんたが会ってきた連中の気配が、なんとなく分かる。妙な男だな、あんたは」
彼は、凪をじろりと見た。
「俺は今、奉行所の牢に繋がれてる。もう間もなく、市中引き回しの上、獄門ってやつだろうよ」
「次郎吉様……」
「だがな」盗賊の目に、複雑な光が差した。「一つだけ、はっきりさせておきたいことが、ある」


一章 二十八度目のたゆたい
その夜、凪は瓦版の写しに埋もれながら、考え続けていた。
これまでの二十七人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。だが鼠小僧次郎吉の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、次郎吉は天保三年八月十九日、市中引き回しの上、小塚原にて獄門に処されることになる。享年三十六。生涯に、百を超える武家屋敷に忍び込み、盗んだ金は二千九百四十六両余と記録にある。
だが、後世、彼を「義賊」として語り継ぐことになる伝説――盗んだ金を貧しい人々に分け与えた、という物語には、確かな裏付けがない。実際のところ、次郎吉が盗んだ金の多くは、博打や酒、遊興に費やされていたと、多くの記録は伝えている。
一方で、あまり知られていない、次郎吉の実際の行いがあった。
重罪人は、当時、家族にまで刑罰が及ぶ「連座」の定めがあった。だが次郎吉は、既に親から勘当されており、天涯孤独の身であった。加えて、数人いた妻や妾には、あらかじめ離縁状を渡し、自分の罪が、彼女たちに及ばぬよう、細やかな配慮をしていたと伝えられている。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
次郎吉が、あとひと月後に迎える死を前に、はっきりさせておきたいこととは――世間が語る「義賊」の物語なのか。それとも、その物語の陰で、彼が実際に守ろうとした、身近な人々への想いなのか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、瓦版の匂いが、墨と夜露の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。


二章 奉行所の牢
気づくと、凪は、北町奉行所の牢屋敷の裏手に立っていた。
夏の夜風が、薄暗い塀の内側を、吹き抜けていく。
凪の身なりは、牢役人風の姿に変わっていた。
「もし」
門番に声をかけると、彼は訝しげに凪を見た。
「次郎吉に、お目通り願いたい」
「お前さん、何者だい」
「次郎吉のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
門番は、訝しみながらも、奥へと入っていった。しばらくして、戻ってきた。
「榊原とやら言うたな。入りな」
この牢の奥に、次郎吉は、繋がれていた。


三章 次郎吉の牢中
牢の中は、狭く、蒸し暑かった。だが、次郎吉は、思いのほか、飄々とした様子であった。
次郎吉は、格子の奥から、ちゃっかりとした目で凪を見た。
「よう来たな」
「参りました」
「まあ、座れよ」次郎吉は、軽い調子で言った。「もっとも、大した椅子もねえがな」
「なぜ、そこまで、多くの屋敷に、忍び込まれたのですか」
次郎吉は、しばらく黙っていた。
「博打の借金さ」彼は、正直に言った。「格好いい理由なんて、ありゃしねえよ」
「世間では、あなたのことを、貧しい人々に金を分け与える、義賊だと、噂されているようですが」
次郎吉は、少し苦笑した。
「そいつは、買いかぶりすぎだな」彼は、静かに言った。「盗んだ金はほとんど、博打と酒と女に使っちまったよ」


四章 語られなかった気遣い
その夜、凪は牢屋敷の片隅で、眠れぬまま過ごした。
次郎吉の言葉が、頭から離れなかった。
――そいつは、買いかぶりすぎだな。
これまでの二十七人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが次郎吉の場合、彼が向き合っていたのは、「世間が作り上げた美しい物語」と、「己が実際にした、地味な気遣い」との間の、隔たりであるように思えた。
確かに彼は、盗んだ金を使い果たしたろくでなしだったのかもしれない。だが、捕まる前に妻や妾たちへ手渡していたという離縁状の存在が、凪の胸に強く引っかかっていた。
世間から「義賊」として華々しく語られる一方で、彼が実際にした身近な女たちへの、地味で確かな気遣いは、これまでどれほど正しく語られてきたのだろうか。
窓の外、夏の夜の虫の声が、遠く微かに聞こえていた。


五章 牢役人との対話
翌日、凪は、牢屋敷の見回りをしていた牢役人と、言葉を交わす機会を得た。
「次郎吉は、世間で言われるような、義賊なのでしょうか」
「さあて、どうだかね」牢役人は、苦笑した。「調べじゃ、盗んだ金は、ほとんど、博打と遊びに、消えちまったらしいよ」
「それでは、次郎吉には、褒められるところは、何もないのでしょうか」
牢役人は、少し考えた。
「一つだけ、感心したことがあるよ」彼は言った。「あいつ、捕まる前から、女房や妾に、離縁状を渡してたんだと。自分の罪が、あいつらに及ばねえようにってな」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。腰の痛みを堪えて立ち上がる。倍近く生きた自分の身体が、今の次郎吉より重たかった。
「そのことは、世間に、広く知られておりますか」
牢役人は、首を振った。
「いいや。世間じゃ、義賊だ何だと、勝手な物語ばかりが、独り歩きしてらあ」


六章 元女房との対話
その日の夕刻、次郎吉のかつての女房であった女性が、密かに牢屋敷を訪れた。
「榊原さんと申されるか。次郎吉さんより、伺っております」
「あなたは、次郎吉様のことを、どう見ておられますか」
女性は、少し目を伏せた。
「あの人は、博打狂いで、ろくでもない人でした」彼女は、静かに言った。「ですが……あの時だけは、あの人らしくない、真面目な顔をしていました」
「それは、次郎吉様にとって、どれほどの意味を持つ行いだったのでしょうか」
「あの人は……」女性は、言葉を選びながら言った。「口では、いつも、ちゃらんぽらんなことばかり言っていました。ですが、あたしらを巻き込みたくないという想いだけは、本物だったように思います」
凪は、頷いた。
「もし、次郎吉様が、世間の作り話ではなく、ご自身の本当の想いを、はっきりと言葉にされたら――何か、変わると思われますか」
女性は、しばらく考えた。
「変わるかどうかは、分かりません。ですが……あの人らしい、正直な言葉を、聞いてみたい気は、いたします」


七章 夜半の対話
その夜、凪は次郎吉に呼ばれ、二人だけで牢に残った。
「牢役人や、あの女から、聞いたよ」と次郎吉は言った。「あんたが、俺のことを、あれこれ聞いておるそうだな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」次郎吉は、静かに凪を見た。「俺自身、向き合わなきゃならん角度だったよ」
「世間では、あなたのことを、貧しい人々を助けた義賊として、語り継ごうとしております。ですが、あなたご自身は、それを、はっきりと否定なさろうとしています」
次郎吉は、しばらく、黙っていた。
「俺は……」やがて彼は、静かに言った。「義賊なんて、上等なもんじゃねえ。盗んだ金は、博打と酒と女に使っちまった、ただの、しょうもねえ男よ。……だがな、女房や妾たちに、罪が及ばねえようにと、離縁状だけは、ちゃんと渡してきた。それだけは、誰にも、恥じるところはねえ」
「なぜ、それを、もっとはっきりと、語ってこられなかったのですか」
「義賊だなんだと、勝手な物語が、独り歩きしてる方が、都合が良かったのかもしれねえな。本当のことを言うのは、なんだか、照れくせえもんだ」
凪は、深く息を吸った。
「次郎吉様。あなたは今、世間の作り話と、ご自身の本当の姿との間で、揺れておられます。ですが――もし、本当の想いを、はっきりと言葉にしないまま終われば、あなたの、地味だが確かな気遣いは、義賊という華やかな伝説の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
次郎吉の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、世間が作り上げた、義賊という物語だけでしょうか。それとも――女房や妾たちへの、不器用ながらも確かな気遣いを、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
次郎吉は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、次郎吉は、牢役人を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「俺は、義賊なんかじゃねえ」次郎吉は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「ただの、博打好きの、しょうもねえ盗人だ。だがな、女房や妾たちにだけは、迷惑をかけたくなかった。それだけは、本当だ」
牢役人は、静かに、その言葉を聞いていた。
「もし、後の世で、俺のことが、義賊だなんだと語られることがあったら」次郎吉は、静かに続けた。「それは、買いかぶりだと、誰かが、正直に、伝えてくれりゃあ、それでいい」
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて次郎吉は、深く息をついた。
「これで……少しは、気が、済んだよ」


九章 残されたもの
この夜からおよそひと月後、天保三年八月十九日、鼠小僧次郎吉は、市中引き回しの上、小塚原にて獄門に処されることになる。享年三十六。
史実において、次郎吉が盗んだ金を貧しい人々に分け与えたという「義賊」の伝説には、確かな裏付けがなく、実際には、博打や遊興に費やしていたと、多くの記録は伝えている。一方で、天涯孤独の身であったこと、そして、妻や妾たちに、あらかじめ離縁状を渡していたという逸話は、記録に残されている。
次郎吉の没後、彼を題材にした歌舞伎や講談が数多く作られ、「義賊・鼠小僧」の物語は、庶民の間で、大いに人気を博すことになる。回向院にある彼の墓は、後に、博打の御守りとして、墓石の欠片を持ち帰る人々で、賑わうことになった。
華やかな伝説と、地味な真実と――どちらもまた、一人の人間が、確かに生きた証なのかもしれない、と凪は思った。


終章 もう一つの闇路
数十年後――いや、凪の生きる令和の現代。
東京回向院の一角にある鼠小僧次郎吉の墓には、今も「義賊」としての御利益を求める多くの参拝者が訪れ、墓石を削っていく。
だが、その賑わいの陰で、あの男が本当に遺したかったものは、別のところにある。
「貧しい人々を救った義賊」としてだけではなく、「不器用ながらも、身近な人への気遣いを忘れなかった、一人の人間」としての足跡。
自宅の書斎で、凪は書き上げたばかりの原稿を静かに読み返していた。
窓の外では、夏の夜風が、まだ蒸し暑く吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、義賊という伝説だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『天保三年八月、江戸の空は、静かに暮れようとしていた。大名屋敷ばかりを狙い、闇に紛れて生きた男は、その最期の日々に、世間の作り話を否定しながらも、もう一つの光を、確かに、身近な人々へと、語り遺したのである。』
風が吹いた。書斎に、夏草を焼くような匂いが、微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

――了――


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あとがき
本作は鼠小僧次郎吉の最期を題材としたフィクションです。次郎吉は実在の人物ですが、物語における牢役人や元女房との対話の内容は、著者の創作です。
実際に次郎吉は天保三年一八三二年八月十九日、市中引き回しの上、小塚原にて獄門に処されました。享年三十六。生涯に百を超える武家屋敷に忍び込んだとされていますが、盗んだ総額は二千九百四十六両余との記録があります。盗んだ金を貧しい人々に分け与えたとする「義賊」の伝説には、確かな裏付けがなく、実際には博打や遊興に費やしていたことが、多くの記録から窺えます。一方で、親から勘当され天涯孤独の身であったこと、また、複数いた妻や妾に、あらかじめ離縁状を渡し、自らの罪が及ばぬよう配慮していたことは、記録に残されています。
本作は、華やかな伝説と、より地味な史実との間にある隔たりを、一つの思考実験として描いたものです。犯罪行為そのものを美化する意図はありません。
本作は、前二十七作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。