漂流路転生記 〜ジョン万次郎と刻をこえた男〜
玉響転生記・第四十六話
まえがき
四十五度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻(とき)」へと導かれることになった。
聖徳太子との旅で、凪は「太子路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は**「漂流路」**であった。
難破し、漂流し、奇跡のごとく海の彼方から、新しき世界を持ち帰った男。
明治三十一年(一八九八年)十月。齢七十一。日本と、遠いアメリカとの間に、確かな橋を架けた男――中濱万次郎、通称ジョン万次郎。だが、その波乱の生涯の出発点には、遠い異国の、一人の船長の存在があった。
プロローグ 神無月の来訪
東京は、秋の深まる、静かな夜だった。
榊原凪は、七十四歳になっていた。聖徳太子との旅から、半年余りが経っている。
斑鳩(いかるが)の宮で、太子が慧慈(えじ)への想いを、静かに語った、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『異国の師の教え』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い航海日誌の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、潮の匂いと、鯨油のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の老人が座っていた。
和装だが、どこか異国の気配を纏った佇まい。だが、その目には、驚くほど穏やかで、それでいて、遠くを見つめるような光が宿っていた。
「これは、失礼いたします」
老人は、静かに言った。
「あなたは……」
「中濱万次郎と申します。ジョン万次郎とも、呼ばれております」
凪は、息を呑んだ。
ジョン万次郎。土佐の漁師の子として生まれ、遭難の末、アメリカへと渡り、後に、日本の開国に、大きな役割を果たすことになる人物。
そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにいるのでしょう」
「さあ、私にも、分かりません」万次郎は、小さく頷いた。
「気づけば、この妙な部屋におりました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言、鑑真、利休、板垣、鎌足、義経、道灌、清正、一休、尊氏、家康、信長、小町、紫式部、卑弥呼、聖徳太子。あなたが会ってこられた方々の気配が、なんとなく、伝わってまいります。不思議な方ですね、あなたは」
彼は、凪を穏やかに見つめた。
「私は今、東京にて、静かな余生を、過ごしております」
「万次郎様……」
「ですが」老いた漂流者の目に、懐かしむような光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、あります」
一章 四十六度目のたゆたい
その夜、凪は航海日誌の写しに埋もれながら、考え続けていた。
これまでの四十五人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だがジョン万次郎の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、万次郎は明治三十一年十一月、東京にて、その生涯を閉じることになる。享年七十一。晩年は、脳溢血を患いながらも回復し、長男・東一郎の庇護のもと、穏やかな日々を送っていた。
万次郎の出発点には、一人の恩人がいた。ウィリアム・H・ホイットフィールド船長である。
天保十二年(一八四一年)、遭難し、無人島に漂着した十四歳の万次郎を救助したこの船長は、当時の日本が鎖国下にあったことを踏まえ、万次郎を、我が子のようにアメリカへと連れ帰った。フェアヘイヴンで、英語、数学、測量、航海術などを、惜しみなく学ばさせたのは、この船長であった。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
万次郎が最期に伝えておきたいものがあるとすれば、それは、己が果たした「日米の架け橋」としての功績だけなのか。それとも、遠い異国で、我が子のように育ててくれた、船長への想いも、あるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、日誌の匂いが、潮と鯨油の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。
二章 東京・万次郎の隠居所
気づくと、凪は、東京にある、万次郎の隠居所の玄関先に立っていた。
秋の柔らかな日差しが、質素な庭を、静かに照らしている。
凪の身なりは、書生風の姿に変わっていた。
「ごめんください」
玄関先にいた書生に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「万次郎様に、お目にかかりたい」
「あなたは、どなたですか」
「万次郎様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
書生は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラさんとやら。お上がりください」
この書生は、万次郎の身の回りの世話をする者の一人であった。
三章 万次郎の居室
居室には、古い英語の書物と、航海術の資料とが、静かに置かれていた。
万次郎は、文机の前から、穏やかな目で凪を見た。
「よく来てくれました」
「参りました」
「座ってください」万次郎は、静かに言った。「私は、この国と、アメリカとの間に、橋を架けようと、生涯、努めてまいりました」
「ホイットフィールド船長のことを、伺ってもよろしいでしょうか」
万次郎は、しばらく黙っていた。
「あの方がいなければ、私は、あの無人島で、命を落としていたでしょう」彼は言った。「それだけでなく、我が子のように、育ててくださいました」
「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
万次郎は、少し目を細めた。
「船長のことを、近頃、よく思い出します」
四章 名の記されなかった恩人
その夜、凪は隠居所の一室で、眠れぬまま過ごした。
万次郎の言葉が、頭から離れなかった。
――船長のことを、近頃、よく思い出します。
これまでの四十五人は、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが万次郎の場合、彼が向き合っていたのは、「己の日米の架け橋としての功績をどう語るか」だけでなく、「己を育ててくれた、異国の恩人を、どう伝えるか」という問いであるように思えた。
後世、ジョン万次郎という名が、日本の開国に貢献した人物としてあまりに大きく語り継がれる一方で、船長の存在は、日本国内の「公の記録」には、その功績ほど克明には残されていない。
万次郎の胸中にある、あふれんばかりの感謝は、これまでどれほど、はっきりと世に伝わってきたのだろうか。
窓の外、東京の秋の夜風が、静かに吹いていた。
五章 門下生との対話
翌朝、凪は、居室で書物を整理していた門下生と、言葉を交わす機会を得た。
「先生は、ホイットフィールド船長のことを、よく話されますか」
「はい」門下生は、頷いた。「先生を、我が子のように育ててくださった御方だと、伺っております」
「船長のお名前は、世間でも広く知られているのでしょうか」
門下生は、少し寂しそうに首を振った。
「いいえ。先生のお名前は、日本中に知られておりますが、船長のことまでは、みな、あまり深くは存じ上げないように思います。先生は時折、とても懐かしそうに船長のお名前を口にされますが、それを、はっきりと書き残された姿は、まだお見かけしたことがありません」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
六章 長男・東一郎との対話
その日の夕刻、万次郎の長男である、中濱東一郎(なかはま・とういちろう)が、居室を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。父より、伺っております」
「あなたは、ホイットフィールド船長のことを、どう見ておられますか」
東一郎は、少し考えた。
「あの御方なくば、父は、あの無人島で、命を落としていたでしょう。異国の少年を、我が子のように迎え入れ、教育を受けさせるという、並外れた寛容さをお持ちの方です」
「それは、万次郎様ご自身も、深く感謝しておられることですか」
「父は……」東一郎は、言葉を選びながら言った。
「内心では、誰よりも船長への感謝を抱いているはずです。船長のご家族とは、今も文通を続けておりますから。ただ、明治のこの激動の中、国のために奔走するあまり、それを公にまとめて語る機会が、父にはなかったのでしょう」
凪は、深く頷いた。
「もし、父上が、はっきりと、船長への感謝を、この地に書き記されたら、何か、変わると思われますか」
東一郎は、しばらく考えた。
「変わるかもしれません。父の言葉には、それだけの重みがあると思います」
七章 夜半の対話
その夜、凪は万次郎に呼ばれ、二人だけで居室に残った。
「門下生や、東一郎から、聞きました」と万次郎は言った。「あなたが、船長のことを、あれこれ聞いておられるそうですね」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いえ」万次郎は、穏やかな目で凪を見た。「私自身、向き合わねばならない角度でした」
凪は、同じ老境を生きる者として、静かに言葉を紡いだ。
「万次郎様。あなたはこれまで、日米の架け橋として、この国のためにすべてを捧げてこられました。ですが、船長への感謝については、まとまった形で、語られる場がなかったように見受けられます」
万次郎は、しばらく、黙っていた。
「私は……」やがて彼は、静かに言った。
「船長の寛容さなくば、私は、あの無人島で、朽ち果てていたでしょう。あの方は、肌の色も、言葉も違う、異国の少年を、我が子のように、迎え入れてくださいました。ですが、私は、日本での役目に追われ、それを、はっきりと、まとまった形で、語る間を、作ってきませんでした。日本のために、働くことに、いつも、心を奪われてきたからでしょう」
「分かっております」凪は、万次郎の横顔を見つめた。
「ですが、万次郎様。あなたが今、こうして静かな余生を過ごされているのは、その恩を、言葉にされたいから、ではないでしょうか。あなたが語らねば、船長のあの美徳は、あなたの大きな功績の陰に、隠れたままになってしまうかもしれません」
万次郎の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の功績だけでしょうか。それとも、ホイットフィールド船長という、あなたを育てた恩人の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
万次郎は、長い間、目を閉じていた。
八章 語られた言葉
その夜遅く、万次郎は、東一郎と門下生を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「船長は……」万次郎は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「見返りを求めず、私を、我が子のように、育ててくださいました。今日の私があるのは、すべて、あの方のおかげです」
東一郎と門下生は、深く頭を下げた。
「これより後、私のことを語り継ぐ者は、皆に、船長のことも、伝えてほしい」万次郎は、静かに続けた。
「東一郎、そなたには、船長のご家族との文通を、これからも、大切に続けてほしい。この縁は、私一人のものではなく、次の世代へと、受け継がれていくべきものだから」
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて万次郎は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が、軽くなりました」
九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、明治三十一年十一月、ジョン万次郎は、東京にて、その生涯を閉じることになる。享年七十一。
史実において、万次郎の長男・東一郎は、その後も、ホイットフィールド家との文通を続け、この日米の縁は、代を重ねて、今日に至るまで、受け継がれていくことになる。昭和八年(一九三三年)には、ホイットフィールド船長の親友の孫にあたる、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトから、東一郎のもとに、手紙が届いたとも伝えられている。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
日米の架け橋となった人物の陰にも、確かに、見返りを求めぬ、異国の恩人の存在が、息づいていたのかもしれない、と。
玉響。
気づけば、凪は東京の書斎にいた。
終章 もう一つの漂流路
百年余りの後。
万次郎の故郷・土佐清水市と、ホイットフィールド船長の故郷・アメリカのフェアヘイヴンとは、姉妹都市として、今も、街ぐるみでの交流を、続けていた。
「日米の架け橋」としての万次郎の名の陰で、見返りを求めず、一人の漂流少年を育てた、異国の船長の存在を、深く知る人は、多くはない。
「日本の開国に貢献した人物」としてだけではなく、「異国で受けた恩を、生涯、忘れなかった、一人の漂流者」として。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、秋の風が、静かに吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の功績だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『明治三十一年の秋、東京の空は、静かに暮れようとしていた。難破し、漂流し、海の彼方から新しき世界を持ち帰った男は、その最期の日々に、己の功績を語りながらも、もう一つの光を、確かに、異国の恩人へと、書き遺したのである。』
風が吹いた。潮と、鯨油の匂いが、微かにした。
――了――
【作者注】
本作はジョン万次郎(中濱万次郎)の最晩年を題材としたフィクションです。ジョン万次郎、ウィリアム・H・ホイットフィールド船長、中濱東一郎などは実在の人物ですが、物語における門下生や東一郎との対話の内容は、著者の創作です。
実際に万次郎は明治三十一年(一八九八年)十一月、東京にて、七十一歳でその生涯を閉じました。天保十二年(一八四一年)、遭難し無人島に漂着した万次郎は、捕鯨船ジョン・ハウランド号の船長ウィリアム・H・ホイットフィールドに救助され、鎖国下の日本の事情を踏まえ、養子同然にアメリカへ連れて行かれ、フェアヘイヴンで教育を受けました。明治三年(一八七〇年)には欧州視察の途上、約二十年ぶりに恩人ホイットフィールドと再会を果たしています。
万次郎の子孫は、ホイットフィールド船長の子孫と、今日に至るまで交流を続けており、昭和八年(一九三三年)には、ホイットフィールドと縁のあったデラノ家の子孫にあたるフランクリン・ルーズベルト大統領から、長男・東一郎のもとに手紙が届いたことも記録されています。万次郎が最晩年、船長への想いをどのように語っていたかについて、具体的な記録は限られており、本作における描写は、著者の創作です。
本作は、前四十五作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。










